2018年4月3日
花鳥風月に身を委ねるのも良し。
桜の咲く季節にこの手紙を書く。五月晴れの頃、私は、ベッドに横たわっているのかも
しれない。故に、今のうちに書いておく。それが、私の遺作になろうとも。
起き抜け、煙草を更かすのが、私の習慣になってから、何年になるのだろう。煙草は、覚えた頃の記憶を頼りに、それを手繰り寄せる。無駄な作業をするのが、如何に怠惰で、人間を駄目にするのかが、わかる。
「煙草やめますか?人間やめますか?」
コマーシャルは、そう言っていた。
「人間以外、煙草は吸わない。」
確かに、人間の唇の間から、煙が吐き出される姿は、不恰好だ。だが、煙草というものが、世の中にある以上、買う人はいる。
「禁煙は、最大の贅沢だと思う。」
そう、思いたった。日本で、煙草を作る畑は、存在するのだろうか?
ふと、疑問に感じる。もし仮に、その畑が、無いとするならば、国は輸入してまで、その葉を買っていることになる。しかし、世界での禁煙ブームは、留まるところを知らない。
街が綺麗になる。空気が良くなる。
果たして、それは本当なのか?一度、覚えてしまった煙草は止めづらい。だから、若い世代の人には、煙草を吸って欲しくはない。そうなると、世の中から、煙草は消える。
そこで疑問。日本に、煙草というものが伝来してから、国でも煙草を作るようになった。世の中を見渡しても、歩き煙草よりも歩きスマホを禁止する事のほうが、多くなった。
時代を逆行しているのかもしれない。世の中のわだかまりや空腹等を満たすために、煙草は、貧乏人にとって、必要不可欠だ。その足元を見て、JTは煙草を売る。
貧乏人から金を巻き上げて、ゴージャスな暮らしをしようというのが、政府の思惑なのかもしれない。深呼吸をするくらい当たり前のことになったこの一本を、我々から奪おうとしている政治のやり方にも問題はあるとも思う。
もしも煙草を止めたら、その時は、拍手喝采になるのかもしれない。喫煙マナーを守っているのに、煙草が害になるというのは、やはり主流炎よりも副流炎の方が、害があるという迷信にも似た科学的根拠に他ならない。
「煙草を止めよう。」
それが、世の中の流れなら。煙草は、頭脳に弊害を与える。他に楽しみを見出せばいい。絵画でも音楽でも落語でも映画でもいい。二酸化炭素を吐き出して、呼吸をするのが、人間。酸素を吐き出して、光合成をするのが、植物。人間は、植物には、なれない。
「一旦決めた、決断を邪魔しないでほしい。」
そして、私を甘やかさないで欲しい。
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