2018年3月6日

 落語について、考える。

 本音で話し合うというのは、得てして、重要なのかもしれない。

 落語って、本音の世界だから。勿論、そこには型はちゃんとあって、そこのレベルに行き着くまでの、プロセスはあるかもしれないが。お客さんが、ちゃんといて、それを、客前で見せる。

「お前、落語の値段知らねぇだろ。」

と、言われたことは、ある。

 落語の世界に生きる人間は、実は、歌舞伎の世界なんかも、よく見ている。

 古典芸能の素晴らしさってあると思うから。奥深いというのが、正しい表現なのかもしれない。難しく考え始めると、限がないが、落語は人助けだと思う。

 いい落語を聴いて、その後、旨い料理を食べる。

 こんな贅沢はない。

 とりとめも無く、書いてきたが、落語家も職業である。そこに、資格も無ければ、格差も無い。

「落語が、能の道を辿るのは、目に見えている。」

 伝統芸能は廃れない。落語の将来を憂いてのことなのかもしれないが、立川談志師匠は、そう言っていたそうである。

「落語は無くならん。人のくすぐったい部分は、いつの時代も一緒なんや。」

と、桂枝雀師匠は、言っている。

 どちらの言い分にも、一理ある。

 相手を納得させれば、いい。そこにお金を払う。それが落語だと思う。

 落語とは、本音の世界。相撲同様、残っていって欲しい文化であることは、まず間違いない。

 落語を、物理と捉えても間違いではない。

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