2018年2月28日

 鳴かぬなら 嘴をパカッと開けて中からホーホケキョを取り出してみよう ホトトギス

「ええか?芸人っていうのは、どんな状況でも人を笑わさなあかん。どんな不幸のどん底にあってもや。」

エア師匠の教えである。

「誰がエア師匠やねん。」

と、エア師匠。

「エアがエアとかかっとる。」

とかけて、ホトトギス。

もしも、明日、地球が滅びるとしたら、あなたは、何をしますか?

「北へ北へ向かう。」

正当である。

 人間、死と対峙したとき、笑いを選ぶ。

「いいから、お外で遊びなさい。」

現実を、そのまま描こうとすると、現実を越えてしまうことがある。

 これが、シュルレアリスム。超現実的のフランス語訳である。

 文学、絵画が、これに手をつけたとき、それを認めるものと、遠ざけるものに分かれた。

 ゴッホという人は、兎に角、絵にこだわった。それが、巨万の富を産んだのが、ゴッホの死後である。ゴッホは、ひまわりの絵を描くとき、葉っぱに若干の紫を選んだ。

 紫は、どの色とも相容れない。だから、この絵の具を使うのは、難しい。それでも紫を選んだのは、その画家と孤独との一騎打ちだったからに他ならない。

 私の密室芸もそういったところがある。勿論、協力者はいるが、最後は一人である。

「あんた、紺よう似合うなぁ。」

母に、何度もそう言われた。

「だから何やねん。」

そうは、答えなかった。恐らく、母はこの暗い未来である今を、見据えていたのだろうか。

「うん。」

そう答えた。誰とも相容れない私を、病気と捉えれば、病気なのだろう。

 引きこもりが、悪いとは思わない。

 ただ、私は、外の空気を、家に吹き込むのが巧い。物事は収束に向かう。

 結局は、私の密室芸。ほかの何者でもない。

 さて、冒頭の句。強引にでもホトトギスを鳴かそうとする織田信長を超えている。

 これこそが、シュールの極致であり、最前線の笑いでもある。

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