2018年1月25日

 昔、老人介護施設で、漫才をやらせていただいた経緯がある。そのこと自体に、大きなメリットはなかったが、本番前に嗚咽が走るほどの緊張があったことを今でも覚えている。

 本当は、その相方と吉本興業に入りたかった。

 漫才が好きというよりは、その相方が好きだった。

 それは、漫才をする上で、重要なことだ。相方を愛せない人間が、ツッコミなど出来るわけがない。ツッコミは愛情。

 どれだけ相方が、自分を嫌っても、ツッコミは相方を愛さなくては、ならない。間違いを修正するのが、ツッコミだとか、おかしな事をいう相方を救うというよりは、ひとつのボケがあるとして、それをお客さんに、

「こいつ、こんな面白いこと言ってますよ。」

と、伝えるのが、ツッコミの使命である。相方は、単体でも面白い。どんなに弱い人間にも手を差し伸べるし、向上心もある。芸能界というところは、怖いところだけれど、暖かいところだ。茶の間に笑いを届けるのに、誰かを傷つけなくてはいけないこともある。

 だけど、そこに悪意はない。

 そこが、私が芸能界を愛して止まない唯一の利点だ。殺傷能力は抜群でも、相手に致命傷を与えない。苛めているようで、救っていたり、褒めているようでけなしていたり。

 勿論、縦社会だから、先輩よりも面白いことを言ってはならない。

「こないだのアレおもろかったっすわ。」

と、後輩が、ちゃんと挨拶をする。それが、基本だし、そこをぶらしてはならない。

「おもろかったらええねん。」

と、思っているのは、間違い。ちゃんと先輩を立てる習慣が身についていないと、芸能界は、やっていけないし、おもろいことだけが全てじゃない。

「あいつ、おもんないわ。」

と、視聴者から揶揄されても、先輩はちゃんと見ている。

「こないだのアレ、おもろかったな。」

その、先輩の言葉だけで、めちゃくちゃ嬉しいし、テレビで観ていた芸能人が、そこに立っているというだけで、めちゃくちゃ嬉しい。

 さて、私は、何人の人を笑わせてきただろうか。笑いにならない笑いも合わせると、ホームランの数は、そこそこだと思っている。

 後に残さない。それが、ポリシーだとするならば、私は、結果を残しても結果を残していないことにもなり兼ねない。

「僕、芸人目指してます。」

そう、相方が、ある人に、言ったそうだ。

「おう、頑張れ。」

の一言が、めちゃくちゃ嬉しかったらしい。

腹の底から、笑えるものをきっちり作っていくのに、もうテレビというメディアは、古いのかもしれない。実社会に出れば、そんなもの屁みたいなものかもしれないが、それを真剣に考えた時期がある。

「俺は、NGKに立つんや!」

と、意気込んでいた時期がある。とんがった刃を丸くしたら、どうなるか。そんなことを考えていた。柔よく剛を制すとは、よく言ったもので、笑いは、空手ではなく、柔の心得である。人間の柔らかくて、弱い部分をくすぐるのが、笑いなのだろう。

「笑いが、一番難しいんだぜ。」

本当に、そうなのである。

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