2018年1月29日

 笑いの極意は、本間の嘘を真剣に言うことだ、と教わったことがある。無秩序の状態が起こるが、それが、秩序だったとき、新しい何かが産まれる。それが、結果を残した、ということだ。ギャグもまた真なりという言葉もある。そこに笑いが産まれれば、ギャグも真実になる。それが、秋田実という人の教えである。それが、真実にならないように、フォローという言葉がある。フリ、オチ、フォロー。この三段構えが、笑いを生み出す上で、重要になってくる。

 笑いの極致は、悟りだ。とした落語家さんがいる。二代目桂枝雀、その人である。「笑いとは、緊張の緩和。」と残した落語家で有名だが、実は、そんな言葉も残している。

 笑いについては、かなり勉強した。

 勿論、人を笑わせる技術というものは、あるけれども、それは、本で勉強するよりは、

実社会で勉強した方が、身になるし、得である。だから、笑いは、人に教えられるものではない。そして、笑いなんか、勉強するもんじゃない。

 学生時代、「俺、おもろなりたいねん。」と、電話越しに友人に漏らしたことがある。

 「俺、メジャーになりたいねん。」と言ったこともある。

「それ、お前、結局、女にモテたいだけちゃうんか。」というツッコミが後に入ったが、それだけではない。小さい頃から、大人の笑いに触れてきた私にとって、笑いというのは、崇高なものだった。

「俺の名前、寿っていう漢字が入ってるやろ?だから、めでたいことには、長けとかなあかんねん。」

本当に、めでたいやつである。

 ただ、それを真剣に言っていたことが、笑いを生んでいたのも事実である。

「お前が、あほなこと言ってたとき、俺、チンコ勃ちそうになっててん。」

そのツッコミが、またあほである。

「訳のわかったようなわからんような男が二人、これまた、訳のわかったようなわからんような話をするというのが、この落語というもので。」

と、枕にしていたのも、桂枝雀師匠だった。師匠の落語は、笑えすぎて、泣きそうになっってくる。笑い話が人情話に変わる、不思議な噺家さんだった。

 枝雀寄席を見ては笑い、ドリフを見て笑い、パペポTVを見て、笑った。

 これだけ笑わせてもらったら、次は、それを還元する番だと思う。ただ、これだけは忘れてはいけないが、笑いを作ろうと思えば、必ず付随するのは、仕事だ。

 男が、仕事をする姿は、それだけで笑いに変わる。発想の源泉が仕事なのである。

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