2017年12月24日
落語というものは、嘘の中に本当のことが、少し入っているから、リアリティが、増すのだそうだ。エッセイを書きながら思うことは、本当のことを、どれだけ書けただろう、ということだ。思いのままを連ねてきたが、ここへ来て、だいぶ嘘が混じっているような気もする。厳しい真実を告げるより、優しい嘘で、誤魔化した方が、相手に不快感を与えないのかもしれない。
何も知らない。これが、どれだけの強力な武器になり、弱点になるか、わからない。
どうでもいい話だが、私は、神戸に住んでいる。神戸という街は、山と海に囲まれた街だが、ところどころに都会があり、後は、辺鄙なところだったりする。神の扉と書いて、神戸と読む。地名は、語る。実際に、神がおわすなら、何故、ここに扉を作ったのか。
答えは、人間が、そう仕向けた
からだ。
言葉というものは、人間が作った。
「言葉って何やねん!そんなん考えたことあるんか!」
と、受話器越しに、怒鳴って舌打ちをされたことがある。あの時の私は、どうかしていた。たまに、神経が衰弱するときがある。誰しもあることだが、年を重ねるごとに、それは増してきた。
「かき揚げかい?それともエビフライかい?」
振って沸いたような、台詞に、私は、書きながら、頭の中で小首を傾げている。
何かが違う。
この違和感は、なんだろう。と考えたときに、真っ先に思い浮かぶのが、志が高すぎるところにある。
現実を見たとき、私は、志しているものと、自分の実力を比較して、苦悩する。
身近な楽しみを見つければいいのに。と人はいうかもしれないけれど、何故だろう。一足飛びに、何になってやろう。という意識が強い。
「ローマは、一日にして成らず。」
その言葉が、よもすれば、私に相応しい格言なのかもしれない。人生が例えば80年だとするならば、夢を叶えるのには、人生は短すぎる。
あっという間の、クリスマスイブだった。彼女といるわけでもなく、ただ、一人、チキンとケーキを食べ、雰囲気だけを味わった。
いいのか?
それが、疑問である。リア充なんていう言葉も、作られるほど、独り身が、多くなったこの世代。結婚し、遺伝子を残した男を尊敬するし、私には、そうはなれないのかもしれない。結婚しなくてもいい時代。敢えて結婚する人に敬意を払う。
当たり前のことだが、それは、綺麗ごとでは済まされない。とりとめもない文章を書きながら、なにが言いたいの?という疑問符がつくかもしれないが、吉田兼好法師が、徒然なるままに書いた文章が、サラリーマンの間で、流行ったことがあるらしい。先人の教えは、後世にも繋がることだし、それに説得力があるのも、無理はない。
友は言う。
「お前、エジプトのピラミッドの壁画になんて書いてあるか、知ってるか?」
聞くと、
「最近の若い者はけしからん。」
と、書かれているらしい。それに比べれば、我々なんて、どんぐりの背比べだ、と友は言う。私が年寄りになる時代、どんな世の中になっているのか、見当もつかないが、その時、
「最近の若い者はけしからん。」
と言っていたくはない。
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