2017年12月23日

「どんな理不尽にも耐えろよ。」

と、言われたことがある。確かに、世の中は、理不尽の連続だ。あまり理不尽が続くので、

「理不尽や!」

と、叫んでしまったこともある。

 言葉の妙と、理不尽がまかり通るのが、漫才の極意だと思っている。世の中には、見えないルールがある。それを教わるのが、社会というものだ。尤も、私は、4ヶ月間しか社会を見たことがないが。4ヶ月では、その見えないルールを実感することは出来なかったが、根本にあるものは、皆、優しい。皆が、不平不満を、そのまま口に出すと、世の中の秩序が崩壊する。少しずつ、我慢して、その我慢を、タバコや酒に任すのが、大人なのかもしれない。

「自分では、悪くないと思っていても、他人を傷つけてしまうことがある。」

苛めの根本は、そこにある。苛めている側は、じゃれ合っている積もりでも、苛められている側にとっては、それがこの世の全てと思ってしまう。

 今、酒が入っている。

 若くして、自傷行為に及ぶ若者に告げたい。

「世の中には、もっと楽しいことがあるんだよ。」

親からは、そう教わった。その一言があったから、私は、自分を卑下することなく、自傷行為に、手を出さなかった。

日本人は、勤勉だというが、その一方で、かなり繊細である。自分が、他人にどう映っているのかを、常に気にする。恥の文化。これは、日本人のいいところでもあり、悪いところでもある。少し、変わり者がいると、それを除外しようという傾向がある。

 船が沈むとき、救命ボートに飛び降りないといけない時がある。

その時、ドイツ人は、

「飛び降りるのがルールですから。」

と言われると、飛び降りる。

 アメリカ人は、

「最初に飛び降りた人が、ヒーローになれますよ。」

と言われると、飛び降りる。

 日本人は、

「皆、飛び降りてます。」

と言われると、飛び降りる。

 ジョークめいているが、真を突いた国民性の違いだろう。

 苛めも同じだろう。皆が、一人を攻撃するのは、自分が、その標的にならないように、敢えてヒールを演じる。少しずつ、皆が罪悪感を持っているにも拘らず。日本人が、群れを好むのは、皆、どこかで暴力団意識が、あるのかもしれない。


「俺、天そばで。」

と親分が注文すると、子分が口々に、

「俺も一緒で。」

という、映画のワンシーンが好きだ。このワンカットが、日本人を現している。では、ホームレスの人は、どうか?フリーターは、どうか?

 この国民性が嫌いで、自由に生きたいと思う気持ちもよくわかる。好きでそれをしている人もいれば、そうならざるを得なかった人もいるだろう。

 学校の勉強しかしてこなかった私は、書き続けることで、一人を楽しみ、人がいるところに行っては、自分が一人じゃないことを実感する。そのバランスが、今、一番取れている状態なのかと、自負している。

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