第7話 やるべきことだらけの中、少しだけ思い耽ってしまうこともあるものなので。
「……まだ、残っていたのね」
セシリアと別れ、屋敷から退去するために玄関へ向かう途中。
窓から見えた景色に、エリシュカはそっと呟いた。
夜の帳に包まれた中、見えるのは見事な薔薇の生垣だ。その端の一部、子供が潜り抜けられるような穴が開いている。それを見ての呟きだった。
その穴の向こうは、エリシュカとレーナクロードの秘密の場所だった。背の高い生垣に囲まれた場所で、よく二人だけで話をしたものだった。
庭師もそれを心得ていて、その穴だけは塞がずににいてくれた。そんな思い出が蘇る。まさか今も残っているとは思わなかったが。
託宣のことを話されるまで、つまりエリシュカが普通の子どもとして過ごしていた時までは、エリシュカの一番近くにいたのはレーナクロードだった。
何だって話したし、何だって聞いた。それはまさしくきょうだいのようであっただろうと思う。
『シュカ。シュカ。聞いて』
エリシュカを愛称で呼んで、話を聞いてとねだった。エリシュカは、姉のような気持でその声に耳を傾けた。
『ぼく、しょうらいきしになる!』
『きし、って……せいきしだんにはいるってこと?』
『そう!』
『どうして?』
『せいきしだんはすごくつよいんだよ。だからきっとシュカもまもれるよ』
『……なにからまもるの?』
『えっと……こわいもの? シュカ、なにがこわい?』
『そうね……おばけはこわいわね。どうしたらいいかわからないから』
『おばけ、ぼくもこわい……。でも、がんばる!』
『ふふ……じゃあ、がんばってわたしをまもってね』
『シュカ、シュカぁ……痛いよぉ』
『ちゃんと前見て歩かないからでしょう』
『だってきれいな花があって、シュカが喜ぶかなって……』
『それでレナクがケガをしたら私は悲しいわ』
『ごめんなさい……』
『治癒魔法、かけてあげる。これくらいの傷なら私でも治せるから』
『ほんと? シュカの魔法、あったかい感じがして好き』
『治癒魔法は誰のものでもそう感じるものよ』
『違うよ、シュカの魔法だからだよ!』
『シュカ、シュカ、見て! これ、僕の剣だって!』
『レナクの剣?』
『そう! ずっと模擬剣だったけど、やっと僕専用の実剣を買ってもらえたんだ』
『……そう。よかったわね』
『……シュカ、あんまり嬉しくなさそう』
『だって、実剣になったら、ケガをすることが増えてしまうのではない?』
『それは……そうだけど。そしたら、シュカが治して』
『いやよ。ちゃんとした魔術師に治してもらいなさい』
『前は治してくれたのに……』
『小さなケガだけでしょう。訓練での傷なんて、私みたいな素人が治すのはこわいわ』
『ちぇ……シュカに会う口実ができたと思ったのにな』
『口実なんてなくても、会えるでしょう』
『……そっか。そうだよね!』
そんな、他愛ない会話を思い出す。
すべて遠い過去のことだ。もうレナク――レーナクロードはエリシュカを『シュカ』とは呼ばないし、あの生垣の向こうにはエリシュカもレーナクロードも入れないだろう。それだけの月日が経った。
(……過去に目を向けていても仕方ないわ。これからのことを考えなければ)
目下、気がかりなのはレーナクロード側についた宮廷二位魔術師――スヴェン・エルニル・ロードだ。
魔術にも、古に廃れた不可思議の術にも精通しており、少なくとも前回の『国の贄』が現れた時から生きているエッドがこちら側についているので、こちらの動きが封じられることこそないだろうが、何を考えているかわからないのが不気味だった。
以前、会った時のことを思い出す。会ったと言っても、数少ないエリシュカが公の場に出た時にレーナクロードと共にいて、紹介されたくらいである。
名前も姿もその時に知った。歳若くして宮廷二位魔術師に昇りつめた人物がいるという事前情報しか知らなかったので、その整った容貌に、天は二物くらい気軽に与えるし、類は友を呼ぶのだとしみじみ思った記憶がある。歳若くして聖騎士団長の位まで昇りつめた幼馴染と、その副官となった友人を思いながら。
彼は真意の読めない目でじっとエリシュカを見ていた。もしかしたらその時にはもう、レーナクロードから何か聞いていたのかもしれない。
当たり障りのない会話をし、恙無く別れた。エリシュカ側からしたらそれだけの記憶しかないが、あちらにとっては違ったのだろうか。……『異世界の少女』に対しての、『最低最悪なクズ野郎も真っ青』の所業の片棒を担ぐくらいには、何かがあったのだろうか?
少なくとも、『異世界の少女』が偶然こちらに来たのではなく、意図的に『召喚』されたのだろうことは間違いないだろう。そしてそれを為せるとしたらスヴェン・エルニル・ロードだけだ。時系列を考えても、偶然『異世界の少女』が『引き寄せられた』とは考えづらい。できすぎている。
けれどこれも、結局のところすべては推測で、本人に確認するしか答えはないものだ。
エリシュカは思考を切り上げて、足早に廊下を過ぎ去った。
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