第6話 どれだけ信じ難くとも宗教ってそういうものですので。



 エリシュカとレーナクロードの両親は、大変に仲が良い。

 どれくらい仲が良いかというと、母親同士、父親同士が親友で、結婚相手ではない方の異性ともそれぞれ気心の知れない仲で、結婚前は誰と誰が交際しているんだかわからないと周囲に言わしめるほどにいつも行動を共にしていた、らしい。

 あんまりにもべったりすぎるだろう、とその話を聞いたエリシュカは思った。若干危ない気配がする。


 それはともかくとして、特に問題が起こることもなく交際は続き、恙なく結婚に至った。

 その後も各夫婦仲は円満で、且つ親友同士の絆は揺るがなかったため、事あるごとにお互いの家を訪れていた。用事があっても用事がなくても、暇さえあれば顔を見に行く、と言っても過言ではない頻度だったらしい。


 そんな仲のいい夫婦が、同時期に子供を授かった上、その子供たちの性別が男と女だった時点で、口約束なれど婚約の話が持ち上がったのはある意味自然の成り行きだった。

 生まれてもいない娘可愛さに親友にゴリ押しして親友の息子の婚約者にまでしたのがエリシュカの父で、親友の娘の花嫁姿をもしかしたら親友以上に心から楽しみにして二つ返事で承諾したのがレーナクロードの父親である。

 各々、もうちょっと考えてから行動してほしかった、と物心ついた時には存在していた婚約話の経緯を知らされた時、エリシュカは思った。


 そんなわけで、生まれる前から婚約の話が持ち上がっていたエリシュカとレーナクロードだが、幼年期を誰よりも長く過ごした間柄であるからして、お互いの恥も失敗も忘れたい記憶も大体共有している。

 そこに婚約の話が存在したとしても、甘酸っぱい恋だのに繋がるには、ちょっとばかり距離が近すぎた。


 それでも、思春期までをそのまま過ごしていたのなら、互いの間の情は、恋や愛に変わることもあったのだろう――その仮定は、エリシュカが七つになった日、消え去ったのだけれど。




「お久しぶりです、おば様」


「……シュカちゃん……やっぱり、目覚めてしまったのね……」



 淑女の礼を取ったエリシュカに、レーナクロードの母親――セシリア・シルヴェストルは悲し気に目を伏せて呟いた。

 それは彼女が、レーナクロードの企みについて知っていたという証左だった。


 だからこそエリシュカは、迷うことなく話を切り出す。



「おば様のことですから、私が何を目的にこうして話すための場を設けたかもおわかりでしょう。――単刀直入に問わせていただきます。新たな『託宣』が、告げられたということはないのですよね?」


「……ふふ、シュカちゃんは、いつだって、どんなときだって、潔いのね」



 セシリアは淡く笑んで、そうしてエリシュカの問いに答えた。



「新たな『託宣』は、わたくしには告げられておりません。また、当代の御方にも告げられていないと聞いています」



 ――セシリアは、結婚する前『託宣官』と呼ばれる職に就いていた。未婚……もっと言えば純潔であることが第一の条件とされるその役職は、分類としては文官とされているが、内実は文官とも武官とも言い難い。


 今でこそ宗教的な色の薄い国であるリーヴェンデッテだが、建国からしばらくは宗教国家のような様相だったという。

 神なるもののお告げ――『託宣』を受けて建国を行ったという初代王の逸話の名残として現在に至るまで残されている宮廷の役職が『託宣官』――というのは表向きの話だ。


 実際には、『託宣官』は、本来の意味で託宣を受ける――いわゆる『神なるもののお告げ』を王に奏上する役職である。

 内実としては、託宣を受ける巫女と、巫女が受けた託宣を王に奏上する役とに分かれていて、前者をセシリア、後者をエリシュカの父が担っていた。

 役職を退く際は、これもまた『託宣』によって後任が選出される。『託宣』を受けることができなければ役目を果たせないため、巫女の場合は本人の希望如何に関わらず見出され、巫女として務めを果たすことになるものだった。


 幼少のみぎりに託宣を受ける巫女として見出されたというセシリアは、もちろん結婚に際して『託宣官』の役職を退いた。セシリアほどではなかったものの、長くその任を務めていたエリシュカの父も同様に。


 しかしエリシュカが七つになった日、もう『託宣官』ではないセシリアに、『託宣』が下ったのだという。



 ――曰く、エリシュカは二十の歳を数えることなく、国の贄となる存在である、と。




 それが『託宣官』であったときと同じ『託宣』であることは、数多の『託宣』を受けたセシリアには疑いようもなかった。

 けれど何故役職を退いた己に『託宣』が下されたのかはわからず――迷った末に、自らの夫、そしてエリシュカの両親に相談した。


 伝手を使い、当代の『託宣官』に同じような内容の『託宣』が下されていないかも確認したが、それはなく。

 ならばと『国の贄』についてを調べると、半ば伝承のような話ながらも過去に存在していた。

 それらのことから、この『託宣』は王に奏上せず、粛々とそれが為されるのを待つだけのものだとの結論に至ったのだが――それを承服できなかったのが、娘を溺愛していた元『託宣官』、つまりエリシュカの父である。


 セシリアももちろんその『託宣』を信じたくはなかったものの、『託宣』について熟知している身であるので受容するしかないのだと思っていたし、エリシュカの母は『託宣』については詳しくないものの、それが真であるならば避けようがないのだろうと結論した。

 それを聞かされたエリシュカも、なるようにしかならないのでは、と思った――自身の命に関わることなのに淡泊すぎると父には泣かれたし、レーナクロードの父には子供らしく思いのままに振る舞うべきだと説教された――のだが、以降、父親二人が共謀して、そんな託宣なんて知ったこっちゃないとばかりに婚約話を大々的に広めたのだ。


 身内での口約束だった婚約話が正式な婚約話になって一番慌てたのはエリシュカだった。

 そもそも本当に婚約することになるとは思っていなかった、というかそのうち風化するだろうと思っていた上、『託宣』が真実であるならば、エリシュカは早逝すると思われる。そんな人間と婚約して若かりし時間を無為にするなんて、レーナクロードが可哀想にもほどがあるし、エリシュカとレーナクロードが好き合っていたのならまだしも、家族のような情しかないのなら尚更だ。


 そんなエリシュカの抗議はどこ吹く風で、父親たちが暴走した結果、ついこの間……ではなく三月ほど前、レーナクロードから婚約解消を言い出されるまで、レーナクロードとエリシュカは婚約関係にあったわけだが。


 一連のレーナクロードの行動を総合すると、ほぼ間違いなくエリシュカの『国の贄になる』天命をどうにかするために動いていると思われる。もしそれが結実するのだとしたら、『託宣』にもまた変化が起こるのではないかと思い、セシリアに確認したのだが、結果は先程の通り。


 ――つまり、このレーナクロードの企みは、失敗に終わる。

 『異世界の少女』がそんな徒労に終わる計画に付き合わされる――だけで終わればまだいいが、集めた情報からすると、そうでない可能性はかなり高い。

 エリシュカは溜息を吐いて、しみじみと思ったことを口にする。



「レナクって、……馬鹿だったんですね」


「……そうね。あんなにも父親に似ていたなんて、わたくしも思っていなかったわ」



 同意を向けてくれたセシリアは、けれど少しの間を置いて、付け加えるように言った。



「ねぇ、シュカちゃん。到底褒められた方法ではなかったのかもしれないけれど、あれしか手段がなかったとしたら――わたくし、レナクがこんなことを始めた気持ちがわかってしまうのよ。わかってしまうから、『もしかしたら』の可能性にかけて、黙認してしまったの。それはきっと、あの人も同じなのよ」



 その『あの人』が、エリシュカの母親を指しているのだとわかるから、エリシュカは何も言えない。

 誰も止めなかったからこそ、レーナクロードは『異世界の少女』と旅に出てしまった――その事実が、重かった。


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