最終話 そしてすべては元通り……とはいかないものでして。




 それからは目まぐるしかった。


 葉月が「あ、っていうかわたし、帰れるんですよね?」とスヴェンに話を向けてから、あっという間に葉月帰還の計画が詰められていき。


 召喚された時にいた場所、時間に合わせて帰すことができると聞いた葉月が「せっかくだしもうちょっと異世界漫喫させてください!」と笑顔で言ったので、もうしばらくこの世界に留まり、いろいろと異世界探訪を楽しんだ、らしい。



 らしい、というのは、エリシュカはそれに同行していなかったからだ。あの場で初めて顔を合わせただけで親しくはないので当然である。


 ……否、街でおいしいと評判の喫茶店に誘われる程度には、あの場でのやりとりで葉月も心を寄せてくれたようだった。

 ちなみにその誘いには勿論乗った。エリシュカには同性の友人がほぼいないためそういった経験がなかったので、二人だけのお茶会(とはいえ護衛代わりにエッドも近くには控えてもらったが)はとても楽しい時間だった。


 葉月は概ねノアールを連れ回していたそうだが、その理由というのが意外というか、納得というか――実は葉月はノアールに惹かれていたらしい。

 恋心というほどのものではないが、旅をする前も最中もいろいろとあったのだそうだ。

 「ほっとけないなーって思っちゃうとダメなんですよねー。ノア、あれで天然なら末恐ろしいですよ」などと葉月は言っていたが、末も何もノアールは結婚適齢期を迎えている。というかむしろその評価は年下の女の子に向けられていいものではない気がする。


 そんなこんなで葉月はこの世界から去って行った。「いい体験でした!」と清々しく言い切って帰って行ったので、ノアールのことはいい思い出にするつもりのようだったが、どうやらそれで済まない人間もいたらしい。


 エリシュカも風の噂でしか知らないが、葉月がいなくなってしばらくしてから、『宰相候補の弟が文官を辞め、愛する人と駆け落ちしたらしい』との話が流れてきた。多分いろいろ捻じ曲がってはいるだろうが、多分そういうことなのだろうとエリシュカは思っている。

 異世界の人間を召喚できるなら、その逆ができてもおかしくはないのだろう。しかし、しみじみスヴェン・エルニル・ロードは、『初代王の再来』なんて通り名を持つエッドに比肩する規格外の人間だったのだと実感する。



 そんなスヴェンは、相変わらず宮廷二位魔術師として勤めている。ついでに『異世界の少女』にまつわるあれこれも、主にスヴェンが当たり障りなくおさめたらしかった。

 情報操作能力だけで生きていけそうな才能に戦慄を覚えたのは記憶に新しい。本人はそれを活用するつもりがそれほどないらしいのは良かったのか悪かったのか。


 そしてスヴェンはどうやらエッドに対しての興味が尽きないらしく、「嬢さんあの二位魔術師しつこい!」とエッドが漏らしていた。

 魔術で逃げ隠れしても類稀なる才能を発揮して追いかけてくるらしく、結果的にスヴェンの魔術の才を磨き上げることになってどうしようもないとの愚痴に、遠い目をするしかなかったのは仕方ないだろう。



 しかしそんな、珍しく弱った様子のエッドを見たのも結構前のことで、現在はあまり顔は合わせていない。というのも、エッドは『国の贄』の仕組みをそこそこ穏便に壊すためにあちこち奔走しているからだ。


 それなりに急がないとエリシュカの『二十の歳を数えることなく』という託宣の期限が来てしまうが、初代王の時代からあると思しき仕組みをただ壊すだけでは何が起こるかわからない。『託宣』とも連動しているので、流石のエッドも楽々こなすとまでは行かないらしい。


 まぁ、エリシュカはエッドの実力と数百年に渡る執念を信じているので、ただ待つだけなのだが。




 ――そして、レーナクロードはと言えば。




「……どうしたものかしら」



 今日も届いた贈り物に、エリシュカは溜息を禁じえなかった。


 色とりどりの美しい花。目には楽しいが、こう毎日贈られてくると正直困る。

 ご丁寧に長持ちさせるための魔法がかかっているらしく、これまで贈られたすべてが、未だ美しく咲き誇っている。おかげでエリシュカの部屋は花に埋もれていると言っても過言ではない状態になっていた。


 あの怒涛の一日を経て、屋敷に戻って。

 両親も含めて、様々なことを話した。泣かれたし、怒られもしたし、レーナクロードに至っては一発どころではなく殴られていたが、詳細は割愛する。


 最も被害を受けた立場である『異世界の少女』たる葉月がこの一連の出来事について不問にしていることもあり、全ては内々に処理することになったため、表向きは何事もなかったかのように日常に戻ったし、スヴェン同様、相変わらずレーナクロードは聖騎士団長という立場のままである。

 レーナクロードの不在を埋めていたアシュフォードの手腕もさることながら、何も知らない周囲がレーナクロードにその座を降りろと言うわけがないので当然と言える。


 レーナクロードは、自分はその地位に在る資格がないから聖騎士団長を辞めると言っていたのだが、いきなり辞めても余計な騒ぎを起こすだけだから穏便に根回しをして辞めるようにと言い含められて渋々従った形だ。

 レーナクロードに聖騎士団長という地位が相応しくない――主に心根において――なのはエリシュカも同意するところだが、表向きは何もなかったことになっているので、妥当な線だとも思う。

 きっとスヴェンもレーナクロードも、いつかは穏便にその座を退くのだろう。特にその地位に固執していないだけとも言えるが。



 すべてが元通りになったかのように思えた日常の中、違っていたのがこの贈り物だ。

 贈り主は無論――というべきかどうか微妙なところだが、レーナクロードである。

 今は花ばかり贈られてきているが、少し前は装飾品だった。あまりこういうものを贈られても困る、とやんわりと贈り物をやめてくれるように伝えたつもりが、何故か花に変わったので、次はどう伝えるべきかが目下のエリシュカの悩みだった。


 これはレーナクロードの誠意の形なのだろうというのは理解している。


 エリシュカとレーナクロードの婚約は解消されたままだ。

 そして解消を言い出した手前、レーナクロードから何事もなかったかのようにエリシュカに接触できないのも、当然のことではある。

 だから物にこめて贈る、という手段を選んだのだろう。レーナクロードはそういう人間だ。



 結局エリシュカは、あの一連の騒動の中でレーナクロードが自分に対して抱いている感情を確かめられていない。いないが、あんな馬鹿な真似をするくらいには憎からず想われているのだろうという客観的な分析はしている。


 翻って、自分がレーナクロードをどう思っているのかと問われると、未だ結論は出ないというのが正直なところだった。

 あんな馬鹿な真似をしたのに見捨てられない程度には情があるのは確かだが、それがレーナクロードが抱くのと同等のものであるとは思えずにいた。


 口にはされないが、エリシュカの両親もレーナクロードの両親も、婚約を復活させたいのは見え見えだったりする。

 『神託』が下りる前からそういう雰囲気で、そういう流れだったので、想定内ではあるが――まだ『国の贄』の仕組みが完全に破棄されていない以上、万が一はあり得る。


 そう言い訳をして問題を先送りにしている自分に気がつきつつも、見ないふりを決め込むくらいは許されるはずだ。

 エリシュカだって、全部がうまく行った後のことを考えるほど能天気にはいられなかったのだ。正直、ほぼ確実に二十を越えても生きられる未来に、戸惑っている最中なのだから。


 しかし『クソがつくほど真面目なシルヴェストルの若様』は思い込んだら一直線なので、この贈り物攻勢を止めさせるのは骨が折れそうだ。


 多分それは幸せな悩みなのだろうと、頭の片隅で思い――エリシュカはそんなことで悩めるような日常を過ごせる幸せを、ひっそりと噛みしめたのだった。

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