第15話 つまりは対話が足りなかっただけの話ですので。
(そうね、そうだったわ。レナクは泣き虫だったのよね。……『国の贄』の託宣について、聞くまでは)
忘れたことはない。でも、忘れていたかのように思い出した。
物理的でなく精神的に、距離が離れてしまってから、多分そういうふうに、記憶の中に沈んだ事柄はたくさんあるのだろう。
『国の贄』について知らされた日から、レーナクロードはエリシュカに、弱いところを見せなくなった。泣かなくなった。弱音を吐かなくなった。少なくとも、エリシュカにその姿を見せなくなった。
口調が変わる。一人称が変わる。その過程を、エリシュカは知らない。知らないだけの距離が、それをきっかけに開いた。
それを好都合だと、そのままにしていたつけが回ってきたのが今だっただけのことだ。
泣き笑いのような顔をすぐに改めたレーナクロードは、僅かに目を伏せて、口を開いた。
「シュカがここに来たなら、もう無理だということくらいは理解できる」
「物分かりがよくて結構ね。それなら最初から、こんなことをしないでほしかったけれど」
「……シュカが怒るだろうことはわかっていた。喜ばないこともわかっていた。わかっていたが、駄目だった」
「馬鹿ね」
「あぁ、そうだな。俺は、馬鹿だ」
自嘲とも諦観ともつかない表情を浮かべるレーナクロードは、まるでこの状況を予期していたかのようで――多分、実際に予期はしていたのだろうとエリシュカは思う。エリシュカが眠りの魔術から目覚めたのを知った時から――もしかしたら、この一連の計画を始めた時から。
レーナクロードは馬鹿なことを仕出かした大馬鹿者だが、真実底抜けの馬鹿ではない。だから、全てがすべてうまく行くなんて夢みたいなことは思っていなかったはずだ。……そう、エリシュカ自身が信じたいだけかもしれないけれど。
エリシュカは、どうしようもない現状に口端を歪める。レーナクロードの浮かべた笑みとよく似た表情なんだろうと、頭の片隅で思った。
「本当に、本当に呆れ果ててはいるけれど――貴方ばかりの問題でもないのは理解しているの」
「……?」
「貴方も――私も。もう少し、お互いを慮る努力をすべきだったってことよ」
「……シュカ……?」
不思議そうに首を傾げるレーナクロードを、真っ直ぐに見据えてエリシュカは言う。
「貴方は、こうしてたくさんの人を巻き込んで行動を起こす前に、私の意思を確認すべきだったし、――私も、確実性が無くても、ただ『国の贄』の運命に殉じるつもりではないと、貴方に……周りに、伝えるべきだったわ」
お互いに、お互いの思考を勝手に判じて、そうして食い違いに気づこうとしないまま行動を続けていた。そうしてその結果、この現状に至ったのだ。
その責については、どちらかと言えばエリシュカに比重があるだろう。
レーナクロードが、エリシュカが『国の贄』となることをただ受け入れるつもりなのだと思っていたのは、エリシュカ自身がそう見えるように振る舞っていたのだから当然といえる。抗う――回避する術を模索していたことを、他には知られないようにしていた自覚があるからこそ、エリシュカはレーナクロードばかりを責められない。
エリシュカの言葉に、レーナクロードがハッと息を呑む。自分を凝視してくる視線を受け止めて、エリシュカは息を吐いた。きちんと伝わったのだと、その様子でわかったからだ。
しばらくの無言の後、レーナクロードは視線を下げて、額に手を当てて――ため息交じりの笑い声を漏らした。
「……ッ、は、はは。そうか――……そう、か。俺は、前提から間違っていたんだな」
「そうね。……それは私もだけど」
レーナクロードが顔を上げて窺ってくるのに苦笑を返して、エリシュカは続ける。
「貴方が、……貴方に限らず『国の贄』の事情を知る誰かが、こういうふうに行動を起こすなんて、考えもしなかったのよ、私。それは私の落ち度だわ。考えが足りなかった。確実性なんてなくても、言うべきだったのよね、きっと」
「…………」
「まぁ、この期に及んでは今更でしかないんだけど。……ねぇ、レナク。私、ただ国のために犠牲になるつもりはなかったのよ。私の代で『国の贄』の仕組みを無くすことができればと思ってたし、もしそれが無理でも、次の犠牲を出さないで済むようにと思って、それができるような協力者を探したわ。運良く捕まった協力者の腕がいいから、きっと私は『国の贄』にならなくて済む。――そうよね、エッド」
レーナクロードから視線を外して、ひっそりと後方で気配を消していたエッドを振り仰ぐ。エッドは何やら呆れた顔でエリシュカを見返してきた。
「二人の世界ってな感じだなーって眺めてたのに、ここで俺に水を向けますか、嬢さん」
「ここで貴方に話を振らずにどうするのよ」
「いやそれはそうなんですけどね、よろしげな雰囲気ぶち壊しじゃないです?」
「貴方、どこをどう見て『よろしげな雰囲気』とやらを見出したの」
「いや周り全員立ち入れない雰囲気でしたよ確実に。まー俺が俗なだけってことでいーですけど。――ええ、ええ。思ったより何とかなりそうなんで、嬢さんに『国の贄』になってもらわなくても、『国の贄』の仕組みそのものを壊せそうです。一応魔術の範疇でよかったですねぇ」
「ええ、本当によかったわ。貴方がお手上げだったら、手詰まりだったもの」
「次善の策とかないですもんね、嬢さん。そういう一点賭けみたいなこと、今後はしない方がいいですよ」
「貴方以上に魔術とか古に存在した術とかに詳しい人がいれば話は別だけど、見つからなかったんだから仕方ないじゃない」
「そういう問題じゃなくてですねぇ……」
「――シュカと……エッドは、随分と親しいんだな」
エッドとの軽口の最中、突然差し挟まれたレーナクロードの言に、エリシュカは目を瞬かせる。
視線を戻した先のレーナクロードは、どことなく面白くなさそうな顔つきだった。一応幼馴染だからこそわかる程度の微妙な変化だったが。
エリシュカは少し考えて、そうして答える。
「親しいというより、気の置けない仲って感じだと思うわ」
「嬢さん、それあんまり違いなくないですか。っていうかこの場合、その発言だと火に油注いでません? わからないとは言わせませんよ?」
「わからないとは言わないけど、事実でしょう」
「時として事実は人を傷つけるんですよ?」
「貴方のそれも事態を混ぜっ返してるだけの気がするけど――って、今はそういう話をしてる場合じゃないのよ」
明らかに話が脱線していた。自分も自分だが、レーナクロードもレーナクロードだし、エッドはもうわかっててやっているような気がする、とエリシュカは思った。
気を取り直して、「そういうわけだから、」とエリシュカは続ける。
「この、貴方の一連の行動を続ける意味も意義も、ないってことよ。私に関しては、正直お互い様だからいいとして――誰に何をするべきか、わかってるわよね?」
念のための問いを投げたエリシュカに、レーナクロードは悩む様子もなく頷く。
それだけの自覚があるなら、これ以上自分が出張る必要もないだろうと思って、エリシュカは一歩下がった。
エリシュカとのやりとりはここまでだと察したのだろう、レーナクロードも体の向きを変えて、歩を進める。
――言うまでもなく、『異世界の少女』の元へと。
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