第14話 顔を見たらやることは最初から決めていましたので。




『えい……エリ、シュカ、シュカぁ、どこぉ……?』



 舌足らずに呼ぶ声は、いつだって思い出せる。



『もう剣のおけいこやだ……お父さん、けいこになるとこわいよ』


『シュカ、シュカ! 今日初めてほめられた! 筋がいいって!』



 つらいこと、うれしいこと、何だって共有した。それが当たり前だった。


 ……それが当たり前じゃなくなったのは、エリシュカが七つになった日。『国の贄』となる託宣が下りた日だった。


 当事者だったエリシュカはともかく、レーナクロードには始め、『託宣』については伏せられていた。簡単に理解のできる事柄でもなかったし、未だ幼い子供がどこでどのように吹聴してしまうのかがわからなかったからなのだろう。

 レーナクロードがそういう子どもだと両親たちが思っていたわけではないだろうが、不安の芽は少ないに越したことはない。


 だから、レーナクロードがそれを知ったのは、エリシュカが両親たちから全てを語られ、己の中で噛み砕き、『国の贄』となる託宣を受け入れるしかないのだろうと結論した後のことだった。


 その段階では口約束のようなものだったが、一応は将来結婚するかもしれない話になっていた相手である。エリシュカとレーナクロードの両親それぞれが揃った中で、それはとても平易な表現で話された。


 レーナクロードは、その話の内容に戸惑いながら、自分と同じようには戸惑わないエリシュカを見て――刹那、裏切られたかのような傷ついた色をその瞳に映した。


 それに気付いたのはきっとエリシュカだけだっただろう。

 いつも一緒だった。何だって共有してきたから、わかった。


 あのときから、もうエリシュカとレーナクロードの道は分かたれていたのだ。


 何でも、は話せなくなった。当たり障りのない話題ばかりが口にのぼるようになった。

 変わってしまった関係に、何をどう言えばいいのかわからなかったのは、エリシュカもレーナクロードも、多分同じだった。


 そうするうちにレーナクロードは武官――その中でもとりわけ精鋭と謳われる聖騎士になるために家を出て宿舎に入ったし、エリシュカは『国の贄』のことがあるので社交界に出ることもなく過ごしていたので、ますます顔を合わせる時間は減って行った。


 それでも、折につけて帰省しては、エリシュカの元へも顔を出すレーナクロードの真意を、エリシュカはもっと考えるべきだったのだろう。――否、考えていなかったわけではない。

 ただ、エリシュカだっていっぱいいっぱいだったと、それだけのことだ。





 スヴェンの案内とエッドの魔術によって連れて行かれた先――それはもちろん、レーナクロードと『異世界の少女』一行の現在位置だった。

 少し離れた場所に降り立ち、レーナクロードたちの元に向かう最中、無言の道行になったのは経緯を考えれば仕方のないことだろう。


 そうして、エリシュカはついに、――婚約解消してから初めて、レーナクロードに相対した。


 灰銀の髪に、月光を写しとったような銀の瞳。アシュフォードとは違って、怜悧な印象を与えるその顔をまじまじと眺めるのは久しぶりのような気がするが、現実では三月ほど経っていても、エリシュカの体感では数日でしかない。

 だから、久しぶりのように感じるのは、ずいぶんと長い間、エリシュカがきちんとレーナクロードと向き合っていなかった証左なのかもしれなかった。



「――シュカ……」



 どこか苦しげに、けれど懐かしむように呟かれた己の愛称に、エリシュカは少しだけ感慨深い気持ちが湧き上がるのを感じる。

 けれどそれを上回る、圧倒的な衝動に従って、つかつかと歩み寄り――レーナクロードのみぞおちに拳を叩きこんだ。半身を向け、腰を入れた、会心の一撃だった。


 いつだかに「人生何が起こるかわからないから」と人体の殴り方を母に指導してもらった記憶が蘇る。視界の隅で父が「そんな本格的に教えなくても」とちょっと困った顔をしていたことまで思い出した。



(まさかこんなところで母様の教えが役に立つとは思わなかったわ)



 多分エリシュカの母もレーナクロードを殴る未来は予期していなかっただろうが。


 無論、この場にいるのはレーナクロードだけではない。少し離れたところから、目を丸くしてこちらを見ている黒髪の少女が『異世界の少女』で、その傍についている黒尽くめの青年がノアール・フォーゼベルグだろう。

 どちらもエリシュカとレーナクロードの間に割り込んでくる気配はないので、ひとまずそちらへの対応は後回しにすることにする。



「問答無用ですねぇ、嬢さん」


「出会い頭に一発入れるって決めてたのよ」


「良家の子女の皮がまたどっか行ってますよ」


「ここでそんなもの被っていてもどうしようもないと思わない?」


「それは確かに」



 茶々を入れてくるエッドと会話するうち、僅かに前かがみになって痛みを堪える仕草をしていたレーナクロードも多少回復したらしい。

 顔を上げ、怪訝そうにエッドを見て、それから納得したように頷いた。



「スヴェン曰くの、シュカの協力者――『初代王の再来』だったか」


「それは名前じゃないんですけどね。初めまして……って言っても俺からしたらそうでもないんですが、まぁ置いといて。一応今は『エッド』って名乗ってるんで、そう呼んでもらえればいいですよ、『シルヴェストルの若君』?」


「『エッド』か、了解した。……知っているようだが、私はレーナクロード・シルヴェストル。エリシュカの、――……幼馴染だ」



 『幼馴染』の前の不自然な間を生み出した想いが何かも、もうわかってしまう。わかってしまうから、エリシュカはそれには言及せずに切り出した。



「殴られた理由、わからないとは言わないでしょうね、レナク」


「……わかっているから、殴られた。的確に急所を狙ってくるとまでは思っていなかったが」


「そうね。私の拳くらい避けられないようなら、『聖騎士団長』サマの肩書が泣くものね。――この期に及んで、まだ続けようっていう気はないでしょう?」



 エリシュカの言に、レーナクロードは泣きそうに笑う。幼い頃、エリシュカを呼びながら探し回って、そうしてようやく見つけたときに浮かべたのと、よく似ていた。


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