第13話 結局やることは変わらないわけで。
ふいに、能面のように表情を変えなかったスヴェンが、ぴくりと眉尻を上げた。そうして「時間切れのようだ」と宙に視線を向け、言う。
「時間切れって、どういうことかしら」
「レーナクロードが僕の単独行動に気付いた。ノアールに時間を稼ぐよう言い置いていたが、失敗したようだ」
(『ノアール』……ノアール・フォーゼベルグね)
ノアール・フォーゼベルグ。
エッドからもたらされた情報の中で、レーナクロードやスヴェンと同様、『異世界の少女』と共に旅立ったとされていた人物だ。
スヴェン以上にエリシュカに関わりのない人物だったので、レーナクロードの知人であること、次期宰相候補の弟である文官だという以外の情報を、エリシュカは知らない。
彼が何を思ってレーナクロードの計画に協力することにしたのか、どのような役割で同行しているのかも知らない。知る必要もないとエリシュカは思っている。
エリシュカが為すべきは、レーナクロードが始めてしまった『国の贄』を異世界人に肩代わりさせるという計画を、止めることだけだ。
そもそも、エッドが『あからさまな誘い』と称したスヴェンの行為に乗せられる形でこの場所に来たのも、その妨害の芽を摘むという理由あってのことである。
『儀式』に必要な魔術的媒介――エリシュカたちが最初に向かった北では古ぼけた石碑だったそれに、過大な負荷をかけるという行為は、看過できるものではなかった。
スヴェンもまた、『儀式』を実際に行う場に居合わせる中で、『儀式』ひいては『国の贄』が魔術的なものであると気付いたのだろう。そうして、破棄は無理としても、力技で破綻させることが不可能ではないと判じ、それを実行した。……否、エリシュカたちが現れた時点でそれは止めたようだから、やはりただの『誘い』であり、実際に行うつもりではなかったのだろうが。
他者を巻き込み時間稼ぎをしてまで、エリシュカたちと単独で接触する機会をつくりだしたらしきスヴェンの発言に、エリシュカは多少ならず疑問を覚える。
これまでのやりとりを思い返しても、その必要性がいまいち理解できない。
黙って考えていても仕方ないので、エリシュカはその疑問を口に出すことにした。
「貴方の行動は、レナクに気付かれては困るものだったの?」
確かに、スヴェン自身は理由があって行ったにしろ、『国の贄』の肩代わりそのものも危うくなる行動もあったが、それは中途でやめたのだし問題はないように思えるが、――それとも、エリシュカたちに相対することそのものが問題だったのだろうか。
エリシュカの問いに、スヴェンはしばし考えるような間を置いて口を開いた。
「それについては是とも否とも答えられない。君の真意に確信が持てるまで、どちらに転んでもいいようにしただけだ」
「……私の、真意?」
「そうだ。レーナクロードは、君が『肩代わり』を容認するはずがないと言っていた。僕もそれは真実だと思った。けれど、本当に――君が、ただ粛々と全てを受け入れるつもりなのかと、疑問だった」
そこでスヴェンは一度口を噤み、エッドに視線を向けた。
「君の傍に魔術師がいることに気付いたのは、君に眠りの魔術をかけた時だ。『初代王の再来』だと確信を得たのは、君が目覚め、『肩代わり』の妨害に動き始めた時だったが――並々ならぬ腕の魔術師だろうということは察していた。そんな魔術師を……宮廷付きでない魔術師を君が囲う理由は何かと考えて、もしかしたら、君は君で動いていたのかもしれないと思った」
「……………」
「推測でしかなかった。けれど、レーナクロードに聞いた君の性格ならば、有り得ないことではないと思った。こうして相対して、それは確信に変わった。――君は、独自に『国の贄』を回避する方法を模索していたんだろう」
否定されることなど考えていないような口調に、エリシュカは溜息を吐く。エッドが愉し気に笑っている気配に、足を踏んづけてやろうかと一瞬考えたものの、ただの八つ当たりでしかないので行動には移さないでおいた。
「……実際に動いていたのは私じゃないから、『私が』というよりは、『エッドが』と言った方が正しいけれど。そうね、少なくとも、貴方の言うように、『粛々と全てを受け入れる』つもりはなかったわ」
「それを誰にも言わなかったのは、回避できる確証が無かったからか。エリシュカ・アーデルハイド」
「ええ」
――それは多分、ただの我が侭だったのだろう。あるいはエリシュカが臆病だっただけだ。
いたずらに希望を持たせたくなかった。それが裏切られた時、希望を知る前より嘆きは深くなっただろうから。
エリシュカとレーナクロードの父たちはあからさまに、母たちは密やかに、エリシュカに下された『国の贄』の運命を嘆いていたから――彼らの愛情を、エリシュカは自覚していたから、余計に。
「――君は本当に、レーナクロードの行動を、予期していなかったんだな」
「何を、今更」
「レーナクロードの情の深さを見くびっていた、と言い換えてもいい。……周囲の情を、認識してはいただろうに、――ああ、そうか」
そこで、スヴェンは何かに納得したように頷いた。
「そこまでの価値を、自らに見出していなかったのか」
(――どうしてこうも、魔術師っていうのは、人の心を暴き立てようとするのかしら)
『見えるものが違う』にしたって、遠慮がなさすぎるとエリシュカは思う。普通、そういうのは気付いても口に出さない部類のものだろう。
スヴェン個人の性質の問題か、魔術師全体の問題か――今はそれどころではないので、とりあえず他所に逸れかけた思考を元に戻すことにする。
「……そういう、個人的なことを、軽々しく口にはしてほしくはないわね。でも、否定はしないわ。レナクがそこまですると――何らかの行動を起こすと、推測もしなかったのは、私の落ち度よ」
手落ちと言ってもいい。確かにエリシュカは、レーナクロードとの間に確かな情が存在することを認識していながら、両親でさえ最終的には受け入れるしかないと考えているだろう『国の贄』というエリシュカの運命を、レーナクロードがどうこうしようとするとは考えていなかった。
そうしてもしかしたら――その情への認識そのものも、間違っていたのかもしれない。それについてはきっと、レーナクロードに対峙したときに、否応なく明らかになるのだろう。
「だから、君はなりふり構わず止めに来たのか。エリシュカ・アーデルハイド。――君の存在は、家格にしては秘されている方だが、それでもどこからどんな話が漏れるかはわからない。レーナクロードは良くも悪くも注目されているから、君に興味のある人間は多かった」
「貴方にも、外聞や噂話みたいな世俗的な事柄に対する認識はあったのね」
レーナクロードに伝え聞いていたスヴェンの性質は、若干浮世離れしている印象があったため、意外に思ってそう口にしたエリシュカに、スヴェンは思わしげに目を眇めた。
「人は自分の都合のよいように物事を捉え、伝えゆくものだ。その力は無視できるものではない。――今回の、『異世界の少女』にまつわる噂話のように」
「……やたらと耳障りのいいふうに話が変えられているとは思ったけれど、貴方の入れ知恵だったってことかしら。レナクにしては、後々を考えすぎていてらしくないとは思っていたけれど」
「肯定する。レーナクロードが保身を考えるような人間ではないのは、君も知っているだろう」
「『それしか方法はない』なんて言ったのも、後処理まで考えていたから、ということね」
つまり、『国の贄』の肩代わりが為った後、真実を覆い隠す目算があったからこそ、スヴェンはレーナクロードに偽りを告げてまでその方法をとらせたということだ。
そう、例えば――『異世界からの神子』は自身の生まれ育った世界への未練が断ち切れず、こちらの世界に留まるための『儀式』を完遂せずに、元の世界に戻ったなどと吹聴すれば、『聖騎士団長』と『異世界からの神子』の恋物語に沸き立つ世間も、『異世界の少女』がいなくなったことに納得することだろう。
『異世界もの』の流行の契機となった本がそうであったためか、民衆に知られる『異世界もの』の物語の多くは、異世界からの来訪者は最終的に自身の育った元の世界に帰る。それが自然であると刷り込まれている。
だからこそ、その『自然なこと』に逆らってこの世界に残るという選択が、劇的で情熱的なものだとして、人々は『聖騎士団長』と『異世界からの神子』の物語に熱狂していたのだ。
スヴェンが恣意的に『肩代わり』の策を選ぶように誘導し、そうして後々それらを『自然な結末』として真実を覆い隠すつもりで情報操作をしていたとしても、スヴェンが『協力者』というより『共犯者』だったという事実が判明したというだけで、レーナクロードが発端であり中心の計画であったことに変わりはない。――この国に縁もゆかりもない『異世界の少女』をエリシュカの代わりに犠牲にしようとしたことに変わりはない。
だからエリシュカが、レーナクロードを止めるという決意だって、変わりはしないのだ。
「君は、僕たちを――レーナクロードを、止めるために来たのだろう。『初代王の再来』に敵うなどという夢を見るほど、僕も驕ってはいない。もう、『国の贄』の転嫁は為せないだろうことは理解している。……せめて、引導は、君の口からレーナクロードに伝えてくれるだろうか」
「貴方に会う前から、そのつもりよ。あの馬鹿を一度は殴らないと気が済まないし――『異世界の少女』と、顔を合わせないで終わるつもりはないわ」
『異世界の少女』が世間の噂話と同様に、レーナクロードに恋心を抱いているのだとしたら、エリシュカはそれこそ荒唐無稽な作り話をしてまで別れた婚約者に縋る女に見えるのかもしれない。
例えそうであっても、エリシュカが為すべきことは変わらないから、当初の予定通りに動くだけのことだ。
(そういえば、『異世界の少女』がどんな子なのかもよく知らないのよね、私)
今更にそう思って、エリシュカは自分もまた冷静ではいられていなかったのだと改めて気付く。
レーナクロードとの間には、恋でも愛でもない情の繋がりしかないと思っていたけれど、もしかしたら、傍に在ることが当たり前だった存在を獲られてしまったかのような気持ちがどこかに存在していたのかもしれないと――そう思って、なんだか本当に元婚約者に追い縋る女のようだと、エリシュカは少し笑った。
そうして視線を感じて見上げた先のエッドの表情に今度こそ足を踏んづけたエリシュカは、痛みに眉尻を下げた情けなくも見える表情に胸がすく心地を覚えた後、少しばかり自分の性格について黙考したのだった。
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