第9話 成り行きに任せるしかないことも往々にしてあるものなので。
「到着ですよ、嬢さん」
歩みを止めたエッドがそう告げて、エリシュカもまた足を止め、エッドが指し示した先を見た。
しかし目の前の光景を改めて見れば見るほど、拍子抜け――というのが正直なところだった。それは顔にも出ていたのだろう、エッドが苦笑して肩をすくめる。
「『これが?』って気持ちはよーくわかるんですけどね。でもまぁ、崇め奉られてたわけじゃない、何百年も存在してるものにしちゃあ、まだマシな方ですよ」
そこにあったのは、古びた石碑だった。ところどころ苔むしているが、エッドの言では何百年もののはずなので、それにしてはまだしも小奇麗と言えなくもないだろう。
それについてエッドに問えば、「朽ち果てられると困るから、不思議の力が働いてるんじゃないですかねぇ」と適当感溢れる返答をしてきた。
特段重要なことでもないので、エリシュカもそういうものかしら、と納得する。
「それで、これからどうすればいいの?」
「残念ながら、それは俺にはわからないんですよ」
「……?」
「『国の贄』になる人物が触れればいいらしい――っていうことしか、そうじゃない俺にはわからなかったものでしてね」
どこか自嘲の滲む口調でエッドが言う。それにエリシュカは得心した。
エッドは前回を知ってはいるが、『国の贄』ではない。そして何百年かに一度らしい『国の贄』の発生の頻度と、残っていた伝承じみた情報、そして今回の『託宣』以降の流れを鑑みれば、前回も『国の贄』については事の重さに反するように密やかに終えられたのだろう。
……それはまるで、何らかの不思議の力が働いているとしか思えないほどに。
そこに奇妙な符号を――あるいは不気味な符号を感じながら、エリシュカはそれ以上考えないことにした。どうせ深く考えようと、答えなど出ないのだから。
「ともかく、触れればいいのね? 貴方が何かするつもりなら、準備の時間を置くけれど」
「俺もその場に居合わせるのは初めてですし、元々嬢さんには一度は儀式をしてもらうつもりでしたから、今回は解析に徹しますよ。一回の儀式だけでどうこうなるってことはないのだけは確認済みですし、安心してどうぞ」
「安心は、流石にできないけれど……それならいいわ。せいぜい解析に専念してちょうだい」
「俺としてもようやく、って感じですから、そりゃあ全力でやらせていただきますよ」
「それは心強いわね。……じゃあ、行くわよ」
改まって宣言しては見たものの、ただ触れるだけである。感慨も何もないものね、などと考えながら、エリシュカは腕を伸ばし、石碑に触れた。
――瞬間、世界が暗転した。
「……っ」
何かが起こるだろうとは思っていたものの、急激な変化に息を呑む。
先程までも夜の闇の中ではあったが、月や星の光で周囲の状況を確認できていた。しかし今度は違う。右を見ても左を見ても、果ての無い闇だけがある。
己の姿は視認できるが、まるで自分だけが切り取られたかのような不自然な鮮明さで、尚更に不安を煽られ、否応なく緊張が高まる。
とはいえ、もう『儀式』を始めたことになる以上、エリシュカはただ成り行きに任せるしかない。
改めて考えると、『国の贄』という役割は自分が何をどうすればいいのか知らされないという点で不親切にもほどがあるのでは、と少々ずれたことを考えていると、眼前に変化があらわれた。
それは、ぼんやりとした光の影だった。矛盾しているような表現だが、そうとしか言いようがない。
影のような光、というか、光のような影、というか、ともかくそんなふうに見えるものだった。
とりあえずじっと見つめていると、ふと頭に声が響いてきた。男とも女とも、老いているとも若いともつかない、茫洋とした声。
『――此度の贄。汝は国に何を望む?』
「……随分と、抽象的な質問ね」
『答えよ』
「会話する気が全く無いわね。そういう思考……機能? が無いのかもしれないけれど」
『答えよ』
「……これ、もしかして問いに対する答えを返さない限り、ずっと『答えよ』って言われるのかしら」
『答えよ』
「…………」
『答えよ』
「何も言わなくても言い続けるわけね……。ずっと聞いてると頭がおかしくなりそう」
ついでに自分がまるで独り言を延々言っているようで空しくもなる。殆ど事実だが。
溜息を吐いて、エリシュカはその眼前の光る影を見据えた。
「国に望むこと、ね。……意思に関係なく『国の贄』とやらに選んだくせに、どんな答えを望んでいるのかしら。ここで意に適わない答えを返したら『国の贄』の資格が無くなるとでも言うのなら、考えもするけれど――どうせ、そういうことでもないのでしょう」
前置きの間にも『答えよ』が挿し込まれるのを聞き流しながら、エリシュカは続ける。
「何を望むかって、そんなの――強制的に人ひとり犠牲にしないと成り立たない国のつくりをどうにかすることよ。唯々諾々と犠牲になるしかないなんてふざけるなって思うもの。それでも犠牲にするっていうなら、早々に沈まれるのは困るわ。過去の『国の贄』の犠牲はなんだったのって話じゃない」
『――答えを受領。確認。儀式を終了す、――』
まだ言いたいことはあったのだけど、と思いながら影が喋り出した――という表現が適切かどうかはわからないが――ので口を噤んでいると、声が不自然に途切れた。見る間に影が揺らぎ、明滅する。
明らかな異常事態のようだが、そうなる理由に心当たりがあったので焦りはしない。
流石にこの空間から戻れなくなるということはないだろうという確信――否、エッドへの信頼もある。
『異常――異常――贄の重複を確認――外部からの介入を感知――』
揺らぎ続けていた影が、ぱっと弾けるように散る。視界を覆った眩しさに、反射的に目をを閉じたエリシュカだったが――すぐによく知った声がかかった。
「――お帰りなさい、嬢さん」
かけられた言葉に『儀式』の終了を悟って、エリシュカは目を開いた。
そうしてそこが、石碑に触れる前と変わりのない場所であり、すぐ傍に常の胡散臭いまでのにこやかな笑みを浮かべたエッドがいることを確認して、ようやく肩の力を抜いたのだった。
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