第3話 協力者は必須だと思いまして。
気が遠くなるほどの凶悪な眠気から解放されたエリシュカは、とある人物に会うために再びエッドに助力を願った。
――その結果、エリシュカはとある無人の室内で暇を持て余していた。
(多分、そろそろ戻ってくるはずだと思うけれど、暇ね)
周囲は書類、書類、書類の山だ。乱雑に置かれているように見えるが、それが規則性を持っていることは知っている。
エリシュカが見てはまずい部類の書類がどのあたりに置かれているのかもわかっているので、それらの類を下手に目に入れないようにしつつ、エリシュカは部屋に備え付けの本棚に近づいた。
並ぶ題名を何の気なしに眺めていると、前触れなく背後に誰かが現れた。そしてエリシュカを囲うように本棚に手をつく。
それが待ち人だとわかっていたので、エリシュカはさして驚くことも、危機感を覚えることもなく、ただ「変わりはないようだ」とだけ思った。
「やぁ、誰かと思ったらシュカちゃんじゃないか。ひっそり誰にも告げずに私の部屋に来るなんて、――ついに私の誘いに乗ってくれるつもりになったのかな?」
「――お久しぶりですね、アシュフォード様。お元気そうで何よりです。軽口も相変わらずのようですね」
「そういうシュカちゃんも元気そうで何よりだ。……いや、アイツにとっては凶報かな」
そんなふうに嘯くその人は、この国リーヴェンデッテの聖騎士団副団長、アシュフォード・ルノーという。
太陽の色を宿した明るい金髪に、蜂蜜を煮詰めたような甘やかな黄金の瞳を持ち、それらの色彩を引き立たせるような女性受けするかんばせの持ち主で、更には無類の女性好きを公言していたりする。
女性を口説かないのは彼女たちの魅力に対して失礼だという信念のもとに、あらゆる女性に本気か冗談かわからない口説き文句を向ける人物で、今まで付き合い別れた女性は数知れず、しかし泣かせた女性は一人もいないのだとか。
女性の敵になりそうでならないけれど、男の敵極まりない人物である。
そして『聖騎士団副団長』という肩書でわかるように、エリシュカの元婚約者・レーナクロード・シルヴェストルの副官であり、親友という立ち位置の人物だった。
実力も指揮能力も実務能力もレーナクロードと遜色ないものの、その人間性で団長には相応しくないと判断されたという逸話を持つが、本人としては旗頭は面倒事も多いから副官くらいがちょうどいいとのことでまったく気にしていないらしい。概ねレーナクロードからの伝聞だが。
そんな彼がエリシュカに先程のような軽口を向けてくるのはいつものことだ。
――その『いつも』が三月前までのことだというのを置いておけば。
とりあえず、このまま振り返ると外聞がよろしくない距離で顔を突き合わせることになるので離れてくれるように頼むと、アシュフォードは存外あっさりとエリシュカを解放してくれた。
「出会い頭に悪ふざけがすぎますよ、アシュフォード様」
「他に人もいなかったから、シュカちゃんと距離を縮めるチャンスだと思って、つい、ね。それに、男の部屋に単独で訪問するってことがどういうことか、ちゃんとわかってなかったみたいだから」
「男の部屋って……。ここ、一応執務室でしょう」
私室ならともかく、執務室を訪問して暗に警戒心が足りないと言われるのは流石に解せない。
故にそう返したエリシュカに、しかしアシュフォードは大仰な仕草で肩をすくめ、言った。
「いやー、大抵の執務室って防音設備きっちりしてるし密室にしようと思えばできるし、許可しなければ中まで入って来ないけどいつ誰が訪ねてくるかもわからない緊張感がむしろイイとかっていうのもあって、結構逢引に使われる場所だよ? シュカちゃん恋愛小説って読まないのかな。年齢層高めの」
「そういう系統は読みませんね。あと、それ以上の説明も要りませんので」
「あ、そう? 私の言いたいこと、わかったかな」
「わかりました。要するに、理由があっても、軽率に男性と二人きりになるような行動は慎めってことですよね」
「まぁ、間違ってはないかなぁ。シュカちゃんがそのつもりならともかく、そうじゃないならもう少し警戒心持った方がいい、っていう忠告だよ」
「御忠告痛み入ります。今度からアシュフォード様とお会いするときには気をつけますね」
「もうしないよ。私だってレナクに睨まれるとわかっててシュカちゃんに手は出さないさ」
「――その、レナクについてですが」
エリシュカの雰囲気が変わったのを察したのだろう、アシュフォードもまた、常に浮かべている甘やかな笑みを消し、エリシュカの様子を窺うように目を細めた。
「アシュフォード様は、どこまであの馬鹿のやっていることに噛んでいますか」
「……それを直接訊きに来たってことは、シュカちゃんとしては、私はレナク側の人間じゃないと判断したってことかな」
「少なくとも、全面的な味方ではないと」
「そう考えた理由、聞かせてくれたら答えるよ」
「あの馬鹿が、今も『聖騎士団団長』だからです」
エリシュカが迷いなく答えると、アシュフォードは一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど。シュカちゃんなら気付いてくれると思ったけど、賭けに勝ててよかったよ。あの馬鹿、私の言うことなんて聞きやしないからね」
「アシュフォード様、レナクを止めようとなさったんですか?」
少しばかり意外に思って、エリシュカは思わずそう漏らした。確かに全面的な味方でないとは思っていたが、アシュフォードはある程度レーナクロードの行動を黙認していたのだろうと考えていたからだ。
しかし、今の言い方だと、アシュフォードは黙認ではなく、説得を選んでいたように聞こえた。
「止めたさ。そもそも計画を打ち明けられた時点でね。ただ、私はレナクの計画に絶対的に必要な人間じゃなかったから、実行すること自体を止めることはできなかった。計画を話した時点で、レナクはもう、誰に何と言われようと実行すると決めていたようだから」
「それでも、レナク以外を説得できれば――」
「それもできなかった。絶対に、何が何でも止める、その気持ちが足りなかったんだろう。……気持ちが、わかってしまったのが一番の問題だったかな」
アシュフォードは苦く笑った。エリシュカは何を言えばいいのか一瞬惑ってしまって――その隙にアシュフォードが再び口を開いたので、結局何を言うこともできずに口を噤む。
「シュカちゃんは、どれだけこの状況についてわかってる?」
「……あの馬鹿が、『異世界の少女』に対して最低最悪なクズ野郎も真っ青の所業をしているだろうことくらいは」
「あのさ、シュカちゃん。言い方ってものがね?」
「私の予想が正しいなら、事実でしょう」
きっぱりと言い切ったエリシュカに、アシュフォードも返す言葉はなかったらしい。ひとつ溜息をついて、「まあ、否定はしないよ」と肩をすくめた。
「知っていて止められなかった私も同罪だけどね。まだ手遅れじゃない。……手遅れに、なっていた方がよかった気持ちはあるから、やっぱり私も『最低最悪クズ野郎も真っ青』の仲間かな」
「それは、これからどう動くかと、その結果次第でしょう。――私に、協力してくれますか」
アシュフォードは、即答しなかった。その理由を既に口にされていたので、エリシュカは焦りも惑いもしなかった。
……結局、彼は応えてくれるのだと、わかっていた。
「……いいよ。私は全ての女性の味方だからね。でも、忘れないで。私は、――『俺』は、あの馬鹿と違って突っ走れなかっただけで、どちらにもつけなかっただけで、アイツの気持ちがわからないわけじゃないんだよ」
「それは、忘れないでね」ともう一度言い置いて、アシュフォードは「それじゃあ詳しい情報の擦り合わせと行こうか」とエリシュカに微笑んだ。
その話はそこまでだという、無言の線引きだった。
それはエリシュカにとっても都合が良かったから、あえて話題を蒸し返すこともせず、エリシュカはアシュフォードが提示した流れに乗った。
――返せる言葉など、持っていなかった。
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