第7話 心の中の世界、そしてその認識可能性

二人でベンチに座っている。僕は話題を探すために、四方を見た。僕は、夜空に輝く星を見上げ、そしてその美しさに気づいた。


「きれい・・・だよ。」


「えッ・・・? あ、はい。ですね。」


「神様は何を考えて宇宙を作ったんだと思う?」


「宇宙は単一の・・・簡単に言うと、モナドシステムに近いものなのです。その部分がまた部分を認識するということは、不可分な全体との交信それ自体なんです。じゃあ存在者は?というと、凡て存在者の証明は、結局はね、シュレディンガーの猫のジレンマに陥ることになります。観測したくても、ね?」


「不可知論者なのかい?」


「・・・そして、この世界で認識しうるものもまた認識しうるものを要し、認識しうるもの同士はモナドシステムの部分と部分との相互交信によって認識となるんです。もちろん、認識しうるものは相互交信なくしては未だ認識たりえない。認識しうるものは存在と異なり、質量をもつ。認識されたものは概念でありそれもまた質量から離れて単独では存在しえない。マターとは認識されるための素材であり、かつ、認識も概念もマターから抽出したり分離したりすることはできない。認識も概念もマターに依拠している。マターは時空に存在する比の法則のみに依拠している、と言えます。」


「裏宇宙の次元があって、別の法則でこの世界を支配している可能性があるってことかい?」


「それが比です。この宇宙に等しい部分は無く、存在するのは比のみです。比とは関係についての唯一の始原的な法則です。比は、質量から離れて単独で存在し得る。力や場そして空間も、比を唯一の準則として交信し認識されうる、ということです。比に似て非なる認識・・・それが数です。例えば、自然数はこのようなモナドを認識して切り分けた回数ですね。例えば1個の消しゴムとは、宇宙を消しゴムとそれ以外全部とに1回切り分けたという意味なの。(比のような超越的な概念以外の)人間の思弁に依存する数とその認識は、人間と人間が交信する時空に生ずる認識として観測される概念です。認識できるものには数学的意味ではなく必ず正と負があり、それは相互交信によって認識となる。そうでしょう?」


「えい!」


「キャッ!」


「ちょっと固いな。」


「何するですかー!」


「もみほぐしてあげよう。」


「変態!」


・・・僕はそのまま少女の頭をくしゃくしゃと撫で続ける。


「私の頭って固いですか?」


「ああ。それも頭蓋骨の内側が、ね。」


「あなたの悪趣味、神学と医学がどれくらいの比でブレンドされたものなのか、知りたいです。」


「分厚い本ばっかり読んでると頭固くなるぞ?」


「逆に、薄い本ばっかり読んでいるの? 雪だるま君は。」


「ああ。薄い本は結構好きだ。でも、概念に質量があるっていう話、普通の人が聞いたらただの奇を衒った思い付きだって思うに違いないから、他の人たちには秘密だよ?」


「じゃあ、内緒ですね。」


「二人だけの内緒だよ?」


「はい。ところで、雪だるまくんの家ってこの辺りにあるの?」


すぐそこにある僕の下宿には薄い本がいっぱいある。帰ったら、すぐに本棚の本を分厚い本に差し替えておこう。


「・・・いや、かなり遠いんだ。もしもさ、」


「そう。じゃあ君はそろそろ帰らなくちゃだね。雪だるまくん、君、終電に間に合わないよ? それと、これからは、まともな小説を読むんだよ? 腕も組まないうちに頭くしゃくしゃする人って、反則です。そんな君には、ページ数は薄い本ですが、『車輪の下で』がお勧めです。内容は価値と意味に満ちています。特に好きなシーンは、ハイルナーとの・・・」


この子にとっては正統派の長編小説も“薄い本”になるのだろうか。僕は感心した。僕には『車輪の下で』という本はあまりにも重たくて、かつては読もうとしたのだけど、ちゃんとまともに読めなかったものだ。けど、僕はこの子のためになら読破できそうだ。読んでみよう。


(つづく)

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