小旅行の話 触手と光る人の介入、それと






私はからたち 実房みお

からたち 実束みつかの姉。


だけど、“私たち”は同時に、睦月むつき 汐里しおりでもある。






“不明晰夢”とそれに連なる騒動の後、汐里ちゃんは可能性を信じる心を得た。

実束は汐里ちゃんから独立し、自我を得た。全てが汐里ちゃんの思考に依存するこの世の中で、唯一のイレギュラーとなった。



では、それ以外の誰か……例えば、この病院内に存在する“私たち”は?



私は今こうして病院内を散歩してはいるけど、あの不明晰夢の世界にいた本人ではない。

ある程度の知識を得る権利を与えられた状態で、“枳 実房”として新たにここに存在しているだけ。

他のみんな……常ちゃん、はよくわからないところがあるけれど……ジャックとか、イベリスとか、リベルタ……もとい、日頼ひよりちゃんとかも同じ。

言うなれば、汐里ちゃんがそのようにあれ、と設定したキャラクターであるだけ。汐里ちゃんが私たちみんなを演じていると言っていい状態だ。



それで言うならば、私たちは特に変わっていない。

元から汐里ちゃんのキャラクターであることは変わってない。

汐里ちゃんが私たちを作っている、演じていることも変わってない。

世界だって汐里ちゃんの思い通りなのは変わってない。

何にも、何にも変わっていない。

変わったのは、考え方だけだ。


汐里ちゃんは唯一自分から離れた実束を見て、可能性を信じることができた。

可能性だけを見つめることで、他の有象無象へ目を向けないことができた。

可能性、という概念を認識できたことで、世界は擬似的に自ら思考するようになり、擬似的に勝手に動くようになった。

そう……イメージ的には、ゲームで言う乱数が生まれた、みたいなものだろう。

実の所思い通りなままの世界だけど、汐里ちゃんはランダムを擬似的に形作る乱数を見ようともしないし操ろうともしない。

そうして今日もこの世界はそれっぽく見た目上自発的に動き回っている訳だ。




私は今日も今日とて、気ままに病院内を散歩する。

……ううーん……病院、というだけでは味気ないし……もわもわしてるし、霧の病院とか夢の病院とかそういう名前でもつけようかしら。

私の役割としては実束と同じく汐里ちゃんの補佐なのだけど、いつもべったりしてるとほら。

二人っきりになれないでしょう?そんな感じなので、散歩。


霧の病院(呼び方はこれに決めた)の内装は、知っているようで知らない不定形。

行きたいと思って歩けば行けたり行けなかったりする、曖昧な構造。

なのでこうして気ままに散歩すると予期せぬ何かに遭ったりするけれど、いい感じの暇つぶしになるからいいのです。

この前はエロトラップダンジョンに遭遇しました。一気にビームで殲滅しなかったら即死だったぜ。

そんな病院の中は上も下も当然不明瞭なわけで、ほら今だって階段を降りていって扉を開けたら……屋上。



今日は屋上についてしまいました、と。

外を覗くまでもなく、霧の病院の外の風景は大小様々な泡のような世界の数々に満ちている。今も増えている、らしいけどこの世を埋め尽くすのにはまだまだ足りないのだろうか。

見た目的にはこの屋上を侵略してきてもおかしくないような量なわけだけど、その辺りは汐里ちゃんがどうこうしてるのかもしれない。意識的でも、無意識的でも。


となると、と屋上を歩き、端から顔を出して真下を覗いてみる。

やっぱり霧の病院の周囲にまでは泡は来ていない。出ようとも思わなかったし玄関に入り口に辿り着ける気もしないけど、そういえば外を歩いたら本当に何もないのかな?

これだけ泡が出来てるんだし、もしかすると泡以外にも何かしら建造物とかが……

途端に興味が湧いてきた私は、屋上から飛び降りる。



足裏から光線を放ち、謎の推進力で重力に少々逆らいつつ私はゆっくりと地面へ着地した。



なんだかんだ、屋上に出る以外で霧の病院に出るのは初めて。

出ようとも思わなかった理由は病院の中でも全く退屈しないからなのだけど。だってどこに繋がるかわからないし広さはきっと無限だし外出と何ら変わりない。

そんなわけで地上に降り立った私。とりあえず適当に歩いてみようか……




周りを泡が飛び交うのを眺めつつ、何処へ向かうわけでもなく歩く。

ぶっちゃけ泡だらけで遠くの風景とかは見えない。

考えてみたら、この泡についても深くは知らない。新たに生まれた世界である、という認識だけはしてるけどこちらから干渉したらどうなるかとも全然知らない。

原則、こちらから干渉することはないから。

無駄なことは考え……いや、いや。汐里ちゃんは考えまくってる。

考えまくってるけど、こういう方向の思考はしないのよね。しない、と決めている事とかについては考えない。

私も干渉はやめといた方がいいだろう。撃ったり、触ったりとか。

と思ったそばから泡がこちらに飛んできた。


「おっとっと」


それなりに勢いがあるサッカーボール大の泡を、道を開けるように進路から身体をどかして避ける。

割と注意しないと命中しそうだ。泡の行き先を確認しつつ、前へ、

向こうとして、サッカーボール泡が他の泡を弾き飛ばすのを見てしまった。

これはやばいやつでは?と思う暇もなく、私は無数の泡が向かってくるのをどうにか避けようと後ろに下がって、


「…………」


右手の妙な感触。

見れば、後ろにあった泡に右手が思いっきり刺さっていた。

引っ張る。

抜けない。


「あ、ちょっと……ちょっとちょっとちょっ」


抜けない、どころか何か吸われているような、というか引っ張られてるような、いや見るからに腕まで入ってわわわわわわ






………………………………。






私としては、目を覚ました時には見知らぬ野原でした、みたいな展開を期待していました。



そして“現実”は、気がついたら真っ逆さまに落下する自分なのでした。


「えっ、えっ!?」


状況が全くわからないのでじたばたしかけるけれど、このままでは頭から地面に激突することを理解したので早速対策を……ギャグフィルター持って来れば突き刺さるだけで済むかしら?

違うそうじゃない。

体勢を、身体の向きを、変え……んー難しい!空中で身体の制御なんて当然未経験!

仕方ないから頭から発光するしか……


「ひゃっ?」


と覚悟を決めて次の瞬間、私は明らかな干渉を受けて身体を停止させる。

腰の辺り?見れば、緑色の太めな紐みたいなのが私に巻きついている。

そして勢いを殺しつつ引っ張られる……落ちるのは変わらないけれど、少しずつ速度は緩やかに。

何が何だかわからないまま、私はゆっくりと地面……野原に降ろされた。

無事に立ち上がると共に、紐みたいなのが解けて……蔦?

蔦のようなものが伸びてきた先を見ると。


「…………。」


全体的に緑色な女の子が、こちらを見つめていた。

どことなく浴衣っぽいものにケープらしきものを羽織った、ウェーブのかかったロングヘア……全部緑。

ウェーブのかかったとは言うけど、どちらかというとむしろ……うねってる?


まぁ外見はともかくとして。

状況的に私は触れた世界の中に入ってしまった、と思われる。

そんな中で出会った第一村人だ。……白い肌色の手に変わった先ほどの蔦を見たところ、人という訳でもなさそうだけれども。

とりあえず。


「こほん、こほん。こちらの言葉は通じるかしら」

「……!……うん」

「それは良かった。まず、ありがとう。おかげさまで怪我もなく助かったわ」

「…………そっか」


言葉は通じる。よし。

辿々しくはあるけど会話する意思も有り。よし。


「……あなたは、人間?」


よくない。中々微妙な質問が飛んできた。

でも確かに、ごもっともな質問ではある。普通の人間、空から落ちてこない。

テンプレじみた状況に対する回答はどんなだったかしら、全然思い出せない……ええい、ままよ。


「私は……そうね、旅人、と言ったところかしら。そしてあなたの思う人間とは恐らく異なる存在よ」

「旅人、なのに?」

「えぇ。旅人、なのに。」

「……………。とりあえず……確かに、人間ではなさそう」

「更に敵対する者でもないわ。私平和主義者なので」


納得……はしてないみたいだけど、ひとまずよし。


「ついでに自己紹介を。私はからたち 実房みお。この世界に迷い込んだしがない旅人よ。あなたの名前も、訊いていい?」

「わたしは……わたしは、ウネ。人間じゃない。わたしは、触手生物」

「触手生物?」

「触手生物を知らないの?」


口ぶりからして、この世界では知っていて当然のような存在なのかな?

この先どうするかも決めていないけれど、この世界にいるからには知っておくべき情報だろう。


「ごめんなさい、おそらく、あなたの想像できないような場所からやってきたもので。きっと記憶喪失に等しいほど世界のことを知らないと思う。助けてもらった先から申し訳ないけど、よかったら色々教えてもらえないかしら?」

「いいよ。わたしも、練習になるから」


練習?

その意味はわからなかったけれど、今はウネちゃんに感謝し話を聞かせてもらう時だ。




「えっと、重くない?」

「ぜんぜん。ミオは軽いね」


立ったままもなんだから、とウネちゃんがその場に蔦のようなものでベンチを作ってくれた。

ありがたく座らせていただく。


「それで、何から聞きたい?」

「そうね。まず、触手生物って所から。あなたの事を知りたいわ」


ウネちゃんが頷くと、少し思考を巡らせた後に口を開く。


「触手生物。人間が呼ぶその名の通り、触手のみで身体を形成する生物。さっきミオを掴んだ触手や、今座っている触手もわたしの一部。……恐ろしくはない?」

「?特になにも」

「……ん。本当にあなたは人間とは違う、んだね。……この通り、わたし達は……ううん。わたし・・・は、触手を変形させて様々な形に擬態できる。この姿も、人間に擬態しているだけ」


擬態してるだけ……形を真似ているだけ?

まさか、声帯までも?そこまで真似るモンスター系統のたぐいはそこまで見たことがない。人を取り込んだ、とかなら納得できなくもないけど……


「……ちゃんと、擬態はできている?声も、おかしくはない?」

「うん、大丈夫よ。身体が人のままなら違和感はないわ」

「よかった。見よう見まねでも、なんとかなるものか」


……見よう見まねと言いましたか。

本当に声帯その他まで擬態で再現しているなら、それはもう真似の域を超えている気もするけれど……触手生物、中々にすごい種族なのでは?


「それで……わたしは、触手生物、最後の一体」

「えっ?」


予想外の情報だった。


「事実上の女王。わたしが死ねば、触手生物は滅びる」

「待って、でもあなた一人だとしたら、もう……」

「……問題ない。元々、触手生物に他の生物のような性別はない。ただ……」


言うのをためらうような素振り。

自分のそういう・・・・知識から、言い淀む理由を探して……該当するのがいくつか。


「あなた達は、人間を使って子孫を増やすの?」

「…………そう。触手生物は、擬態の他にも様々な機能を持っている。その全てがほとんど、生物の捕縛に特化している。わたし達は、他の生物を捕縛して子孫を増やす進化を選んだ」

「…………」


何故、触手生物がウネちゃん一人しかいないのか……先が想像できた。


「特に、母体として適しているのは人間だった。当然、人間もわたし達に反抗する。わたし達は人間達に合わせた進化をして、人間達も対策を積み上げて……種族間の敵対が始まるのは、わかる?」

「ええ、わかる……その先も、何となく。無理に話さなくてもいいのよ?」

「平気。わたし達は、想像の通り負けた。滅ぼされた。全て、全て焼かれて……人間から見たら、絶滅したと思ったことだろう。でも実際は、わたしだけ生き延びた。……種の王が、逃がしてくれた」


だから、一人。

ウネちゃんは、人間にとって絶滅したはずの敵対種なんだ。


「……もう、大丈夫。ごめんなさい、そんな状況なんて知らなくて」

「気にしないで。わたしに関しては、わかってくれた?」

「充分。……でも、新しい疑問も浮かんだわ。あなたは、どうして人間の擬態を?」

「これから、人間の街へ行くところだから」


それは、ある程度予想していた返答。

だけどその目的までは、不明確で……


「……止める気は無いわ。でも、教えてほしい。何をしに行くの?」

「人間、と」


と?


「共存、しにいく」


その返答は、予想とは少し違った。


「共存?」

「人間と、話にいく。わたし達は、負けた。だけど、種を途絶えさせるわけにはいかない。……だから、共存しに……違う。隷属、するつもり」

「…………」


でも、それは……


「わかってる。おそらく一筋縄ではいかない。だけど、わたしはやらなきゃならない」

「種を、存続させるために?」

「そう。わたし達は、変わる必要がある。敗北した以上、もう同じ方法では生きていけないから」

「…………そう」


幼いながらに……いや、見た目通りの年齢ではないかもしれないけれど。

だけれど、その目には堅牢な決意が見て取れた。

そもそも。私はどうこう言える状態に無い。


「うん、応援しているわ。……会話については問題ないと思う。私は人間とは違うけど、感覚はだいたい同じ。変なことをしなければまず怪物とは思われないでしょう」

「それは、よかった。……それで、他には?」

「いいえ、大丈夫。あなたのやるべきことをこれ以上邪魔するわけにもいかないしね。街の方向だけ教えてもらえれば充分、他のことは人間から訊くわ」

「そっか」


私は触手のベンチから降りると、改めてウネちゃんに向き直る。


「ありがとう、重ね重ね助かったわ」

「こちらこそ。お陰で、自信がついた」


幸運を。

私に街の方向を指し示すと、ウネちゃんはそう言って一人で去っていく。

きっと、もっと大きな街へ向かうのだろう。


「………………」


私はその緑色が草原へ、森の中へ溶けていくのを眺め終わった後に、


「さてと」


その場で透明になって、後を追い始めた。





………………………………。





あれから……あれから、と言うと不明晰夢が閉じてから。

前述したように私は枳実房だけど同時に睦月汐里であって、汐里ちゃんの感覚・経験を私も得た状態になっている。

なので、もう光を出すことしかできない私じゃない。カーディナルを演じた・・・時の経験もあるので既に自由自在と言っていい。アクション全開放だ。

実束と同じくらい……と言うと、身体は一応ではあるので実束ほどではないけど。

ともかくそんなわけで、こうして光をあれこれ弄って身体を透明に見せたり、また光をあれこれ弄って遠くを見たりは余裕なわけだ。


ウネちゃんを追いつつも常に姿を捉え続け、更に向かう先も既に確認済みだ。


森を抜けた向こう……巨大な城壁が見える。

門は閉められていないけれど、門番は二人。いくらウネちゃんの擬態がよく出来てるとは言え、あんな歳の女の子が一人ならまず呼び止められるだろう。

どう突破するのか……と思っていたら、ウネちゃんは木陰に隠れた。


何をするんだろう、と思考する間にウネちゃんはみるみる木に溶けて消えてしまったのだ。

……違う、溶けたんじゃない。色を変えたんだ。

確かに姿を変えることができるならそれも可能ではあるだろうけど……私の屈折っぽい事よりも難易度は高いはず、だ。

私と同じで感覚でやってるならともかく……ううん、どちらにしよ高い技術なんだろう。

背景に擬態し続けるウネちゃんは難なく門を素通り。私も少し離れて門を素通り。

門番の男性二人にはごめんなさいをそっと送っておきましょう。

あなた達はきっとよくやってるに違いない。お疲れ様です。


さぁ、心配になってついてきてしまったけど……とりあえず、見届けるだけでも……




さてさて。

門の内側なのだけど、家や店が立ち並ぶ街道となっていた。が、妙に賑やかな様子だった。

ウネちゃんを追っている途中、そういえば今は時間的にはいつぐらいなのだろう?と思ったけど、気温と日の高さからして地球と、もとい日本と同じなら昼ぐらいと予想。季節は春に該当するものだと思う。

それを考えると賑やかなのは不思議ではないけど……でもやっぱりただのお昼時にしては、なんというか、人が浮つきすぎている。

そんな中ウネちゃんは透明なまま歩いている。

私はこう、普通の人よりも"光"を見やすいから捉え続けられるけれども、常人からはよほど注視しないと気がつかないレベルと思う。浮ついてる気分ならなおさらだ。

何故こんながやがやしてるのだろう。お祭り?

情報収集するもいいけど、ウネちゃんの行き先の方が気になる。

私には捉えられると言えど目を離すと見失いやすいのは確かだ。

視線はそのままに、ついでに人々の話でも聞きながら追おうか……道行く人に当たらないように気をつけつつ。




そうして進んで、進んで……交差点みたいな所に入ると、人の流れが明らかに変化していた。

密度が急激に上がって、視界を遮る人が増えて、透明とか関係なくウネちゃんを捉え続けることができなくなってしまう。

この人の流れ、私は知っている。十中八九お祭りだ。

流石にこの人の壁を透明なまま通り抜けるのは不可能……ウネちゃんなら小さいし身体の変形も可能だし足元をするすると通り抜けるだろうけど、私は人間だ。

追跡を諦め、騒ぎにならないよう物陰で透明を解除。目的をウネちゃんが向かいそうな場所を探る方へシフト。

近くで紙コップらしきものを配っている人に目をつけた。観察したところ無料配布だ。

子供にも配っているのでお酒の類ではないはず。……法律とか違くなければ。


「もしもし」

「どうぞー」


貰えた。


「ありがとう。ちょっといいかしら」

「はいなんでしょう」

「私は偶然ここを通りすがった旅人。なにやら賑やかだから立ち寄ったのだけど、これは何の催し?」


……こんな感じでいいのかな?

旅人は無理があっただろうか。何だかんだまだ見た目は高校生だし……小学生が旅するような世界だったりしないかしら。


「……?……こほん、こほん。今日は触手生物を殲滅した記念祭なのです。まもなくこの国の王がお見えになるパレードが始まるところですよ」

「なるほど、なるほど。おめでとうございます」


お礼を伝え、その場から離れつつ紙コップの中身を少し飲んでみた。

うん、りんごジュースだこれ。ごくふつうに美味しい。

さっき怪訝そうな顔をされたのは門番に訊かなかったのか、みたいなところだろう。違和感は与えてしまったけど、まあ聞けたからセーフ。

ジュースを飲み干し、そこらにあったゴミ箱にコップを捨て、物陰に隠れて。


…………いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、タイミングが悪すぎる!!


叫び出しそうになったのを(声に出さずに)解放した。

なんてタイミングで来てるんだあの子は。まずい。

さっきの人だかりはパレードの通り道。ウネちゃんが透明なまま向かったのは国王の所だ。

最悪、多くの国民が見ている中で姿を現すことになる。

どうする?止める?高所から探せばまだ見つかるかもしれない。

少なくともせめて公衆の面前、というのは防ぐべきだ。再び透明になり、見えない光を地面へ発射して建物の屋根へ飛び上がる————


その最中、歓声が聞こえた。

始まってしまった。高らかにラッパの音が鳴り響く。

それらの音を聴きながら屋根へたどり着く。

ウネちゃんはどこ。一度見失ってからあの透明を探すのは困難、だけど光の反射に違和感がある所を、探せば……

……いた!

交差点、大きな道、王の通り道・・・・・を人々が避けた誰もいない道。

その真ん中で佇んでいる。


……佇んでいる?

そこが、目的地?

"すぐにあそこへ降り立って、腕を引っ張って連れ戻す"……その一連の動作にブレーキがかかった。


まさか……まさか、運が悪いんじゃなくて。

そうだ。よりにもよって今日よりも、今日を狙った、という方が確率は高い。

ウネちゃんは今日が何の日かを元々知っていて、何をするのかも知っていて、だから?

歓声が膨れ上がる。

武装した兵たちに囲まれて、馬車に乗った白髭を伸ばした男性……この国の王がやってくる。

私は、大量の人間が見守る中で、姿を現わすウネちゃんを何もできずに眺めていた。





「……!」


先頭を歩いていた兵士が異変に気がつく。

腕を横に伸ばし“待て”の指示。馬車が止まり、王の守りが強固になり、少し遅れて演奏も止まる。

行進を止めた原因は、真正面から兵士達……の向こうの、王を見つめ、そして口を開く。


「わたしは、触手生物です」


その言葉はきっと、ただの悪戯と思われただろう。……目の前で出現などしなければ。

兵士達、国民達がどよめき始めるが、触手生物……ウネは構わず続ける。


「わたしの名前はウネ。あの最後の戦いから逃げおおせた、最後の触手生物。……いきなりで申し訳ない、ですが、今日は————」


言葉は途切れる。

困惑していた兵士の中で、一人。

ただ一人動じなかった先頭の兵士が、ウネの右腕を一瞬で切り飛ばしたのだ。


「————っ……」

「黙れ、触手生物」


それは純粋な殺気。

彼が“触手生物”と聞いたその瞬間から発せられていたものだ。


「お前の言葉の全てに価値は無い。……いや、一つだけ有益な情報があったな。それだけ話せ。お前で最後・・・・・と言うのは事実か?」

「…………はい」





と、言うのを見ていた私は気が気じゃなかった。


どう考えてもアレは説得が無理なやつだ、過去に祖母も親も姉も妹もみんな苗床にされたとかそういう過去があってずっとずっと触手生物を憎み続け親衛隊のリーダーになったとかが容易に想像できる。

もうマジで殺される数秒前にしか見えないし避けないのか避けなかったのかわからないけどともかく、ウネちゃんは次の一太刀も受けることになるだろう。次は左腕?頭かもしれない。


とにもかくにも時間が無い。手を出すべきじゃない?手を出さずにはいられますか!

とはいえ人を傷つけるのをまずい、ここから一瞬で蒸発させることは容易でも絶対ウネちゃんの仕業ということになる、隷属さえも絶望的だ。今も絶望的とか言わない!

今ぱっと思いつくこと私がやれることはビームを撃つことぐらいだ、でも誰も傷つけちゃいけないとなると選択肢が————


「…………あ。」


だが閃いちゃうのが私なのです。いや、私が選べる選択肢が無いから逆にすぐ思いつく事と言いますか。

そして、マジですか私?それやっちゃう?本気で?ちゃんとできる?

うるさい私、やれるとしたらそれぐらいしかない、なら“焼け”くそってやつなんです。


すぁ、はぁ。


ひとつ深呼吸。

覚悟を決めて……顔に手をかざす・・・・・・・





………………………………。





隊長と、触手生物。

それらの会話は……轟音により中断される。


「え……!?」

「っ……!?」


音の元はウネよりも後ろ。

まるで砲弾でも落とされたよう……舗装された地面を砕き、辺りに破片を撒き散らし、土煙を立ち上らせる。

だが、その煙は“光”によって吹き飛ぶ。

爆心地にたたずむ、その人のような何かは……まさしく、“光”だった。


「……なんだ、あれは」

「触手生物……なのか?」

「違う、知らない、あんなものは……」


『触手、生物?違う、違うわね』


“光”から声。

徐々に、眩い光が薄れ、その姿が明らかになっていく。

それは、輝くドレスを身に纏い、手には紅く光を放つ鞭。

そして、その顔は……醜く焼け焦げ、爛れていた。

その名は。


『ワタシは……救世の魔女!カーディナル!!』


カーディナル。高らかに名乗るその声は、喉も焼けているのか……酷く潰れた女性とは思えぬ声であった。


「カーディナル……だと?」

「……?」

『そう、ワタシはカーディナル。この世を光で浄化し、暗闇から救う者……』


受け答えこそするが、どこか“遠い”語り口にその場の全員が呆気に取られていたが……民衆の中の一人が急に声を上げた。


「……に、逃げろ!全員逃げろ!“それ”は……人間を滅ぼす存在だ!」

「滅ぼす……ってど、どういうこと?」

「古い文献で読んだんだよ!光と共に降り立つ、この世の均衡を保つ神の使いがいて……例えば、他種族を滅ぼす危険な種族を、少なくとも八割方消し飛ばすんだ!」

「他種族……触手生物!?お、俺は関係ないぞ!」

「馬鹿!ああいう手合いにそんな区別つくはずないでしょ!」

「触手生物は苗床にはしても殺しはしない……そんなのアリかよ、畜生!」


学者と思われる一人の発言をきっかけに民衆へパニックが広がっていく。


『あ?えーと……ごほっ、えほっ……ふぅ。——なんて傲慢なことなのでしょう……人間よ、ワタシの光にて……浄化されなさい!』


救世の魔女が紅い鞭を横薙ぎに振るう。

それ自体は誰にも届かなかったが、軌道に沿って周囲へ無数の白い光球が作られる。それらはすぐに震え、歪み出し……


「……!」


弾ける。その数瞬前に、人間達は見た。

触手生物……ウネが光に最も近い隊長を庇うように手を広げたのを。

同時に次々と地面を割り壁を形成する、大量の触手を。

光が弾ける。光線が放たれる。


「く、ぅ、うう……!」


隊長も、大衆も、眩い光で視界は塞がれていたが……何が起きてるかは理解していた。

草の焼ける音、匂い……少女の苦悶の声。

大衆へ向けられた“それら”は、全て触手が受け止めていた。


「お前は……何を、している」

「先程、言った通り……です!」

「…………人間への隷属・・・・・か?」


焼き切れそうな触手の前に、もう一つ。触手の層が立ち並ぶ。

もう一つ。もう一つ。

4重になった触手の壁が光を押しとどめ、人間達の視界が戻ってくる程度には光が収まる……つまり、触手生物が自分たちを守っているのを目の当たりにする事になる。

当然、ざわめく。触手生物は今まで完全に人類の敵だったのだ。


「この音……焼けてるのか?」

「あんなの浴びたら……」

「な、なんであいつは私たちを?」

「同士討ち……?でも、あの魔女って俺たちを狙ってるんだろ?」


動揺が走る間も触手は焼かれ続ける。

大衆も、兵士も、何をすべきなのか、何が敵なのかが分からず……立ち尽くすだけだった。

だが、隊長は。


「……構えろ!!触手を取り囲め!!」


その咆哮は全ての意識に割り込んで響いた。

正気に戻った兵士達が、すぐさま剣を抜き放ち、焼かれ続ける触手を円形に取り囲む。


「触手生物の言葉を信用する気はない。だが、今対処すべき脅威はアレだ」

「…………」


剣を握る籠手が軋む。

苦しげにうめき声を出すウネは、独り言のようなその声を痛みを堪えつつ聞いていた。


「アレを退けたら……お前をどうするか考えなくてはいけない。対話する触手生物など記録に存在しない。加えて、気がかりなことも言っていた」

「王はお前に興味を示すだろう。恐らく、すぐに焼却することはない。俺が今ここでお前を処分することがなければな」


隊長は構える。

全身に力を込め、今にもその剣を振おうとするように。


「……その言葉、行動で証明してみろ。この戦いにおいて、我々人間に傷一つ負わせるな」

「人間に隷属すると言うのならば、命を賭して守ってみせろ」


はっとしてウネが振り向いた時、隊長は既に“跳んで”いた。


「斬り込む!邪魔な触手は斬り捨てろ!……続け!!!」


触手の壁を越え、視界に捉えたのは魔女カーディナル。

彼女が影に気付き顔を上げた瞬間、既に剣が目と鼻の先まで迫っていた。


『!ちぃっ』


身を翻したカーディナル、紙一重で剣をかわすが、光の放射が収まる。

投擲された剣が地面へ突き刺さると同時に触手が地面に引っ込み、兵士たちは各々の武器を構え突撃する。


『っ、無駄よ!光の速さには何者も————』

「ふん!!」


飛び込んだ隊長は、すぐさま剣を引き抜き、そのまま襲いかかる鞭を切り裂く。

こちらもまた閃光の如き鋭さだった。


『——こいつ…!』


一瞬で生成された鞭も、手のひらから放たれようとする光も、剣閃が片っ端から切り裂く。

隊長は魔女に何もさせなかった。……しかし、攻撃を潰すことがまた限界でもあった。

人外のような身体能力と、人外。いつかは差が生じる……


『ぐっ…?』


その前に、ウネは行動を起こしていた。

鞭を振るうはずの右腕は触手に掴まれ、鞭自身も複数の触手が絡み取り動きを封じていた。

無論、白煙を上げながら。


「ぐっ、うう、うううう」

『何故、何故邪魔をする触手生物!この人間達はお前を滅ぼす存在だというのに!』


左手を翳そうとするが、それもまとめて触手が覆ってしまう。

致命的な隙。それを逃すわけもなく……迷いなく魔女へ袈裟懸けに振われる。


『馬鹿なっ……!』


両断。隊長の一閃により、魔女は斬り裂かれた。


『…………本当に、馬鹿な生物』


しかし……魔女は笑う。

爛れた顔を歪ませたのだ。

見れば、傷口は光り、身体は揺らぎ……数瞬後には、元通りに塞がってしまった。


「不死身か……!」

『そう、ワタシは光。光そのもの。お前に光を滅ぼせるか……人間如きに!!』


隊長の視界が塞がる……白く。

反射的に目を瞑る。だがそれでどうにかなるわけではない。

隊長は光に包まれ……そして、影に覆われた。


「あ、ぐっ……」

『……だから、だからだからだからどうして!何をしているかわからないわけでもないだろう!』


ウネが兵士たちを追い越し駆けつけ、身体を変形させ触手の壁を作っていた。

隊長に向かって放たれる極太の光線は触手を塵にしていくが、触手もまたそれを上回る速度で再生していく。


『お前は人間に同胞を滅ぼされた!一人生き残り、何故隷属などしようとする!』

「…………っ……」

『人間が憎くないのか?恨みはないのか?復讐しようという気はないのか?今すぐその目の前の人間を』

「……だあまれぇ!!!恨みが無いだと?無いわけがないだろう!」


ウネは、吼えた。


「人間は怨敵だ!我々を根絶やしにしかかった!無慈悲にも全てを焼き尽くした!我に変形の才が無かったら逃げ切れもしなかった!」

「ああ、考えたとも!どうやって奴らを苗床にするか!一人残らず種子を植え付け一族の復興の礎にしてやろうかと思案した!……だが、忘れてはならない。我々は既に敗北した」


一度剣を構えかけた隊長が、その手を降ろす。


「う、ぐ……次こそは?……次は敗北しないという根拠は?次の敗北でまた誰かが生き残る保証は?……我々は、途絶えるわけにはいかない。生き残る可能性が高いならば、我々はそちらを選ばなければ…ならない。種の、繁栄……それが我々の、全てに優先する目的、なのだから。…………それに」


ウネは、光の奔流を防ぎつつ、振り返って隊長を見つめた。


「……“わたし”は、あなたに家族を殺されたわけじゃない。あれからもう何年も経っている……あの討伐隊の中に、あなたは居ない。他の兵士たちだって、この国のほとんどの人間だってそう。触手生物は滅んだ、その報告だけを聞いた人間ばかり」

「我々は人間を憎む。だけど、わたしはあなたを憎む理由が、まだ無い」


触手の壁に向き直り……一歩、進む。


『な…なんですって……!?』


「……我々は、人間を憎んでいる!だけど、わたしは、その怨嗟を飲み込もう!わたしは触手生物の女王!私の意思が、触手生物の意思と知れ!」

「わたしは、人間へ価値を示す!我々が生き残る、ために!与えた損害以上の利益をもたらすと、ここに約束しよう!!」


進む。進む。

焼かれつつも、命を削りつつも、ウネは押し進む。


『理解できない、理解できない、理解できない……ワタシは救世の魔女!ワタシの光は種を救う光のはず!なのに、こんな……そこを退け触手生物!ワタシが滅ぼすのはお前ではない!』

「ここで退かないことが、種の存続へ繋がる!」

『そんな未来は————!?』


魔女は自らの胸から突き出る槍を見た。

続いて、身体中から生えてくる剣、剣、槍。

兵士たちが追いつき、魔女を串刺しにしたのだ。


『——鬱陶しい!鬱陶しい!無駄だと言うことがわからないのか!!ワタシは光、ワタシは救世の魔女、ワタシは!』


光の放出をやめ、身体中が輝き出す。

全方位へ光線を放つつもりなことがわかった。だが、兵士たちは武器を握る手を緩めなかった。恐怖もなかった。


光を遮る影が自分たちにかかっていたのだ。


『…………っ』

顔は避けていたな・・・・・・・・、お前」


触手壁を踏み締め、跳んだ隊長。

剣の切っ先は、真っ直ぐ、顔面。


『ぐ、ぅううううううう!!!!』


顔面から放たれる光線は自らを見下ろす人間を滅ぼしにかかる。

だがそれさえも、触手に覆われる。

焼ける。焼ける。それでも触手は魔女を覆い、光を押し留め、その熱量を一身に受け止め…………


鋼は、触手を貫いた。



『…………』


触手に巻きつかれ、剣に貫かれ、もはや見る影もない魔女は、無言でたたずむ。

兵士たちも武器から手を離し、それを少し離れて見つめていた。


『…………それが、選択だと言うのならば』


『良いでしょう。今回は、ワタシは退いてあげる』


粒子状の光が立ち上っていく。


『触手生物よ。精々それで生き残ってみるがいい』

『人間よ。次は無い、種を滅ぼすと言うのならばワタシは再び現れる』



————この世に救世の光をもたらすことのないようにね。



そして一際光が強くなった後には、何も残されていなかった。

砕けた地面も、焼けた触手も、全てが、元通りになっていた。

幻覚のように。





………………………………。





実際幻覚なんですけどね。


透明なまま空に浮かび上がって、ある程度の距離で一息。

やり切った。なんかやり切った。やり切ってしまった。いやほんとに大丈夫なのこれ?というか誰あの人めっっっちゃ怖かった土壇場で幻覚光線とかやるんじゃないよワタシ待って待って言動とか色々思い出してきたああああこれって黒歴史ってやつよね絶対そうよねついにやっちゃった私あーあーあー!!!!


距離があるとはいえ万が一叫んで怪しまれたらまずいので声には出さないけど、この世界を焼き払いたいぐらいビーム撃ちたい気分!空中で捻れてます私!私は今4種ぐらいのゲーム機のコードの集合体よ!解いてみなさい助けて誰か!!


「っはーーーーー………………はっはっはーーー…………」

「…………はははは……」


いやあ……笑えてきますね、もうなんか、うん。

だけどいつまでもこうしてるわけにもいかない。私の目的はまだ果たされたわけではないのだから。

深呼吸しつつ、私は降りていく。


私がしたことの結果を見に行こう。




………………………………。




ウネちゃんは、殺されていなかった。

透明なままするりするりと兵士の後をついていくと、地下の牢獄へ到達した。

その中にウネちゃんは幽閉されていた。それはもう厳重に、鎖という鎖で巻かれ、監視も3人が同時に見張っているといった具合で。


死んでいないだけマシとは言える……かな。それをウネちゃんは嫌がりもせず受け入れてるようだった。

成功、したのだろうか……そう思っていると、隊長さんがやってきた。

監視たちを外へ出させ、一対一で話し始める。……私も居るのだけれどね。


「監視はいいのですか」

「構わん。……予想通り、王はお前を生かすそうだ。今のところはな」

「それは良かった。身を削った甲斐があるというものです。……何故か、傷は治ってしまいましたが。あれは魔女の慈悲でしょうか」


…………。


「知らん。……あの魔女のせいで、王がお前に興味を持ってしまった。お前が仕組んだことじゃあないだろうな?」

「いいえ、全く頼んだ覚えはありません。あれは魔女が勝手にやったことですとも。わたしとしても大きなイレギュラーでした」

「まぁ、いい。それよりも、お前が叫んでいたこと……あれは本当なのか?」

「はい。怨みも、嘆きも、覚悟も。衝動的ではあったものの、わたしの意思であり、最早わたししかいない我々の意思であることには変わりありません」

「……志はわかった。だが、魔女が来なかった場合どうするつもりだったんだ?」

「それはもう、何か言う前にすぐさまあなたに斬られていたでしょうね」

「冗談を言う触手生物なんて記録に存在しなかったな」

「うまくできているでしょう?練習した甲斐があるというものです」


ウネちゃんは……思っていたより余裕そうだった。

というか、すらすらと喋っている。私と初めて会った時はもう少し辿々しかったはず、だけれども?


「手は明かせない……というか、魔女が来なくともわたしは王に助けられていたでしょう。下準備こそあるものの、そのまま説き伏せるつもりでした」

「そんなものが通るものか。いくら王の意向と言えど市民がそれを許すはずがない」

「いいえ、許すのですよ。今回は無関係を装ってもらったままで終わりましたが、市民の約半分は既に懐柔してありますので」

「……なんだと?」


思わず声が出そうになった。

今、なんて?市民の約半分を、既に?


「触手は使っていませんよ。いえ、厳密に言うと人間へ直接は使っていません。……一人一人、じっくり、単純に信頼を得ていっただけのことですから。わたしは透明になれる、潜入することは容易だった」

「…………」

「個人を事前に評価し、ある時は捨て子を装って、ある時は不思議な生物を装って。ある時はイマジナリーフレンドを装って、ある時は何も装わず。地道に、愚直に、だけどだからこそ信頼は根付く」

「当然、王がそういう人・・・・・だからわたしはこの時代に決行したのです。我々は滅びるわけにはいかない、だが人間は害さない。だからわたしはこの方法をとった」

「仮に、思惑と違い決裂した時は」

「その時は逃げます。実のところ、ずっと地面に触手を根っこのように張り巡らせていました。万が一の場合は視界を奪いつつ跳んで逃げます。迷彩も併用すればまず逃げられるでしょう。あの魔女の光をすぐさま防げたのは備えが予想外な形で生きたと言った所ですね」


…………なんと、いうか。


言葉が出ない。さっきとは逆に。

この子は、人類の敵ではない。だけど、確実に人間ではない。

触手生物なんだ。


「この場でわたし斬るべきか、迷っていますか?だけどわたしは、服従の証として洗いざらい話しています。協力する意思も、奴隷となる意思も、全てが本物です。……だから、迷っていますね?」


隊長さんもまた、言葉を失ってしまっている。


「拘束をちぎり襲いかかってきたので辛くも触手生物を討伐した……そんな風に言えばわたしを殺せてしまうのに。優しい人ですね、あなたは」

「……違う。まだ……疑問が残っているだけだ」

「なんでしょう」

「俺に斬り殺されるとは思わなかったのか。……俺なら、お前が逃げ出そうとする瞬間に斬り捨てられる。それも把握済みなんだろう」

「そうですね」

「なにか策があるんだろう?言ってみろ、俺がお前を殺さない保証がどこにある」

「それはあなたがあなただからだよ、ウネ」


そう言うと、ウネちゃんが人差し指で隊長さんを指すと。

隊長さんが、伸びた・・・

……伸び、た?

伸びた?


「は」

「わたしは様々な幸運に助けられてここにいる。我々を存続できる。その最たるものが、あなたの存在だよ」


隊長さんは……伸びて、手足が、触手に、変わって。


「あの、殲滅戦の時。逃げ出すその時には既に、わたしは人間と共存する道を選んでいた。わたしはまず人間に見つからないように透明になって……なおかつ、“わたし”をちぎって去り際にあなたを置いた。赤ん坊へ変形させたあなたを」

「な、あ?」

「人間たちは見事にそれを拾い上げ、人と思って育てた。……土壇場だというのに本当にうまくいったものだよ。赤ん坊は人間としてすくすく成長した。きっと我々の危機に際して新たな進化をしたんだろうね。ねぇウネ・・。あなたはもう触手生物とは言えない存在、最早人間なんだよ」


変形していた身体が収縮して、人の姿に。

戻ってしまった。


「わたしの一部な以上、こうして弄ることはできるけれど。身体の構造、機能、それはもはやすっかり人間になっている。そもそも、あなたの意識が完全に自分を人間と認識している」

「これが、策なのか、これが」

「ああ、そうそう。もしあなたに殺されそうになっても、あなたはわたしを殺せないからね。そんなことよりも聞いて、あなたはわたしでありつつ人間の身体を獲得した。これは我々にとって重要な要素なの」

「我々の弱点は生殖が自分達ではできない点だった。他種属の子宮を借りなければならなかった。人間は愚かほとんどの生物と比べて劣っている点だったし、そもそもそれが人間との争いのきっかけだった……だけど、あなたの存在はその弱点を克服する要素になる!」

「待ってくれ……理解が、追いつかない」

「いいえ、待つ必要は無い!単純明快、あなたには人間の生殖機能が備わっているはず!そしてわたしのこの身体もまた、まだ実験的段階とはいえ人間のメス側の機能を実装してある。わかるでしょう、この素晴らしさが!」


「我々は、我々だけで数を増やせるかもしれない!」


興奮した様子のウネちゃんは、一度、大きく息を吸って吐いて、続ける。

私も、きっと隊長さんも、正直何も理解が追いついていない。

追いついていないけれど……何か、とんでもないことをしでかしてしまったかのような、そんな気分になっているけど。


「…………という、わけです。だけどあなたはもう人間。わたしから干渉しない限り、触手になることもないでしょう」

「…………」

「包み隠さず王へ伝えても構いませんよ。念のため言うと、あなたを洗脳などもしていません。あなたの思考はそのまま一人の人間としての思考なことは既に確認していますから」

「…………これだけは、確認したい」

「はい、なんでしょう」

「人間を害する気は、本当に無いのか……?」

「もちろん。今回の敗北で我々は思い知ったのです。いくら手を重ねようとも、まともにやりあっては人間が最終的に勝利すると。人間に迷惑をかけず、なおかつ利益をもたらす形で、我々は増殖する」

「そう、か」


ふらつく足取りで隊長さんが去っていく。


「もういいのですか?」

「……また、後日にする……」


無理もない、と思う。

とんでもない話しか出てこなかったもの……聞いてるだけの私だってくらくらするもの。

安否は確認できたし、私も続いて出よう。

手を引っ張られた。……えっ?


振り向くと、格子の向こうから伸ばされた触手が私の右手を掴んでいて。

後ろの方で扉が閉まる音。取り残された。

いやでも、それより。


「触手生物は元々視覚以外で世界を認識していたんだよ、ミオ。例えば、熱感知とかね」

「……ずっと気づいてたの」

「追いかけてくる所から。辿々しい話し方でそう誘導したのはわたしだけれども」

「あれも演技だったのね……」


引っ張られたので、改めて姿を現して、ウネちゃんの目の前へ。


「なにかの助けになるかもしれないと思って、追いかけてくるよう仕向けた。それはそうだけど……まさか、あんなことをするなんて」

「あのままじゃあなたが殺されちゃうって思って……咄嗟にやっちゃったわ。幻覚とは言え熱かったでしょう。ごめんなさい」

「ううん、お陰でかなり楽ができた。当初の予定よりも国のわたしへの不信感はずっと低い。懐柔したみんなも温存できた。ありがとう」

「迷惑にならなかったのならよかったわ……」


どちらにしろきっと、ウネちゃんはここに囚われる段階にまでこぎつけていたのだろう。

私のしたことは無駄だったか?というと、それは違う。

ショートカットってやつ、だよね。いずれくる運命を早めに引き寄せただけ……どこかで聞いた話ね。


「もうしてもらうことはない。更に言うと、助けてもらって申し訳ないけどしてあげられることもない」

「それは、いいの。結局手を出すことを選んだのは私なのだから」

「そう言ってくれると助かるよ。……ミオはこれから、またどこかへ行くの?」

「そうね……なんだかんだ長居しちゃったし、ここらがちょうどいいのかも」


きっとこれから先、ウネちゃんは触手生物を大量に増やしていくのだろう。

ハーフとかも生まれてしまうのかしら。わからないけれど……忘れてはならない。ここは私のいるべき世界じゃない。

忘れてはならないと言いつつすっかり忘れてたけど、長居は無用なのだ。


「そう。ならば、良い旅をミオ。どうかなすべきことをなせられるよう」

「ありがとう、ウネちゃん。良い未来を」


そう言って……どう出よう?と思った時、頭に幻覚中のワタシの身体が浮かんだ。

光になっていなかったっけ。そう、そう……実束のように、身体を光にして……

扉の隙間を不可視の光が通り抜け、窓を見つけると一気に外へ。



真上へ飛ぶ。なんだかこの数時間でできることが広がった気がする。今まではロケットのように光を放って飛んでいたものを、今は自然に飛べてしまっている。

地面が一気に遠ざかり、雲を突き抜け、その先の何かわからない空間へ。飛んでいれば“泡”の外へ出れるのだろう。




……改めて、ウネちゃんの話を思い返す。

執念と言えばいいのか。時間がある分、どこまでも手間をかけて、調査して、あの状態に至った。目的を達成する足掛かりを得たんだ。


正直、圧倒された。

素直に私にはできないと思った……だって私は枳実房。

『不明晰夢』の中では常識人枠。最後の最後に文字通り輝いたものの、結局やれることに限りがある。

ただの人に突飛なことはできないのよ。


それこそ初期はシスコンキャラで、姉キャラで売り出すつもりだったのに気がついたら一般人の枠に収まってしまって……


……ざり、ざり、する?

なにかしら、この感覚は。思考にノイズがかかる。

私は、枳実房。そう、私は枳実房で……


うるさい、うるさい、雑音が思考を埋め尽くしてる。私は枳実房、間違っていないでしょう?どうしてそう自覚するほどに雑音は酷くなる?


私は、枳実房。私は、枳実房。

私の名前は枳実房。私は姉で、実束が大好きで……最初、汐里ちゃんを敵視していて。

間違ってないでしょ?敵視していたし、当然、私は睦月汐里じゃない


あっ






………………………………



………………………………………………






「……ん?」

「どしたの汐里」

「えっと……実房さんが外の泡に突っ込んだから視界を注視してたんだけど……急に映像ノイズが走って、なんというか……実房さんがわからなくなったというか」

「お姉ちゃんが?」

「うん、追えなくなっちゃった。“みんな”は私だから接続されてるはずなのに。……いや、接続自体は切れてない、けど、すごくわかりにくいというか……」

「様子見に行った方がいい?……あれ、でも見ようとすれば見れるんだよね?」

「一応見えることは見えるだろうけど……ううーん、これを無理やり見ようとすると、実房さんってキャラクターが私の認識で歪められちゃうかもしれないし……ちょっと気になるけど、ほっとこうかなあ」

「そう?……汐里がそういうなら、ほっとこうか」

「うんうん、変化はきっといいことだし」

「お姉ちゃんも私みたいに独立してたりして」

「独立はしてないよ、それに近い状態ってだけで」



こたつの中で談笑しながら。

日常が過ぎる。


わりとハプニング自体は多いから、こうして実束が無意識に攻撃に対して鉄の壁をいきなり生やしても、私は特に驚くこともなかった。



でも今回は違った。


あたりは光に包まれた。

眩しさで思わず目を瞑る。その光の中、誰かが私を……守った。

目を開けると、実束が鉄盾の腕でそれを受け止めてくれていた。

それ、とは。

光。ビームともレーザーとも言える、とにかく光。

攻撃性を隠しもしない光。


「いきなりこんなの撃ってくるなんて、全然キャラじゃない……ねぇ、どうしたの?」

「お姉ちゃん!」



光を弾いた先、姿を現したのは、たしかに実房さんだった。

ただし、服装はいつもの制服ではなく見るも眩しい輝くドレス。

顔は……普通。カーディナルじゃない。実房さんだ。


「どうしたの、ですか。なら簡潔に答えるわね、実束……ううん、汐里ちゃん」


指が————向けられた。


「私、あなたを殺しにきたのよ」



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