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「おはよう」


狐「おはようって程の時間でもないだろう既に時間は15時くらいを過ぎ……ん、おや、おやおやおおやおやおやおやおやおやおやおややややおやおやおおおやおやおやおやおや、少しぶりと思ったら随分と晴れやかな顔じゃないか。どったの?気持ちよく殺してきた?」


「気持ちよく殺してきたよ。後腐れなく、すっきりと」


「かなり冗談だったんだがえ、いやマジで?あの、大丈夫?」


「面を外してまで心配しなくていいよ。本当に大丈夫だから。……ちゃんと伝えて、理解してもらって、その上でだから」


「……そう、なるほど、そこまで。そっかそっか」


いつものように狐面を被って、思わず飛び降りたであろう机にいつものように座り直して。


狐「なればいつも通り普段通りにやらせてもらおう。今日は何の話にしようか」


「ねぇ、あなたって優しいでしょ?」




————まずは、先制攻撃。




さて、果たして効果のほどは、というと。


狐「…………」


固まった。


狐「いやいきなり何を言うかお前さんは」


すぐ動き出した。


「いい加減演技も疲れたでしょ、もっと力抜いていいんだよ」

狐「おいおいおーい?この前とは違った方向で頭がどうかした感じ?」

「というかいわゆるツンデレだよねあなたって」


瞬きする間さえない、ほんの一瞬。

私の頭へ鞘が叩き込まれ……ない。


「……いつもみたいに殺さないの?」

狐「……まだ話は終わってない、から、ね、」


ほぼ当たってるような距離だけど、当たってない。

ほんの数ミリ?何であれ鞘は直前で止められている。


「律儀だね」

狐「1万と9千ほど前の日に言ったろう?僕はあくまでも拒絶の代弁者としてここにいるんだ。私情は挟まない」

「私情だったんだ」

狐「挟まないからな」


数歩後ろに下がると共に、真後ろの床に鞘を突き刺してそれに寄りかかった。

そして腕を組みつつ、


狐「挟まないからな」

「ちょっとぐらい挟んでも」

狐「はーさーまーなーい」

「じゃあ、いつもの無駄話は?」

狐「ありゃ拒絶の一環さ。苦痛だったろう?ゲームオーバーからのリトライの度に数十分数時間のスキップ不可ムービーが流れるが如く」

「んー、たしかに暇だったけど、もう慣れっこだったし後半はもう何も感じなくなってたかなぁ」

狐「……さいですか。ならもう意味はない、無駄話はスキップだ。僕もいい加減ネタ尽きてきてたし。全知全能っぽい性能をしてるとはいえできることには限りがある。僕が一つ上の次元に囚われている限りはね。どうあがいても製作者の脳を上回ることは無い。好き勝手できるのは製作者から見て一つ下の次元の中だけの話だ。結局は内輪ネタの巣窟、ひとりぼっちの人形劇ってわけだよ。ひとりぼっちの方が色々都合いいんだが。むしろひとりぼっちの方がいいぞ?多人数で動かすなんかやめた方がいい、うちの人らを扱うのならね。何処かの世界に放り込んだ時にはもう滅茶苦茶ってもんだよ、みんなみんな僕と違って遠慮とか自重とかそこらを全くしようとしない。その世界のことわりをいとも簡単に捻じ曲げる。少なくともうちの人らは」

「つまり、コラボするだけの技量が足りてないって事だよね」

狐「そうそ…………あれ?」


狐面を被ってはいるけれど、きょとんとした表情が容易に頭に浮かんだ。


狐「今内容を理解して返答した?まさか。いやまさか」

汐里しおりが書いてるみたいな創作の話でしょ。えー……要は、あなたはキャラクターで、なんでもできるけど。それは二次元だけの話で。ひとりぼっちの人形劇は、要は個人で作ってるお話のことで。二人以上でやると、汐里のキャラクター達は個人が強すぎて他人様の創作を滅茶苦茶にしちゃうと」

「合ってる?」

「……いや大体合ってますが、いや、非常に困るのだが。その反応は予想してないし準備してないんだけど」

「また狐面外れてるよ」

「外したんですよ調子狂うなぁもう!待て待て待て待て」


そう言いつつ、狐面(狐面してないけど)は教室の外に出て行ってしまった。

私はその場で鉄椅子に座って、そのまま数分。

狐面(狐面してる)がすぱーんと扉を開けて入ってきた。


狐「やぁどうも僕だよ」

「あなただね」

狐「今回からメニューを変更だ。即刻僕はお前さんに襲いかかるとする」

「さっきスキップするとか言ってたしね」

狐「そしてその様子だともう殺されるのとかも平気なんだろう?無駄は省く。もう殺さんでもいいようにしよう。じゃあ早速始めようかそうしよう」


これ以上ペースを乱されないように、かな。

なら一応目的は達成・・・・・だ。


狐面はいつも通りの位置に立ち、刀に手をかける。

私はいつも通りの位置に立ち、その場に佇む。


息を細く、長く吐く。

心の余裕は?

ある。いける気がする。

相手の余裕は?

崩せた、と思う。少なくともいつもの調子ではない。

なら……いける?


自問。

汐里との相談の記憶を、もう一度思い返す。




………………………………。




「その狐だけど、私知ってるかも」

「えっ?」


汐里の口からとんでもない言葉が出てきた。


「もちろん会ったことはないよ会ったとしたら私吐く。……そのね、夢の中で、実束みつかが言ったような人がいたからさ」

「夢、って……覚えてるの?」

「全部覚えてるよ。多分、実束が相手にしているこの狐と同じ。青い服に狐面に刀。刀の刃が無かったりしなかった?」

「それは、ふつうにあった」

「じゃあ設定がちょっと変わってるのか、でも遠距離から普通に切ってきたりしてるし似たようなものかもね。斬りたいものを斬れるって所は変わらないかも」


汐里の指がまた高速で動き出した。


「となると受けるのは基本的にアウト、少なくとも盾じゃなくて身代わりとかそっち系になるね。あとは避けるしかない。とはいえ振る速度もチート級だし……でも実束は何回か避けてる?手を抜いてるのかそれが限界なのか。手を抜いてるだろうね。……そもそもなんでそんなことをしているかって所だよね」

「…………」


気がつくと汐里は一人で喋り出していた。

私が出来そうなことはなさげかな、と思った矢先、くいっと顔がこちらに向けられる。


「……これだけ先に言っておくね。これは感覚だけど……狐でもなんでも、その他の人でも。その他の人ってまぁ、私の作ったみんなとか……そういう人たち。そういう人たちと戦う時は……」


真剣な顔から、汐里は柔らかい笑顔に表情を変えて。

こう言い放った。


「勝てる、って疑わずに信じてる方が勝つ。更に言うなら、ノリに乗ってる方が、勝つ」



………………………………。



「……いけるよ」


ここにはいない汐里へ、小さく呟く。

それが聞こえたか、聞こえてないか————同時に、狐の刀が抜き放たれた。



初撃。

両断された鉄の鎧の足元から飛び出す。

最初に避けた時と同じ動きだ。


そのまま低姿勢のまま前へ駆ける。

当然二撃目までは間に合わない。だけどここの攻略法ももちろん知ってる。

身体から私そっくりの鉄の鎧だけを跳躍させれば。


二撃目。

斬撃は鎧を切り裂く。その間に私は刀本来の射程範囲に入る。

そこから手を伸ばして————


三撃目。

“鉄”である刀の攻撃は私には効かない。

刀は私に触れた瞬間に私の支配下に置かれる。ひん曲がって、狐自身を襲う……けれど、それは鞘に弾かれる……

……この先だ。


この先、私は様々な事を試した。


鞘の射程に入らない。

射程外から攻撃しても全て鞘に弾かれるし、別の刀をいつの間にか持っている。

鉄の鎧の性質を調整して受けにかかる。

粘土のような性質、ゼラチン、ひたすら硬く、さっきみたいに鎧を囮にする……どれもことごとく失敗した。質量による攻撃にはどれも無意味だ。弾き飛ばされてとどめを刺される。

そもそも鞘で攻撃させない。

別のルートでの攻略ももちろん試した。刀を無効化する方法ではなく、別のルート……それもどれもこれも行き詰まる。

避ける。

これこそ無理だ。圧倒的に速度が足りないんだ。どうあがいても、私が人間である限りあれは避けられはしない。


その次、その次、と。

やったけれども、そのどれもが行き詰まり。どの道が正しいかもわからない。

そんなことをずっと続けていた。


でも。


ここ・・だ。


ここ・・が、変化。


ここ・・が、転換点だ!



狐「う……お———————?」



音が引き延ばされる。


全てが遅延する。


その中で私は、普通に動く。

動……


「うわっ」


鞘が割と素早く振られるのを、私はなんとか避けた。

見えない程早いのは身に染みてわかってた、けれども“この速度”の時でもここまで速いなんて。


狐「お前それ、常の」


更に引き延ばされるはずの声が普通に聞こえてきた。それに突っ込みはもうしないけれど……なんで、あれ!

私は、鞘の一撃を避けた!


全く新しいルート……そして、ここからなら、この速度なら!

指令を送って、“身体”を動かす。脳からの電気信号の伝達には最低でもーとか、そんなものはもう私には関係ない。

それは普通の人間の話・・・・・・・・・・


振られた鞘が戻る前に、届かなかった前へ突き進む。

右腕を鉄の剣にして、まだ鞘を構えられていない狐へ振るう。

間に合え。間に合え。間に合え。

いや……間に合う!

迷いを振り切る。鉄の剣は、右腕は、狐へ届


狐「そい」




斬り裂かれた。




右腕が、肩ごと。




狐の右手は鞘を持ったまま。


狐の左手には、新しい刀が握られていた。


周囲の速度が元に戻る。厳密に言うなら、私が速くなくなった。

時間切れだ。


狐「……正直色々びっくりしたけれど。かなりの健闘とおも、う…………」


私は。


笑っていた。


狐が私の腕の、“綺麗な”断面を見ているのを見て、笑っていた。


狐「………………そこまで、する?」

「するよ」


攻撃は通らなかった?いいや、ちゃんと届いた。

右腕は囮。

本命は足。足から伸ばした鉄は狐へ到達している。

足は雁字搦めに捕らえてある。いくら速くてもこれなら動けないし……いつでも串刺しにできる。


1つ。胸を貫く。


追加で2の3の456。


念入りに四肢も頭も全て鉄の槍が串刺した。


「一回、あなたを殺せばいいんだよね?」

狐「……まぁ、そう言ったしね。だけどここで悲しいお知らせだよ、見ての通り僕はこれじゃあ死な

「知ってるよ。私、あなたをこうして刺したことあるし」

狐「…………あ、そういえば」


初めて会った時……汐里が死んで、紡が出てきた後の時の事だ。

軽いノリでどうせ死なないと思って刺したことを汐里との会議中に思い出したのだった。

だから、狐は殺しても死なない。それはわかっていた。


狐「じゃ、なんでこんなに刺したん?」

「恨みつらみ」

狐「私情か!」

「私情だよ、これ以上なく。今こうしてるのだって全部私情。これは我を通す言い合いの代わりなんでしょ?なら、好きなように私は動く」

狐「……はぁ、で、どうするのさ?殺しても僕は死なないぞ?」


串刺しにされつつもはやそのままリラックスしてくつろいでいるような狐に向かって、私は自前で鉄の椅子に座って……さぁ、語り出そう。


「まずあなたってやっぱりツンデレだよね」

狐「ほへ?」


気の抜けた声が狐面から聞こえた。


「素直じゃないっていうか。いちいちわかりにくくしようとしてるっていうか。とんちきな言動で誤魔化してるよね」

狐「ヘイヘイヘイヘイヘイ、いきなりお前さんは何を語り出してるんだ」

「最初に会った時もそう。何も質問に答えないと言いつつもたくさん答えてたし。ほんとに喋る手紙として来たは来たんだろうけど、明らかにこれは業務外。ばっちし私情挟んでる」

狐「実は質問に答えるまでが業務の内に」

「あとさ」

狐「無視ときたか!」

「無駄話。それはもうたくさん聞いてきたけれど、中には普通にアドバイスしてるものもあったよね。煽り?煽りにしてはちょっとパワーが足りないよ、ただの励ましになっちゃってる」

狐「そ」

「というか、そもそも」


狐は黙った。


「この、私とあなたの戦い。これがおかしいんだ」

「私とあなたが戦って、殺した方が勝ち?ううん、あなたが私を殺してもあなたは勝ちじゃない。あなたは、私が諦めれば勝ち……だけど、私には無限の時間が与えられてる。その時点で、私がいつかあなたを倒すのは決まってる」


今こうして、死ぬのなら確実に殺せているように。

途中で挫けても、時間が解決する。どれだけかかっても時間が解決する。

汐里と相談するだけでここまで先に進めるのだとしたら、もっと早くに今へ到達していたかもしれない。

何であれいずれ私は、ここに辿り着く。

戦いが始まったあの日から、それは決定していた。


「これは勝負じゃない。どちらかと言うなら……まるで、私をここまで強くする・・・・・・・・・・修行みたい」


切断された右腕、をにょきっと生やす。

痛みは無い。再現することもできるだろうけど、今回は邪魔だからしてない。


「最初からそれが目的だったんでしょう?条件が対等どころか逆にあなたにとって不利。チャンスを与えるにしろ、一回駄目ならもうみんなと同じようにループを自覚しなくなるようにすれば良かったのに。できないわけではないでしょ、あなたなら」

狐「……そろそろ抜いてくれないかなこれ、結構心地悪くてさこれ」

「ループについてもそう。何で私だけループから外れちゃってたのかわからなかったけれど……やったの、あなたでしょ?考えてみたらそのくらいしか心当たりが無かったよ」

狐「だって自分の身体を異物が貫通してるんだぜ?心地いい訳がない」

「何で私を選んだかはわからない。けれど、あなたは私をループから外して、この修行・・に誘導して、そして鍛えた。……何か目的があるからだ」

狐「気を抜くと死ぬかもしれないよこれは。想像が現実になるのなら普通なら死んでるっぽいこの状況は僕の意識一つで死ぬ死なないの境目に」

「……でも、辛かったでしょ」


誤魔化すように違う話を語り続ける狐が、ぴたりと停止した。


「狐面を被ってる時は言葉に嘘が混じってる可能性がある。狐面を外してる時は、言葉に嘘は混ざっていない。……今日会った時、心配してくれたよね。本気で。そんな心があるのなら、殺すも殺させるも平気なはずないよ。でもそれも何かの目的の為に、狐面で隠して、トンチキな言動で誤魔化して、悟られないように抑え込んで」


「もうわかってるから、大丈夫。もう強いから、大丈夫。無理はやめていいんだよ。楽になっても————」


狐「もーっ!!!いい加減やめてよ実束お姉ちゃんったらぁ!!!!」


「ぃ、え、えぇぇ??」


完全に予想外の反応。というか声色?え、実束お姉ちゃん?

困惑する私の前で、叫んだ狐はぜはーぜはーと肩で息をしていたけれど……すぐに収まって、いつもの調子に戻って(狐面の裏で)口を開けた。


狐「……降参です負けです、続ける意志を殺されました・・・・・・。だからその、ギャグを一つ一つ解説するような心無い真似はもうやめてくれないですか」


めっちゃくちゃ疲れたような声だった。

その様子からもう大丈夫だろうと判断。鉄の槍は消滅させて、とりあえず手足は自由にした。

まだ狐の身体から鉄は取らないけど。


狐「一応の警戒、ね。うん、そのくらいはいいでしょう。仕方ない仕方ない。あぁ、あぁ、まさか汐里お母さん以外に素を見せる事になるとは……忘れようにも中々忘れられない記憶だぞこれこんな羞恥を受けるなんて流石に思いもしなかった確かに相応のリスクとかそういうのは予想してたけどこういう方向は全く考えてなかったといいますか」

「……あれ、素なんだ」

狐「あーあー聞こえない聞こえない僕には設定も何も無い為聴覚その他もありませんー。…………はぁ…」

「仕切り直す……?」

狐「そうする。キャラを再構築してくる。なのでお前さんも後から掘り返さないでね、お願いだから」

「んー……まぁ、考えておく」

狐「言わなきゃするつもりだったのだな、そういうことだなそれは」

「恨みつらみはまだまだあるからね」

狐「…………そりゃそうだ」


ふらり、くらりと狐は教室の外へ出て行き、扉が閉められた。


……一時の静寂。


椅子に座り直して、脱力して、息を吐く。

ふぅぅぅぅぅぅ。


「…………ちゃんとやれたよ、汐里」


届くはずもないとは思うけど。

“今日”を思い返すと、呟かずには、いられなかった。




………………………………。




会議は一日の時間だけじゃ終わらなかったから、必然的に日をまたぐ必要があった。

だけど、毎日私以外の全てはリセットされてしまう。

だから、私は話し合った事を記憶して、事情を説明して、毎度理解してもらって……少しずつ、少しずつ話を進めていくことになっている。



いつもは私の部屋で朝から会議を始める。

だけど、今回は会議が目的じゃない。


朝、汐里を部屋に呼んで、今までを説明して、理解してもらって。

そして……一つのお願いをして。


いつもの時間。

いつもの教室。

……もう、眺めているだけで血まみれに見える気がしてしまう、けど。

私にはそんな風にも見えるこの教室に、私たちはいた。



「…………」


汐里は穏やかな顔をして私を見ている。

机を挟んで反対側に座っている私は、正直どんな顔をすればいいかさっぱりわからなかった。

どうしてそんな穏やかな顔でいられるんだろう。


「いつ、するの?」

「…………いつでも、いい……けど…」


今まで、同意を得たことはなかった。

何も思わせないように、何もわからないように、私が・・何も思わないように、一瞬で済ませてきた。

“事務的”に無理やりにでも押し込んできた。

だから……こうして、面と向かって……汐里を。


「…………」


……汐里を、殺す事なんて。なかった。


「……汐里は今、どんな事を思ってるの?」

「ん。んーと……我ながら、訳わかんないことしてるなぁとか」

「してるよ。すごくしてるよ。……本当に…」

「でも、こうしてって“私”が言ったんだよね。確かに私なら言うと思う」

「死ぬのは…!」

「すっっっごく怖い」


身を乗り出した私に、汐里は、笑ってそう答えてしまった。

だから。

なんで、それを笑って言えるの?


「そして、同時にわくわくしてる」

「……え…?」

「きっと痛いけど、苦しいけど、それはまぁ仕方ないとして。死ぬんだし。……実束からこの話をされた時、私はきっとこう考えたんだと思います。自分は、最期にどんな死に方をするんだろうって」


額に、ちょん、と指先が当たる。


「そう考えるとね、実束の為に死ねるって言うのは……今考えられる中で、一番良い死に方だと思えた。自分の死が無駄にならないって明確な理由が目の前に出された。……そう思うとわくわくして」

「嘘、だったら」

「嘘じゃないのは流石にわかる。でも本当って信じられない。だから空想の話として私は理解してる。ねぇ、夢みたいな話を信じて死ぬのって、そんなに馬鹿らしいことかな」


指が離れて……両方のほっぺを掴まれて。


「ふへ」


引っ張られた。


「要するに。私は今、夢心地なんです」

ふぉるぃ


ぐにぐにとほっぺが汐里に弄ばれる。


「頭がふわふわして、陽気で、楽しくて、心が踊って、暖かくて、ぼんやりして、未来も過去も曖昧で、何かの台本を読み上げるように、誰かを演じるように、何もかもがどうとでもなるように。……とにかく、楽しい」


手が離された。

ぽかんとするしかない私とは対照的に。

汐里は堪らないといった様子で椅子から立ち上がって、両手を広げて私に向かって、叫ぶ。


「そんな状態で!希望に溢れたこの状態で、しかも大好きな人の為に死ねるなんて!そんな終わりエンディング、私にとっては幸せでしかない!!だから!」

「……だから、どうぞ、殺してください。最高の終わりを迎えさせてください。実束、私は今、幸せだから」


…………。


幸せ。

その言葉を聞いた瞬間に、胸に色んなものが込み上げてきた。


最初からこうしてれば、沢山の汐里が、幸せに死んでいったのだろうか。

後悔だ。後悔が後から後から私を縛り付けて、無力へ引きずり込もうとする。

だけど、それを振り払って、私は椅子から立ち上がる。


なにかおかしいのは百も承知。

こんな状況、異常に決まってる。

私も。

汐里も。

この世界も。

全部全部おかしい。


まるで、夢みたいだ。


「ありがとう」

「こちらこそありがとう、です」


何に対する感謝?

受け入れてくれた事?

幸せ、って言ってくれた事?

まぁ、それもあるけど……自然と出てきた感謝、その源泉を考えると……多分。


汐里という存在に対して、ありがとう。


だと、思う。


右手に剣。

いつもは鉄の操作で斬る。

でも、今日は、自分の手で————


「……あ、実束。お願いがあります」

「?」

「最期にちゅーしよ?」

「ちゅっ……!?」


静まっていた感情が激しく動揺する。

ここで?このタイミングで?この雰囲気で?


「いやその、そういうシチュエーションに憧れてたというか興味があったというか。ほら、よくあるでしょ?そういうの。そういうのです」

「ある…けど……」

「ちゅーいや?」

「いや全く」

「でしょー?」

「……言われてみると、まぁ、うん、結構興味が……たしかに……?」


納得してきてしまう私がそこにいた。

私と汐里はそういう仲?違う。

ただの友達?違う。

じゃあ、なに?

……不明。


「ほら、ならほら!今でこそだよ実束!かもん!!」

「む、ムード……」

「このくらい陽気な方がいいんですー!さぁさぁちゅーみー!」

「…………」


ふと、知り合ったばかりの汐里を思い出す。

もはや見る影もないなぁ、と目の前の汐里を見てただただ思った。

夢心地な事もあるだろうけど……これが、素なんだろう。

ほんとは明るい子なんだ。


「……うん、うん。わかった。わかったから……目、つむって」

「はい!」

「元気がいい」

「わくわくでテンション上がってるからね!」

「……ふふ」


私も私で、知り合った頃と比べると大人しくなった……って、自分で言うことでもないけど。

ただ……立場が逆になったな、と。

そんな事を感じつつ、私も目を閉じて。


「——ん」

「…っ……」


……形容、しがたい。


いや、そのね。


ふわふわで、すごく、充足感があって。

幸せな心地。ただの唇の触れ合いなのに。

手とかで触れ合う事くらい沢山してるのに。

唇ってだけで、こんなに幸せになるのか……そんな驚きも、心地よさに飲み込まれて。

離れる時の名残惜しさも、それもまたこの感覚の“良さ”を引き立てる……


「…………」

「…………」


……の、だけ、ど。


「………………」

「………………」


目を開けると、汐里もちょうど目を開けるところで。

見れば、顔が強張っていた。とか思ってる私も、実は抑えていて。


互いにそれがわかった瞬間、抑えられずに噴き出した。



『ぷふっ』



文字通り。噴き出した。


そこから私たちは笑った。とにかく笑った。

何故か?何故だろう。

だけどなんとなくはわかる。文字通り、おかしい・・・・からだ。


例えば筋肉隆々の男性がメイド服着てるみたいな。

箸を手に取ろうと思ってストローを掴んでしまうみたいな。


そんな些細でくだらないおかしな・・・・間違いをしてしまったかのような、そんな感覚。

だから笑いが込み上げてくる。

だから、私たちはきっとこう・・じゃないのだろう。


じゃあ、なんだろうね。


「曖昧で、ふふふっ、いいんだよ!そのままでいい!」


声に出てたのか、汐里が私の疑問に答える。


「今がいいんだもん!今のままがいい。夢を散らしちゃうのは、もったないないよ」

「…………そっか」


笑いも収まってきて、すっかり“今から汐里を殺す”なんて気分ではなくなった。

台無しである。


「……すっかり壊れちゃったね、雰囲気」

「汐里のせいでしょー」

「あははは。あ、ならさ。これから、私を殺す時には必ずちゅーするってどうですか」

「え」

「毎度毎度私を幸せにして。愉快な気持ちにさせて。……いいでしょ?」

「……仕方ないなぁ。うん、わかった。……だけど約束はしない」

「え、なんで?」


首を傾げる汐里に向かって、私は決意と共に言い放つ。


「今日で終わりにする」

「……なるほど。なら……うん、なら、是非とも約束しないで」


再び剣を右手に作り出す。

だけど、心は晴れやかだった。


お互いに、笑顔だった。


「頑張ってね、実束」

「うん。……またね、汐里」




………………………………。




狐「回想は終わったかい」

「ん。いつのまに」


目の前には狐面。

いつの間にか狐が戻ってきていた。いつもの調子は取り戻せたみたい。


狐「終わったっぽいね。ならもうこんな所には用は無い。さっさと下校だ」

「えーっと……あれ、私が勝ったんだから……ループを終わらせる方法……もとい、ループから抜け出す方法を教えてくれるんじゃ?」

狐「あぁ、教えるとも。だから早く行くよ」

「どこに」


扉を開けつつ、狐は面を外して、私に振り返って。

当然のように、こう言ったのだった。



「下校、って言っただろう?行くよ、汐里の家・・・・に」



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