二十二話 さようなら、今までのあなた






世界は今日も無色で味気なく何もかもが詰まらない。

それが現実。何も起こらない。それでいい。

現実はそうであるべきだ。

そうでなきゃ楽しみが無くなる。


……とか、考えていたっけな。

ため息は出ない。そんな気にもならない。

それでも私は歩いて、日常の歯車の通りに歩いて。


空を見る。

久しぶりに天気なんか気にしたな。

青空。どことなく憎たらしかった。

普段の私なら空なんか、上なんか見ない。

ずっと地面か目の前を見つめて、いや見つめないで、そっちに顔を向けてただただどうでもいい事を思考しながら歩いている。

けど今はいつも通りの事をする気にもならない。何も見るものもないから、何となく上を向いていた。何か見つめる対象を探している。

けれど空はただの青空で、特に何もない。

ないから前へ視線を戻す。

何もない。

何もない。


一昨日の夜から今に至るまでの事を私は覚えている。

そりゃそうだ。全部私自身の意思だったんだから。

気分を変えられていても。理性を取っ払れていても。行ったのは私の意識の中でのこと。

だから記憶が飛んでいたりとかそんなものは無い。

見たこと、聞いたこと、ちゃんと覚えてる。

覚えてる、からこそ。こんなにも気分が沈んでいる。

あの時私が語った心情は事実だ。操られてとかじゃない、本当に思っていること。

本当にずっと気になってた。本当にずっと興味があった。

だから、自分が置かれている状況を把握した時、チャンスだと思った。

その時の私の中でシミュレーションはちゃんと行われた。

その結果、「問題なし」と私は判断したんだ。オールグリーン。

今の私ならもちろんそんな判断はしない。

だって、シミュレーション通りに事が進めば。

実束みつかの目の前で刺すことになるもの。


本性、本音。

普段は隠しているもの、抑えているもの。

表に出さないようにしているのにはそれなりの訳がある。

誰でもそうだろうけど。人を殺してみたいとか誰でもちょっとは思うんじゃないかな。

だけど、散々抑圧されていたとしても、本音・・全て・・な筈がない。

私の中の欲求がそれだけな訳あるか。

その時だけ楽しいんじゃなくて、そんな刹那的な事じゃなくて、これから先の事も思って、自分以外の人……実束の事も考えて、取るべき行動を選んでいた。

私は一応人間のつもりだ。

獣じゃない。

だから、私はアレが全てじゃない。

一部分だけが表に曝け出された状態が、昨日の私だ。

…………だからと言って、してしまった事は変わらなくて、結局これは言い訳なんだけど。


そんな事をぐるぐる考えてる。

考えながら、歩いてる。

どこへ?

学校。

なんで?

学校があるから。

あんな事があったのに?

あんな事があったのに。

……自分でもなんで学校に足を運んでいるのかわからない。

休めばいいのに。教室には実束がいるでしょう。行ったら会ってしまうよ?

だというのに私の足は止まろうとしない。


なんでかよくわからないけど、じっとしている方が辛い気がした。






教室に入っても誰も私を気にしない。

いつも通りだ。

実束が教室の中にいるのは分かってた。

通学路を歩いている時からずっと気配を感じてたから。

いつもは迎えに来てたけど、今日は来てない。

自分の席に座る。実束はこっちを向かない。私が入ってきてるのは気づいてるはずなのに。


「…………」


何か口に出しそうになったけど、やめた。意味無い。

なんで来てしまったんだろう。そんな後悔が増幅していく。

机に突っ伏した。


世界が真っ暗になる。

窮屈で息苦しい世界の中で、私は今日初めてのため息をついた。

自分の息は机に当たって跳ね返って窮屈な世界の中でぐるぐる回ってその場にとどまった。

息苦しさが増した。






授業中は特に何も聞いていなかった。

自問を繰り返すばかり。自問自答じゃない、自問。

何も答えない。疑問を投げかけるばかりで何も帰ってきやしない。

ただ座っているだけ。

前の生活に戻ったみたいだった。実束と会う前の日常。

……なんて、嘘だ。

前はこんなに空虚な気持ちじゃなかった。こんな喪失感はなかった。

どうにかしたいけどどうしようもない。

方法が全然わからない。

ううん……いや、何?何をどうしたいの?

実束ならそこにいる。

喪失感の原因が実束なら話しかければいい。

会いたくない。それはなんで?

考えていなかった。

実束にはあの面は見せたくなかった。それはなんで?

考えていなかった。

考える必要もない事だから?そう、そう、そう感じていた。

けれど私はなんにも分かっていないじゃないか。

もやもやしている。放っておきたい。解消したい。

どれもこれも私のしたいことで、どれもこれも私。

その中で今するべき事はどれ?


「……。」


立ち上がろうと、した。

内側から外側に目を向けると、目の前に誰かがいた。

実束ではない。目の前の誰かからは何も感じない。

私の席の前に誰か立っている。その事実はクラス中の視線を集めるし、私も酷く驚いてる。

誰だろう、この人。億劫だけど顔を見上げてみる。誰かわからないから目線を前に戻した。


「ねぇ」


声をかけられた。すごいね。

顔を上げるか迷ったけど、頭の中でサイコロを振って顔を少しだけ上げることにした。


「暇でしょ。ちょっと付き合ってよ」


憎しみを感じたから、私はどうやら連れていかれるらしい。

抵抗するのもめんどくさかった。






適当な空き教室に連れ込まれた。

今時こういう事する人いるんだね。びっくり。

でも一体何の用だろう。


「あんた、実束に何したの?」


開口一番、実束の話。

なんだろ、それ。


「とぼけるな!!昨日から実束の様子がおかしいのよ!」


昨日から。そういえば私昨日学校休んだことになってるんだよね。

じゃあ学校に私が居なかったと。そして実束の様子もおかしいと。


「というか、あんた実束と何してるの?知ってるわよ、実束があんたと関わってから変になった!」

「部活はサボりがちになるし、昼は教室にいないし、あたしと一緒に帰ることもなくなったし!昨日は特におかしかったけど、前々から実束が変になってるのよあんたが何かしたから!」


そんな変化があったんだ、実束。


「実束を元に戻しなさいよ!あんたみたいな得体の知れない気持ち悪いのが関わるから実束が汚れちゃったじゃない!何が目的?黙ってないでなん


そこから先は言語として認識する必要もないので無視した。

目も特に合わせる必要が無い。見ても見てなくても変わらない。

実束を戻せ、ねぇ。よくわからない。

それって要するに、自分に都合のいい状態が崩れたからどうしてくれるんだって感じでしょ?

実束の事を思って言ってる風だけど実際は実束をなんか都合のいい娯楽かなにかみたいに扱ってない?

……とか言う気も起きない。言ったところでどうせ聞かないし逆効果。


なんか、こんなおっかけみたいな人がいたことに驚き。

実束結構人気者みたいな雰囲気あったけどまさか本当にこんな人がいるとは……あ。

あ、あ。そういえば。

実束と会ったばかりの頃……二日四日ぐらいの頃だったかな。

あれ、実束にメール送って昼休み中トイレにこもった日。

そういえば私にすごい殺意のこもった目線投げかけてくる人がいた気がする。

顔は……うん、多分この人だ。

ああ、この人だったのか。

自分の都合のいいように実束という人間を決めつけてる……とか考えてたけど、まさかドンピシャとは。この人二次元から来てるんじゃないの?

まぁいいや。

とりあえず気が済むまで待っていよう。久しぶりにどかぼか殴られたりしてるけど別に痛くない。

こういう痛みにはもう散々慣れてる。反応するのも億劫になってるから痛みもあんまり感じないし表に出ない。ほんとだよ。

もちろん向こうも本気でやってないんだろう。本気で殴ったりしたらまずいって理性が働いてる。


つまりその程度なんだよね、今の感情は。

殺したいけど頑張って理性を働かせて抑えてる……でもなく。そんな様子に見えない。憎しみから手をあげてるけど、ほんとのほんとに実束の事を思っててその上で手をあげてるならもっと苦しいだろうに。

だいたい殴ってどうなるの?拷問のつもり?だったら弱すぎる。

そんな事考えてもないんだろう。短絡的な感情だけで動いてる。いらいらを解消するためにとりあえず殴ってる。

実束を娯楽として扱うのなら、私も当然娯楽として扱うんだろうね。

そして次関わったらもっと殴るとか言うんだろうね。あ、聞き流してるけど今言った気がする。

薄っぺらいなぁ。

……それは全く人のこと言えないか。

で、そろそろ向こうも疲れてくるだろうし満足するとは思うけど、どうだろう?

そんなわけでちょっとだけ意識を向けてみる。


「だから黙


だめだループしてる。

こういうのも懐かしいなぁ。この学校に入ってからは一度もなかったけれど、前はたくさんあったような……気がする。

こんなどうでもいいこと覚える必要ないし、結構おぼろげ。

もうちょっとぼんやりしていよう。

大した憎しみじゃないんだ、昼休みが終わるまでには終わるでしょう。

目線を内側に向けて、今の現実をどこか遠くにし

て?


「っ」


振り返った。教室の扉の方。

ぼんやりしてたから気づくのが遅れた!

駄目だと思う、今ここに入ってくるのは————


「あ、汐里しおりいたいた」

「…………実束……」


止める間もなく入ってきてしまった。

ううん、そもそも早く気づいたとしても止める方法があったとは思えない……そんなことはどうでもよくて。

この状況。相手も固まっちゃってる。

実束は、何を思うんだ。どうするんだ。

今の部屋の中の状況を見て、実束は。


「大丈夫?なんか殴られた跡あるけど」


まっすぐ私に向かってきた。

ほっぺとか殴られた箇所を撫でてくれて……でも、それは、火に油を注ぐ行為だ。

ほら、固まってたあの人間が騒ぎ出して。もう言葉は想像で十分だから認識しないけど。

ついには実束の肩を掴んでなにかを言


「あれ、こんな所でどうしたの?」


実束は首だけぐるんとその人間の方を向いて、話す。


「……え?」

「もうすぐ昼休み終わっちゃうよ。そろそろ教室行かないと怒られるよー」


違和感。

実束は普通に話していた。

普通に、普通に?

ううん、何か違う。

私に対しての普通じゃない。


「実束?なに、どうしたの」

「え、なに言ってるのもー。え、いや、何か変?いつも通りでしょ?・・・・・・・・・

「そうだけど、え、なにこれ、」

「痛くない?汐里、平気?」

「………………」


わかった。

私に向けた話し方。

クラスメイトに向けた話し方。全然違う。

私とか話してる時の実束はいつも通りの実束。

でも、あの人と話してる時の実束は……機械、みたいだった。

まるで普通に話す人みたいな機械。

特に不快に思われないような行動を取る機械。……そんな。


今までクラスメイト達は実束と話していて違和感を抱かなかった?

いいや、そもそも違和感を抱けないんだ。

それ以外の顔を実束は見せていないから。

サンプルが一例しか無いから比較ができないんだ。

でも、今は、私に向けた顔をあの人も見ている。

だから……気づいたはずだ。


「実束…なんなの、気持ち悪いよ…」

「?えっ酷い、私何か変わった?」

「変わってない、けど!そうじゃ……なくて……」


ちらちらと私の方を見ている。

ああ、困ってる。この気持ち悪さを私のせいにはできないから。

実束の様子はずっとずっと変わってないのだから。最初からずっとこれだったのだから。

それが異常なことと気づけていなかったのは、自分なのだから。

そして私もどうすればいいかわからない。困惑してる。


「汐里、どうしてこんなになったの?誰かにぶたれてるよね」

「…!」


名前も知らないあの人が、ぴくっ、と震えた。

こっちの異常にも気づいたんだろう。実束が私と話している時、自分の存在は全く無視されている事に。


「酷いことするね、汐里は何にもしてないのに」

「……え、ちょっ実束」


気配が広がるのを感じ取って実束を制止する…けど、全く効果がない。

鉄が、床に広がっていく。


「………え、ひっ!?なに、なに!?」

「ねぇ汐里、こんな事をしたのは誰?教えてよ。汐里は大事な大事な友達だもん。二度とこんな事しないように、そいつを」


そして実束は、多分初めて、その人に目を向けた・・・・・


「ぶち殺す」


ひゅっ、みたいな声…音がして、その後鉄がぐにゃあと次々伸びると。

ほぼ同時に奇声を漏らしつつその人は教室から逃げ出していった。


「………………………………」


私は…………ほんと、呆気にとられて、ぽかんとするしかなかった。

それで。

実束は、鉄を消すと、私に向かって笑いかけた。


「……なんちゃって!」


いつも通り。

私にとってのいつも通りの、実束の笑顔。


「……冗談に思えなかったけど」

「そりゃ本気だったし」

「…………」

「引いた?」

「……少しは」

「ん、よかった。私も昨日、ちょっとびっくりしたよ」

「…………」

「見られたくない側面、見せちゃったんだよね?だからまぁ、私も本音を見せようと思ってさ」


とん、と鉄に押されたから素直に座る。

鉄だけど柔らかい椅子。

実束も座って、鉄のテーブルを挟んで向かい合う。


「私さ、今のところ汐里以外の人間みんなどーでもいいの」


で、そんな事を笑顔で言い放った。


「あ、お姉ちゃんは汐里に会ってからなんとなくちょっと興味が向くようになったよ?でも他の人は別に」

「学校にいても特に何にも楽しくないけど、でもこれって良くない事でしょ。だからとりあえず波風立たないような接し方を覚えたんだ」

「…………そうだったんだ」

「……汐里に比べたらたいした事ないかもだけど、その……ちょっとは、楽になった?」

「………………」


テーブルにゆっくり突っ伏した。


「汐里?」

「いや……なんていうか、もう…………すごいよ、実束…」


それしか言えなかった。

突っ伏して、何かが解けていく感覚を感じていた。


私が本音の顔を見せたくなかったのは、実束にどう思われるか分からなかったからだ。

避けられるのが怖かったからだ。

嫌われるのが怖かったからだ。

受け止めてくれるのか分からなかったからだ。

だからその結果を見たくなくて、会いたくなかった。

……でも、わからないままだと苦しいから、会いに来た。

だって受け止めてくれるのを望んでいるから。

おこがましい願いだけど、いつも通りに戻りたいから。

分かってみればそれは至極当然で普通の事で、でも何故か全然思いつかなくて。


そしてその答え合わせがこれだ。

実束は、受け止めるどころか、自分の本音を曝け出してきた。

それは言葉だけの証明よりもっと明確なもので。

それでいて言葉だけの証明よりもっと大きなもので。

こんなことになるなんて、全く思ってなかった。


「……………あぁ、もう……」


こんなの……


「汐里?」

「なに…」

「顔見せて」

「やだ…」

「むう。えい」

「ひょわっ」


鉄のテーブルが消えた。

慌てて手をつこうとした所を鉄が掴んで横に広げて、ぐいんと身体が上に引っ張られて、あ、顔隠せない、

実束の顔が見えた。


「…………」

「……泣いてる?」

「……気のせい、だよ」

「でも泣いてる」

「目の錯覚」

「悲しかった?」

「そうじゃない!……そう、じゃなくて…」


拘束が解かれて、椅子に座り込む。

実のところ、もう自分をがんじがらめに縛りつけていたものは大体解けてしまっている。

だけど、とか。でも、とか。

そういうのはもう、いらなかった。

実束相手なら大丈夫って思えてる。

だから。


「…………こんなの、嬉しいに決まってるよ…」


考えない、をやめた。

言葉に出した。


「こんなにされて、嬉しくないわけない……今までだって何回も嬉しい事あったし、嬉しかったし」


心の鎧を脱ぎ捨てる。

全部外して、落ち着くのは今……そんな気がした。

顔を上げた。


「泣いてる……泣いてるよ!だって嬉しんだもん!こんなことされた事ないもん!ほんと、なんで…うぁ、ぁぁ」


ほんとは言いたかった事、が溢れ出してくる。

でも途中で心が震えて、何も言えなくなる。代わりに出てくるのはやっぱり涙。

気配が近づく。多分抱きしめてくれるんだろう。

なので思いっきり飛びついた。


「うわぁ!?」


これは予想外だったみたい。

柔らかい鉄の床にそのまま押し倒す。痛くない。


「わとと……汐里?」


なんにも言えそうにない、から、そのまま抱きしめた。

力の限り抱きしめた。こんなので伝わるとは思えないけど、言わないよりかは。

ううん、だめだ、言っても伝わりきらない。満足しない。

背中ぽんぽんしないで、実束。撫でないで。もっと泣いちゃう。


「……えっと、汐里。昨日ね、びっくりしたけど、でも嬉しい事もあったんだよ?」

「…うぇ…?」

「まぁ、ちょっとむかついた事もあったけど。他人に無理やり素にされてるっていうのは気に入らない。でも汐里さ、言ってたよね。一番大好きなのはイベリス。でもそれはイベリスに会ってからで」


会ってから。

じゃあ、会う、前は?私は、何を言……



気づいた。思い出した。



「…あ、ああああああぁぁぁぁ…………!」

「……嬉しかったよ、本当に。望んだ形じゃなかったけど、でも、汐里の本心がそう言ってくれてて、本当に嬉しかった」


ぐちゃぐちゃに、ぐちゃぐちゃになる。

今は弱いのに、その上頭の中がぐちゃぐちゃになる。準備がなんにもできてない、のに、叩きつけられて、よくわからなくなる。


「それで……汐里、汐里。お願いがあるんだけど」


ぐちゃぐちゃな思考の中で、なに、と顔を向けた。


「その…………」


実束は一呼吸置いた後、言った。


「……もっかい、今度は私に向かって、今の汐里が……言って欲しいな」

「……ぅ…」


……わかる、実束の気持ちはとてもよくわかる。

ぐちゃぐちゃな思考の中でもそのくらいわかる。

実束の胸の辺りに顔を埋めた。


「………このままで…いい?」

「うん」


また背中を撫でてくれる。頭も。落ち着く。

決心は……うん、ついてる。というか、まぁ、タイミングを見て、言おうとは思ってた。

でもこんな風になるなんて。

口を開…こうとしたけど、考えてみるとどんな風に言うのが正しいの?

なんて言えばいいの?

どう言ってもなんだか変な感じになっちゃいそうで、でも、でも。

考えてもだめだ。

だから。

身体を起こして、実束を見下ろす形。

考えたってだめだから、昨日と同じように、難しい事考えず、そのままで。


「————今は、あなたが一番大好きだよ」


言葉が流れ出る。


「大切で、大切で、愛しくてたまらなくて。実束が好き、誰よりも大好き!」


そこで言葉は止まった。

おしまい。

言ってから、みるみる顔が熱くなってくる。

でもそれは確かに本音だし、本心だし、疑いようがないもの。

だから目は逸らさなかった。頑張って、震えそうになっても、我慢して、実束を見つめ続けた。

そんな実束は。


「……てへへ…」


満足そうに照れ笑いした。

失敗、じゃなかったみたい。

なら、よかった。

ぽすん、と再び実束の胸元に顔を埋めた。


「…私も、汐里が大好き。正真正銘の、相思相愛だね」

「……そうだね」

「ちゅーしてみる?」

「…………」


言われてみて、ちょっと想像してみた。

してみた……けど……うん。


「……ううん、いいや。なんだか、違う気がする」

「やっぱり?実は私もそんな気がしてました」

「じゃあ、私と実束ってなんなんだろね」

「そりゃ、私と汐里だよ。それでいい、でしょ?」

「……ふふっ、すごいね実束。全部お見通しなんだね」

「ふふふー。……あ、でも汐里、イベリスにちゅーしてたような」

「あー、あれは……テンション上がってたし……」

「じゃあ汐里のテンションが上がったらちゅーしてくれるのかな」

「…………人前ではやらないよ」

「やた」

「……気が向いたら、だからね」


そう言って身体を起こした。

ついでにほっぺに。


「ひゃ?」


事が済んだので身体を起こした。


「……………」


実束は……ぽかんとして、だんだんと赤くなって……かなり照れてる。口パクパクしてるし。


「な、え、ぁ……ふ…不意打ちー!」

「びっくりした?」

「これしてる顔でしょー!」

「あはははははっ」


いたずら成功の気持ち。とても愉快。

身体の上からどいてあげて、それでもまだ愉快が止まらないので笑う。

ああ、うん、楽しい。とっても。

ちょっと実束の様子を見てみたけど、実束も何だかんだで笑顔だからきっとこれでいいんだと思う。

色んなものから解き放たれた感覚。

とても晴れやかな気持ち。

うん…幸せ。


「……ありがとう、実束」

「ん?」

「ううん、言いたくなっただけ」


立ち上がって、実束に手を伸ばす。


「時間ギリギリだよ。教室いこ」

「……休んじゃわない?」

「だめ、目立つもん」

「だよねー」


実束は私の手を取って、私は実束を引っ張り上げる。

もうそろそろまた鎧を着込む頃だ。


「じゃ、別々でね」

「えー、せっかくだから一緒に行こーよー」

「だめ、目立つもん」

「……だよねー」

「……あ、実束。さっき追い出した人、平気かな」

「大丈夫大丈夫、言いふらしたって誰も信じないよ」

「……確かに」


そんな感じでぐうたら話して、いつも通りに戻っていく。

あんな事があったのに、私たちはいつも通りに過ごすんだ。

それでいい。

日常と非日常は分かれていた方がいいのだから。

現実と、夢みたいに。


「…………」


夢、夢、夢。

このごたごたが終わった先、私は実束と会う前みたいに戻るんだろうか。

夢を楽しむために、つまらなく現実を生きる。

……それは、ないね。この思い出は消えない。



……でも……。



実束と別れて、別々の道で、違うタイミングで教室に着くように調整して。

一人で歩いている時に、ずっと感じていた事を言語化する。


私たちの関係は、普通じゃない。


そもそも私たち自身が普通じゃない。私も、実束も。

実束は自分じゃ大したことないとか言ってたけど、全然そんなことない。

張り合う気は無いけど、だってずっとあんな状態だったんでしょう?関わりは持っておいて心は何にも開いてなくて何も見ていなくてそれでいて比較・・しないと気づけないとか異常すぎる。

並みの技術じゃないし、並みの精神じゃない。

そしてそんな実束は私が大好きで、私も実束が大好き。

……何故?そう言われると、明確な答えが出せない。


まぁ、要は見事なブーメラン。

私と実束の関係には明確な何かがない。

何となく。何故か。

そう、私は、何となく、実束が好きで、大切だ。

実束も同じなのかもしれない。

同じじゃなくても、少なくとも。私は明確な答えを出せない。

それだけで、私たちの関係は歪となる。

歪な関係は————


「————長続き、しないだろう。」


…………。


……なんて、口に出すとなんだか嘘っぽいね。

ええ、ええ、それが目的ですとも。

そんな夢みたいな台詞は現実には合わない。

合わないのならとっとと夢に還って消えてしまえ。

難しいことなんか考えなくていい。

これに関しては考えなくていい。……でしょ?

考えにひと段落ついたから、携帯端末を取り出した。




教室に入る。

実束は既に自分の席に座っていた。

別にアイコンタクトとかそういう事はしない。

色々あったからって、今を変える気は無い。

変えるのはもっと違う時だ。……さっきみたいな。


だから、私も自分の席……窓側の、後ろから二番目の席に座って、窓の外を見る。

授業が始まるけどまぁどうでもいい。

それは午前としている事こそ同じだったけど。


「………………」


ちょっとだけ微笑んでみた。

そのくらい午前と比べてとても晴れやかな気分だった。

どうせ誰も私を見てないだろうけど、まぁ、もうやめておこう。


ともかく、ともかく。

これからの時間は、考えをまとめる時間だ。

この後……二人に話す事の。






こんな事するのは初めての事だった。

今まで呼び出すのは全部実束からだったもの。私がこうして能動的に動くのは初めて。

今までやらなかったのは……やる気がないから……とは言わないけど、能動的に動かずとも話す機会が多くあったから。

でも、今回は、確実に話す必要がある。だから……


教室のドアが開いた。


「おまたせ汐里」

「待たせたわね汐里ちゃん」

「……待ちました。数分」


いつもの空き教室。

誰も入ってこないよう、鍵を閉めた。




「…………じゃあ、どこから話そうか……」

「まず、私はあまり事情を知らないのだけど……とりあえず、汐里ちゃんがここにいるって事は何とかなったって事でいいの?」

「あ、はい。なら、まずそこからですね」


まず大前提の何があったかの話。


「一昨日の夜、私はイベリスに認識を操られて連れ去られました……はい、連れ去られました。普段の私ならついて行ったりしませんし」

「あの時は……ただただ悔しかったわね」

「うん、本当に殺したくなった」

「あの後実束も物騒になっちゃって……今は大丈夫みたいだけど」

「色々あったから……で、その後ですが。私が色々頑張って、イベリスと一緒に不明晰夢に向かうことに成功しました」

「色々頑張って」

「はい、色々頑張って。トップシークレットです」

「なるほど」

「それで、その後ですが。私が色々頑張って、イベリスを討伐することに成功しました」

「色々頑張って」

「はい、色々頑張って。トップのトップシークレットです」

「……なるほど?」

「トップシークレットだよ、お姉ちゃん。……少なくとも、私たちは真似できない事……そしてちょっと言うのは憚れるやり方だったから……」

「……ふむ、ふむ。なら深くは訊かない」

「ご理解いただきありがとうございます。……その後、まぁ、やり方がやり方だったから色々あったけど……なんとか通常以上の状態の今に回復した、と」

「おーけー、おーけー。大体わかったわ、ありがとう。もう本題に移っても大丈夫よ」

「了解です」


そこで言葉を切って、少し思案する。

悩んでるわけじゃない。単純に、記憶が曖昧気味なんだ。

なので煙みたいなそれを掴んで、手繰り寄せて。


「…………じゃあ、本題……向こう・・・に行った時、見た事、聞いた事。わかったことについて」


口を開く。



「まず最初に、どこに行ったか、だけれど……これがよくわからない」

「目の前で煙のように消えていったと記憶しているけど」

「私側だと、いつの間にか別の場所にいたって感覚でした。……その場所は、んと……絨毯が引かれてて、でも壁が無い、その外側にも何も無い、そんな廊下。図解すると……」


用意しておいた紙に適当に記憶している限りの風景を描く……描けない。


「……この、外側に何も無いっていうのが、表現が難しくて……本当に何にも無かった。空間があるとかじゃなくて、それさえも無い……その空間には何も・・・・・・・・定義されていない・・・・・・・・、そんな感じ。……まぁ、つまりは、少なくとも現実の何処かではなかった」

「不明晰夢みたいな場所って事かな」

「そうかも。多分、あそこが本拠地…だと思うな」


ついでにその存在がふわっとした廊下に扉を追加する。


「こんな感じで扉だけ立ってる事もあったし、やっぱり不明晰夢に属する空間だと思う。中にも部屋あったし。……で、その不明晰夢がそもそも何なのか、の話」


イベリスとの会話を頭に呼び出す。


「そもそもの話をするよ。私たち……いや、人類みんな、もしかしたら生物みんなかもしれない。それぞれ、何かしら能力を持ってるんだってさ」

「え、そうなの?」

「じゃあ…この学校にいる人たちとか、みんな?」

「そうです。ただし、それぞれ持っている力の量……向こうは夢力と呼んでいたけど……それに個人差がある」


紙に小さな丸、中くらいの丸、大きな丸を書いていく。


「この小さな丸が大多数。ここの人たちは能力を自覚する事はまずない。能力を使うにはほぼほぼ力が足りないから」

「んと……MP10消費する魔法を持っているのに、MP上限が1しかない……って感じかしら」

「あ、まさにそうです。仮定するなら……このちっこい丸はMP1か2ばっか。能力の使用には大体4必要」

「だから能力に気づくこともない、と……じゃあ、私はその力が多い方だったんだね」

「そうだね、実束はこのおっきい丸のカテゴリーに入ると思う」

「なら、私は……」

実房みおさんは……小さい丸のカテゴリーですね」

「……あれ?」

「後々説明します……えぇと、ともかく。能力は人それぞれで、またそれを行使するのに必要な力の量も人それぞれ。それを理解してもらった上で、向こうの目的を話すと」


大きな長方形を書いて、そこに名前を書く。

“狩場”。


「不明晰夢……向こうは狩場と呼んでた。まずこの空間は知っての通り化け物がいる事で存在を維持している。そしてなんの為に、って話だけど……能力者を自動的に呼び込んで、殺害することで所有権の消えた夢力を回収する為のもの……って、言ってた」


中くらいの丸、そして黒い丸を長方形の中に書いていく。


「回収?」

「そう。……この空間にはフィルターみたいな機能があって……一定以上の力を保有している人だけを引き込むらしい。力を効率良く回収するためだね」

「砂を一粒一粒集めてもしょうがない、って感じね。……でも、何故かしら」

「そこまでは聞き出せませんでした……というか、その……その当時は興味が向いてなくて……」

「正気じゃなかったものね。でも、むしろ情報を聞き出してたのが凄いわ。よくそんなことできたわね」

「まぁ……気になってたので」


あの時の私は、気になるし。まぁ……ついでに情報を持ち帰れるから一石二鳥、ぐらいに考えていた…と思う。

たぶん。


「……聞き出せはしなかったものの、でも想像はつきます。力を回収するのが目的なのに、向こうは私を殺さず生け捕りにしようとしてました」

「向こうでも酷いことされなかったの?」

「全然。イベリスの能力下に置きつつ軟禁……ってスタイルだったと思う。理由は簡単。私を側に置いておくことで利用価値があるとしたら、あれしかない」

「汐里ちゃんの側にいると能力が増幅するアレね」

「はい、あれです。何をしようとしているのかは不明ですが、でも何を必要としているかはこれではっきりしました。向こうは、力を欲している」

「汐里を殺したら、汐里の能力を増幅される力が消えるかも、って考えたんだね」

「そういうこと。……実態は、まぁ……だったけどね」

「?」

「……不明晰夢について聞き出せたのはこのくらい。ここからは私の話」


ペンを置いた。必要無い。


「私、実は向こうでボスっぽい人に会ったの。軟禁する前に私の力の正体を知りたいってね」

「……汐里ちゃんの能力って、増幅するやつじゃないの?」

「それが不明瞭なので。ほら、他に感知とかもするじゃないですか。そして私自身、なにかを意識して使った事も無いし……不安要素は取り除きたかったんでしょう。……で、結果だけれど」


当時の会話を思い出す。







「お前の能力は」

「ふむ」

「無い」

「ふむ……む?」

「それが全てだよ。お前に能力は存在しない。お前にあるのは無尽蔵に湧いて溢れ出る“夢力”のみだ。……ああ、驚いているよ。今までそんな人間はいなかったのだから」

「はぁ……なるほど、なるほど。うん、なるほど。そういうこと。なるほど」

「お前に能力は無い。つまり、お前は何もできない。……何も心配はいらなかった、でしょう?」







「……って感じで」


それを伝えたところ、二人ともぽかんとしていた。


「……無い、ってつまり……」

「無いんだよ、そのままの意味で。さっきの喩えで言うなら、魔法を一つも覚えてないんだ。MPは無限なのに」

「じゃあ、周囲の人へのバフはどういうこと?感知能力も……」

「簡単な話。……私は、とても膨大な力を持っていて、その力は今も溢れて外に流れてる。そうだね、煙みたいに、無尽蔵に、私を中心として溢れ出てる」


夢力の概念。自分の力がなんなのか。

それを認識した今ならわかる。

増幅能力の正体。感知能力の正体。


「私、別に周囲の人の力を増幅させてる訳じゃなかったみたい。……ただ、溢れ出る力を、実束たちが使っていただけ」

「……あ、ああ!光を撃つのは私、でもそのエネルギー源は汐里ちゃんって事だったのね!」


ぽん、と実房さんが手を打つ。そういうこと。


「そういうこと……のはずです。ここで、さっきの実房さんの話にも繋がります」

「私……小さい丸の話ね。本来私はMPが足りないから能力は使えない……はずだった。でも、汐里ちゃんの力があったから」

「例外的に能力を認識して、使う事ができたと。……それでも、なんであの時不明晰夢にいたのかは不明ですが」

「汐里が呼んだからだったりして」

「……あり得なくもないのがなぁ」


一昨日の不明晰夢で実房さんが法則から外れていたのも、確かにあの時私は実房さんの存在を必要としていた。

昨日の不明晰夢は実房さんいなかったし。


「じゃあ、感知能力は?溢れてる力が関係してるのよね?」

「はい。……そもそもの話として、私が感じてるのは違和感。違和感、というのは私の主観からの話で。前までは現実にそぐわないもの、現実的じゃないものって表現していたけど、実際はちょっと違った」


目を閉じる。

意識すれば、感じ取れる。今この学校にいる生徒全員を。

小さな小さな反応だけど、確かに。……流石に個別認識は無理だけど。


「溢れ出てる私の力は、広く広く広がってる。この学校を包むくらいにはね。その範囲内は私の力で満たされてる状態って考えて。それで、なんて言うかな……」


考えた結果、やっぱりペンは必要と判断。

大きな大きな丸を適当に青で塗る。そしてそばに赤丸を一つ。


「……うん、この青いのが周囲に出てる私の力の範囲。で、赤が化け物ね。そして、この青の範囲に別の色が入ってくると」


青で塗られた範囲に赤丸を書く。


「私はすぐさま違和感を感じる。……主観的な話だけど、あれかな。自分の家に土足で誰かが入ってきたみたいな、そんな気分」

「じゃあ、汐里は非現実的なものを感知してたんじゃなくて、別の力……んと、夢力?を感知してたってこと?」

「そ。それがタネ。……実束が私の位置なんとなくわかるのも、逆探知みたいなので分かったんじゃないかな?力の発生源を辿る感じで」

「私は素の力が小さすぎて汐里ちゃんを感じ取りにくかったってことかしら……」

「たぶん……」

「なるほど、なるほど……あっ、汐里ちゃん。そういえばとこちゃんは?」

「あ」


そう言われて存在を思い出す。同時に今実房さんが思い出した理由も把握。

そして確か……そう、私常ちゃんを眠らせたはず。だから……えっと……


「……常ちゃん、起きて!」

「はぁーい」


ひょこんと頭から頭が生えてきた。

ほんとに起きた。


「ふぁーぁ。じょうきょうははあくした。おはようおねえちゃんがた!わたしだよ!これどういうじょうきょう?」

「……いつも通りだね、ならいいや。えっと、実房さん。常ちゃんは何で私の感知に引っかからないか、ですよね?」

「そう、それを訊こうとしたの。わかる?」

「はい、仮説ですけど。……さっきの図で言うなら、常ちゃんは……」


紛らわしいから、円の外に。

青丸を書いた。


「……多分、こうなんだと思います」

「……これって、青だけど。つまり……同じ?」

「そうです、同じ。……幽霊が実体を取れるのなら、今頃この世は幽霊まみれになってるに決まってます。だから、恐らくですけど。常ちゃんを構成しているのは私の力……と予想してます」

「え、いっしんどうたい?」

「……かもね。経緯はわからないけれど、明らかに力を持っているにも関わらず私の感知に引っかからない理由を今考えたら……それ以外思いつかない」

「わたしのいのちはおねえちゃんしだいなんだね」

「もう死んでるでしょ」

「そうでした。まる。」

「……そう考えると、一度消えて復活できたのも、なんとなくわかる気がするんです」


常ちゃんはジャックに切られて消えて、起きたら普通に当然のように復活してた。

消えた時に消滅したのはあくまでも身体のみで、精神は残ってるから……私の力さえあればまた元通り。

そんな感じで。

イベリスが言っていた「殺害した後所有権の消えた夢力を回収する」も踏まえると、身体は精神の入れ物に過ぎないのかもしれない。

仮定が正しいのなら、現に精神だけでここに存在している例を見てしまっているのだから。


「えぇと……なので。私の力の正体は、そんな感じ。化け物に優先的に狙われるのも、持っている力が大きいから」

「あいつが来た時に吐きそうになってたのも、自分の家に車で突っ込まれたみたいな違和感があったから」

「すごい喩えだね実束。……でもそんな感じかも」


ただの感知能力なら別になんとも無いんだけど、これは感覚的な話だからそういう被害が出る事もある。実際、最初の頃は結構気持ち悪くなってたっけ。


「ともかく、これで私については終わり。最後に……」


まだ言っていない事がある。

こちら側の事は話した。

後は、向こう側だ。


「……向こう側の話。最初に、向こうのボスだけど……」







「取り越し苦労って奴だね。よかったじゃん、えーっと……そういえばあなたなんて名前なの?」

「…………」

「ちなみに私はー、一応だけど、今一度だけど、今は睦月汐里。先に名乗りました」

「………………まぁ、いいか。私は」







「名前は、リベルタ……って言ってた。多分偽名」

「偽名ってわかるの?」

「何となく、感覚的に。……ここからは、かなり曖昧な話になるけど」


言葉をどうにか選ぶ。


「……リベルタ、あいつが全部の原因。そいつがイベリスを作った、そう言ってた……から」

「だから……諸悪の根源はそいつで…………」


言葉をどうにか、選び……たい。


「…………ごめんなさい。正直、よくわからない」

「あらま」

「実束も見てたからわかってくれると思うけど……イベリスの能力下にいる時の私、変だったよね?」

「うん、まぁ……色々すごかったね」

「だよね。……それでね、その時自分が言ってたことは覚えてるんだけど……その時、自分が思っていた事は全然覚えてないんだ」


思い返そうとしてもやっぱり思い出せない。

何を思ってあんな事を言っていたのかがさっぱりわからない。

それこそ……起きてすぐ、夢の内容を忘れるような感覚で。


「……何か重要そうな事を知ってる風な事を、確かに私は言ってた。言ってたけど……あー……」


…………。


「…………実束。へるぷ」

「私も、あの時汐里が言ってた事ははよくわかんなくて…」

「だよねぇ……はぁ」


机に突っ伏した。今日何度目かな気がする。


「ジャックの時もそうだし……私は一体何を知っているのやら……」

「たじゅうじんかくだったりして」

「いやいやいやいや……」


流石にそれは無い……

……無いとか言い切れるの?ほんとに?

とか考え始めると止まらないからもうやめておくけど……


「……ねぇ、汐里」

「なぁに実束」

「昨日の汐里は、イベリスの事を“そういう設定のキャラ”って言ってたよね」

「…………うん、言った。確かに言った」

「それってどういう事なのかな」

「どういうこと?……そのまま、ジャックみたいにリベルタが作ったって事だと思う」

「それなんだけどさ。なんで小出しにしたんだろね」

「小出し。…………小出し……」


……確かに。

イベリスは戦えないと言っていた。能力も妨害とかそういう系。

単体で送り込むよりも戦えるジャックを一緒に送った方がいいはず。

実際そうしてないのは、まぁできなかったからだろうけど……それは何故?

そもそもあんなのがいるなら最初から投入してればよかったのに。実房さんがいなければジャックは追い出せなかったし。

……ジャックは生まれたばっかりだったらしい。多分、イベリスもそう生まれてから…作られてから時間は経っていない。

何かわかりそうな気がする。イベリスから聞いた事を思い返して、思い返して……


「……ジャック」

「?」



そうだ、イベリスの発言。

端末を取り出して愛用のテキストアプリを起動。


ジャックは不明晰夢狩場から追い出された後融解した、らしい

→素材は回収した(多分夢力のこと、化け物を構成しているのは夢力。感じた違和感からして相当の量で作られてる)

=化け物含め向こうの住人は不明晰夢の空間でなければ存在を保てない?

不明晰夢の空間→厳密に言うならリベルタの作った空間?

そもそも自分達も向こうでは実体ではなく精神体の可能性が高い


……引っかかる、引っかかる。

何かが頭の中で繋がってる……ような気がする。

そう、そう、そう……もうわかってるはずなんだ、何かが。


「……打つの早いね、汐里」

「この文量を7秒くらいでとは…やるわね」

「おねえちゃんそれなりにつよい」

「そりゃ常ちゃんに比べたら遅いと思うけど……」


…………。

あぁ、そうだ、常ちゃんだ。


常ちゃんは幽霊だけど、実体化するのに私の力を使っていると予想される

→身体は向こうで言う夢力でできている?

とすると、常ちゃんと向こうのジャックとかは同じような存在では?

ただ私が「そういう設定のキャラ」と言ってたしそのまま捉えるとすれば幽霊とかじゃなくて夢力に設定を付与した存在?

そして常ちゃんと同じなら復活もできるはず、しかし一昨日来たのはイベリスのみ

→素材、つまり夢力は回収したと言っていた

→→その夢力は何に使われた?


「ジャックの分のリソースを使って、イベリスを作った」


言葉にして出した。

ああ、そしてそれなら何故二人同時に投入しなかったのが理解できる。


「要は、足りないんだ。というかそうだよ、そもそもリベルタがいた場所もそうだけど、不明晰夢の空間とか作るのに必要な力は相当なもののはず」

「リベルタの能力は不明だけど、少なくとも十分な夢力は持ってない……って話でいいかしら?」

「おそらく。……本来なら不明晰夢を開く度に狩りで増えていく筈の力、だけど実束が来たことで話は変わった」

「私一人だと守りきれない事もちょくちょくあったけど、それでも稼ぎは減っていったはずだね」

「そして私が来た。私が実束と会ってからは多分誰も殺されてない……というか、私たち以外誰も来てないはずだから」

「供給は完全にストップ。化け物その他分の消費のみになってるはずよね」

「ひょうろうぜめ。これはえげつない」

「……そうなると、なんで急にジャックとかを作れる力を手に入れたのかわからないけど……」


それについては本当にわからない。

実束も難しい顔をしているし、実房さんも悩ましい顔してるし、常ちゃんも……常ちゃんはふわふわしてるね。いつも通り。


「でも、力を手に入れて、ジャックやイベリスみたいな脅威を投入してきているのは事実。……もし私の力を使われたら、何をしてくるのかわからない」

「そもそも、なんの能力なのかしらね」

「今分かっているだけでも……化け物や空間を作ったり、加えて私の事を調べたり……統一性が無い。だけど、私の事を調べる時に言ってた。“ここは私の世界なのだから、この程度造作もない”って。……もしかしたら、なんでもできるのかも」

「なんでも……」

「そうだとしたらあきらかにこすとたかそうだね。かみさまてきぱわーだし」


なんでもできる能力、莫大な力。

それが合わさった時……何をするのか。

想像つかないけれど、けれど少なくとも阻止した方がいいのはわかる。


「……ここら辺の話は、仮定の上に仮定を立ててるような状態だけど。それでも向こうの狙ってる通り私の力を使われたら、少なくともジャックみたいな化け物が量産される事になる。そうなったら……うん、詰みだ」


だから阻止しなければならない。

だけど、だ。

さっきからずっともやもやが晴れない。


「…………ここまで話してなんだけどさ、みんな」

「うん」

「はい」

「んー?」


ぐでぇ。

そんな擬音が聞こえる感じにまた机に突っ伏した。


「向こうの好きにさせちゃいけないのは分かったと思う。私の力の話とか、不明晰夢の目的とか、そういうのも分かったと思う。でも」

「……全くもって、対処法が浮かばない……」


もやもやが晴れない原因はそれだ。

色々わかったならそこから対処法を考えるべきなんだろうけど……どうしても浮かばない。


「……そうだね。いつも私たちは後手に回ってる。出来ることなら本拠地に殴り込みに行きたいけれど……」

「肝心なところの情報が無いのよね。本拠地の場所も、行き方も全くわからない」


嫌な空気が教室に満ちる。

これは……行き詰まりの空気。

図らずも……まぁ図ったんだけど。私は敵の本拠地に潜り込んだ。

現状私たちのうち誰かが向こうへ行けるとしたらそのぐらいしか方法が無い。


「…………………」


でも、誰か一人だけじゃだめだ。

私だけじゃ戦えない。

常ちゃんが付随するかもだけど、そもイベリスがいるだけで完封されてしまう。昨日みたいな手段はもう通じないだろうし。

実束だけでもだめ。実房さんだけでも……元々向こうの戦力がありすぎる。


「…………………」


……全然何も浮かばない。

でもここで解散は駄目だ。このまま解散して不明晰夢を迎えてもジリ貧だ。

ジャックもイベリスも何かしら被害があったし、どちらも余裕の勝利というわけじゃない。

続けば続くほどリスクは増す。だから、今のうちになんとかしたい。

したい……のに。


「…………………」


………………素の私なら……分かるのかな。

今が素じゃないって事じゃないけど……イベリスの影響下にいる時の私なら、ジャックを追い出した時の私なら、何か分かるかもしれない。

どうやったらあの状態になれる?

夢を見ている時のような自然体の状態。何か世界を俯瞰している気がするあの感覚。

あれに至るにはどうしたら——





違和感。





「————ッ!!」


全身の毛が逆立つような感覚。一気に全部の精神が脅威を警告する。


それで逆にもやもやした思考が吹き飛んだ。冷え切った思考。


世界がゆっくりになった。



————そうしたいと思えば、その通りになるんだから。



そう言っていた。私が?私が。

知ってる、知ってるよ。

教室の黒板の方に何かが、煙と共に出てきた。

視認するまでもない。ジャックだ。

さっきの仮説が崩れ去る。不明晰夢の外なのに実体を持っている。

ううん、崩れても問題ない。常ちゃんと同じって考えればいい。

それほど力を注ぎ込まれているって事だ。多分、私が向こうにいた間に回収した夢力を使ったんだろう。


「……」


煙から姿を現わすと同時、私の方に駆け出すのが見える。

手も伸ばしてる。連れ去るつもりだ。

逃げるのは間に合わない。きっと身体能力その他も強化されてる。常ちゃんが斬りつけても止まらないだろう。常ちゃんが速くなるまでの反射もきっと間に合わない。

……いや、間に合わせちゃいけない。常ちゃんを身体の中にしまう。

逃げない。それよりも、言わなきゃ。

何かが自分の中で繋がっている。確信がある。

私は何を知っている?

知らないよ。

私は考える必要無い。それは私の仕事じゃない。そんな気がする。

知らないし知らなくていい。それが私の役割。

……そんなことはどうでもよかった。とりあえず。


腕を掴まれた、同時に私は叫ぶ。



「実束、鉄!!実房も捕まえて!!」



同時に視界が煙で包まれた。




————————————。




声を聞いた瞬間、手よりも先に、私は鉄を伸ばした。

汐里の手を掴むと、煙が鉄を伝ってこっちにも広がってきた。

鉄を通してお姉ちゃんにも煙が伝わったのがわかる。

視界が煙で包まれた。





何も見えない。

見えない、けれど、どこかへ飛んでいってるような、ふわふわした、浮遊感?がある。

だけど引っ張られているような、そんな感じもある。


「おっっっ…っも……!んだこれてめェ重す——ぎ、んだこれなんだこれどうなってんだこれ!!?!?」


声が聞こえた。この声は、ジャック。

何も見えない……ううん、汐里は見える。よく見れば汐里の手を掴んでるジャックも見える。

見えないのは背景。真っ暗じゃない、けど何があるかわからない、いや無い。

認識が不可能、そんな状態。


「なんかわからねェが……おめェんだよ!!」


金属がぶつかったような音。

鉄が、切られて、


「実束!」

「汐、里…!」


なにかの奔流に流されて、汐里が遠く遠く離れていく。

意識も、どこか、へ————



………………………………。


…………………。




………。





…。



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