番外編 夏暑の夢

「突然だが番外編だよ。そして番外編、の意味をよくよく考えて読みなさいな。つまり本編の流れは無視するし本編に絡む事は無い。なので僕的には適当に読むのが賢明と思うよ、これは番外なのだから。おっけー?」














夏休み真っ只中。

加速度的に死んでいく外へは私はまず出ないはずなのだけど、今日はアスファルトの上をそれなりの荷物を持って歩いていた。

暑い。熱い。空気が熱い。圧迫感。密閉感。二気圧あるよこれ。いっぺん高気圧酸素入ってみて、言いたいことわかるから。

あと音。何処にいるかもわからない蝉がうるさい。最期の輝きを邪魔するつもりは無いけど事実としてうるさい。

そんな事を思う私がなんでこうして外出しているかと言うと、まぁ考えられる理由は一つぐらいしか無いと思う。

起きたらメールが届いていた。



今この家の前に立っているのも、割とまだ信じられないような、夢なんじゃないかって感じの感覚がある。

だってこう、あまりにも唐突過ぎて。普通だったら了承せず蹴るような案件だ。

……じゃあ、何で私はここにいる?

だからまだ信じられないような感覚がある。

それでも私はメールを見て、準備をして、今ここにいる。不思議なことに。

玄関の扉が開かれて、中から出てきたのは同じように荷物を持った実束みつか

今日初対面。そんな状況で、実束は開口一番、騒々しい蝉の鳴き声をものともしない声量で、こう言い放った。



汐里しおり、京都行こう!」









《夏暑の夢》









経路とかそういうのは知らない。

電車の中……新幹線の中?は寝てたから覚えてない。

今明らかなのは、私は今この京都駅に確かに立っている。それだけだった。

とてつもなく暑い。日差しとか気温とかは私を殺しにかかっている。

そんな私に麦わら帽子が被せられた。


「これでちょっとはマシかな」

「……そうかも」


実束も同じような帽子を被っていた。更に団扇も二人分。

用意周到である。


「飲み物も大量に持ってきてるから、こまめに補給だよ」

「……すごい荷物だよね。大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。汐里のお陰でね」

「私の」


その言葉であ、と気づく。

旅行バッグとかクーラーボックスとかを引いているように見えるけど、よくよく観察すると取っ手を掴んでいるのは鉄。

ついでに背負ってる巨大なリュックもよくよく見れば鉄が持ち上げている。

……なるほど。


「汐里がいないと流石にこの荷物は持てないよ」

「……私がいること前提の構成って訳ね」

「そうそう。さぁ汐里、早速出発だよ。まずはねー……」


地図を広げて道を確認しているらしい。

私は全くわからないから、全て実束に任せる方向。

ただただ実束についていく。そんなスタンス。


……空を見れば、真っ白な光が私を殺そうと輝いている。実房さんの光は眩しいけど見ただけじゃ暑くならない。まぁ、黒いやつとかは除くけど。

それと比べるとこの太陽の光からは凄まじいエネルギーを感じる。感じてる。

虫眼鏡で集めるだけでも熱光線が作れるもの。もしも実房さんの力の中に他の光を操るとかいうのがあったら……とんでもないことになってたかも。

とかそういうのはどうでもいいか。

ああ、暑い。


「しおりー?」

「なんですか」

「いくよ?」

「あ、はい」


行き先とルートを確認したらしいのでついていく……と思ったら私の荷物が無い。

見れば実束の荷物にいつのまにか乗っかっていた。


「ああ、一緒に持ってっちゃうから。いいよね?」

「…………うん」


私としても、まぁ、ありがたい。

言い訳がましく頭の中であれこれ理由を付けても良いけど、うん。素直に甘えよう。




………………………………。




でっかい。赤い。そして熱い。多分平常より光を放っている。太陽光がアスファルトに反射して輝いて熱い。暑いじゃなくて熱い。眩しい。

私が死んでいく。


「…………」


これはよくない。よろしくない。即刻立ち去るべきだ。


「大丈夫?」

「熱い」

「熱いねー。えーと、こっちだよ」


実束は階段を登り始めた。

……。

………………。

……行きますか。

階段に足をかけて、一歩。


「……ここはどこなの、実束」

「伏見稲荷大社」

「ああ……」


聞いたことが微かにあるけど、ここがそうなんだ。

うん……まぁ。

後ろを振り返ると、巨大な鳥居。

…………でっかいなぁ。

もっと何かないのか、って自分でも思うけどそんな大量の事を感じたりはしない、というか文章化はできない。

ただ。


「…………。」


言葉にはしない。今感じた事は外に出さずしまっておく。

その方が良い。

……実束についていく。



大きな門。

両脇には人型の何かが入ってる。それぞれ名前があるんだろうか、私には全くわからない。

そんな二人に挟まれて門をくぐっていく。

ここから先は別の世界。……なんて、そんなはずないけれど。


でも、普段あまりしない体験なのは確かだ。こんな門、住んでる付近に無いし、そもそも外に出ないし。

非日常感。そういうものを感じている。

だけれど、だ。


門をくぐった先。

ああいうのなんて言うんだろう?舞台?まぁなんでもいい。私を出迎えたのはそんなやつ。あと実束。

荷物を椅子にして私を待っていた。


「汐里、とりあえずここで」

「ん」


私もその隣に座る。

座って、目を閉じた。


…………。


うん。非日常感は感じても、非現実感はさっぱり。

ここはどうあがいても現実で、どうあがいても霊的な物は無い。

足掻く気もない。


「……どう?」

「何にもなし、何にも気持ち悪くない。ただただ——」

「ただ」

「————。……いつも通り、現実なだけ」


なにかを口走りそうになったのをなんとか修正する。


……何をしているか、というと。

そもそもとして、何故京都に行こうなんて言い出したのか、というところから説明する。そう長くはない。

私は違和感を感じ取れる。現実にそぐわないもの、現実的じゃないものを。

そして京都には色々とそれっぽい建物があるから、ちょっと行ってみないか、と。

そんな風な事がメールに書いてあった。

……違和感が見つかったとして、どうするのか。そんな事も思ったけど、私は今ここにいる。


「そっか、ハズレだね。……でも、本番はここからですよ汐里」


荷物から降りて、再び引き始める。


「待っ、まだ私乗ってる」

「このまま運ぼっか?からたちタクシー!」

「…………」


それもいいかも。


「やめておく」


タイミングを見計らって降りた。

掴まるものもないので危なっかしいし、そも荷物が熱い。

歩いた方がマシである。……多分。


そんなこんなで奥に進む。

見えてきたのは……なんて言うんだっけ。縄と、鈴と、賽銭箱の。

参拝所?確かそんな感じの。

硬貨をぶん投げて鈴を鳴らす。で祈る。

…………私はやらないけれど。祈る神様は居ない。

でも実束はやるらしく、荷物を置いて賽銭箱の方へ向かった。


「汐里は?」

「私はいい」

「じゃあそこでもっかいお願い。神様がすって降りてくるかも」

「……それだと乗っ取られるみたいだよ」

「神降ろし!」


と言いつつなんかのお金を投げ入れた。

それはどうなんだ実束よ。


「…………」


とりあえず目を瞑ってみる。

鈴の音が聴こえる。少しやかましい音。

……長くない?いやそんなもの?

続いて乾いた音。拍手二回。

…………。

何も来ない。何の変化も無い。超常的な存在は降りて来なかった。


「どうだった?」


両の手のひらを上に向けた。


「そっかー。……100円札なら来るだろうか……」

「そこの問題じゃ無いと思う」

「あ、音がちっちゃすぎたかな?もっと爆音鳴らさないと神様は気づかないのかも」

「やめた方がいい……」


……ん、いや、そもそも。


「……実束、何かお願い事したの?」

「もちろん。聞きたい?」

「…………」

「えっとねー……」


言うんだ。


「……汐里とずっと一緒にいられますように」

「それで、実際は?」

「そのままだよ!?」

「あまりにもテンプレ過ぎる返答だったから」

「なんですと。むー、ほんとなんだけどなぁー」


……これ以上の返答はしない。


「あ、おみくじあるよおみくじ」

「私はここで待ってる」

「観測係だね。はいはーい」


すっかりそういうことになってる……らしい。

箱に硬貨を入れて、一枚の紙を引く。

ガチャだ。

実物という実物は手に入らず、気分の増減があるだけ。……そう思うとガチャとなんら変わりない。気がしてきた。

おみくじ廃課金……?してる人なんかいるんだろうか。

とりあえず何も感じないので天罰とかも起きそうにないけれど。

……内容を見ながら実束が戻ってきた。

止まった。

引き返した。

また硬貨を投入した。

ちょい実束、ヘイ実束?

紙を引き抜いて……中身見て……追加投入。

ガチャだ。

いやこれ止めた方が良いの?無人おみくじなばっかりに……人に番号渡すタイプならこうはならないはず……また引いて…あっこっちきた。


「しおりしおり」

「はい」

「だいきちー!」


でしょうね。

って一応見てみたら……恋みくじ?

そんなのもあるんだ……あ、でもたまに学校でそんな話が聞こえてきたような……ここにあるんだね。

というか、恋?


「実束、好きな人でもいるの?」

「言わせるの?わかってるくせにーわかってるくせにー」

「言うつもりはないんだね……」

「汐里だよ」

「そうですかー」


そんなに買ったら天罰落ちるよ、とか言おうとしたけど落ちないのは私が感知してしまっている。

結局はその程度なのかもしれない。となると……楽しんだ者勝ちだ。


「……天罰落ちるかなぁ」

「落ちないよ」

「何にもなかったんだ」

「何にもなかった」

「よかった。それなら私、お咎めなしで今の幸せをお金でもぎ取ったって事だね」

「……そうなる。なんか清純さに欠けるけど」

「別に汚くないよ。それだったらお金取るおみくじの方に非があります」

「ついにおみくじに罪を」

「一喜一憂するより、幸せな結果になるまでぶつかる方がいいな、私」

「……それは……まぁ、一理ある」


そういう考え方は嫌いじゃない。

ぐねぐねした道を行くより、まっすぐ色々ぶっ壊して目的を達成した方が好き。楽しい。

もちろん、それはリスクが自分だけにかかる場合に限るけれども。要は一人遊び。


「というわけで汐里、こちらどうぞ」

「こちらって」


渡されたのは別の大吉。……2枚目ですと?


「まさかだけど、2枚目を引くために?」

「そんな感じ。良いことあるといいね?」

「……こういうの、他人から貰ったらよくないんじゃ」

「そんなのは全部誰かが言い出したことです。結局は自分がどう楽しいからだよ」

「……まぁ、うん……」


渡された大吉を眺める。

内容を読もうと思ったけど……やめた。適当な所にしまう。

重要なのは大吉を手にしたって事だ。多分。


「……。用は済んだ?」

「うん。次々行こっか」


先導する実束について行く。

“何か”がいそうなポイントはまだまだある、って感じに。実際そうなんだろうね。


あちらこちらに建物があったけど、それぞれがどんな役割なのかはよくわからない。

とりあえず大きな鳥居を通って、上へ上へと階段を登っていく。

……なんとなく「伏見稲荷」がどんなところ……ってテレビで言ってたか思い出してきた。何かがいそうなポイント、たしかにあそこはいかにもそれっぽい。


「あ、汐里汐里」


そこが目の前、といったところで三日の声。

今度は何か……と見てみたら、小さな店がそこに作られていた。


「扇子だよ扇子!なに買う?」


買うこと前提か、と思いつつ実束に追いついて品物を物色する。

……まぁ、うん。これだろうか。


「……やっぱりそれなんだ」

「やっぱりって何ですか」

「青いの選ぶだろうなって」


……何故察知されているんだろう。

私が選んだのは大部分が金で塗られた、花の絵柄の扇子。花部分は青色。

花の名前はわからないけど、まぁ、それっぽいの。

金の方が占める割合こそ多いけれども、この扇子のメインは青色だろう。うん。だから選んだ。

……だから察知されたの?


「汐里、服も青色じゃん」

「…………」


自分の服を見てみる。

適当に薄着を引っ張り出してきたけど……水色だ。うん。

…………。


「……実束は猫なんだ」

「ん?うん、猫。かわいいよね猫」


……なんでこう、それを私を見て言うの。

いや見るのは普通?違う、なんか違うの、どちらかというと会話の為にこっちを見てるというか、こっちに向かって言ってるというか……

…………ああ、もう。話を逸らそうとしたのに。


「……まぁ、うん」


扇子をしまって、店から離れる。

話を続けるとあまり私がよろしくないと思ったから早々に切り上げる事にした。


「あっ、まだ私お会計してない」

「先に仕事してるから」

「むー」


しまったばかりだけれども扇子を取り出してぱたぱた扇ぐ。

暑さは少しマシになる。

正直、内輪の方が耐久性等も加味して使い勝手はいい、けれど今はこれでいい。

理由は考えないことにする。だから答え合わせは期待しないで。

言い訳を重ねつつゆらゆらと歩く。

目的地と思われる所にはすぐについた。元々目の前に店が置いてあったんだし。


……鳥居。それが、いくつもいくつも奥は並んで行っている。鳥居の道だ。

名前は……えーと……百……じゃない。ええと。

なんだっけ。ひゃく……じゃなくて…いや百だったような。むう……?


「千本鳥居だよ汐里、千本鳥居」

「そう、千本鳥居。……じゃなくて。……じゃなくて」


思考が口に出てしまったせいで、本来言おうとしていた事が吹っ飛んだ。

でも口に出た言葉自体は別におかしくないので……ああああ、ぐだぐだ。


「じゃなくて?」

「……なんでもないよ、なんでも」


仕切り直そう。さっきから調子が狂いっぱなしだ。

いつも通りの私で……

……いつも通りの私……か。


……私、なんで来たんだろ。

いつも通りもなにも、ここに来ている時点で……

…………。

考えない。

……本当に、それでいいんだろうか。

なんだか、そんな気がする。

今の私はいつも通りじゃない。朝からずっとだ。

それについて、本当に、考えなくていいのだろうか。

いや。

そもそも、考えて。どうするつもりなの?

今の状態は……嫌?


「…………」

「汐里」

「……ん?」

「いこ」


実束が鳥居の前に立って、こっちを見ていた。

別に何か特別な表情をしている訳じゃなかった。

いつも通り。うん、いつも通りに。私の行動を受け入れて、普通に接していた。

それは、正直、どう?


「…………わかった」


……目線が内側から外側に向いた。

ようやっと、ピントが合った…気がする。

ああ、正直、嫌じゃないとも。色々思うけど……一番は、有難い気持ちだよ。

ごちゃごちゃ考えてるより、今はこの場所に目を向けた方がきっといいや。

せっかく、実束といるんだから。

うん、なんかちょっとすっきりした。



鳥居が囲む道を歩く。

非日常の極みだ。鳥居の間から見える木々がここが自然の中である事を感じさせる。

その自然感も相まって、この空間が何か異質なものに思える。鳥居の先が別の世界にでも繋がってるような、そんな感覚。入口の巨大な鳥居の時は半ば冗談で思ったけれど、こっちは先が見えない分本当にそんな気がしてくる。


「……なんというか……うーん、なんて言えばいいんだろ?汐里、何かない?」

「不思議、でいいんじゃないかな」

「なるほど、不思議。うん、たしかに不思議な感じ。なんでこんなに作ったんだろね?」

「どっかで鳥居は人の世界と神様の世界の境目とかなんとか言ってたの見た気がするけど……」


こんなにあったらなんか大変な事になりそうだよね。

歩いてるだけで向こうがわ神様の世界に行ってこっち側人の世界に戻っての繰り返し……あれ、それキックのポーズ取ったらディメンションなキックになりそうな。

……それはまぁ置いといて。

何か良いことでもあるのかな、こんなに並べて。


「どう、汐里」

「え?」

「なんかの気配。する?」

「あ……」


……忘れてた。

歩きながら、意識を違う所へ。外側とは違う場所へピントを合わせる。

その結果としては……まぁ、予想はしていたけれど、何もない。

ただ実束を感じるだけ。


「…………」


でも。


「……どうだろね?」


曖昧にしてみた。


「え、どうだろねってどういう事?」

「ひみつ」

「えー。汐里にしかわからないのにー」

「実束も頑張ればわかるかもよ」

「私はなんとなく汐里がいる方向しかわからないんだってばぁ」


何も感じない事を言うのは簡単だけど、それはあまりにも夢がない。

そう、夢がないんだ。今、この無数の鳥居があるこの空間から、夢を奪い尽くしてしまう。不思議な建造物から、無駄に建ち並んだ建造物へと変えてしまう行為だ。

それはしたくない。私はもう知ってしまったけど、せめて実束にはまだこの雰囲気を楽しんでほしい。

そのうち私も“何も無い”事を忘れて、何かわからない世界に浸れるかもしれないし。


「どこまで行くの?」

「んー……適当に」

「大雑把だね」

「細かい事考えるの苦手だから、私」

「誇らしげな顔で言う事じゃないと思うなあ」

「汐里だって、結構大雑把な所あると思うけど」

「……そう?」

「ほら、指示を出す時もさ。ビームで全部まとめて薙ぎ払えだとか、全部まとめて押しつぶせだとか」


言われてみると……結構雑なのかもしれない?


「いやでもそれはこう、手っ取り早いし……」

「いやー、思いついても中々実行しようって気にはならないよ。たまにすごい事考えるよね、汐里って」

「……そうかな」


冷静になって思い返してみる…………あー、やりたい放題もいいとこだね、うん。


「でも……ほら、容赦しない方がいいよ。現に危険な事少なかったでしょ?」

「そだね、それも確かに。私は汐里の大雑把さに救われてるんだねー」

「言い方……」


……それを言ったら救われてるのは私の方なのに。

言った事をちゃんとやってくれるから今があるんだから。

そう、いつもいつも実束はやってくれる。

疑問を持たず、言う通りに。


「……ねぇ」

「ん」

「実束さ…不明晰夢で、いつも戦ってくれてるけど」

「うん」

「その、疲れたりしない?平気?」

「ふむ」


鳥居が後ろへ流れていく。

実束は歩く足を止めずに考える。

私はただそれについていく。

暑さはあまり気にならなくなってきていた。


「……んとね、まず」

「はい」

「心配してくれてありがとね」


うぐ。


「…………」

「それで、疲れてるかって話だけど……疲れてたよ。汐里が来るまでは」


荷物を引きながら、こっちに振り向いた。

それでも止まらない。後ろ歩き。


「会ったばかりの頃、言ったでしょ?汐里が来てくれて嬉しかったって。ずっと一人で寂しかったって」

「……前向かないと危ないよ」

「それだけでもすごく嬉しかったのに、汐里はどうすればいいかまで教えてくれる。一人ぼっちで、どうすれば正解かわからないような毎日がすっかり変わったんだよ」

「だから、実束」

「汐里がいないと不安で不安で仕方ないかも。汐里には悪いけど、私楽しいんだよ?今じゃ疲れるなんてこと無い。汐里が変えてくれた」

「………………」


実束は屈託のない笑顔でそんな事を言った。

私はどんな顔をしてるの?わかんないけど、わかんないけど、妙なことになってる事だけはわかる——


「……ふふふ、汐里ふにゃっとしてる」


蹴ろうとした。

荷物が壁になる。

射程範囲外。


「…………ぐぬぬぬぬ……!」

「あははっ、でもほんとだからね?汐里には本当に感謝してるし、これからも

「わ——私だってね、実束には感謝しかなくて!」

感謝し…えっ」

「いつもいつも大事な時には必ず来てくれるし守ってくれるし!実束が居なかったら私は不安で押しつぶされちゃうと思う!私の言う事のその通りにしてくれて本当にありがとう!お陰でとっても助かってる!実束は私を安心させてくれる大事な存在で!今みたいに私をどこかへ引っ張ってくれるのもほんとは嬉しくて!それに……!」


鳥居の流れが止まっていた。

思考が今に追いついて、目の前を認識した。


「……えと…あ……」


…………実束の顔は、ふにゃっとしていた。


「………………」


私の顔も、多分ふにゃっとしてると思う。


「……………あり、がとう」

「……………はい」


……ここから、どうしよう……


沈黙しながら見つめ合う最中、なんだか蝉の声がよく聴こえた。

私たちが止まっても、時間は気にせず自分勝手に流れていた。


……ああ。

暑い。




………………………………。




なんやかんやあって伏見稲荷を後にした。

利害の一致というか、あれから特に話の続きはしなくて、言及もしなかった。

適当な所まで行って、引き返して、次の場所へ。


「これ、どこ向かってるの?」


途中で買ったソフトクリーム(抹茶)を食べながら訊いてみる。

抹茶って発想に至った人はとても賢いと思う。美味しくない訳がないね。紅茶とかないのかな、なんでかな。


「次はね、清水寺って所だよ」

「はむ……訊いたことある。身投げ名所」

「そう!……そう?……そう!」


昔の人の考えることはよくわからない。

今飛び降りたら普通に怒られるよね。そもそもやらせない為にバリケードとか作ってあるんだろうか。……いや、アレだ。雰囲気が壊れるとかで付けてないかも。


坂を登る。遠くの方に門……の前に階段が見えた。


「……あっちもそうだったけど、どうして階段を登らせるのかな」

「んー……伏見稲荷はともかく、こっちは高い所に作りたかったんじゃないかなぁ。清水の舞台って言うからには、てっぺんの高いところで何か催し物でもしてたとか」

「偉い人は高いところに行きたがる」

「案外そんな理由かもねぇ」

「それに私たちは付き合わされてる、と…」

「自分から行こうとしてるんだから、そこはまぁ、ほら」

「……まぁ、うん」


ソフトクリーム再開。

食べる方に意識を向けていれば割とすぐのはず。多分。きっとね。

……階段登り切るまでに持たなそうだなぁ……


「おんぶしよっかー?」

「流石にそれはいいです」

「あらそう」

「……。頑張る、頑張るから」

「うん、ふぁいとだよ汐里!」


日差しは相変わらず容赦無い。

門の先が、遠く、遠く見えた。




「……実束」

「うん」

「休憩」

「そだね」


ひとまず登りきった。

途中で案の定ソフトクリームは力尽き、いよいよ階段に意識を向けつつ登ることとなった。

時間を気にしていると時間が流れるのが遅いように、階段を気にしていると階段がとても長く感じる。

だけど登りきった。だから休もう。まずは休もう。

適当に座れそうな場所……が無いから荷物の上に座るとする。


「……はぁぁぁ……」


勝手に息が外へ出て行く。思い返せばここまで結構歩いた……みたいな感覚がある。


「ひとまずお疲れ様。はい」


荷物から取り出したと思われる飲み物を受け取る。

ソルティなやつ。結構好き。

飲んでみた所、身体が欲していたらしくどこまでも美味しく感じた。飲み干す?水分補給はこまめに少しずつが良いとか何処かで見た。なるほど。

飲み干した。


「っっっはぁぁぁー!…はー、はー……」


幸せを感じる。充足感。充実感。達成感。……最後のはいらないのでは?

まぁ幸せボーナスです。コストはペットボトル一本分の飲み物。

息が切れるのは必要なこと。達成感の証の一つ。だよ。


「ん」

「ん?……ん」


手を差し出されたので、一瞬思考した後実束にペットボトルを渡す。

何処かにしまったらしい。


「……ありがと」

「いえいえ。汐里にはたくさん手伝ってもらってるし」

「私自身、何かしてるって意識も感覚もないけどね……」


ふと、後ろを…自分が登ってきた階段の方を見てみた。


「うわ」


……さっき歩いていた所は遥か彼方…っていうのは過剰かな。

でも、ずっとずっと下の方になっていた。あんなちっちゃな所を歩いていたのか、みたいな気分。


「こんな登ったんだね……」

「だねー。全然そんな感じしないけど」

「……それで、目的地はもっと上と」

「……登りたくなくなった?」

「ううん。ここまできたら登るとこまで登る」

「おっ、えらい」

「どういう反応を求めてるのー?」

「こう、えへへって感じの」

「休憩終わり」

「回復早い!」

「何が何でも無反応だからね」

「じゃあ何が何でも反応させるー!」


元気だなあ。卓球部だから?

まだ不十分な体力のまま私は歩き出した。

上まではもう少し、のはず。




「一度苦難を経験すれば、その後は割とどうとでもなるってやつ」

「実際そんなでもなかったね」

「ねー……」


今度は寄り道せず真っ直ぐに目的地に向かって……いた。

どこまで、と考えずに歩いてれば意外と早くいけるものだなぁ、とか思った。

そんな訳で私たちは今、多分清水の舞台ってやつの入り口にいた。どこからがどこ、みたいなのはよくわからない。でも適当でも誰かが困る訳でもない。

木の床に足を踏み入れる。


「……なんか、木だと不安になる。崩れそうで」

「全面鉄にしちゃえば安心ですよ」

「それはそれで落ち着かないと思うなぁ…」


鉄でできた床なんて今後出会う事があるのだろうか。

想像してみたけど、なんだか床に拒絶されてるみたいな感覚がある。使ってないのは使ってないなりに理由があるんだろうね。

木の床はその点で言うと足からの力を吸収している感じがする。どうぞお構いなく踏んでくださいって言ってるみたい。

その通り踏んでみる。げしげし。

びくともしない。得意げな木の床。


「……撤回する。この床は信頼できる」

「なんと」

「踏んでみたらなんか安心したから」

「汐里が何かに目覚めちゃった…!」

「違うから……」


自分でも誤解を招きかねない言い方だったのは思ったけれども。

進んでいくと、すぐに周囲は木材で囲まれた。

これもまた安心感を覚える。なんでだろ。自然にあるものだから?こんなに加工されてるのに。

きょろきょろと周りを見回してみる……と、“外”が見えた。

目を逸らす。それはまだ。一番見える所で見るつもりだから。

他の物は何か、と思った時、でっかい鉄?の棒を発見した。


「あ、これ錫杖だよ汐里」

「何かあるの?」

「片手で持ち上げられると願いが叶うとかなんとか」

「ふうん……」


また願いが叶う系ね。

とりあえずでっかい方を持ってみる。

手を添えてー、力を入れてー。

力を入れてー。

……力を入れ、てー。


「汐里、女の子はちっちゃい方だよ」

「あっそうなの」


あっちはイージーモード的なのかと思ってた。

なのでちっちゃい方に手を添えて、力を入れて。

………………力を。

入れ。て。


「…………実束」


私の手のひらに鉄が流れる。

私は上へ持ち上げる。


「そい!」


ぐぉん、と勢いがついて錫杖が持ち上がった。

やりました。


「……セーフかな?」

「いいんだよ別に。私は私の力で持ち上げただけなんだから」

「私の力も混ざってるけど…」

「割合的にはほぼ私だからいーのいーの」


満足。錫杖を下ろす。

もうここには用は無い。


「そい!あっ汐里汐里!持ち上がったよ!」


実束は鉄無しで持ち上げていた。強い。

これで私も実束も願いが叶う、らしい。


「これで願いが叶うね。何がいいかなー」

「願った所であんまり意味がないよ」

「どうして?」

「どんな願いを叶えるかは多分適当だから。例えば、今あっちに行きたいとか考えたらそれもまた願いの一つ」

「なんだって……そんな事の為に錫杖パワーが消費されてしまうと言うの」

「私的には、ちょっと違う考えかな」

「というと?」

「私たちは、普段から神頼みなんかしなくても願いを叶えてるって考え方。私たちは願えば割となんだってできるんだよ」

「ほほう……神様の力は必要ないと」

「あってもなくても、そんなに変わらないって感じ。それでも、まぁ」


元の位置に戻った錫杖たちを見てみる。

ただの金属物。


「貰えるものは余さず貰っておくよ。自分にとってプラスになるのは変わりないんだから」


今の会話ができてるように。


「ふむ……なんか難しいけど……わかった。つまり、神様って大したことないんだね」

「……それでいっか。それか…大したことをしたら怒られちゃうのかも」

「干渉しすぎだーって、偉い人から謎のビームが飛んでくるみたいな」

「何そのイメージ」


……神様なんかいないって私はわかってる。

そう思わざるを得ない経験があるから……とかじゃない。

神を信じないとか、神に頼らないとか、そういうのじゃない。むしろ、居るって思ってる。

でも、もう本当にいないんだ。

前は居たかもしれないけど、今はもう確実にいない。

もし居たのならどうにかして欲しかったものなんだけど。それも無かったから。


「……でも、まぁ、そんな感じかもね」

「お姉ちゃんのアレみたいなビームが飛んできます」

「あっ、神様もちょっと厳しそうだそれ」

「でもピカピカしてそうだよね、神様ビーム。威力はどうか知らないけど、指向性ならお姉ちゃんが勝ってるはず!」

「神に喧嘩売ろうとしないのー」


会話をしながら先へ進む。

外から目を背けて進んだ先に、今歩いている床とは違って綺麗な床の空間があった。一段上になっている。

これが多分、舞台。奥の方にお偉いさんがいて、その前でそれっぽい人が踊ったりするのかな。

そして、その反対側が……外だ。


「…………」


……振り返ってみる。


あえて目を逸らしていたそこには、緑が広がっていた。

手すりに近づいて、その風景を眺める。


「実束」

「ん?」

「しばらく眺めてていいかな」

「いいよ」


少しだけ身を乗り出す。

風が吹き抜けて私の髪を揺らした。


視界には今のこの世界が詰まっている。

びっしりと詰まった木々。緑の単色じゃなくて、淡かったり、濃い色だったり。

鳥が飛び立って何処かへ行くのが見えた。

ここから見えなくとも、あの緑の内側で虫やら動物やらがそれぞれ蠢いているんだろう。


————再認識。


当たり前のようにそこにある事を受け入れた目の前の世界。

それを、一度拒絶して、理解し直す。

もう一度、それがそこにあることに疑問を持つ。

当たり前を、当たり前じゃなくする。

色んな思い込みが解けていく。

世界がそこにある事を認識する。


「………………なぁんだ……」


そしたら、なんとなく、思った。

世界は単純だと。

普段の生活で色んな事が私に絡みついてる。

それは全部人間が勝手にこんがらがらせた物で。この世界をめんどくさく、ややこしくしたのは全部人間の思い込みで。

だけれど、そんなの気にしてる暇は無いんだろうね、大人が生きてる世界……社会って。

もっと簡単に生きられると思うんだけどな。社会って、なんでそんなめんどくさくなっちゃったんだろう。

ただ生きるだけじゃないか。本当にそれだけ。少なくとも今見ているこの風景は、ただ生きている。

ただ生きるだけの世界を面倒にしているのは、人の感情とか、意思とか、責任とか。

自殺に追い込まれるとか、精神疾患になるとか。ただ生きてればならないよ……


……こんな事言ったら、社会を経験してから言えとかそういう事言われるんだろうな。

ちゃんと大人になったら、今の私は死んでしまうんだろうな。

大人になるって、そういう事なんだよね。


……やだなぁ。


「……ねぇ」

「んー?」

「……変わりたくないよ、私」

「……」

「私は私が嫌い。少なくとも好きにはなれない。でも……」

「……大人になって。今の感覚を忘れちゃうのなら……今の私の方が、好き」


自分でも何を最終的に言いたいのかわからない。

でも、勝手に言葉は口からこぼれていく。


「夢が無いのは嫌い。夢が無い世界は嫌い。現実が嫌い。でも私は現実に生きてるんだ。そのうち、周りに合わせるしかなくなる」

「今の自分を失いたくない。でも、今のままだと、どうせ子供のまま大人になったとか言われるんだ。実際それは正しいと、思う」

「だけど……でも……」


出口を見失う。

がむしゃらに走って、通った道も分からなくなって、出口もわからない。そんな気分。

何を言うべきかわからなくなって、ふと思ったことが口から漏れる。


「……ここから飛び降りたら、気持ちいいのかな……」

「……どうだろ」


実束が初めて口を開く。


「多分、めっちゃ痛いよ」

「それはまぁ、考慮しないとして……」


想像する。

重力に引かれて、風をゆったりと裂きながら、まっすぐ落ちていく自分を。


「……なんか、ふわふわ落ちてみたい」


それは自殺願望じゃなくて。

ただ、落ちてみたいという単なる願望で、好奇心。

やってはいけないこと。やったら死んでしまうからできないこと。

それをしてみたいってだけのことだ。

自殺願望じゃなくて、束縛された事をやってみたい。

自由になりたい。


「んー……夢の中ならできるかも」

「……そうだね」


そこで、言葉が止まった。

世界は何にも変わらない。私が何を話そうと、何も反応を示さない。

出口を求めてたわけじゃないんだ。ただ、漏れ出ただけ。

実際に何かしたいわけじゃない。ただ、ちょっとだけ溢れただけ。

だから、これで終わりでいい。


「やってみる?」

「ううん。……また、今度にしよう」


手すりから離れる。世界の観測をやめる。もう満足した。

まぁ、高い所に作った理由、ちょっとわかった気もした。

悪くない。


「ここはこれで終わり?もう次のところ行くの?」

「あーっとね……ううん、もう一つ行くところあるよ」

「そっか」


「じゃあ、ついてく」

「うん、ついてきて」


実束は来た道を戻っていく。

私はそれについていく。


…………そういえば。


一つ、思い出した事があった。


「……」


どうするか。

ちょっとだけ考えるけど……


「……ま、いっか」

「んー?」

「なんでも」


思い出したように扇子で扇ぎながらそう答える。

うん、なんでもない。

どうせ、元々ただの口実だったんだろうから。

どうせ、何にもないんだから。

何も無いとわかるよりは、何かあるかもしれないのまま放っておきたい。


それに、重要なのはきっとそれじゃない。

今日の私の役割は、それじゃない。




「そんな訳で。汐里、一緒に入りましょう」

「…………胎内めぐり、と」


私は看板に書かれたその名前を読み上げた。

胎内めぐり。名前は聞いた事ないけど、文面からなんとなく該当する記憶がある。

多分、真っ暗な中を歩くやつだ。


「汐里は暗いの大丈夫…だよね!」

「ん」


入り口と思われる場所から下っていく。

実束も私の後ろに続いて下る。

徐々に光量が減っていく。光が届かなくなっていく。

下って、下って、下って。


「……何にも見えない」

「ほんとに真っ暗だね」


目を閉じても、目を開いても、視界に変わりはなかった。

遠近感が失われた。目の前に壁があるような錯覚に陥る。

圧迫感。前に進みづらい。壁に手をつこうとしても、空ぶるだけで中々何にも当たらない。

壁伝いに歩いたって、あんまり信用できない。くねくね曲がってるんでしょう、どうせ。


「…………」


……ああ、でも、信頼できるものがあった。

こんな光が全く無い空間でも、“視れる”ものがある。

私はそれに手を伸ばした。


「あ」

「おっ?」


向こうも手を伸ばしていた。

なので、握手を交わすような形になってしまった。


「……見えるのが、それしかなかったから」

「私も」


多分、実束は笑ってると思う。

私は……どうせ見えないだろうから、好きにした。

相変わらず先は何にも見えないし遠近感も何にもないけど、それでもなにかが変わった感覚がある。

実束が隣にいる。感覚だけじゃなくて、確かに存在を認識できる。手を繋いでいるから。


「……このまま行こっか」

「汐里、私思いついたんだけど」

「なに」

「この機会にさ、恋人繋ぎってやつしてみたい」

「好きな人に取っておきなって」

「汐里が好きです」

「はいはいーじゃあ好きにしてー」


手から力を抜く。

実束の指が、隙間に入り込んでくる。

手のひらが密着して、さっきより距離が近くなる。

……なるほど。


「どう?」

「…………なんか、なんていうかー……えへへ…」

「感想になってないよー」


少し上擦りそうになる声を抑える。

どんな顔してるんだろ、実束。……私も。


「なんか、いいね、これ。好きって感じ」

「満足?」

「ううん、まだまだ。このままいこ?」

「……はーい」


昂ぶるものを抑えながら話す。

せっかくの暗闇なんだもの。出来るだけ、色々隠しておきたい。

実束が歩き出したから、私も歩き出す。

壁に手もつかず、通路の真ん中を歩く。


「よく進めるね」

「えこーろーけーしょん……壁に反射した音を聴いて空間を把握し……」

「鉄流してるのバレてるからね」

「あっ、やっぱり?」


実束の力を足元から壁にかけて感じる。鉄で空間を把握してるみたい。

つくづく便利。


「緊張感も何もないね」

「だって、先がわからないの怖かったから……」

「それはわかるけどさ」


私だって、実束の力を感じはするものの正確に空間を把握できてるわけじゃない。

なので、実束を信じて側をついていっている。若干の怖さはあるけれど、それを気にしないふりをして歩いている。


「いきなり天井が崩れてきたりして」

「実束なら鉄でなんとかなるでしょ」

「たしかに。奇跡的な生還!って有名になっちゃうね」

「そうなったら困るよ」

「どうしよ」

「こっそり抜け出す」

「なるほど、行方不明と」

「そういう事にしておけば、まぁ、その内忘れられるだろうし」


どれだけ進んだんだろう。

まっすぐ進んではいないのはわかる。けれどそれ以外はさっぱり。

出口はいつ来るんだろう。


「……胎内めぐり、だよねこれ」

「うん」

「胎内って言っても、もうちょっと明るくない?」

「だよね。ここまで真っ暗なのかなぁ」

「……どちらかというと……」


視覚が失われると、世界のほとんどが認識できなくなる。

音だって、足音、空間の音、実束の声、そのくらいしか聞こえない。

感覚は実束の手だけ。

この手が離れたら、なんにもなくなる。繫ぎ止める物が無くなって、宙に投げ出される。


「……死んだ後って感じ」

「……。汐里は、死後の世界はこんな感じって思ってるの?」

「……わかんない。だけど、普通に考えたら……何にもないはずだよね」


頭の中のイメージを、縮小して外に出す。


「生き絶えたらその時点で終わり。感じるものは無い。死後の世界があっても、私たちは存在を感じ取ることすらできない。だから……今の状況は、ちょっと近い気がして」

「……ふっふー」

「なんですか」

「つまり、死ぬ時は一緒ってやつだね」

「…………」


そういう話じゃない。

……ないから。そういう話じゃ。

思考が動いていく。

色んな想像へつながっていく。


「…………」


辿り着く先は、どれもこれも。


「…………馬鹿」

「えっ」

「そういう事言っちゃ駄目」

「汐里?」


……先に、僅かに光が見えた。出口?

違う、外はこんなに淡い光じゃない……

その光の元には、その空間の中心には、梵字…だったか。それが刻まれた石があった。


「……えと、汐里。その石ね、回してお祈りすると、願いが叶うってやつなんだけど…」

「…………」


願いが叶う。

左手を石に向かって伸ばした。


「…………」


でも、止まった。


「……違う、駄目」


思考が溢れでる。


「人任せになんかできない」


右手に力が入る。

実束と繋がっている右手を、ぎゅっと握り直した。


「出来ることはそんなに無い、けど。それでも……私が、実束を死なせない。だから……」


だから。

願い事は決まった。ううん、願い事じゃない。

左手が石に触れる。

回す。

回して、祈る。


「…………」

「……えっと……何、お願いしたの?」

「…………」


言語化。

できた。


「……何処の誰だか知らないけど。願いを叶えるのなら、実束を死なせない手伝いをしろって」


実束が沈黙した。

どんな顔をしているのか、と気になって、実束の方を見てみる。


「…っふ……ふふふ……」


……笑いを堪えていた。


「……それはどれに対しての笑いなのー?」

「いや……ふふふっ……やっぱり汐里、結構大雑把というか、乱暴だよねって……あははっ」

「…………むう」


人任せにできないから、なら手伝ってもらおうって思っただけなのに。


「うん、ううん、ごめんね、嬉しいよ?ありがとう」

「感謝が全然伝わらないんだけど」

「む。ほんとなのに」

「言い方が悪すぎるんです」

「そっか、ならば」


繋いだ手を引かれて、私は少し前のめりになる。

視界がまた真っ暗になった。

でも、これは光が無いんじゃなくて、光が届かないやつ。


「……肉体言語!」

「ちがう……」


その辺りでようやく何をされてるか理解した。抱きしめられてる。手は繋いだまま、片腕だけで、ぎゅーって。


「あの……実束」

「うん」

「その、わかったから。離れてくれると」

「うん」

「その返事離れる気無いよね」

「うん」

「あの、暑い」

「うん、熱い」

「熱いから……だから……」

「やだ」

「どうしたら離れてくれるの」

「衝動が収まるまで……」

「…………」


元より抵抗する気は無かったけど、身体から力を抜いた。

それしかないみたいだったから。


「……恥ずかしいくせに……」

「汐里、声に余裕が無くなってるよ」

「実束は声が上擦ってる」

「……そ、そうかな?」

「低くしても遅いよ」

「…………じゃあもう隠さない」

「……そう」


そのまま、時間が過ぎる。

実束は、私よりちょっとだけ背が大きい。

だからかどうかはわからないけど、私は実束の肩に顔を埋める形になってる。

……まだ続いてる。ちょっと苦しい。


「…………」

「…………」




「実束」

「死なないで」



「うん」

「死んじゃったら、汐里を守れないもんね」

「汐里の為に死なないよ」

「だから、汐里。死なないで」



「……」

「わかった。実束の為に、死なないから」

「だから、実束も、死なないで」



「……うん」




抱きしめる力が強くなった。

繋いだ右手が強く握られた。


……死なないで。


それも本心からの気持ち。いつもいつも実束にだけ戦わせて、危ない目に遭わせていて、ずっとずっと心配なんだ。

でも。ちょっと違う。

遠回しなんだ。本当に、本当に言いたい事はわかってる。


でも……言わない。

だって、ちょうど、いい感じに纏まった所だもの。

これ以上なにかを言うのは蛇足ってやつだ。


だから……口には出さず、抱かれながら、私は心の中でそっと呟く。




実束。


離れないで。


居なくならないで。






私は抹茶ソフト。

実束はバニラソフト。

それぞれを食べながら私たちは坂を下りていた。

胎内めぐりも終わって、清水寺を後にして次の場所へ移動している所である。


ふと実束がこっちを見ているのに気がついたから、抹茶ソフトを差し出した。

同時に向こうからバニラソフトがやってきた。

ちょっとだけかぶりつく。


「……うんうん」


うん、バニラも良いものです。王道だね。


「たまに食べると美味しいんだよね、抹茶」

「バニラも同じだよ。スタンダードで原点はやっぱり強い」

「……も一口良い?」

「うん」


もう一度一口ずつ交換。


……味に変わりはない。

でも、何だか……楽しい。


少し気分が良くなってきて、ふと目についた実束の荷物に乗っかった。


「タクシー、お願いしていい?」

「おっ、乗る気になった?」

「まぁ、うん」

「どこまででしょう」

「実束が行きたい所」

「りょーかーい」


私を荷物に乗せたまま、実束は歩き出す。


私はしばらく流れてくる背景を眺めていたけれど、じきに目を閉じた。

今のこの感覚に。今のこの時間に、できるだけ浸ろうと思った。

座ったまま眠るのも、中々良いもの……だよね。




………………………………。




目を開くと、周囲は緑に満ちていた。

一目見て感じたのは山の中。音はなんとなく聴いていたけど、いつのまにこんな所に来たんだろうか。


「起きた?」

「ずっと起きてたよ。……山の中?」

「多分こっちで合ってる筈なんだけどなぁ」

「……大丈夫?」

「大丈夫大丈夫、あともう少しの…はず」

「……焦らなくていいよ。私はついてく事しかできないし、そうすることを決めたわけだし。ひたすら実束についてくよ」

「ん……おっけー。のびのび進むね」


改めて周囲を見る。……ほんとに緑ばっか。一応、道はあるけれど。

こういう中にいるのは嫌いじゃない。虫がいなければね。

足場が悪いから、がたん、ごとんと荷物が揺れて、私も揺れる。

うん、こういうの好き。

見上げれば、夏の光が葉っぱの間から私たちを少しだけ照らしている。少しだけ、と言ってもその光量は十分すぎる。

だけど、風で木が揺れて、光が煌めくのはとても良い。幻想的、って言うんだろうか。

仮に道に迷ってるとしても、こんな風に迷ってるなら感謝すべきとさえ思う。歴史的な建造物を見なくても、これはこれで確かな価値がある。


「…………」


視界を前へ戻す。

別に何かを喋る気にもならない。今は、ただこの空気と風景を楽しむ時間。

がたん。ごとん。

歌でも歌ってみようか。そんな気分。

一人だったら歌ってたかもね。今は実束がいるから、心の中だけで。

曲を選んで、思い出して、流し始める……


「…………?」


違和感。

感覚的な物じゃなくて、現実的な方の違和感……違和感の元は…空気?

ちょっと肌寒いような。具体的な事は何も言えないけれど、何か、予感がする。経験則で。

こういう空気になった時は————


「………………あっ」


該当項目有り。


「実束!」

「んー?」

「どっか屋根があるところ探して雨降りそう!」

「えっ。……あ、確かにそんな気がする!」


実束も気がついたらしい。

急ぐだろうから荷物に掴まろう……と思ったら鉄が伸びてきて捕まった。鉄製シートベルトだ。

がたんごとん、とゆったりとしていた実束タクシーは一気に特急なタクシーに変化する。

余裕無く変化する背景。これはこれで楽しいけど、楽しめる気分ではない。

いつのまにか葉っぱから漏れる光は弱くなっていた。雲がかかっているんだ。

そして、見上げる額に一つ。


「ひぇっ」

「どしたのー!?」

「水滴!雨!落ちてきた!」

「あっこっちも来た!」


と、なると…まずい。

あちらこちらから音が聴こえた、と思った頃にはもう雨は私たちへ容赦なく降り注いでいた。

いや、強い。めっちゃ強い。音がただの騒音だ。

何か言おうとしたけどこの雨じゃ声も届かない。大変だ。

そんな風に思っていた時、荷物が方向を急に変えた。

どうしたんだろう、と思って行き先に目を向ける。


白い雨のカーテンの中に、黒い影があった。





「濡れたねぇ……」

「致命傷じゃない…うん、致命傷ではない……」


滑り込むようにその建物の中に入って、とりあえず一息つく。

中は木造の空間だった。結構古く見える。

形状的には、剣道場とか、そういう感じの長方形の空間。

そんな建物なので、中に誰もいないのは一目見てわかった。まるで緊急の避難所みたい……にしてはちょっと小さすぎるかも?

何であれ雨がしのげそうでよかった。


「いやー……びっくりしたね」

「うん……」


実束から渡されたタオルで一通り顔とか色々拭いていく。

用意いいよね、実束……

実束は服を脱いでいた。


「えっ」

「ほら、汐里も脱いで脱いで。ハンガーあるから」

「……用意いいね……」


一体何を想定していたのやら。

言われた通り濡れた服を脱いで、身体を拭いてから明日の分の服に着替える。

濡れた服はハンガーに通してかけられそうな所にかけておく。

これでとりあえずはよし。

後は雨が止むまで待つだけ。


「ふぅ」

「汐里」


んー?と思って……見てみたら、実束は毛布を纏っていた。

纏った毛布を広げてこっちを向いていた。


「なんでも持ってきてるね」

「ふふん。汐里のお陰で持ってこれたんだよ」

「……そっか。じゃあ、うん」


自分なりに納得して、歩いて行って。

ばふん、と私は毛布に食べられた。

そしてそのまま二人でその場に座り込む。


「これなら風邪引かないでしょ」

「うん。ありがとう」

「いえいえー」


向き合うのは恥ずかしいから、私たちが入ってきた入り口の方を向く。

実束もそうする事にしたらしい。肩が当たる。

あったかい。



……あったかい。

布団に包まれて。

体温分の温もりが包んで。

身体が暖かくなる。それは眠る時の、身体?


あれ。なんだ?


「…………」


今の状況を、再確認する。

入り口はより一層強くなった白が塞いでいる。先が見えない。

建物の中に響く音も激しくなっていく。屋根に打ち付ける雨音、外から入ってくる雨音。雨が降る音と言うより川が激しく流れる音に近い。


「…………」


外からの音も、外の風景も、雨に遮断されてしまった。

今私が受け取れる情報は、この内側の空間から、だけ。



「………………」



だから。

塞がれてる。



「……………?」



塞がれた世界。観測できない外側。

観測できる内側。縮小した世界。

外には本当は世界が広がっている。でも私が見ない限り、そこには無しかない?

……なんだっけこれ。

この世界には私しかいない。ひとりぼっち。

誰かがいる。ううん、違う。それは私で。

なにかが違う。



「……………………。」



あの外には、雨が降っている。雨が、なにもかもを塞いでいる。

本当に、そうだったっけ。


私、知ってる。この心地よさを知ってるんだ。

違和感、違和感が、心のどこかに引っかかってる。なにかの思い込みを見つけた。

雨、雨じゃないの。そんな冷たいものじゃない。そんな悲しいものじゃない。

これは冷たくなくて。違うの。

あったかくて、それで……


外から遮断されたこの空間に、なにかが満ちていく。

満ちていく?満ちていた?


外が見えない。

外を見ない。

見るのは、どこ?


視点が違う。

いるべき視点じゃない。

もう少し、動いて。

後ろに。引く?


捉え方の違い。捉え方の問題。

私、ほんとは。


音が聴こえなくなっていく。


世界が見えなくなっていく。


白く塗りつぶされる?違う。覆われて、見えなくなっていく。



世界の当たり前を無くして、全ての大前提を忘れて。


世界の在り方に、

疑問を持ったら。





「あっ。」




すとん、と。

腑に落ちた。


疑問に対する答えは、それはもう、あっさり出た。


ああ。


そういうこと。



「……そっ、か」



静かにつぶやく。


ふわり、ふわり。


もやり、もやり。


ずっと見えていた。ずっと視ていなかっただけ。

ずっと知っていた。ずっとピントが合っていなかっただけ。


私から漏れ出したのか。元々満ちていたのか。

どちらでも、そう大きな違いは無い。

どちらにせよ、ここがそういう所なのは変わらない。


気がついてしまったのは、不幸なこと?


ううん、ううん。

かもしれない。受け取れなくなったものがある。

でも、新しく受け取れる物が増えたから。

気がついてしまったのなら仕方ない。

今できる楽しみ方で、楽しむだけ。

気がついた。

気がついた上で、知らないふり。


それが、楽しみ方。


気がついたなら、もうそんなに長くはないかも。

でも。

できるだけ……まだ、今のこの世界に、浸っていたい。





「………………」


こつん、と頭を小突いた。

入り口は雨で塞がれている。

屋根に打ち付ける雨音はまだ収まる気配が無い。

雨音以外は、この建物は静まり返っていた。

目を閉じて、また開く。

この世界は変わらない。


「……雨、やまないね」

「だね。寒くない?」

「大丈夫、あったかい」


……そういえば、と頭に浮かんだ疑問を訊いてみる。


「どうして毛布なんか持ってきたの?まさか、今の状況を想定してたり?」

「流石にしてないよー。えっとね、汐里が移動中に寝ちゃった時用に」

「いやいや、流石の私でも途中で寝たりは……」

「さっき寝てたよね?」

「寝てない、寝てないからほんとに。ほんとだよ?ちょっとだけ意識レベルが下がったくらいだから全然」

「ほんとー?」

「ほんとですー。私とて安心して眠れそうな時以外は眠りませんー」

「ほほう。……じゃあ、今は眠れそう?」

「んー…実束が抱っこしてくれるなら」


こてん、と実束の肩に頭を乗せる。


「私は安心して眠れるよ」

「……それは、つまり……」

「ぶー。まだ眠りません」


ごろりと転がる。

実束の肩から膝へ頭が移動して、見上げるときょとんとした実束の顔がよく見えた。


「眠るのは夜が一番。眠るなら、実束も一緒がいい。今寝ちゃったら、実束は夜寝れなくなっちゃうよ」

「取っておく、って感じ?」

「せーかい。いっぱい疲れて、いっぱい眠ろ?」


恥ずかしいことをしている気がするし、恥ずかしいことを言ってる気がする。

でも、気にする必要は無い。

ここには他に誰もいないんだから。


「りょーかーい。……なんだか楽しそうだね、それ」

「でしょ?」


にひひー、と笑う。


「とすると、早く止んで欲しいんだけどなー」

「ふむぎゅ」


実束の手が伸びてきて、私の顔をふにふにいじくる。


「もしかして神様は私たちの旅を邪魔してるのかな」

「どぉだろぉ」


喋りにくいけどやめる気はなさそうなのでこのまま続行する。


「はっ……もしや、神様私たちに嫉妬して!?神様独り身なんだ!」

「いやいやー」

「じゃあこの雨はなんなんだろ」

「んと…ぅあたしてきにわねぇ」

「うん」

「むしも、逆じゃないかぬぁって」

「逆?」


ふにふにが激しくなってきた。


「んに…なんというか、むたりのくーかんを作ってあぇた、って感じ」

「……お節介神様だった!?」

「かもかも。……というか、実束の神様のイメージどうなってるの?」

「暇な人……」

「なんて失礼な」


でも、案外間違ってない、かも。

あと実束の手から解放された。


「神様のお節介だとしたら……へーいかみさまー!もう大丈夫だよー!」


白く遮られた外へ実束が声を送り込む。

ほとんど雨に飲み込まれたと思うな。


「……汐里、やまない」

「いやいや、やんだら恐ろしいって」


ごろん、と真上から横へ視界を変える。

……かすかに自分の中に気配を感じた。


「……あ、実束、このままだと寝ちゃいそう」

「汐里ー!?頑張って、夜に思いっきり眠るんでしょ!」

「でもここも心地いいしー…」

「それは嬉しいけど今じゃないと思う!ウェイクアッ!ウェイクアッ!」

「すやー」

「汐里!汐里!寝たら死ぬよ!睡眠は死んでしまいます!」

「…………かくなる上はこのでっかいハンマーで」

「そい!」


起き上がった。


「あ、よかった起きた」

「私的にね、寝たら死ぬ時にそれやったら死ぬと思う」

「大丈夫だよー。ちゃんと峰で打つ」

「鈍器から鈍器に変わったどけと思う!」


ほんとにやりかねないから危なっかしい。現に一回アイアンチョップ喰らってるしね。


「……あ、汐里」

「なんですー」

「後ろ後ろ」

「んー?」


後ろ、には出口があるはず。

振り向いてみる。

光が差していた。


「…………晴れてる」

「晴れたね」





揺れる荷物に腰掛けて、森っぽいところを抜けて、人に整備された道に出る。


「ふぅ……やっぱり道間違ってなかったよ」

「知る人ぞ知る近道ってやつかな。途中足止めくらっちゃったけどね」


雨でぬかるんだ道は歩きにくいし汚れるし基本的に嫌いだけど、太陽光できらきら光る雨上がりの後の森は結構好き。

それももう終わりらしいけど。遠ざかっていく森に小さく手を振った。


「それで、すっかり訊き忘れてたけど、これってどこに向かってるの?」

「ん、あー、えっと……」

「そこで詰まっちゃうんだ」

「あ、いや、大丈夫覚えてる。大丈夫だよ汐里。私大丈夫」

「ならいいんだけどー」


がらがらと振動が伝わってくる。

それに意識を向けていると、いつのまにか周囲の風景が変わっていた。


「……すきっぷすきっぷ、と」


おいしいところだけ見れればそれでいいか、って気分。

あっちこっちに行かないだけまだお利口なのかも。それとも私だから?

……と、考えるとよくないから考えないふりに戻る。

えぇと、目的地っぽい建造物が見える。

金色……あー、もしかしてあれかな。


「金閣寺だ」

「そう、金閣寺。鹿苑寺とも言います」


ここから見ると水の上に浮かんでいるように見える。向こう側からこっちを見ると中々新鮮な風景が広がっていそう。

誰か豪華客船金閣寺とか作らないかな。中々良いと思うんだけどどう?


「しかし……金色だねぇ」

「見事に金色だねー」

「実束、やっぱりこれって偉い人が自分の力をー、ってパターンかな?確かにインパクトはあるよね」

「昔の人って見栄っ張りだね」

「そういう時代だったんだよ、きっと……」


今もそう変わらない気もするけどね。


「……そういう時代だった、かぁ」


……なんだか急に、目の前の金の建物が、余裕の無いものに思えてきた。

自己顕示の為に作られた金色の建造物。なんとなく、踏ん反り返った誰かの様子が浮かんでくる。

ほんとは違うかもだけど、なら何で金箔なんて貼ったんだろ?……かっこいいから?それなら、好感が持てる。そういうのは好き。


「…………」


でも、これは眺めていても特に何も感じなかった。

すごいね、って所でおしまい。それで十分なんだと思うけど。

そんな事を思って眺めていると、荷物が動き出した。


「ふぇ?あれっ、もう行くの?」

「実は、メインはここじゃないのですよ」

「そなの?」


私も降りる気は無いので実束にただ連れて行かれるのみだけど。

ここに来てあの建物がメインじゃないとすると、なんなんだろ?





赤い長椅子。

赤い笠。

目の前に広がるのは自然の木々。


「…………」

「どう?メインじゃない?」

「……うん、うん。これは確かに……こっちの方が良いね」


そして、私たちの側に一つずつ置かれた……茶碗と、和菓子。

いわゆる抹茶である。

激しい陽射しも笠が上手い具合に遮ってくれるのでとても快適。


「花より団子って感じだね」

「それじゃまるで私が食いしん坊みたいだよ」

「そうかな?汐里、結構食べると思うんだけど」

「そんなそんな、今日だって食べたのはソフトクリームと」


ソフトクリーム、と?

なんだっけ。

何か嫌な予感がする。


「えっとね、ソフトクリーム二つと、たい焼きと、お蕎麦も二人で食べたよね。またソフトクリーム、確か生八ツ橋の試食食べて回ってたよね、あと」

「実束、もういい、そこまでで止まって」


そういう事らしい。うん、そういう事らしい。

適当言ってるだけなら否定できるけど、実際やりかねないのがなんとも……


「……でも、でもここだけは訂正させてください。花より団子気質はあるかもだけど、花を楽しめないわけじゃないからね!」

「わかってるってー。それはそれとして、いただこっか」

「うんいただこう」


茶碗を手に取る。

きめ細かな泡がたっぷり。

抹茶のこの香りって、どう表現したらいいんだろ。ただ抹茶の香り、ってだけじゃ味気ないし。

この素晴らしい香りをどうにか伝えたいものだね。

でも今は諦めて、と。

茶碗に口をつけて、ゆっくり傾ける。


…………。



…………………。





………………………………。




「…………」


茶碗から口を離して、膝の上に置いて。


「……はぁ……」


ため息が漏れた。

うん……表現するのは無粋だね、これは。

知りたきゃ飲めって感じ。

実束も私も何も言わない。ただただ今のこの時間に浸っている。

意識が向いたからか、ここに来る前より自然の音がよく聴こえる。

風の音。揺れる木々の音。蝉の鳴き声。音として聴こえないものも、どことなく音として認識できる気がする。雰囲気が音として感じられる。

ただ音が雰囲気を作り出してるだけ?どちらでもいいよ。

でも、雰囲気が音して聴こえる、ってなんとなく不思議な出来事みたいでわくわくしない?


二口目。


詳しい表現はしないけれど、ひとつだけ表すとすれば、とてもおいしい。

そういえば、お茶には飲み方とかあるんだっけ。私はよくわからない。

それにどんな意味があるんだろう。綺麗に飲める?おいしく飲める?

おいしく飲めるのなら気になりはするけど、それ以外だったら特に気にしなくていいよね。

誰かの気持ちいい飲み方じゃなくて、自分の気持ちいい飲み方をしたいし。


「……ふぅ……」


やっぱりため息が漏れる。これは幸せから漏れるものだから仕方ないよね。

そうしてまた余韻に浸っていたけど、ふと和菓子の存在を思い出す。

茶碗を脇に置いて、和菓子の乗ったお皿を手に取る。

一口。


「……………」


甘い。

優しい甘みだった。餡子…こし餡?割と塩もきいてる。

うん、ぴったりだ。

どんどんリラックスしていく感覚がある。この空間は、心地いい。




そんな風に過ごしていたら、あっという間に抹茶は無くなってしまっていた。


「どだった?」

「素晴らしくおいしいものでした。実束は?」

「おんなじ」

「だよね」


立ち上がる。至福の時間の一つはこれでおしまい。


「もういこっか、実束」

「ん。タクシー業再開だね」

「そういえば、運賃はいいの?」

「前払いでたくさん貰ってるから」

「そなんだ。なんだろ」

「後で教えてあげましょうー」


荷物に乗って、実束が引っ張って、動き出す。


「実束」

「ん?」

「なんかいいよね、こういうの」

「ん。いいよね、こういうの!」






「ん」


どこをどう行ったかは明瞭じゃないし、よくわからない。

だけど、とりあえず私は、どこか建物の中にいた。

水の流れる音が聴こえる。空気が澄んでいる感覚がある。

観光場所って雰囲気じゃない。……ああ、そうだ、ここは泊まるところだ。

ホテル?宿?どっちでも。

外はもう暗い。そうだよね、結構移動してきたもんね。それなら、こんな時間なのも納得できる。

受付等を終わらせてきた実束が私を呼んでいるから、実束についていく。

エレベーターに、乗って。移動する。

前後関係とか、そういうのはそこまで重要じゃなくて。

その時の何か、一つ一つの方が重要なの。

だから、今はどんな風にここまで来たよりかは、この和室にやってきたって事の方が重要。


「ちょいやっ」


と、実束は敷かれていた布団に飛び込んでいた。

布団は見事に実束を受け止める。衝撃0%。完璧なキャッチ。

私はまぁ、飛び込みたい気持ちは抑えて自分の荷物を漁る。


「みつかー、まだ寝ないでよー」

「えー」

「はやく寝たい気持ちはとてもわかる。でも、気持ちよく眠るためには」


タオルやら袋やらを取り出す。


「お風呂、入らなきゃ」

「お風呂……あっ、そっかそっかお風呂お風呂」


実束も荷物を漁り出した。


「先行ってるよー」

「待って待って、あとえっとちょっと待ってね、必要時間考えるから。えーっと」


さて。

お風呂、どっちだろ?こっちだよね。

適当に歩けばすぐに着く。一瞬全部ぼんやりとして、でも飲み込まれないように気をつけて。もううまいこと乗っかる・・・・のはお手の物。

脱衣所で適当にぽいぽいと服を脱いで、お風呂場にずざーっと滑り込んでみる。

コツはちょっとだけ下半身を上に逸らす?感じに…しゃちほこをイメージしてくれるといいかもしれない。

これ自体に特に意味はないよ。


「何をしているの汐里」

「実束もやれば?」

「私はー…………できないかなぁ」


と言う入り口の実束を見てみる。

主に胸のあたりで全てを察した私は、黙って立ち上がって蛇口とかの方に座って身体を洗い始めた。


いつも通り髪はほっとけば勝手に綺麗になる。お湯とかが動く?のかな。観測してないから詳しい事はわからないし明らかにする気もない。

身体は普通にアレで洗う。……タオル?お風呂にかけてあるタオルって正式にはなんて言うんだろ。普通のタオルではないのは確実にそうなんだけど、ちゃんとした名前がわからない。

だから、アレ。

めんどくさいけど、身体がさっぱりするのは普通に好き。こんな私でも、お風呂に入るって習慣はなくはない。

物理的な意味は何もないけど。私の行動に意味はないけど。

私の存在に意味は————は、考えない。

そういうことは今は考えない、だ。浸らないと、溺れていないと。


シャワーを浴びて身体の泡を落として、おしまい。

準備は終わった。形式的でも、それに意味がある。

ちょっと実用的な方の意味が全部抜け落ちただけ。


お風呂はどんな感じかな。

広過ぎなくていいけど、やっぱりホテル的な場所なんだし家のお風呂みたいなサイズは頂けない。

後はせっかくこういう所にいるんだから……

まばたき。


「ん」


風が吹き抜ける感覚。でも何かにずっとずっと包まれている感覚があるから寒くない。感じるのはあったかい感触だけ。

空は真っ暗、ちょっとだけ青っぽいような。星が見える、月が少しだけ照らす夜空。

こういうお風呂を……そう、露天風呂って言うんだよ。


ちゃぷ、と足先を湯に浸けてみる。

熱すぎない、大丈夫な温度。それがわかったので石造りの湯船…これも湯船でいいのかな?温泉に入っていく。

足裏に石の感触。これだけで普通じゃない、特別なものを感じてなんだか楽しい。

良さげな岩を見つけて、それを背もたれにしてゆっくり温泉に沈む。


「…………ふぅぅ……」


うん。良い。

隣に実束が座る。岩にはちょうどよく二人分の広さがあった。


「……何か感想はー?」

「くわしいのとてきとうなのあるけど」

「じゃあてきとうなので」

「あったかいー……」


私からはそんな感想しか出なかった。

今の時間から受け取るものはたくさんある。あるけど、それを全部言葉で表せそうにない。


「じゃあくわしいのは」

「とてもあったかいー……」

「だねー……」


より一層温泉に身を任せて沈み込む。脱力。

温泉からは湯気が立ち上っている。行き先を追うと、湯気は温泉から離れて白くなって、夜空へ登っていく。

月の光が湯気でぼんやりとする。ちょっと違うけど、これもまぁ朧月?

こういうのも風流って言うのかな。

私は嫌いじゃない。ぼんやりとした月に人差し指を伸ばして、ぴんっと弾いてみると、ばしゅんと煙にみたいに吹き飛んでしまった。

おっとと。

でも湯気がまた月をもくもくと形作ったので事なきを得た。

あれは湯気?かな。どちらでも。


音はどうだったか。

どこからか温泉が注がれる音がする。後は、そう、虫の鳴き声。

それと空気の音。まさに今は夜、って感じ。

そろそろ身体が熱くなってきたけど、もう少しここにいたい。


「…………」


何か話そうかな。そう思ったけど、話題はなんにも見つからない。

それは私の問題。気分の問題。今の問題。この場所の問題。

それに喋らなくたってそれはそれで正しいと思う。

あんまりたくさん喋る場所でもないでしょう、ここは。きっとね。


だから、もう少し。





気がついたら実束の後ろをついて通路を歩いていた。

身体はほかほか。服装は浴衣みたいなもの。結局ここはホテルなの?宿なの?何が違うの?今度ちゃんと調べようかな。

私たちの部屋はどこだろう。ここは何階だろう。考える必要はない。実束についていけばそれでいいの。詳細は後からついてくるんだから。

実束が扉を開けて、部屋に入って、私も続いて入って。

実束が部屋の中央辺りまで進んだ所で、私は足に力を入れてちょっとだけ曲げて。


「ちょいやっ」


と、実束に飛びついた。


「おっとと!?」


実束は私を咄嗟に受け止めて、でも倒れて。

ぼふん。

布団は見事に私たちを受け止める。衝撃0%。完璧なキャッチ。

私はそのまま実束を抱きしめる。ぎゅーって。


「もー、あぶないよしおりー」

「実束ならへーきでしょ?」

「たしかにねー」


実束は私を抱きしめてくれたので、身を任せて頬ずりする。

いい匂いがする。シャンプーとかの匂い?

ううん、違う。知ってるもの。これは、実束の匂い。


「一度やってみたくてさ、こういうの」

「だろうと思った。どう?」

「たのしいー」


頬ずりをやめて、身体から力を抜いてみる。


「……はふー…」

「よしよし、なでなで」

「声に出さなくていーよー…」

「この方がなでなで感出ない?」

「んー……」


ゆっくり頭を撫でられる。背中はぽんぽんってしてくれてる。

とっても落ち着くし、とっても幸福。

今だからこそ浸れる時間。

誰も邪魔が入らないってわかるからこそめいっぱい甘えられる。

したいことをしていい。私は今、ぜんぶ許されてるの。


「……わかんないや」

「そっかそっか」


その後は、何も言わずに撫でてくれる。

私は実束に包まれている。実束に守られてる。


「なでて」

「なでてるよ」

「もっとなでて」

「もっとなでてるよ」

「なんだかたりないの」

「足りるまでなでましょう」

「ありがとう」


なでなで。

すりすり。

ぎゅー。

すりすり。

頭がばかになってるよね。知ってる。知ってて、受け入れて、こうしてる。

沈んでいく。

意識はまた沈んでいって、心がぼんやりしていって、それで?

顔を上げてみると、実束の顔がよく見えた。


「……………」


瞳をじっと見つめる。私が映ってる。

でもぼやけてどんな顔をしてるかはわからない。わからなくていいの。

ふと、頭に浮かんできた。

思いつき。


「…………」


ちょっとだけ力を緩めてくれたから、私は腕を引き抜いて、実束のほっぺを触る。

軽く撫でて、押したり離したり。実束の体温が手のひらから伝わってくる。


ほんとうに、する?


自分に訊く。

でも、好奇心が大きくなるばかりだった。

気になる。どうなるのか。どうなっちゃうのか。


「避けない?」

「ん」

「そっか」


顔を寄せて、ちょっと恥ずかしくなったから、目を閉じてから。


「…………」

「……ん。…………」


ふわふわした感触。


「……………」

「……………」


離れて、実束を見つめて。


「…ふ………」

「…………」


……ふつふつと、沸き上がるものがあった。

抑えようか、抑えまいか。考えていたけれども。


「………っ……」

「…………ぅ……ふ…」


実束も震えていたから、多分、感じている事は同じなんだ、と思った。


だから、我慢しなくていっか。



「ぷっ、く、ふふ、あはははははははっ」

「ふふ、ふふふふっ、あはははっ!ははははははっ」



我慢をやめると同時、私たちは噴き出して笑っていた。

ごろんごろんと布団で転がって、ばしばし毛布を叩いて思いっきり笑っていた。

だって、だっておかしかったんだもん!

ボタンをかけ間違えたような?

水を飲もうと思ってドレッシングを手に取ってしまったような?

そんなくだらない間違いをしてしまったような、とにかく変でおかしくてずれてて、とにかく!


「あははははははっ!ひぃ、あははっ、はははは!みつか、なんていうかさっ」

「うん、ふふふっ、なんていうか、違ったね!くふふふっ」

「そう、そう違った!あはははっ……!」


まだ笑いが収まらないまま起き上がる。

実束も笑いながら起き上がった。

顔がにやけちゃってるのがわかる。実束も一緒。


「……うん。私たちは、そうじゃないね」


私の好奇心の答えは、それに集結した。

ただの友達?違うと思う。

恋人?ううん、してみたけど何だかおかしくなっちゃったもん。

それなら?


「じゃあ、何なのかな、私たちって」


まだ笑ったままの実束が私に訊いてくる。

それに対して、私は……うん、これしかない。

自問自答。


「よくわからないよ」


そう言い返して、まだ残ってる笑いを消費する。

だって、答えは出たじゃない。

ただの友達じゃないと思って、でも恋人も違う。

なら、それが答え。

明確にする必要は無い。何にも困らないもの。

そのままで。

曖昧なままでいい。

その方がらしい、よね。


「そっか。そうだよね」

「うん」


座ったまま隣に寄って、肩を並べて座る。

……すると、また一つ浮かんできた。

これは、訊いても意味がないんだけど。

だって、実束の言うことはわかっているから。


「ねぇ、実束」


何度も何度も思う。これを訊いても何も変わらない。

きっと、実束は向こうでも同じ事を言う。

突き詰めれば、実束だけじゃない。みんな。


「どうして」


全部全部。意味は無いの。

それはわかってる。何度も思い出すくらいにね。

だけどね、思い出す度に忘れてやるの。否定してやるの。

そんな無粋な考えはどこかにほっぽって、今この瞬間だけを考えて……


「あなたは、そんなに」



……私は、浸るんだ。



「私に構ってくれるの?」



素朴な疑問は、空間に吸い込まれて消えていった。


隣の実束はしばらく黙っていた。

その間、私は窓の月を眺めていた。

私が見たからそこにある。そういう風な事を考えてしまってる以上、もうあまり長くはない。


「汐里」

「うん」

「考えたよ」

「うん」

「それで……考えたんだけど、やっぱりさ」

「うん」

「私、汐里が好きだから」


すんなりと、実束はそう言った。

……うん。だよね。

そうだと思ってた。だから、私も、すんなり受け入れる。


「…………私も…」


だけど、これはどうだろう。

少しだけ詰まる。

私は、実束を、どう思っているんだろう……

……いや、そうじゃないね。

実束の知る私は、“私”。

私は、“私”とはちょっと違う。

なら、答えは明確だった。


「……うん、“私”も、実束が好き。大好き」

「ん」


実束が満足そうな声を出したから、それでこの話はおしまい。


そして、私ももういいかな、って気持ちになってきた。

いわゆる潮時、みたいな。

いい加減無理があるから。自分を騙し続けるのにも限界がある。


「よいしょ」


立ち上がって、布団の上を歩いて、窓の外を覗く。

それはあの清水で見た風景と同じだった。

そりゃそうだ。清水の舞台に立っているんだから。


「夜の風景も綺麗だね、実束」

「うん」


後ろの方から声がする。実束はそこにいる。私がいる。


「ね、汐里。ちゅー、どうだった?」

「ひゅえっ、それ訊くの?」

「だって嫌だったら悲しくなるじゃん」

「それはわかるけど……むー。やー…柔らかかったですよ?そりゃもちろん」

「嫌だった?」

「全然嫌じゃないから!…って言うと恥ずかしいなぁもう。でもほんと嫌じゃあなかったから、それはわかってね」

「じゃあもっかいしよっか」

「しないしない。また笑っちゃうから」

「だね、ふふふ」

「ほんとおかしかったなぁ、うん」

「実は私、いけるんじゃないかって思ってました」

「やっぱり?私も。ある意味は想像通りかもだけどね。拒絶するような感じは全くなかったわけだから」

「うんうん。むしろ全力で受け入れてました。汐里だから」

「けど……なんだろねぇ。何か違うんだよねぇ」

「間抜けな間違いをしたって感じだったよねー……なーんかずれてるの」

「……やっぱりもう一回してみない?」

「しませんって。それよりも実束にはなでなでしてほしいし」

「ぎゅーは?」

「ぎゅーも。次の機会にね」

「そっか、次の機会にか」

「そう、次の機会に」


そこで言葉が止まる。

次の機会。そんなの来るんだろうか。案外この次はまたすぐに実束と会うのかもしれないね。

そこでまた思いついた。

多分、これが最後。

振り返って、訊いてみる。


「ねぇ、実束。結局さ、こうして二人で出かけたかったのは、実束なのかな。それとも、私なのかな」

「ん?んー……」


実束は考え込むような素振りを見せる。

だけど、質問した時にはもう自分の中に答えは浮かんでいた。


「私は、汐里を連れて出かけてみたかったよ?」

「私は実束に連れてかれて、ちょっとした旅をしてみたかったかも」

「ん。じゃ、そういう事だね」

「そうみたいだね」


満足。

もう、正真正銘、これ以上は何にもないね。


「それじゃ」


元々私の言葉に意味は無い。全てが、ただのおままごと。

でも、だからこそ。

私は言葉を紡ぐ・・


「今日はありがとね、実束。とっても楽しかった」


「————また明日ね」


一歩後ろに下がれば、遮るものは何も無い。私の身体はふわふわと真っ逆さまに落ちる。


地上へ?いいえ、いいえ。


どこへ?知らない。考えてない。考える必要がない。


遠ざかる実束を見るのをやめて、目を閉じる。

風の音が聞こえなくなって、落ちて、落ちて、どこまでも落ちて、落ちてる感覚も無くなって。















目を開いた。

いつも通りの真っ白な空間。んー、真っ白だったっけ?

まぁいいや。


起き上がって、それとなく窓の外を見る。

もやもやに塞がれて何も見えない。いや、見えるよ。けどそれは見たいものであって、私が見たいものじゃない。


「今日も今日とて今日は今日、と」


誰かに喋りつつ、毛布を再び被る。

そして、想いを馳せる。

どこに?……もちろん、今しがたの、アレに。



あれは、私にとっての理想郷だったかな。


ううん、違う。

確かにあの時間は幸せだった。幸せだったけど……天邪鬼かな、幸せすぎるあの空間はちょっと理想郷にはなり得ない。



「思い返すと色々変だったもんねぇ。参考に……ならなくもないけど。いややっぱりできない。あんな事実際にできるわけないや、色々恥ずかしくて」



この通りに過ごすことはないだろうし、これが“私”に伝わる事は無いと思う。



「……だけれ、ど。楽しかったなぁ」



あの世界は私の理想郷ではない。

華胥の国にはなり得ないって話だ。意味がちょっと違う?こういうのは感覚でなんとなくで良いんです。



「消えちゃうのはもったいないよね。忘れる事はないけど、埋もれる事はあるわけだし」



そんなわけで、私はスマホを取り出して、愛用のアプリを起動させる。

大丈夫、全部頭の中に入ってる。

今回のこの体験は時折読み返したいくらい楽しかったし、書くのもきっと楽しいよね。わくわく。



「タイトルは……夏だし、華胥の夢ならぬ夏暑の夢でいいや」



適当。

私が楽しければ良いのですよ。主に私が見るんだし。







「……ああ、そうそう。自己紹介、必要?いらないよね。もう一応顔は出してるし」

「読んでもいいけど、自己満足だからね。人に見せるための構成してないからね。つまらなくても悪しからず」



いつもの誰かが見ている感覚がしたから、そう言っておいた。

もちろん気がしただけで、誰もいないけれど。



今日も私の部屋には私しかいない。



今日も私の世界には私しかいない。



これからもずっと、私の世界には私しかいない。




………………………………………………………………。



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