十七話 特に変わる日常





目を開……一面のとこちゃん。


「おはよー」

「……はい、おはよう」


周囲を確認。

いるのは目の前の常ちゃんのみ。実束みつかは…さほど遠くない。実房みおさんは…………いる。ちょいと遠目だから早急に合流しなければ。

そして実験は失敗、と。めげない。

ともかく今は実束との合流が先か。

……あぁ、忘れちゃならなかった。化け物はっと……いる、いる。沢山いる。

周囲を取り囲んで数多く、普段よりも圧倒的に多い数。昨日に匹敵しそうな位いないかなこれ。

幸い距離はそんなに近くない。すぐさまやってくるってことは無さそうだけど、さて。


「おわった?」

「終わったよ。……うずうずしてるね」

「それはもう、とてももう!」


身を翻し真っ白な服、真っ黒な髪をなびかせて常ちゃんは空を舞う。

時折月光を反射して煌めくのは大ぶりな包丁。昨日、あれだけ斬ったにも関わらずその輝きは新品のように見えた。

……服もそう。ああ、思い返せば初めて会った時からずっと変わってない。

僅かな汚れもない白だ。少しの曇りもない黒だ。

見れば見るほど現実味が無くて、やっぱり超常の存在なのが実感できる。

それは実感するくせ、さっきも化け物とかから感知した違和感は感じないのがやっぱり妙である。……違和感と感覚的に思っていたけど、もしかしてこの感覚の正体は違和感じゃないとか?

また議題が増えた。そして考えるのはいつかに回そう。


「いかないの?いかないの?くるのまつ?さーちあんどまーだー?」

「ん、勿論行くよ。でも常ちゃん、これだけは守って欲しいんだけど」

「はい」

「私から離れないこと。早くなってもいいけど、離れすぎると私は追いつけないから。後、私から離れるとどうなるかもわからないし……」

「おねえちゃんのはんけいなんめーとるかがざんさつくうかんなのね」

「……なんかこう、前より賢くなってないかな?」


そして知能が下がってない?


「せいちょうきですので、わたくし」


えへん、としてるのでそのままにしておくことにした。

進軍開始。まずは実束に向かってまっすぐにだ。

場所としては都会ではないレベルの塀で囲まれた住宅街、って感じだから直線距離って訳にはいかないけど……適当にそれっぽい道を選んで進もう。


「行くよ」

「よしきたよしきたー」


歩き出した私の後ろを浮きながらついてくる。

守護霊とか使い魔とかそんな感じっぽい。意識はしないようにするけど、まさかこんな風に誰かを従えて(っぽく見えるように)歩く日が来るとは。

夢の中なら良かったのにね。

そんな事を思った矢先、すぐに気がついた。


「……!常ちゃん、臨戦態勢」

「さいしょからわたしはれでぃふぉあうぉー!」

「来るよ、上から・・・!」


言った瞬間、黒い影が私たちを覆う。

月を遮ったその姿は……鳥類だ。

近くはないと思っていたけど、障害物を無視する上に高速飛行と来ると想定より接敵も早い。

鳥の化け物は私を発見して、同時にその身体から月を覗かせた。


「…………」


うん。

もっとわかりやすく直接的な表現にすると、私たちを発見した瞬間縦に真っ二つになっていた。

音も何も聞こえ……あっ今それっぽい切断音が聞こえた。音ズレか何か?


「とうばつすうついか」

「今のは一体何倍速?」

「せかいをちぢめてくみひもにしたかんじ」


よし訳がわからない。

兎にも角にも敵に回ったら恐ろしいということだけはわかった。

そして懸念事項が一つあるけれど、それはどうだろう。


「……常ちゃん。次々大量に飛んでくるけど、対応はできそう?」

「うんうん、うんうん。おねえちゃんはゆうゆうじてきによるのおさんぽをするといいのですよ。わたしはしっぷうじんらいによるのおあそびをするから!」

「表現を変えようか」

「よるのほんとはいけないこと」

「…………夜中のお遊戯会で」

「ひとりおゆうぎかい!」


ふう、ととりあえずはましな表現になったか、と思ったところで常ちゃんが背中に乗っかってきた。

重さは無いけれども。……無かったっけ?体温はあったはず……

……まぁそれはどちらでもいいか。問題なのは別のこと。


「常ちゃん?」

「げーじためです」

「ゲージ溜め」

「こうそくきどうのためのげーじがあります」

「無限じゃないんだ」

「おねえちゃんのそばにいればすごくうごけるよ。そうじゃないときはとまってたぶんだけうごいていられるよ。よのなかはとうかこうかん」

「止まった分だけ……」


止まった分だけ動ける。……5秒間止まったら5秒間早くなる?

いや、等価交換って言ってるしもしや倍速分止まった時間を消費するとかかな。

5秒間の例で言うなら……5倍速が1秒間可能とか。

その辺りできれば把握しておきたいけど……緊急時とかが無いとは言い切れないし。

もしもの時に等速、ってなったら多分常ちゃんは何もできない。加速しているから切断力が生まれるわけで、素の常ちゃんにはきっとそのままの力しかないだろうから。


「……。でも、今は別の方に集中と」

「べつのほうとは?」

「少し詳しく言うと、全方向から計9体。今のままの速度だと6秒後に接敵」

「しほうはっぽうだね!」

「9体だけどね」

「ちゅうとはんぱー」

「そう?」

「こまんどがきゅうほうこうだったらこまる」

「……ああ、それは確かに困る……」


上下左右に斜めを入れて8方向。それに一つ加わるとなると……ニュートラル?

めんどくさいねそれ。ニュートラルを認識する感覚がわからないし誤入力ばっか起こしそう。

だけどもう困らない。

話している内に先行した1体が細切れになった。


「これではっぽうー!」

「続いて来るよ」

「みえて」

「たっ!」


2345。

縦に裂かれて横に裂かれて、ほぼ同時に塵になる化け物たち。

さながらピアノ線にでも突っ込んだかのような切れ方だった。


「次は」

「のこりのさんたいー!」


もう指示を出す必要も無いか。

化け物が私に一定距離まで近づいた瞬間に細切れになる。私の周囲を常に何かが切り裂いているって感じだ。

常ちゃんは私の言いつけを守って一定距離以上は離れず、かつ化け物が移動可能な距離に入った瞬間に解体していた。


「つぎはー?」

「次来るのは……えー、いっぱい!なんかたくさん!色んな方向から!」

「なるほどなるほど。あ、みえた」


ちょっと焦る数だ。地図上に赤い点で化け物を記すとしたら周囲から真っ赤な壁が迫ってきてるようなイメージ。

そんな数を上空で先に目視した常ちゃんだが、特に焦る様子もなかった。いつも通りにふわふわと……いや?

目が、きらきらしてる。


「なにかちゅういすることは?」

「んと……離れ過ぎないこと、力の残量はちゃんと把握しておくこと、傷つかないことかな」

「じゃあ、ほかはわたしのすきでいいのかな」

「……うん」


うずうずしてる。

明らかにうずうずしてる。全身から活き活きとした何かを発している。幽霊なのに。

心なしか、上空の常ちゃんを見上げたら見えた内側もうずうずしてるように見えるかもだが、それは流石に気のせいだろう。活き活きオーラがそう見せているんでしょう。

ともかくそんな常ちゃんを止める気にはならなかった。見るからに楽しそう。見るからに楽しくなりそう。それを寸止めとか私が苦しい。

だから。


「ふふっ。ふふふっ。うん。ありがとう。じゃあ」


一匹目が常ちゃんへ襲いかかる。

嘴を一直線に向けて、突進して。

綺麗に縦に分かれた。


「しんだ!」


私へ急降下する化け物の脳天に包丁が突き刺さったと思ったら同時に首が落とされる。


「しんだ!」


腹を縦に横に裂かれて塵になる。翼が両断されて塵になる。輪切りにされて塵になる。


「しんだ、しんだ!しんだ!!」


……歩く私の周囲から聴こえてくる。

肉を裂く音。塵が何処かへ流れていく音。

そして。


「しんだしんだっ!ふふっあははっ、ころしたよ、わたしがころした!」

「ころしたころしたころしたころしたぁっ!ふふふふふっ、ははははははっ!ことぎれたわたしがきったいきたえたどこかへいったぁ!!きゃふっははっ」


……ほんとに楽しそうな声。

溢れて止まらない、喜びが勝手に外側に漏れ出ている、そんな様子だ。

側から見たらホラーそのものだろうね。私が謎の力を使いながら歩いているようにも見えるかもしれない。

化け物達の勢いは衰えない。近づいた先から塵になっているというのに、数で押し切れると考えているようだった。

馬鹿だなぁ。


「ねぇ、」


右から。


「ねぇ、おねえちゃん!」


左上から。


「なに?」

「いいかな?わたし、いいかなぁ!?」


「もう、いいよね!?」


「ねぇ!!」


あちらこちらから聞こえてくる常ちゃんの声。

私に確認を取るくらいにはまだ余裕がある……って事かな。

そしてその確認の意味は……


「…………」


少し悩む。

でも、いいか。


「……いいよ、常ちゃん」

「————あは」


目の前で逆さまの常ちゃんが笑った。

微笑んで、顔を歪めて、消えた。


「ひ、ひひ、」




「ひぃ、あ、は、はははははははははははははははははははっ!!」




姿だけ消えた常ちゃん……声だけが響く。

何か、タガを外してしまったような気がした。

化け物の勢いは止まらない。

常ちゃんの勢いは増していく。


「幸せ幸せ幸せ幸せ幸せぇ!!!まだ殺せるよっ!まだまだまだ!!!きゃはははふっへははははえへへへははははははははぁはふふふふふっえほっははぁははははは!!!!!!!何が楽しいのかなぁ!?ねぇ何だろ何なんだろうねぇええぇぇええ!!!楽しい楽しい楽しい————言葉じゃ発散できないよぉっ!!!!でも斬ったら楽しいの!!殺したら楽しいの!!!!みんなみんな物になっちゃうよ!!止まんない堪らない幸せなのぉ!!!!!!ふふふふふふっ、ふふふはははははっあはははふははぎゃふははははははははははあ゛ふふはっははははははははははははははは!!!!!!!ね、生きてるって幸せね?ふふっ、あふふっ!」


もうその姿は一瞬たりとも捉えられなかった。

化け物がどう殺されたかも私には見えなかった。

ただただ化け物が殺されていくのと、その度に常ちゃんが楽しそうに笑う。それしかわからなかった。

ようやっと化け物達の様子が変わる。一旦引き返そうと突進を止め始める。……だけど、遅すぎる。突進しても、止まっても、逃げても。その時にはもう塵になっているんだ。

常ちゃんは前よりも遠くに行ってしまっているけど、そもそも化け物の位置がさほど遠くじゃないから何処かへ行ってしまうって事はなさそうだ。

壁のように私を取り囲んでいた化け物の反応はもう残り僅かで————



「しおー…………りー………?」

「これはー…………」


実束たちが合流した。途中で実房さんとも合流したみたいだ。

そして言葉を失っていた。まぁ、うん、そうなるよね。

私の周囲には塵の山、そして私の目の前には黒く塵で染まった常ちゃんがいた。

それが意味することはすぐにわかったでしょう。……今思えば、あの虐殺は数十秒の事だったのかもしれない。

塵が消える。常ちゃんの服にまた新品のような白が戻る。


「おはよ、みつかおねえちゃん!あとみおおねえちゃん!」


そして常ちゃんは笑顔で二人の方で振り返った。

それは普通の笑顔。多分。


「……お、おはよう」

「…おはよう」


実房さん、引き気味なの滲み出てるよ。

無理もないけど。

実束は昨日のアレを知ってるからかあまり驚いた様子はなかったけど、若干控えめな反応。

……しかし、改めて目の前で見ると凄まじいなぁ。

実束と実房さんだけでも無双気味だったのに、更にエスカレートしてしまってる気がする。死ぬ要素が無い。

素晴らしいことだと思う。

そして常ちゃんがまた背中に乗ってきた。充電だろう。

残ってる残党は僅か。何とか私たちに近づく前に突進を中止できた化け物たちだ。

常ちゃんが居なくても余裕に重ねて余裕。ここからでも実房さんなら消し飛ばせるし。

あわやてんてこ舞いな今回の不明晰夢は、常ちゃんにより消化試合に変わったというわけです。


「……常ちゃんが居なかったらどうなっていたことか……」

「上空に向かって総辞職ローリングなんかすごいビームね」

「あなたは世界をどうにかする気ですか」

汐里しおりちゃんが側にいるときだけ私は真実房になるのよ」

「私が居ないと懐中実房ですね」

「汐里ちゃん。割と素で出来ること少ないの気にしてるのよ私」

「普段から触れたら死ぬビーム撃ってどうするつもりなんですか……」

「……光熱調理?」


割りかし便利そうな答えが返ってきた。

光の熱で焼いたお肉……何か変わるのだろうか……とりあえず均一に照射すれば焼きムラができることはなさそう……


「後は、そうね……害虫駆除よ」

「外したら壁に焼け跡ができるわけですが」

「一瞬だけ、一瞬だけだからセーフよ」

「その一瞬で害虫は塵になります」

「なんてこと……光も所詮は破壊の力だというの……私は…私は……」

「闇堕ち方向に行かないでください」

「輝きます」

「ぬぉうあっ」


しまったパターンに引き込まれた!突然の閃光で私の視界は消滅する。

なので実房さんの違和感を頼りにチョップを入れた。


「ぐはぁっ!」


輝きは消えた。実房さんは沈黙し、私は静かな夜の色を再び認識することができたのだった。


「……お姉ちゃんさ、もしかして汐里のこと大好きじゃない?」

「様々な理由によりノーコメントを選ばせてもらうわ」


なんか地面に光線を照射して起き上がった。そんな事もできるんだ……


「実房さん、そんな事もできたんですね」

「なんかできそうだなって思ったらできた」

「そんなんで……案外できるのかもしれませんね」


本当に。


「おねえちゃん、いっぴききてるよ?」

「ん」


常ちゃんの警告により化け物の接近に気がつく。

……スピードがかなり遅い。暗殺でもするつもり?

まぁさっきまであんなに早かったから差で気づくの遅れたけど……でも、危険なレベルに近付くまでには流石に気がつくねこれ。

それこそ、私が認識してから対応が間に合わないくらいの速度じゃないと暗殺とかは無理でしょう。……遠くから狙撃でもされたらちょっと危ないね。

ともかく。


「実房さん、あっちから」

「了解。呪文を唱えたら発射するから」


化け物が来る方向へ指を指したらそんな事を言われた。

えーと、ここは……そう。


「ふざけないでください」

「惜しい!!!」


でもちゃんと撃ってくれた。

物陰から接近しようとしたと思われる化け物は物陰ごと消し飛んだ。無慈悲だけど殺そうとしてくるんだから無慈悲も何もないね。


「ついでに、そのまますいーっと」

「すいー」


そんな気の抜けた声から発射されているものはめちゃくちゃ恐ろしい光をも喰らう超密度光線なわけで。

ゆったりと払われた光線はすいーなんて擬音じゃ表しきれない破壊を生んでいた。一体が消滅。瓦礫に潰されてもう一体。


「あと何体?」

「…………2、3体ですね。実束、やる?」

「私は防御タイプだから汐里を守る役目に回るよ」

「……。爆走タイプでは?」

「防御タイプだから」

「わたしもおねえちゃんぼうぎょたいぷ」

「常ちゃんは守り方がかなり違うと思うな」

「常ちゃんではできない守り方するもん……」


…………?

あれ、実束……もしかしてちょっと対抗してる?

……。

なるほど、うん。約束だもんね。気恥ずかしいから普段は考えないようにしてるけど。

つまり今気恥ずかしくなってきた。今はその時じゃない、から話を次に送ろう。


「……じゃあ実束は私をお願い。もしもが無いとも言い切れないし」

「!うん、任せて」

「わたしはー」

「近づく輩は斬ってよし」

「こーげきてきばりあだね」

「ならば……私が近づかない輩を撃つってことね」

「寄ってこなくても殺す光線型バリアです」


実束が周囲を軟体な鉄が守る。

常ちゃんが私の周囲数メートルに入った敵を包丁が斬り刻む。

実房さんが遠く離れた敵をめっちゃすごい光が塵にする。

そんな体勢が今作られた。死ぬ要素が消え去った。

私はその中心で立ってるだけなのがなんともアレだけど、何にもできないから仕方ない。……仕方ないったら仕方ない。仕方ないの。

ここで無謀にも何かしようとして状況が悪化する例をいくつも見てきた。同じ轍を踏むものか。


「…………汐里ちゃん、これっていわゆる姫プってやつかも」

「違うと思います」

「おねえちゃんおひめさま?」

「汐里姫……」

「二人ともそこで反応しないで」

「実束は属性的にもナイトよね」

「実房さんあっちに砲撃!」

「フォイヤ!」


行動させる事により会話を中断させた。

もちろん嘘は言っていない。こそこそしていた一体が消滅するのを感知した。

そしてもはや猶予は無いと見た。消えかけたロウソクの火が復活するかのごとくまた話題に出される前に、今日の不明晰夢を終わらせる……!


「そのまま左に、90度くらい旋回!」

「何か技名が欲しい規模の攻撃ね!何かない?」


ちくしょうこんな時に。


「でっかいから巨大ブレードでいいです」

「巨大……ヒュージ!いい暴力だわ、あれ好きよ!」


適当に言ったらアレに該当してしまった。


「題目は確定した!超遠距離型近接格闘武器……ぶちかまぁぁぁぁぁぁす!!」


とか言って団扇でも振るかのような軽さで手は動く。擬音が浮かぶとしたら『グワオ』ってでっかく浮かんでると思う。

化け物は建物ごと塵になりつつ、塵は真っ黒な何かが振られた方へ吹き飛んでいく。

描写するのが面倒なくらいいつも通りの過剰な火力。

そう、そう、いつも通り。

それでこの今日もいつも通り、この不明晰夢が終わるのみだ。

実房さんの光が消失する。その少し前に化け物は消えている。

眠くなる前にその場に座り込む。倒れるのはよくない、と思う。


「……消えました、今日もおしまいです」

「いえい、無傷クリア」

「それが基本……であり続けたいですね」

「私がやられる前に消しとばすから平気よ!」


ぶいを送ってくるけれども、その消し飛ばせるようになるまでが心配なのですよ実房さんよ。


「きょうはたくさんきれた。たのしかった。まる」

「……いっぱい集まってたよね、飛んでく姿しか見れなかったけど……ほんとに全部斬っちゃったの?」

「わたしをうたがうのですかみつかおねえちゃん」

「そうじゃなくて……いや、そうなのかも。あれだけの数を残らず斬っちゃうなんて信じられない、って気持ち」

「まぁ……無理もない」


私とて目の前で見たものの、やっぱり半ば信じられない感じがする。

理解が及ばない情報が入ってくるとまず情報自体を疑いにかかるんだね、人の思考って。……そんなものか。


「…………しかし、大量だった。これからこれが続くとなると……」

「……うん。ちょっと危ないね。起きる場所が近くになればいいのに」

「結局今日も実験は失敗?」

「はい、そうなります。……他にまともな方法も思いつかないから、今は続けるしかないと思ってますけど」

「そうねー……何もしないよりかは、ってやつね」

「結局詳しいことは何もわかっていませんし……何がきっかけになるかわからない以上、がむしゃらでも…………」

「……………」


…………?

なんだろう。なにか、引っかかる。いつもと違う。


「汐里ー?何か琴線に触れた?」

「いや……そういうのじゃなくて、でも何か変な——」


……あ?

あれ。なんで。

私、喋ってるの?


「————っ」


反射的に立ち上がった。

そうせざるを得ない。異常が起こっている。


「ねぇ、実束あと実房さん、眠気は」

「眠気?無いけど……えっ、無い」

「怪物の反応は?」

「……無いです」


今までこんな事は無かった。化け物の違和感も全く感じない。

なんで眠くならない?化け物がいなくなったらその日の不明晰夢が終わるはず。

……そもそも化け物がいなくなったらなんで不明晰夢が終わる?

化け物と不明晰夢の間に関係がある事は確実。化け物が不明晰夢を作ってる……としても今の状況が全くわからない。


「……汐里ちゃん。念のため、辺り一面薙ぎ払ってみるわ。初めての日みたいに」

「…………そうですね。お願いします」


とりあえずそれが良さそうだ。

私が感じ取れない妙な化け物がいる、って可能性はあ










「ぅ、げぉっ!?ごほっえっ、ゔぇぇっ……ぅぶっ」



————————————せい……り。


せいり…整理、整理……だ。

なにがあった。

ぐにゃあ、って感覚。脳味噌が曲げられたような、胃の中身を底から押し上げられたような。駄目、正確な表現はできない。できない、けど、とにかく……気持ち悪い。

咳き込むほど。吐きそうになるほど。ああ、本当に吐きそう。今も気持ち悪さは続いてる。

なにがあった。

その感覚の原因。それはいきなり出てきて、私を襲った。直接じゃない、これはいつもと同じだ。

違和感。

違和感だ。この気持ち悪さの原因、この吐き気の原因。そこにいるのが許せないって感覚。それが大波のように私を飲み込んで蹂躙した。違和感だ。違和感が満ちている。今までに無い強大な違和感が。

誰かの声が聞こえる。言葉は理解できない。私を心配する声。

喋れない。喋れないけど、腕は動く。私よりも、気を向けるべき相手がいる。

私は指差す。視界は無い。まだそれどころじゃない。

感覚だけを頼りに指差した。突然現れたそれを。

…………違和感の発生源を。指差した。



「ぅぐ、は、ぁーっ!っ…はー、あ、はぁぁっ……ぇほっ……ふぅぅ…はー………っ……ぜぇ、っゔ……!……ふ、ぅぅ…!」


気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪いぐるぐるする虫唾が走る掻き回される不快感が満ちる………………けど今は考えない。

がたがたと震える身体をそれでよしと考える。それが普通だと思い込む。

はやく戻らないといけない。この違和感の発生源が、こっちに近づいてきている。だから活動できるレベルには達しないといけない。

呼吸。自分は大丈夫。こんなの何でもない。自分は大丈夫。自分は大丈夫。こんなの何でもない。気のせい。嘘。私は元気。錯覚。私は健康体でいつも通り。自分は大丈夫。忘れろ。嘘だから。私は大丈夫。元気。

少しずつ、少しずつ自分の状態に慣れていく感覚がある。飲み込んでいけている。

呼吸が落ち着いていく。落ち着いていくんだ。落ち着いてる。なら大丈夫。

視界を外に向ける。

……人影が見える。

歩いている。私たちに向かって歩いている。

いつのまにか私の前には実束と実房さんが立っていた。……ああ、というか私座り込んでたんだ。いつのまにか。

二人ともアレを認識している。指差しの方向は合っていたみたい。

アレ。アレは、なんだ?

人間の形をしている。男性。高校生ぐらい。それがこちらに向かって歩いてきている。

このとてつもない違和感の発生源。じゃあ能力者?……違う。断じて違う。

違和感にも種類がある。実束と実房さんと化け物の違和感の区別がつくように。


……アレが発しているのは、化け物の違和感と同じものだ。


だからアレは人間じゃない。化け物と同じ存在。


「……あれ、は……人じゃない……化け物と、一緒…」

「あれも、怪物?」

「なるほど。そういうやつね」


実房さんははやくも理解したみたい。……実際よくあるものね、そういうの。

つまり敵。殺すべき敵……

……待った、常ちゃんからの返事がない。


「!」


一瞬だけ白い軌跡が見えたような、気がした。

視認できたのは、あの化け物の首へ包丁を叩き込む姿だけだった。

化け物は地面に叩きつけられ、辺りに土煙、そして震動が起こる————


————なんで叩きつけられてるの?


答えはすぐに目視できた。

最初にきょとんとした顔の常ちゃんが見えて、次に……包丁が首にめり込んだまま、起き上がる化け物の姿が見えた。

斬れていない。そう認識した次の瞬間、化け物が包丁を“掴んだ”。

常ちゃんは離れようとするけれども、全く動かない。……いくら加速で力が加わると言っても、勢いがつけられなきゃ駄目だ。

包丁を離して……そう言おうとしたけれども、私は遅すぎる。

だって、包丁が消滅したから。


「はれ?」

「……!!」


……別の違和感。化け物から感じるのと同じだけど、若干様子が違う違和感。

常ちゃんの脇腹の側に出現した、細い、細い形状の違和感。それが、動いて、常ちゃんへ、減り込んで


常ちゃんが消えた。


「常ちゃ——」

「ほっと」


私の側に常ちゃんが降り立つ。移動したんだ。

よかった、そう思ったけれど、すぐにその考えは取り払った。

……脇腹。そこが斬り裂かれて……血は出ていない。出ていないけど……煙のようなものが、傷口から立ち昇っていた。


「……常ちゃん……」

「えへへー、しっぱいしちゃった。まっぷたつにはならなかったけど、なんかにきられちゃった」


何でもないような顔でそんなことを言う。そんな、ちょっとボタンをかけ間違えたみたいな……

どうにか塞ごうとするけれども、常ちゃんはひらりと避ける。


「ううん、いいよ。もうふさがらないから。ごめんね、おねえちゃん」

「ごめんね、って……」


その言い方はやめて。

嫌な想像が頭に浮かんでくる。


「あー、ここまでかぁ」

「ここまでとか言わないで」

「さいごまでいっしょにいられないのはざんねんだけど、えぇと、そう。わたしはずっとおねえちゃんといっしょだから」

「常ちゃん」

「またね、おねえちゃん。きょうはたのしかったよ」


常ちゃんは。

目の前で……煙になって、空気に溶けていった。

常ちゃんだったものは、細かくなって、消えていった。


「……………………」


…………………。

言葉が。出てこない。

なんて言葉を送ればいいのかわからない。

全然、出てこない。

怒り?悲しみ?無力感?全部該当するはず。なのに、よくわからない。


「…………撃て」


だから、この妙な感情は、アレに向ける。

自分ではできないのが情けないけれども、それでも。


————化け物がいた空間が黒に飲まれた。


熱風は鉄に遮られて私たちを避けていく。

そして化け物は……


「…………なんでよ」


……消えていない。

あの光線の中で存在を保っている。どうやって?訳がわからない。気配が消えない。

なんで死なないの。なんで消えないの。気持ち悪い。あいつは一体何。


「汐里」


対策、対策だ、対策を考えないと。アレを殺す方法。アレは死なないといけない。


「汐里ってば」


なに……と実束の方を向くと同時に乾いた音がすぐ近くで鳴った。ちょっと遅れて痛み。

目の前には実束の顔。

…………頰を、両手でぱんってされた?


「汐里」

「……はい」

「やっとこっち向いた。落ち着いて」

「落ち着いてる」

「落ち着いてない。ずっと気分悪そうだし、それに上の空って表情してた」

「…………」


……自覚はない。

でも、言われてみれば、そう。いつもの調子ではないのは、確か。

現実を見ようとして分析しようとして、でも空回り……そんな。


「あの怪物はまだいるんでしょ?」

「……いる。あの光の中で生きてる」

「じゃあ考えないとね。倒す方法」

「……うん……」


どうしてそんなに冷静でいられるんだろう。

とかそんな事を考えてる場合じゃないか。これもまた現実逃避だ。


「汐里ちゃん」

「ん」


次は実房さんか。


「……正直ね、今自分がどんな気持ちでいればいいかとか、全くわからないわ。動揺もしてる、焦燥感もある。だけれど、それじゃあ駄目でしょう?」

「はい」

「だから、汐里ちゃん。指示を頂戴。私をあなたが動かして。私は……何も考えず、ただ言われた通りに動くから。それが多分、今私ができる最善のこと」

「……わかり、ました」


気持ち悪さは続く。心が落ち着かない感覚はまだずっとある。

だけど……


「………………ふー…………」


……目の前に、ピントは合った。

私は指示を出さなきゃいけない。

実房さんだって正気じゃない。それがわかってるから、私に任せてくれた。

なら、私は動かないといけない。いつも通りに、動かないといけない。


「実束、相手の能力を探る。手伝って」

「うん」

「実房さんは10秒後に照射を停止、自分でカウントして結構です。私達が前に出ます、離れすぎないようについてきてください。攻撃準備もお願いします」

「わかったわ」

「その後、実束は照射が終わったら私を連れて化け物に近づいて、とりあえず適当に攻撃して。……妙な事が起きるかもしれない、自分の身を守ること最優先で」

「……了解。それじゃ……」


照射が止まる。

同時に実束が私の手を取りつつ、地面を液状の鉄を駆使して滑る。バランスは……安定してる。

化け物は——ああ、あの中に居たのに無傷だ。バリア?いや、さっきの包丁の時はそんな風には見えなかった。

じゃあなんだ。……これからそれを探る。

接近。接触する……前に、実束は槍を壁やアスファルトに流した鉄から生やす。

化け物に全て命中。……命中はしてる、でも、何故か刃が通ってない。貫いていない。

そして化け物は槍に手を……


「防御体勢!」

「!」


ブレーキ。同時に化け物が槍に触れた……次の瞬間、槍が消失する。

そして、違和感が……後ろから!


「背中!」


後ろに分厚い鉄の壁が作られ……激突音が響く。


「っ……」


振動が空気と地面から伝わってくる。でも怯んでる暇は無い。


「槍しまって!」


次に触れる前に槍が引っ込む。……阻止できた。

…………今のは、何?


「……一旦退こう」

「うん」


化け物から離れるように滑る。

様子を見るけれど、化け物は歩くだけ。余裕で引き離せそうだ。


「実束、何されたかわかる?」

「ううん……でも、壁を突かれたって事はわかった」


突かれた。

突く。それって……槍で?

さっきは包丁に触って、包丁が消えて、細い違和感が発生して。

今のは槍に触って、槍が消えて、違和感が発生して。

……つまり、そういう事なの?

じゃあ、攻撃が通らないのはなんで?

それは、それは……

……思いついたのが一つある。私ならそうするってだけ、だけれども。


「………………」

「何かわかった?」

「…………推測、だけど。あいつの能力」

「私も、ちょっと頭に浮かんだものがあって」

「そう。じゃあ、言うけど……」


一呼吸。あくまでも推測だ。


「……触れている刃物を消費・・して、任意の位置に攻撃する能力。攻撃は消費した刃物と同様のもの」

「……だよね、多分」


実束も同じことを考えていたらしい。


「でもさ、それじゃあなんでこっちの攻撃が通らないのかがわかんなくて…」

「それについてだけど……これはほんとに推測なんだけど」

「……汐里、正体わかったの?」

「…………」


これは言うか迷う。

迷うけど。言わないよりかは、きっと。


「…………。実束が、さっき言った能力を持っているとして。能力の為に刃に触れたら、どうなる?さっきみたいに包丁を握ったりとかしたら」

「ん……そりゃ、切れちゃうよ」

「うん。それじゃ困る。だから……」

「だから……って、いや、え?」


そんな顔をしたくなるのもわかる。

だって、どう考えてもこっちの方がメインだもん。


「だから……斬れないんだと思う。能力を使う為に斬れない。メインが攻撃の能力なら、これはサブの副作用」

「………………もはやメインじゃん……」

「だよね……」


だから本当に合ってるかわからない。

自分でもあんまりって思う。そんなの有りかって。


「じゃあ、それで言うとお姉ちゃんの光線でも無事だったのは」

「それは」

「そこまで来たなら教えてやろうか?」


え、という声が詰まる。

誰かの声がした、と思ったら視界が激しく動いた。ひっくり返った?首を掴まれてる。

気がついた時には視界にはアスファルトの地面が広がっていた。動け…るけど動けない。片腕で脇に抱えられてるのか。

誰に?……愚問だ。愚問すぎる。

見なくてもわかる。ひしひしと感じている。……吐き気が登ってきた、のを堪える。


「……しゃべれたの…」

「喋れるようになった、ってのが正しいなァ。更に言うならようやく本調子だ。0歳0ヶ月0日0時間3分なんだよ俺は、かははははっ!」

「…………」


ついさっき生まれた、という事?今までは生まれたばかりで本来の機能を果たしていなかった……みたいな。

というか、なんで私を捕まえたんだ。人質?私が?

いや待って、喋れるって事は。化け物側の事情を知るチャンス?

なんで化け物が私を積極的に狙うのか。その理由がわかるかもしれない。

首を動かすと、緊迫した表情の実束、その後ろの方に実房さんが見えた。

実束なんか今にも飛びかかりかねない。助かるけれど、今は少し待ってほしい。……そう思って見つめると、伝わったのだろうか、少しだけ殺気が抑えられた気がした。


「ってんな話じゃねぇ、えぇーと?……あーあー、思い出した。お前、俺のこと話してただろ?やるじゃねーか、大正解だ。だから続きを教えてやるよ」

「焼き斬れない」


教わる前に言ってみた。


「おまっ…!テメェ!俺の台詞を奪うんじゃねぇよ俺の台詞を!わかってんなら自分で言いやがれ!」

「言う前に攫ったんでしょ」

「あ?そうか?じゃあ仕方ねぇな」

「……そもそもなんで私を攫ったの……」

「そりゃ、決まってんだろーよ」


来た。

気になっていた事の一つ。化け物が私を狙う理由————


「だーれが教えるかバァァァァァァァカ」

「………………………………………………………………」


…………は、言わなかった。


「わざわざ教えてやるこたぁねぇだろ。俺の能力については正確に言い当てたご褒美だサービスサービスってなァ。だが——」


雰囲気が変わったのがわかる。

滲み出ていた殺気が、容赦なく外側へ曝け出される。


あ、死ぬ。


何となく、ほんわかと、思った。


「——そろそろ仕事に戻らなきゃな」


違和感。こいつの右手辺りに現れた。この形状は……剣?刀のような形。

こいつの能力で出てきた違和感とは種類が違う。

また別の能力?


「便利だろコレ。ほぼノーコストで作れる上に斬れ味いいんだぜ?……見たいだろ?見せてやるよォ!」

「ぅあっ」


引っ張られる。化け物が駆け出したんだ。

行き先はどこ?実束達に決まってる。

私にできる事はなに?抜け出そうにもびくともしない。化け物の顔に手は…届かない。視界を塞ぐとかも出来ないか……

響く金属音。頭の上の方。

見れば、淡く白い光を放つ刀のような形状のものを実束が鉄を纏った左手で防いでいた。


「う……!」


実束が声を漏らした。鉄で防いだと言っても衝撃は伝わってるはず。


「お?」


化け物の声。鉄が蠢いて刀に絡みついた。

がちがち、と揺らすけれども刀は動かない。実束は空いた右手から鉄を……


「上!」


声を飛ばす。刀が消えた。

右手から出た鉄がすぐさま頭上に壁を作って……なにかを防いだ。


「へぇ、わかるんだなお前」


答えない。

また新しい違和感、これは刀の方だ。……ほんとに無制限って訳ね。

能力を使うための武器には困らない、と……防いでも攻撃に使われて、また新しく武器は作られる。

弾切れは期待できない。こっちの体力が無くなる前に倒すべき……だけど、どうやって倒す?

考える間もなくまた金属音が響く。

何か策は……そう思って、少し離れた場所の実房さんと目が合った。

……思いついた。しかし、声を出すと意味が無い……

伝わるかわからない。でも、やらなきゃ。

アイコンタクト。何かをして欲しいって意思を伝えて……ぎゅっ、と目を瞑った。

これで……


「うおっ!?」


目を瞑ってもわかる閃光——伝わった!

化け物が怯んだのもわかる。なら……


「実束……!」


視界は塞がれたまま、でも左手を伸ばした。

誰かがその手を掴む。

この感触はわかる、実束だ!

同時に風を切る鈍い音。大きな質量を持った物体が高速で振るわれた音。


「ごっ………!!」


化け物が喉からを漏らした。空気に響く音の衝撃は人体に重い金属が衝突した事を私に知らせる。……同時に手が引っ張られる。

揺れる化け物の身体。私は引っ張り出されて

ごきっ、と音がした。


「い゛ぁっ……!?」

「っ…………!?」


痛い。

斬られた?手を。いや、そんな音じゃない……破壊された、って言う方が正しい気がする。続いて鈍い金属音。実束の声が漏れるのを聞いた。人が倒れるような音。

目を開けると伸ばしていた手は誰も握っていなくて、それどころか変な方向に指が曲がっていた。動かない、ずきん、ずきんって…………痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……現状を認識してから、痛みが急速に大きくなっていく。

呼吸が荒くなっていくのを抑えられない。でも、それよりも、実束は。

転がって、少し離れた場所立ち上がる所だった。…………実束の手も、同じように壊されている。

じゃあ、手を繋いだところを殴られたんだ。なにで?

一瞬だけ能力の方の違和感を感じた。化け物が攻撃したのは確実だけど、それは有り得ないはず。

だって、化け物が使う武器は刃物だ。

だって、実束が使ったのは多分刃物じゃなくて鈍器だ。


「っあ゛ー…………痛ってぇめっちゃくちゃ痛ってぇ。殺す気でぶん殴ったろお前。斬って駄目なら殴るってかァ?かはははははは!嫌いじゃねぇが——俺の“斬れない”はんなもんじゃねぇんだよ馬鹿が」


化け物はそう言って私を持ち直す。些細な揺れだったけれど、それは私の顔を歪ませるには充分な痛みを生んだ。


「…………あー。適当だったからなァ。手だけとは言え壊しちまったか。ま、いいか」


呟き。それは……私を殺す気がない、ということ?

今までの化け物も、もしかして……?


「……嘘つきだね、お前」


実束が化け物に言い放つ。同じように痛みを感じてるだろうに、平静を保って。


「私が使ったのは鉄柱だったのに。力を使ったでしょ」


……やっぱり、能力を使ったの?

法則から外れるから有り得ないって判断した、けれど。

でもやっぱりこの手は鈍器に殴られたとしか思えない。


「んな事が気になんのお前。別に嘘は言っちゃいねーよ、俺が知ってる俺の力は話した通りだっての」

「じゃあなんで」

「わからねぇか?やったらできたんだよ」

「……なにそれ」


……化け物が把握している能力は、話した通り。

じゃあさっきのは把握していない能力?

把握していない能力……刃物だけがだったはずなのに、鈍器も対象になった……

……能力の拡張?それは…それって。


「わたしの、せい……?」


溢れた言葉。

ああ、ああ、そうだ、そうだよ!何で思い当たらなかったの?

こいつも能力を持っているというのなら。

私が能力を強化していない方が、不自然だ!


「そういう事らしいなァ。俺の場合は“対象”が広がるらしい……パワーも増してるのかもな?」

「……怪物のくせに……」

「怪物だァ?……あー、俺の事か。気にくわねぇから特別に教えてやるよ枝肉」

「俺の名前はジャックだ。教えてやったからちゃんと呼べよ?」


……名前まであるんだ。

ジャック。単純な名前……はどうでもいい。

兎にも角にも、私はこの化け物から離れなきゃならない。

倒す方法もわからないけど、私が側にいる事で状況が悪化してるのだけは確かだ。

私のせいでこちらの攻撃は全て能力に使われる可能性がある。能力によるあの攻撃も威力が増しているかもしれない、実束の鉄じゃ防げないなんて事態もある。

実房さんも私がいると砲撃し辛いはずだ。それは実束だって同じで……それに……

それに、もし、この予想が当たったとしたら……

……ああ、ああ、自分の無力さがこういう時に恨めしい。

そんな事を気にしている場合じゃないのはわかる。でもわかることと実行できることとは別だ。

——それでも落ち着かなきゃいけない。いけないんだ。


「……汐里を離して、今すぐ」

「やだね、欲しいんなら奪い返せ」


その化け物…ジャックの言葉を聞いた瞬間に実束は身体に鉄を纏いながら駆け出した。


「また鉄かよ鬱陶しいなァ……それ斬れねぇから嫌なんだよ!」


ジャックはまた空いた手に刀を作った、らしい。それが消える——


「ひだり、からっ」


さっきより声が出しにくい。痛みのせいだ。叫んだ後も更に左手が痛んで声が漏れてしまう。

実束は…左側に壁を作って、すぐに力がぶつかって。


「!ぅぐ…っ」


壁ごと実束は塀に叩きつけられた。明らかに馬力が違う。


「防げてもそれじゃあ意味ねぇよなァ。気絶でもすれば消えんのかそれ?」

「またくる、うえから…!」


実束の頭上から叩き下される力……は、外れた。実束が地面で滑るように移動したからだ。

外れた力は地面に命中し、轟音と共にアスファルトを容易く抉る。

……嫌な想像はしない。とにかく実束のサポートを……!


「で、こっちに来てどうすんだ?俺は“斬れねぇ”んだぜ」


実束は速度を落とさない。

斬れない。斬れない。斬れない。それの意味は考えれば考えるほど、私に思考を止めさせようとする。

だって、どうしようもないとしか思えなくなる……実束はきっとそこまで考えてないんだ。

伝えるべき?いや、言っても意味はない。でも。


「無言かよ。ハイハイわかったよ、じゃあ遊び無しで斬ってやる。後悔しオ゛ッ゛ッ゛ッ゛」


……?オッ?

ずごん、みたいな音が聞こえた。ジャックの身体が揺れたから、実束が何処かに攻撃したんだとは思う。

でもこの様子は?痙攣して、動きを止めて……




————————————。




怪物が汐里を落とした。こっそり足元から“攻撃”した鉄を引っ込ませる。

さっき痛いって言ってたもんね。なら、急所をずごんとやられたら……だ。

ちゃんと見た目らしくついてる・・・・ようで良かった。

……あわよくば気絶まで行っててほしかったけれど、それはなさそうだ。

鉄を使って落ちた実束を掴み、こちら側へ引っ張る。


「……ッ…カ…ハ、ァ…お、…コ…ォ、ガ…てめ……ェ……!!!」

「みつか、こいつ多分、いしきが途斬れないから……!」

「汐里は離れてて。また捕まらないように気をつけて」

「まって、みつか、は、どうする気なの」

「抑える」


汐里が私とすれ違う。

私は前へ進む。

汐里は後ろへ退がらせる。

それが今の最善……でしょ、汐里。


「おさえる、って……!私がはなれすぎ、たら!」

「近づいたら駄目だよ汐里。……私は大丈夫だから、ね?」

「実束…!」


未だ悶えている怪物の頭を鉄の棒でぶん殴る。

倒せる、なんて思っていない。

そもそも、私は倒すつもりなんかない。


「実束、駄目だよ、そいつは」


汐里の声が聞こえてくる。立ち止まってくれてるみたいだ、よかった。

一安心したのも束の間、鉄の棒が掴まれた。

消えない。


「……範囲外……やってくれたなおまえェェ……!」


返す言葉は無い。棒から手を離してまた新しい棒を作り殴りかかる。

片手で止められて、更に払われた。やっぱり元の力差は大きい……でも、今は能力で振るより自分で振った方が強い。これが精一杯。

それでも払われるのは何となくわかってる。だから退けられたと同時に鉄を伸ばして、振り下ろされる刀は防いだ。

耳障りな音が響く。大丈夫。まだいける。


「そいつはきっと、」


足元から鉄の槍……今は棒の方がいいか……とか出したいけど、出せる鉄の量が少ない。

鉄の棒を離し、鉄が消える。防ぐ物が無くなった刀が力のままに振り下ろされる……のを、身体を回転させて避けて……遠心力を使って、新しい棒で頭を殴りつける。

今度は当たった。右手に振動が伝わってくる。


「事“斬れない”、から。死なない、から…!」


——だろうと思った。

でも、実際に言われるとなんじゃそりゃ、って気分になってちょっと笑ってしまう。

……よし、いける。やれる。息を吸う。


「汐里ー!」


怪物は殴られつつも反撃してくる。

斜め下から振り上げられる刀を右手の棒でなんとか防ぐ。押し負けそうになる力の差は能力で鉄を押し出して補う。

そして、続けて叫んだ。


「お願いがあるんだけど————」

「っ、実束!」


刀が消えた。


「右手に」


汐里が叫ぶと同時。

何かの力が、棒を支える右腕にめり込んだのを感じた。

随分とはっきり感じられたけど、でもそれは一瞬の事で。



ぼんやりと、こんな音なんだなぁ、と思った。



右手に持っていた棒が消えるのを見た。

お姉ちゃんの悲鳴を聞いた。

怪物が顔を歪ませ笑うのを見た。

なんだか世界がスローモーションに見えた。

そして。

……なるほどね。


覚悟してれば、割・・・・・・・・と動じないんだね。・・・・・・・・・


音がした直後に、短くなった右腕を怪物の口に叩き込んだ。


「……っ…………!?」


その行動は意外だったらしい。豆鉄砲でも喰らったみたいな顔をする怪物。今更私の右腕の一部が落下する。

さて、このままなら怪物の口の中へ血が流れる……のが普通だろうけど。


……………………オッゴ、ぐぇっゔ!!?!??!?」


腕の先から鉄を流し込む。

鉄を通して内部の形状がわかったから、棘を生やしつつ奥へ奥へ鉄を送っていく。

喉を通る。途中で分岐があるね、こっちが気道か。塞がってるからこじ開けて鉄を暴れさせつつ流し込む。食道にもぐねぐねとさせなから流し込む。胃液が登ってくるのは鉄で塞げば出てこない。


怪物が叫ぶけれど音にならない。相当な激痛だろうね。気道を塞いだって体内で暴れたって死なないんだろうけど、むしろ意識が途切れないせいで苦痛を最大限に味わってる事でしょう。

うん。これでいい。これなら抑え込める。

平成を装って、声を出す。大丈夫。まだ痛みは来ない。


「……改めて。お願いがあります。私が抑えてるから——」


私は右腕はそのままに、振り返った。





「——汐里。こいつ、なんとかして!」





実束は。

いつも通りの調子で、軽くそう言ってのけた。

私に依頼したんだ。

満面の笑顔で。

信頼を寄せた顔で。


「————————。」


思考が冷えきった。

混乱して、滅茶苦茶になっていた思考が、実束の言葉で一気に静まった。


考えてもわからない。

考える時間は無い。実束はいつまでも抑えていられない。今も実束は血を流し続けている。

だから、順序を逆にした。

理由をつける前に、動く。


「みお」


指差した。後ろの地面。



————自分が何をしたいのかわからない。

けれど、ただ、漠然と、そうするって認識だけが頭にあった。



「ななめに、とびあがりたいから。ここから、うって」


今日光線で起き上がってたね、そういえば。

実房さんの背中に乗る。実房さんは私の顔を見てから思考をストップさせたらしく、ただただ従ってくれた。

光線が放たれる。何故か推進力が生まれ、私たちはぐん、と飛び上がる。


「とめて」


少し進んだ後、何となくそう言った。放射が止まり、私たちは上空で一瞬だけ停止する。

そして実房さんの腕を持って、標準を合わせる。

斜め下、ジャックの背後辺りを狙わせた。



————そんなの、信じられる筈が無い。何の根拠もわからない直感なんて。

曖昧すぎる感覚なんて、普段ならともかく今信じるなんて。

何より私が私を信じるとかできる筈が無い。

……だから今、私が信じて、行動を託しているのは私じゃない。


実束が、できると思って任せてくれた人がいる。

実束が、絶対的な信頼を寄せた人がいる。

……なら、私も信じる。

実束が信じたのなら、それだけの力があるって事なんだから。

実束が信じたのなら、その人は絶対にやってみせるんだから。



私がその存在を認識できなくても……

『実束が信じた私』を、私は信じる。




「……実束!蹴っ飛ばして!」


こうすればいい。こうすればいい。少しずつ思考が追いついてくる。

鉄を断ち切った実束が、ジャックの腹に蹴りを入れて。

……ジャックが、標準に、入った。


なんでこんな事をするのか。

ここから撃つ意味。…………なんとなく、なんとなく、やりたいことが……わかってきた、気がする。


「実房…さん。……撃って!!」


言った瞬間。

視界の先を黒が奪い尽くす。

ジャックは塵にならない。焼き斬れない。事斬れない。


だけど、それ以外は違う。


ジャックが立っていた地面は溶けて、塵になって、地面じゃなくなる。

そして、ジャックは傷つかずとも重力に引かれて、光に押されて落下する。違和感の反応が地下へ落ちていくのが感じられる。


……ああ……ああ、そっか。


ようやく理由が顔を出した。

気がついた。認識できた。ひとつひとつが繋がっていく。


納得はした。自分なりに。

なら、もう、自信を持って、言える。


「……実房さん。総仕上げです」

「仕上げ?」

「全力で。今までに無い、全力で。地球を撃ち抜くつもりで……お願いします」

「…………わかったわ。あなたがそう言うなら、それがきっと——」


「——正しいのね!」


黒が勢いを増す。

そして細く収束し、密度を保ったまま増幅して、細く収束して。


「っ……まだ、まだ、いける」


実房さんの光の気配が、強く、強く、強く。


「う、うううう、く、ううううう……!!」


黒の周囲の空間が歪む。気配が増大して、実束の気配を掻き消して——



「ゔゔ、ゔああああああああ————!!!!」



————ついに、化け物の気配さえ掻き消して。



「あ…」


突き抜けた。


化け物の気配が消えた。何処かへ飛んで、消えたのがわかった。

同時に、実房さんが照射をやめて、私たちは浮力を失う。


「……やった、の…?」


返事をする代わりに、実房さんの手を握った。もう、喋れない。

落ちる。

だけど、落下する前に、意識が先に、落ちていく。瞼が先に、落ちていく。

……終わった。

世界がぼやけていく。迫る地上がよくわからなくなる。

ぼやけて、ぼやけて、ぼやけて。



「——————」






……ああ、もう。終わるときは、すぐに終わっちゃうんだから。


言いたいこと、たくさんあったのに————





………………………………。




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