九話 焦った





目を開く。

もう慣れてしまった空気。できれば慣れるまでにおさらばしたかった世界。

一つのルーティーンとして、私は目覚める度に、こうしてため息をつく。

はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、と。

それでひとまず今の現実を受け入れて、動き出すんだ。

今日も三点リーダー増し増しで始めよう。

さて。

周りを見回す。いつもの場所、家が立ち並び塀がアスファルトの道を仕切る何の変哲も無い私の通学路。

近くに実束みつかは……


「……だよね」


居ない。添い寝作戦は当てが外れたようだ。

まぁ仕方ない。8割方そうだろうとは思っていた。なにもかもわからなすぎるこの世界だからこそ試してみる価値もあったけど……そう上手くはいかないか。お約束な世界なのかそうじゃない世界なのかわからない。

ともかく、失敗したのなら仕方ない。いつも通り実束がいる方に行くまでだ。

違和感と実束の気配を探る。

なんとなくの感覚だけど、中々感じ方とか識別とかできるようになった。……今日も今日とてたくさんいるね。で、実束は…………


………………あれ?


待って、もう一回集中して……前の方向は。右。後ろ、左…………


「……え…」


身体が震えだした。

実束が、感じられない。

実束が、居ない?


「あ、え、と」


しゃがんで考え込む。

実束が居ない、私一人。私一人であの怪物たちを殺さなきゃいけない。あの怪物たちを殺す方法を考えなきゃいけない。私がやらなきゃ。

どうやって?


無理だ。


無理だ、どう考えても無理だ。殺す武器も無い。逃げる体力も無い。今も怪物は私目掛けて動いている。隠れても私の居場所は何故かばれている。隠れても何も変わらない。殺さなきゃここから出られない。でも殺せない。何もかもが足りない。

実束。実束が居ないと。実束が居てくれないと。実束が守ってくれないと。

私は……死ぬ。


「!」


間近に違和感を感じた。同時に金属が当たるような足音。獣じゃない。


「……………っ」


震える身体を無視して走りだした。

死にたくない。逃げないと、死ぬ。

でも逃げた後は?

何を考えても思考が死に直結する。でもやめるわけにはいかない。死にたくない。諦めたくない!

バグでも間違った考えでもなんでもいい!

だから、何か、希望が欲しい。

死に辿り着かない思考が欲しい。

縋れる何かが欲しい。

何か—————


「………っ…、………ぅ、う」


走る。

走る。

走る。

迫る音。金属音。

迫る。走っているのに迫る。

走っても、走っても、遠くならない————


「……っ————」



「……みつかぁぁぁぁぁぁ!!!!!」



呼んだ。

私が辿り着いた思考は、結局それだった。

それしか知らない。

それしかわかんない。

私を助けてくれる人は、実束しか思いつかなかった。


声が響いて。


夜の空に吸い込まれて。


消えた。


「——————ぁ」


足がもつれた。

アスファルトに倒れこむ。

……実束は来ない。

いつも来てくれるのに。

やっぱり居ないんだ。

来てくれないんだ。

気持ち悪い足音がすぐ後ろまで迫っている。

もう、仰向けになって姿を見る気にもなれなかった。

前からも足音が迫る。


「っやぁあああっ!!」


足音の主は跳躍し、私の背後の化け物に何かしたらしい。

私の側に落下して、起き上がると同時に私を引っ張り起こした。


「大丈夫!?」

「歩けません…」

「なら背負う!」


持ち上げられる身体。

誰か、自分じゃない他人の背中。


「……実束じゃなくてごめんね?」

「……反応に困る発言はやめてください……」


駆け出す実房みおさんの背中に、私は無意識にしがみついていた。

振り落とされそうだったから……じゃない。






「目覚めて、ここはどこだと思ってたら、私の声がして、駆けつけた。……で良いですか?」

「すごい、なんでわかったの?」

「それくらいしか考えられないだけです…」


背負われつつ、私は実房さんと情報を交換する。


「そっか…実束もいつもなら一緒なのね?」

「はい。なぜか今日はいませんが……詳しい話は後にします。要点だけ話しますね」

「ええ」

「この世界にはさっきみたいな化け物がたくさんいます。あいつらを全員殺さないと現実には戻れません」

「さっきドロップキック喰らわせた蜘蛛ね」


蜘蛛だったんだ…

ドロップキックしたんだ…


「そして、ここで殺されると……現実でも死にます。眠り病、知ってますよね」

「なるほどね……とりあえず大体わかったわ」


最低限理解してもらえた所で、また思考を巡らす。

依然状況が悪い事は変わらない。

実房さんも私を背負ったままいつまでも走れないだろうし、逃げた所でここからは出られない。

化け物たちを殺す武器が必要だ。


「……実房さん」

「なに?」

「えと……身体から鉄出せたりしませんか」

「……はい?」


おそらく素の反応。…だよね。

能力は持ってない、か……もしかしたら、って思ったけど。

じゃあどうしよう。ぐったりと実房さんの背中に身体を任せつつ、方法を————



———————違和感。



「!」

汐里しおりちゃん?」


思わず身体を起こしてしまった。

今の感触は、気のせいじゃない?

集中。私の目線で世界を観て、私が認めない非現実、異常を意識して……

…………わかる。

感じる。

これは、実束ともこの世界や化け物とも違う、違和感。

実束と比べると感じ取りにくかったけど、確かに感じる。

……実房さんから!


「……実房さん!」

「どうしたの」

「なんか身体から出せませんか!」

「えっ、えぇぇ??」

「隠さないでいいですから!」

「いやいやそんなこと言われても」


実房さんは知らないようだ……よくない傾向、でも希望はある。

仮に戦闘向けの力じゃなくたって上手いこと利用するしかない。

だから、そのために、まず実房さんに力を使えるようになって貰わなきゃならない。

でも……どうやって?実束はいつもどんなやり方であの力を使っていたんだろう?


「汐里ちゃん、どういうこと?何か知っているの?」

「……あなたは、その…何かできるはずなんです。所謂超能力者!」

「は、はい?」

「気が狂ったとか思うでしょう、もうそれでいいです!でも実束も実は超能力者であることは真実として受け取って欲しいです!」

「え、え、実束が!?」

「そうです!そしてあなたも!」

「超能力者!?」

「はい!」

「うん、理解が追いつかないのだけど!?」


ですよね!

だけどやってもらうしかない……ないのだけど……

……気配が間近、前!


「実房さん、前から!」

「前!?っ」


実房さんが急ブレーキ。塀を乗り越えて化け物の蜘蛛がやってきた。

さっき見なくてよかった。見てたらパニックに陥っていたかもしれない。正直直視したくない。

見た感じ直径1メートルは超えてる……足にあたる部分は紫の爪になっている。金属音の出元はこれか……

そして、続くように同じ蜘蛛が三体這い出してくる。


「……じゃあ、実束は、こんなやつらを相手にしてきたって、言うの」

「そうらしい…です。私がここに来る前は、一人で」

「……一人…で…」


…実房さんの声が震えている。無理もない。

無理もない、けど、まずい。

……蜘蛛たちはじりじりと私たちに近づいてくる。後ろからも蜘蛛が追いついてくる。

そしてまだまだ迫る気配がある。一体、二体、三体……囲まれている。

……実房さんから降りた。


「……実房さん」

「……」

「このままだと死にます」

「……だから、私が…?」


……駄目だ、意識が現実に向いてない。今目の前にあることをどこか遠い事として扱っている。


「……駄目、駄目だよ。信じられない…」

「こんなやつらを、私が倒すとか……」

「実房さ——」


何か呼びかけようとしたその時、蜘蛛の腹が蠢いて……次の瞬間、その先から糸が噴き出した!


「きゃあっぐっ……!!」

「っ……!」


糸は私たちを塀に叩きつけ、磔にしてしまう。

だろうとは思ったけど、そんな風に使うものじゃないだろうに……!

そして当然、動けなくなった私たちに蜘蛛たちは群がってくる。

理由も何もわからないけど、目的はわかってる。

殺すつもりだ。


「ひ、ぃ……っ!」

「っ……ふー、う………!」


……呼吸。深呼吸。怯えたいのは私の方だ。怖くて怖くて叫びたいのは私の方だ。

でも、ここで私が投げ出したら全て終わりだ。

呼びかけなきゃ。

助からなきゃ。

だから……そのためなら、もう…………なんでもやってやる!!


「……枳実房!!!!」

「ぅわああっ!?…汐里ちゃ…」

「今から言うことをよーく聞いて、そして目を閉じて想像しろ!!」

「え、どうし

「黙ってただただ聞いていればいい!そしてやる事をやればいい!!」


声で蜘蛛たちが怯む。

一つ息をして、続ける。直感に任せて。考えている暇はない。


「……あなたは力を持っている。非現実的な力を!だけれど普通の意識じゃそれは使えない!なにせそれは現実ならざる力、現実を見ている間は使うことのできない力だ!」


心が悲鳴をあげる。

こんな台詞言いたくない。ここは現実。こんな台詞は似つかわしくなくて、どこまでも違和感しかない。

でも、でも、私が生きるために、実房さんが生きるために、私の私情なんて羽根よりも軽い!!


「本当はできるんだよ、でもできないって思い込んでいる!あなたが少しでも想像を広げれば、意識を夢に向ければ、そして自分にはできると信じれば!!あなたの中の“何か”は思うままだ!」


本当に目を閉じているだろうか。

本当に聞いてくれているだろうか。

わからない。わからない。

わからない、けど、やらなきゃそもそも何も変わらない。

だから、叫ぶ。破れかぶれで、やけくそで、全力で!


「炎を自在に操りたいと思ったことは!?空を飛びたいと思ったことは!?ゲームの中の誰かに憧れたことは!!」

「……ある」


蜘蛛が再び迫る。

声を震えさせちゃいけない。私が実房さんを引っ張らなきゃならない。その気にさせないと何も始まらないんだ。


「なら……なら、後はできると信じるだけ!想像しろ、現実ならざる自分を!超常の存在となった自分を!」

「………」

「そうすれば……力は、もう、その手の中に……」

「………………なか、に」

「いっ…!」


蜘蛛の爪が肩に突き刺さる———


「……手の中に……ある…なら………!」





「なん、かっ……でろぉぉおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!」






閃光。


思わず目を閉じてもなお、私の視界が光で真っ白になる。

耳障りな鳴き声、おそらく蜘蛛のもの。肩に刺さっていた爪が離れているのがわかる。


「……っ…!…く……ぁう……っ」


苦悶の声が漏れ出る。眩しい。ただひたすら。顔を覆いたくても動けない。

この光は、実房さんから出ているの?

だとしたら、まさか……変身でもしてしまう、の?

流れ的にはそんな感じだけど……まさか、まさかねぇ……


……光が収まっていく。

それを感じて、ゆっくりと目を開く。くらくらする。

相変わらず動けないけど、蜘蛛たちは……いない?近くに気配はない、遠ざかっていく感覚。逃げたんだ。でもまた来るだろう。

そして、実房さんは……


「……実房さん?」

「…………し、汐里ちゃん……」

「えと…どうなったんです?何をしたんですか?」

「その……ひ、光ったの、身体が」

「……光った」


光った、と。

それで?


「……光ったわ。身体が」

「…………それだけ」

「ええ。光った」

「…………」


……………。

…………………………。

………………発光する、ってだけ?

それは……えぇ……?


「と…とりあえずどうにか脱出しないと」

「脱出って言ったって……」


案の定糸は頑丈かつ凄まじい粘着力。

実束とかならともかく、非力な私に抜け出せるようなものとは……


「…………あ」


ふと思いつく。

顔にまで糸はかかってないから、ブレザーを脱げば……腕を抜いて……滑り落ちるように、ブレザーの中を通って………

………………他人に見せられない開脚をしている。仮にも女子としてよろしくない格好だ。でも仕方ない、仕方ないのです。

少しずつ、ずり落ちて……抜けた!


「はぁ……うっわ」


一息ついて後ろを向くと、それはもう見事に糸がブレザーに張り付いていた。気持ち悪い。

服にもまだちょっとだけ糸が付いているけど、気にしてる暇はない。

実房さんの方は、と。実房さんも同じようにブレザーから抜け出ていた。

二人とも制服で助かった、といったところか。……なんで制服姿になるんだろうか。

とにかく、まずは。


「……実房さん、ごめんなさい。敬語無しの上に何やら訳の分からない事を…」

「いいえ、いいえ。お陰でなんか使い方が掴めたから。……ありがとう」

「それより、その肩」

「?……あー」


そういえばさっき刺されたんだった。ワイシャツに穴、それと少しだけ血が滲んでいる。


「平気です。ほんの少し刺さっただけみたいですから。実房さんが光ってなかったらもっと酷いことになってましたよ」

「それならいいけど……ほっ」


掛け声と共に実房さんは自らの手のひらを輝かせてみせた。

本当に発光する力、のようだ。


「……本当に何か出るなんてね。色々訊きたいことはあるけど……この力の使い方、わかる?」

「うーん……」


光る手のひらを眺めて思考を回す。

ライト、電灯、照明。普通に使うとすればそんなもの…怪物相手に使うとしたらさっきみたいな目くらましだろう。

何か、ヒントはないだろうか。超常の力なら、ヒントを得るべきは空想の世界。つまりはアニメや漫画やゲーム。

今まで見てきた中で、光に関する能力持ちの人……

実房さんがやったことは、全身からの発光、手のひらからの発光……

…………待てよ。この手のひらからの光、さっきの全身からの発光より弱い。

それは多分、実房さんが出力を抑えてるから……


「……!」


違和感が近づいてきた。さっき驚いて逃げた蜘蛛が再び私に向かってきているんだ。


「実房さん、また蜘蛛が来ます。あっちから」

「!」


実房さんは私を守るように前に出て、私が指差した方向に…手のひらを向けた。

……手のひら……


「……違う」

「え?」

「手の形…翳すんじゃなくて、人差し指だけを向けて……」

「…こう?」


直感が理屈を組み立てる前に口を動かす。

いや、理屈自体はできているんだ、多分。言葉にできていないだけで。


「それで……」


蜘蛛がまた塀を這い上がってくる。


「さっき、全身が光った時みたいに、全力で」


こちらを見つけたらしく、耳障りな金属音をかちかちと鳴らしアスファルトを駆けてくる。


「指先からだけ、光を————」



……そうだ。

さっきの光は、瞼を閉じていても痛みを伴うほど強力だった。

なら、その光量を、全身から放つんじゃなくて……



「……わかったわ、あなたの言いたい事!」



——ただ一点から、放てば。



再びの閃光。


「っ……!」


今度は一瞬だけだった。

その閃光と同時にジュボッ、とでも表現すべき音が聴こえた。

……目を開く。


「……わお…」


少しちかちかする視界に映ったのは、顔の辺りが消し飛んだ蜘蛛の化け物。もちろん死んでいる。

ぶすぶすと焼け焦げた音、若干臭いがこちらにまで来ていて何から何まで気持ち悪い。


「…………ふ、ふふふ」


そして……実房さん。

その結果を見て、さっきの様子は何処へやら。口元には笑みを浮かべ、いやもう笑ってて、自分の指先を眺めている。

よくない流れ。無理もないけど。


「……えぇ、えぇ。本当にありがとう、汐里ちゃん。この力があれば、私は——」

「後ろから来てますよ」

「ひぇっ!?」


飛びかかってきた蜘蛛に向かい振り向いた実房さんが再び光を放った……らしい。

レーザー光のようなわかりやすいものは見えない。私から見たら、突然蜘蛛が発光しているようにしか見えない。

蜘蛛は大穴を開けて落下した。


……原理としては、多分太陽光を虫眼鏡で集めた時みたいなものなんだろう。

超高出力超高密度、それも凄まじい指向性で放たれた“目に見えない”光は命中した物体で弾けて……無数の、光子?でいいのかな。ともかく、光を構成する粒子とかが摩擦やらなんやらで熱を生むんだろう。

で、弾けた光が私の目に入って、ようやく光として視える。

光速ゆえにほぼ不可避、一直線に進む光だからこそ何かに命中して弾けないと見えない、熱の暴力。

仮に大気に吸収されず拡散せず100%の光が進み続けるのなら、理論上射程は無限。威力の減衰も存在しない。

実房さんは、そんな力を手にしたんだ。

現実的に考えるなら、光は光でもなんの光だとか何の粒子とかで話が違ってくるだろうけど……実際に焼けている以上、それはどうでもいい。実束の鉄だって本当に鉄かどうかわからないんだもの。

あくまでもこれは超常の力、現実の仕組みから外れた力。

……だからこそ、手に入れた本人が足元を掬われやすくなる。

今のも私が居なかったらおそらくやられていた。


「……大変助かりました。助かりました、けど。調子乗って油断しないでください。FPSで調子乗ったら死ぬでしょう」

「ごもっともです……」

「わかればいいのです」


さっきの実房さんの台詞の流れは確実に不意を突かれて死ぬか死にかける流れ。冗談じゃないしシャレにならない。

それと————


「……それと、これは個人的な話ですが。あんまり二次元みたいな台詞、言わないでください」

「ごめんなさい。単なる好き嫌いの話です。でも……嫌なんです」

「……わかったわ、こちらこそごめんなさい。そうね、ここで死んだら……死ぬものね」


……あくまでもここは現実なのだから。

ノリに乗らず勢いに乗らず、現実らしくぐだぐだと着実に殲滅させてもらおう。


「……そういえば、私の能力のこと、伝えていませんでしたね」

「え、汐里ちゃんも何かできるの?」

「何もできません…って言いたいところですけど、あの化け物の気配がわかるみたいです。後、近くにいると他の人の能力が強力になるらしいんです」

「つまり、えー……レーダーと周囲にいる間永続バフね」

「……そんなところです。どうか離れないでくださいね。近くにいないと同じようなことはできないと思ってください」

「了解。なら、下手に動かない方がよさそうね?」

「ですね。……でも」


左右を塀に囲まれた狭いこの道。

事前に察知こそできるものの、囲まれると危険だ。


「……待ち構えるなら、広い場所の方がいいですね」

「同じ意見よ。……動ける?」

「なんとか。敵の察知は任せてください、実房さんは対応を」

「了解。後で色々教えてよね」

「はい、目覚めた後でゆっくりと」


進軍開始。

幸い風景自体はよく通る通学路、ここがどこかはわかる。

変な構造になってさえなければ、確か近くにここよりはマシな交差点があったはず……




………………………………。




「残りの蜘蛛はわかる?」

「正確な数はわかりませんが……うじゃうじゃいるのはわかります。気持ち悪い」

「あなたの感覚はわからないけど、心地のいいものではないわね」

「もともと気持ち悪い気配なのが更に……また後ろから迫ってきてます」

「迎撃するわ」


後ろは向かずに歩き続ける。眩しいから。

一瞬道が真昼よりも明るくなって、また夜の闇が戻ってくる。おまけで気味の悪い鳴き声、もう十何回目かのぶすぶすと焼ける音が少々。


「問題なく撃退よ」

「ありがとうございます」

「……でも、さすがは先輩ね。随分と落ち着いてるわね」

「…………そうですか」


…………今は考えない。

蜘蛛を撃退しつつ進んでいた私たちは、塀に囲まれていない開けた交差点にたどり着いた。目的地だ。

中心辺りに歩きつつ、蜘蛛たちが動き方を変えたのを感じる。

私に直進していた動きは、私を中心として一定の距離を保つような動きに……言うまでもなく取り囲むつもりだ。

ふと、こいつらに知性があるのかどうか気になった。今のは、明らかに状況を見て対応を変えている。しかも全ての蜘蛛が同時に、だ。

何らかの方法で情報を共有している?それとも、何か司令塔がいる……?

っていうか、目的がさっぱりわからない。私たちを餌にするつもり?何故私を優先的に狙う?


「汐里ちゃん」

「……。……考え事してました。蜘蛛たちが私たちを包囲し始めました」

「動きを変えたのね」

「はい。向こうの準備が整い次第、向かってくるかと」

「なるほど。対策は?」

「ひたすら迎撃をお願いします。私はここで座ってるので」


言いつつ、その場に体育座り。

立っていると邪魔だからだ。

楽したいわけではない。いや、したいけど、ともかく違う。


「敵の位置は出来るだけ教えます。……攻撃方法、考えてますか?」

「もちろん。既に2、3個は考えたわ。ぶっつけ本番になるけど……信じれば思いのまま、なんでしょ?」

「その話を出すのはやめてください割と本気で傷つくので」

「あ、ごめんなさい……」


もう意地でも立たないことにした。

実際、私に出来る事はもうレーダーの役割を果たすことくらいだ。立つ必要はない。

……違和感の様子が変わった。


「……来ます。準備はいいですか」

「ええ。……3Dシューティングってところかしら。大体難易度理不尽よね」

「猶予時間短かったり敵が硬かったり、ですね」


でも。



「問題は無いでしょう?あなたはチート武器持ちなんですし」

「ちゃんと役に立つレーダーもね」



違和感が私に向かって収束。


「上空全方向から飛びかかり」

「オーケー!」


私は下を向く。

実房さんが両手を広げるのを見たからだ。

次の瞬間————世界から闇が消し飛んだ。

次々と輝く空の何か。

でも花火にしては静かすぎる破裂音だ。ジュッ、だとか。ボッ、だとか。

それで、少しの間を挟んでぼとぼとと何かが落下する音。金属音も混じっている。

例えるならば…粒が巨大な雨のような。そんな感じだった。


「……撃ち漏らしなしです」

「ふう」


顔を上げる。


「奴らに動きなし。まだまだ数はいますが、多分会議中ですね。今ので制圧するつもりだったんでしょう」

「一体ずつしか潰せないと予想したってこと?」

「恐らくは。薙ぎ払いは想定していなかった。つまり、次からは想定された動きになりますね」

「厄介ね…」

「……質問です。先程から直進しかさせていませんが、光を曲げることはできそうですか?」

「何度か試したけど駄目ね。感覚がわからないわ。今の私にできそうなのは……範囲の拡大縮小、出力の増減、それと収束と拡散。光を放つ部位も弄れるわね」

「ふむ……ちなみに出力はまだ上がりますか?」

「試してないけど…今のところはまだまだいける気配がある。限界を感じないわ」

「…………。」


……ふと、思った。

迎撃するとは言った。

ここから動かないとも言った。

言ったけど……待っている必要はどこにもないんじゃないか?


周りを見渡す。

さっきも言った通りここは開けた交差点。少し遠くに塀に囲まれた住宅地がある。それらが周りを囲んでいる。奇襲はしにくい地形。

さて。

実験だ。

心の中で前言撤回しつつ立ち上がる。


「実房さん」

「何か思いついた?」

「あっちの塀に向かって撃ってみてくれませんか?全力で」

「……意図はわからないけど、わかったわ」


実房さんが指先を向けると同時に塀が発光。とても眩しい……


「……実房さん実房さん。試してもらいたいことがあります」

「言ってみて」

「あの光、反射しないようにはできませんか」

「……というと?」

「あの光は、塀にぶつかって弾けているから今こうやって見えているんですよね。拡散・収束ができるなら……」

「……やってみる」


そう言うと、実房さんは目を閉じる。

今まで意識していなかった箇所にまで意識を回すのだろう。

私に実束や実房さんたちの感覚はわからない。だから、もし自分がやるとしたら……だ。

……あー、“自分がやるとしたら”とか考えるとか……

はい、今は考えない。

動き。光は徐々に弱まっていく……実際には収束し、強くなっているのだけど。

塀からは煙が出始める、けど、まだ足りない。


「……次に、その出力を保ったまま範囲を拡大」

「いけるわ」


煙が増えていく。その見た目は地味で静かなものだけど、そのくらいの方が現実味があっていい。

そして、それができるのなら。


「……ありがとうございます。それができるなら、多分いけます」

「あなたは何がしたいの?」

「単純な事です。私たちはここから動きませんが、迎撃しかできないわけじゃないってふと思っただけです」

「…………。あぁ……なるほど。確かにね」


私の言いたいことがわかったらしく、その顔には笑みが浮かんでいた。

そう、それだけの話。

その光がどこまでも届くなら。


「……でも、それなら最初からそうしたいって言えばいいんじゃない?」

「…………そんなものでしょうか」

「そんなものですとも」


…………まぁ、伝わったから、いいや。

今は考えない。

実房さんの背後に回りつつ、一応背中に寄る。何かに巻き込まれるかもしれない。


「……じゃあ、お願いします」

「おーけー。じゃ、要するに……」


実房さんが人差し指じゃなくて、手のひら全体を向ける。


「……ぶち抜けば、いいのね?」


少し調子に乗ってる……いいか。これなら。

勢いに乗ってくれた方が、この場合は。

なら、私も少しだけ。


「はい。……思う存分、やっちゃってください!」

「えぇ、えぇ。この力の限界、試すと——しましょう!!」


音はない……いや、ある。

それは光が放たれた音じゃない。風の音。熱風。

大気が暖められた…熱せられた?塀は……赤く、変色して…赤熱して……


「まだよ……まだまだ、あがる…!」


出力を上げたらしい。風の勢いが強くなってくる。塀が崩れていって、そして、そして……あれ?


「……見える…?」


何か、影のようななにかが、見える。実房さんの手から塀までが放射線上に、暗く……これ、実房さんが放射してる光……?


「ふ、ふふふっ…!これ、どこまでいくのかしら…!」


出力が上がって…………その闇は、どんどん濃くなっていく。

……違う。そっか。これ、実房さんが放った光が見えているんじゃない。逆だ。

光が実房さんが放った光に飲み込まれて、その部分だけが見えなくなっていっているんだ…!


「……汐里ちゃん、汐里ちゃん」


……と、様子を見ていたら。突然声をかけられた。


「あ、はい、何ですか」

「叫んで、いいかしら?ちょっと気合でやらないとやりにくいみたい」

「……はぁ」


なぜそんな許可を求めるんだこの人は、たしかにまぁいきなり叫ばれると驚くけど……


「二次元的な台詞、嫌なんでしょう?」

「…………」


……そういえば。たしかに、そんなこと言ったね、私。

そして状況的に考えて、叫んでぶっ放すのはたしかに……アニメ的。

そして。言うまでもないけど、言うまでもないから省略すると、羽根よりも軽いんだ。


「…………ありがとうございます。はい、大丈夫です。気にせず、あなたのしたいように。お願いします」

「ありがとう。ならば、遠慮なく……」


黒が、濃く。

塀を突き抜けて、次の家の壁も溶かすのが見えて……


「………っすぅぅ………みんな吹き飛べぇぇぇっ!!!!!」


ってそれまさかイデ——————


「ぅあっ……!」


気合の掛け声の効果は明白だった。

私の、実房さんの目の前の影が完全な闇になって、吹き飛ばされそうな熱風が私たちにぶつかって…いや、それより、それよりも!

溶けるなんてものじゃない、塀も家も塵になって消し飛んで……駄目、風で目を開けてられない!

でも、わかる。あの方向に潜伏していた違和感が…消滅した!


「実房、さん!その方向の蜘蛛は消えました!動きがまだ変わって…奴ら、動揺しているみたいです!……だから……」

「今がチャンス、ね!そして……きっとあなたはこう訊くんでしょう?“薙ぎ払えるか”、って!」


範囲が、広がる……!


「……背中乗っていいですか!!!」

「お好きなように!!」


返事を聞く前にもう飛びついた。

了承を得る前にもうしがみついた。


「いくわよ、汐里ちゃん!捕まっててね!」

「言われずともしがみつきますしがみついてます!!」

「イデオ「待って、やるならやるって言って————」


実房さんが回転を……


「ソォォォォォッド!!!!」


観念して目を瞑った。

だけどもう、音でわかる。振動でわかる。

家が倒壊して、熱風が肌に打ち付けて、もう訳がわからない音がどんどんどんどん大きくなって広がっていって違和感が消し飛んでいって……







「…………っ………っ…」

「汐里ちゃん」

「……っ………っ…………」

「汐里ちゃん、汐里ちゃん」

「………ぅ…?」


夢中でしがみついていたけど、ふと音が無くなっているのに気がついた。

目を開き、実房さんから降りる……と………


「…………」


絶句。


「……いやー、その、ここまでなるとは……やりすぎ?」

「……やりすぎを、超えてはいないでしょうか……」


私たちがいたのはたしかに住宅街の中だった、はずだ。

だけどどうだ、今目の前のこの光景は。

目を凝らしても何もないってわかるくらい、遠くに至るまで私たちを中心として何もかもが塵になってしまっている。

世紀末的な光景。

それを生み出した存在が、私の隣で、軽いノリで、頰を掻いている。

酷く……現実味が、無い。


「でも、ほら……もう、いないでしょ?」

「……そう、です、ね」


……色々と疲れた、もう。考えるのも疲れた。

座る。眠気。


「……ありがとうございました。これでめざめられます」

「お礼は私からするべきよ。あなたが色々教えてくれなかったら、私はあの…化け物に……?」


実房さんがふらつく。


「……あんしんしてください、これでねむると、もどれるんです」

「あら、そうなの…じゃあ、お話は現実でゆっくり、ね」


私の隣に実房さんが座って、ゆっくり横になる。

…………。


………………実束……どうしたの、かな。

実束……




………………………………。


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