八話 記憶が飛んでる間に歯磨きとかしてたらしいです







何回やったか忘れたけれど、とりあえず2桁はやってたと思う。

結果は多分ほぼほぼ互角だけど、私の方がちょっとだけ勝率は高かったかな。


で。


私と実房みおさんが壮絶な擬似的殺し合いをしている最中に実束みつかが夕飯を作ってくれていた。

正直なところ、よその家のご飯を食べるというのも私にとってはかなりの障害になる。できるならば避けたい。

避けたい、けれど、避けられないのはもう分かっている。

大丈夫、もうフリーズはしない。ソファによる荒療治のお陰でかなりこの家に対し耐性ができた。向こう側の親がいないのも中々有難い。

条件的には中々良い方ではある。過酷な状況ではあるが最悪ではない。

そんなわけで格ゲーはお開き。またやろうね。終わってみれば疲れた。

コントローラーを置き、片付けを実房さんに任せ、私は……テーブルの周囲に並べられた座布団に……

…………。

はい。座る。座るから。無意味な思考で逃避するのはもういいから。

いい?入ってしまえば後は慣れるだけなの。わかるね?さっき体験したでしょ。せぇの、いち、にの、さん。

ほら座った………………………

……………………。

……………。


「…………………………ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ………………ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。

「?」


実房さんがこっち向いたけど大丈夫、はっきりとは聞こえてないはず。

ゆっくりとこの座布団を自分の場所と誤認していこう。

実束が色々準備しているのを見て手伝いたい気持ちがないわけではないけど、余計なことになる可能性がある以上私は動けない。

客人は基本的に受け身でいるべき……だと、思う。

失礼に当たることは、とりあえず無いはずだし。

……こういう時に傲慢になりたくはないけど……うぅん、悩ましい。

普通の人はどうしているんだろうか。

私がそれを知る方法は無い。普通の人となんて話さないし、実束に訊くのも変だし。想像しようにもどうせ思考は袋小路。

……ちょっと待ってる間の暇つぶしには不適な話題かな。変えよう。

そう、例えば、夕飯が何かとか。

台所で何をやってるかわからないし本当に何にも材料のない想像になってしまうけど……料理、料理ですか。実束の料理。

…………なんでもできそうだよなぁ。少なくともゲテモノなイメージは特にない。

……………………。うん、無いけど。普通なら。

そう、どうしても先ほどまであれやこれやの言動をしていた実束の姉を思い出してしまう。

もしかして……あるんじゃないか?そういう展開……この姉妹ならあり得る……姉の評価は恐らく当てにならないだろうし……

……考えてはいけないことだったかもしれない。

しかし、どう転んだって、例え中身がどんなに非現実的であれ、現実は重く突きつけられるもの。想像したってそれは変わることはない。

であれば、私はいつも通り受け止めるだけか……そうしかならない。対応するすべが無いもの。

じゃあ、考えるだけ無駄か……

と、暇つぶしには思考をくるくる回して遊んでいた私の前に、ごとん、と置かれた調理器具。

ホットプレート。熱き鉄板。


「………………」


結構結果を絞り込める材料が目の前に置かれてしまった。判断の方の材料。

この器具を使う料理といえば、例えば、


「はい。本日はお好み焼きなのです」


お好み焼き……あ、お好み焼きらしい。

実束がボウルを持ってきた。中にはお好み焼きの…タネって言うんだっけ?素?ともかく焼いたら美味しくなるやつがたんまりと。


「せっかくだからこっちで焼くことにしました。ほら、自分でひっくり返したいでしょ?」

「いや別に」

「ならば私がひっくり返すとします。いい子で待ってるんだよー」

「……どうしたの」

「なにが?」

「いや、なんかテンションが変」

「さっきまで珍しくヒートアップしてた人が言っちゃう?」

「………………」


割と痛いところを突かれた。


「それに普段から汐里しおりの方がもっと」

「いい子で待ってるからやめてください」


過去の己の奇行を振り返ってみると自分に勝ち目がない事は明白だった。ぐぬぅ。因果応報自業自得。たまには良いことが返ってきて欲しい……いや、駄目か。別に良いことしてない。


「よろしいよろしい」

「あ、お好み焼き?いいねー、久しぶりだー」

「お姉ちゃんのも焼こっか?」

「ほんと!?……あ、でも汐里ちゃんのも焼くんでしょう?」

「いいのいいの。いつも作ってもらってるもん」

「そう?……そう?なら……甘えちゃおっかな!」

「うんうん」


自分の分も含めると……三人分。

自分が食べる暇あるのかな……無いよね。……やっぱり私も手伝った方が……


「じゃ、頃合いを見て交代ね。実束もゆっくり食べなきゃ」

「りょーかーい」


……出る幕はなかった。やっぱり基本行動を起こすべきではないんだろう。

私は異物なんだから。居なくてもいい存在なんだから。つつがなく物事を進ませたいんなら、私がここに居ない時と同じ流れにするのが一番だ。

改めて思う。

勝手にちょっとブルーな気持ちになるけれどそれはいつも通り。顔には出さない。出したらとても困らせる。

私がすべき一番の事は、この座布団の上でいい子で待っていることなんだ。

いい子…いい子。

……いいこいいこ?

頭の中で話題が切り替わる。

いいこいいこ。頭によぎったのは初めてあの世界に行った翌日の昼休みでのこと。

実束に撫でられた時のこと。

………………。

改めて考えると、出会って間もない人の頭撫でるって中々出来ることじゃないよね。いやあの、そこで受け入れた私も私だけど。

今思えばその時から(少なくとも私からすれば)過剰なスキンシップの兆候はあったのかもしれない……


「……………」

「あー、お姉ちゃん」

「ん?」

「汐里のこと気にしなくてだいじょぶだよ」

「……えっと?」

「汐里がぼーっとしてるの見てそわそわしてるの丸わかりだよ。で、大丈夫。汐里も別に退屈してるわけじゃないでしょ?」


いきなりこっちに話を振ってこないで。っていうかわざわざ言わなきゃならない流れ?

そう思って実束の方を向いたら若干申し訳なさそうな顔。

……私がやめて欲しいのをわかってて言った?嫌がらせの線は無いとして、となると……お姉ちゃんを安心させる為に少しだけお願い、みたいな?

……。……まぁ、なら、仕方ない。


「……私のことはお気になさらず。特に退屈はしていないので」

「そう…?」

「そうなんです」

「慣れないとわかりにくいけどね」

「…………」


事実には反論しようがない。

だから私は変わらず思考を……。…………ん、ん?


「…………。」


………………つまり、実束は、慣れてる?

なんか、それは……こう……こう……

……むずがゆい。

えー、だって、慣れてるって……まだ会って一週間も経ってないし…経ってないよね?なのにそんな……そんなに話してたっけ?たしかに部活が無いって日は必ず下校中についてきたし、あの世界でも色々話してたりはしてたけどそんな……

……あーあーやめよう。さっき実束の意思を読み取ったのだって状況から察するに簡単に予想できることだし第一この人たちは行動が架空の世界っぽくてわかりやすいんだ。私までそれに巻き込まれちゃいけない。そういうのはもっと時間をかけてなるものであって実際そんなとんとん拍子に進むとかないから。錯覚錯覚。

…………。

でも実束は慣れてるって事だよね?

…………。

……よし。

実束の妄言という事にしよう。


「……ふぅ」


混乱しかけた思考が落ち着いて一つ息をつく。


「あ、汐里。解決した?」

「…………」


…………………………もう黙ってようか。外も内も。




………………………………。




無心で待っていたところ、お好み焼きが焼きあがった。


「はーい、できまーしたー」


ぽん、と私のお皿にお好み焼きが投下された。実に数cmの落下。実に直径16cmほどのサイズ。

見た目は普通。匂いも普通。少し前にしていた心配は杞憂に終わってくれた。

普段あまりご飯を食べないとはいえ美味しくないものは食べたくない。普通に。


「ソースもかけてあげよっか」

「それは……さすがに自分で」


一瞬迷ったけど私は介護が必要な人間でもない…気がする。

一瞬迷ったのはなんでだ。

ソースを適当にかけて…マヨネーズ……海苔は無い?それはそれでいい。鰹節はあるの?それはいらないかな……

完成。実束によるお好み焼き。焼き上がりから9秒の品。12秒。13秒。

ふとAEDの有無による生存率の話を思い出す。確か1分ごとに生存率が半分になるんだっけ。

このお好み焼きに同じような理論が通用するかは全くわからないし、そもそもこの場合下がるとされるのは美味しさでそんな不確定なものの推移なんてわかるはずもない。……が、ほっとくとどんどん美味しさは下がる。そんな気がしてならない。考えてみれば不思議なことかもしれない。

なので私はお好み焼きを食べる事に決めた。家の住人よりも先に食べていいものか迷うところではあるが、前述したような考えの元、そして一番先に実束が私の皿にお好み焼きを乗せた事。

これらを考えると、やはり待つ事なく食べるのがきっと正しい。

早く食べろって思ったでしょう誰かさん。心配しないで、ここまで焼き上がりから16秒ですから。

というわけで。


「……お先に、いただきます」

「どうぞー」「めしあがれー」


割り箸を持ち、いざソースとマヨネーズで飾り付けられたお好み焼きへ挑む。

一本を中心辺りに突き刺し、もう一本を外側に……箸一膳による挟み撃ち。鋏。箸とは摘んでよし切ってよし刺してよし(駄目)の万能な道具だ。さすが日本。

一辺を切り取り、もう一つ、中心辺りに刺した箸はそのままに外側の箸は移動。切る。これで三角に切り分けられたお好み焼きの完成。

それを箸で掴んで……


「…………」


……。

うん。普通に美味しい。

私の言う普通というのはこう、何も否定的な意味ではなく、むしろ最上位に近い評価である。すごく美味しいとかいうのはそれこそ値段の高い所のすごいやつに使うものだ。

美味しいは美味しい、だけど多分食べるのに疲れてしまう。刺激が強すぎる、ってやつだ。

だから私としてはこの庶民的な幸せの方が嬉しい。私にはこのくらいがいい。

ああ、粉物の生地。ソースやマヨネーズの塩味、甘味、野菜類の食感に肉の味。粉物の生地のこの、表現し難いこの感触風味。

焼き加減もいいものだ。香ばしさが素晴らしい。これでいいのです、これで。そんな高級な食材とか使わなくたってこんなに幸せになれるのだから、普通でいい。普通で充分。普通が最高。

……世間一般の普通とはずれているのかもね?別にいいや。私の普通がこれなのだから。私の幸せがこれなんだから。

目を開く。


「………………?」


実束と実房さんがこちらを見ている。じーっと。

これは……感想待ち?にしてはちょっと表情がぽかんとしてる気がするけど。

でもまぁ感想は求められてるだろうし仕方ないので少しだけ外に出すとしよう。


「……おいしい」

「そっかそっかそっか」「うんうんうん」


…………妙な反応。そのほんわかした表情はなんですか。

想定と違う。私の想像の外の反応だ……何か見落としがあっただろうか。

思考を巡らそうとした…けど、目の前にはお好み焼き。

後でいいや。このお好み焼きを味わう方が先決で重要で大切なことだ。

冷めたら美味しくなくなる。それは明確な事実。食べてわかった。

さてふた切れ目。




………………………………。




一枚。完食。

二枚。完食。

三枚。完食。

大満足のご馳走さま。ちゃんと声にも出して言ったよ?

うんうん、とても美味しかった。途中餅が混ざってたりするのも面白かった。いい仕事しますね。幸せの庶民食。ありがとう食材、ありがとう味覚、ありがとう実束。


「……………」


もはや語る言葉はなし。余韻に浸る。またの機会をお待ちしております。

お皿を持っていくか迷う暇もなく実束が片付けてしまったので、私はこのまま待機すべきなんだろう。今の私はひたすら余韻に浸るべき。嚙みしめよう。よく噛んだ後だけど嚙みしめよう。


ふと時間が気になって時計を探す。

壁にかけられた時計を発見。……8時過ぎ。

もうそんなになるのか……格ゲーの時間考えたら割と妥当と言えなくもないかもしれない。


「さて、汐里ちゃん」

「あ、はい」


名前を呼ばれたら答えるしかない。


「この後も色々とやりたいのだけど……残念ながら、私は明日用事があります、朝早くから」

「はい」

「ということで、お先に失礼するわ。おやすみなさい」

「はい」


…………ちょっと違うね。たぶん。言葉が足りない。


「……おやすみなさい」


これでいいだろうか。

解が合っているか確認する方法は無い。少なくとも今の私には無理。

二階へ上がっていった実房さんが了承したのか、我慢したのか。それはわからない。

大丈夫……だろうけど。


「…………」


人の相手が終わった思考は、また議題を探し始める。想起するのは先ほどまでのこと。つまり、食事のこと。

……誰かとご飯を食べる、か。

なんだかとても久しぶりなような気がする。遠い、遠い日の出来事のよう。

なんでこんな事になったんだっけ。

お好み焼きを食べた。ゲームをした。実房さんに会った。行動不能に陥った。押された。様々な試練を乗り越えソファの前に立った。様々な試練を乗り越え入室した。様々な試練を乗り越え靴を脱いだ。勢いで家の中に入った。空白。空白。空白。実束が……

……そうそう。うちに泊まらないかとか提案してきたんだ。


………………。


……待った。私すっかり忘れてた。目先のことの対応で必死ですっかり頭から抜けてた。

私、これからこの家に泊まるの?眠るの?


…………まじ??


え、泊まるってつまり泊まるんでしょ?人の家で?

針山の上で眠るというの?私は本当にそれを了承した?したからここにいるんだね?

しかしいや全く信じられない。私がそんな選択をするとか全然信じられない……あっでも押されて流されるのは想像できる……もしかして過去の私いつも通りこの先の私、つまり今以降の私に色々放り投げたの?

恨むぞ。いつも通り。やってくれたな。

しかしもう遅い。常に私は遅い。どうしようもなく遅い。何をしたって遅いんだ。

後悔先に役立たず。後悔はもう過去に役に立った。

なので私がすべきはいかに乗り切るかだ。……と言っても、抵抗がすごいだけで眠ることだけならなんとかなる。

どうせ心地よくは眠れないだろうし……あの世界のこともあるし……。

……そういえば。実束は一つ試したいことがあるから泊まらないか提案したんだったっけ。

それはなんだろう。もともとこの一泊は…そう、私と実束が、あの世界で離れ離れで目覚める事に対しての解決策の模索が目的だ。実束が言うには。

泊まらなければできないことをするつもりなのは明白。しかし何をやらかす?

……わからない。想像できない。前例が無いもの。実束のことだからもっと単純な思考か……?


……足音が聞こえたので思考を表に向ける。

台所で食器を洗っていた実束が私がいるこっち、名詞を使うとリビングルームの方にやってきた。

もう洗い物は終わったのだろうか。そういえば、泊まると言ってもどこで眠るとかそういう詳細な事を訊いていなかった。


「汐里汐里、落ち着いたら先にお風呂入ってていいよ」

「……おふ、ろ?」


思わず空想の世界みたいな台詞を吐いてしまった。

だけどそんなことは気にならなかった。すっかり忘れていた。お風呂、お風呂、そうお風呂。

当然ながら人間は1日の終わり側にお風呂に入る。当然ながら当然だ。

しかし私はこれから他所のうちのお風呂に入ることになる。

それは、これまでのなによりもハードルが高い。高すぎる。


「うん。着替えも置いておきました。……私のだけどいい?」

「………う………ん」

「それとお風呂はあっちね。じゃ、ごゆっくりー」


……実束は台所に戻った。

………………………………。


………………………………。



………………………………。




天秤。

片方。私の抵抗。

片方。私が入るのを渋っていた場合発生する実束の入浴開始時間の遅延。


ハードルはとても高い。

けれど、誰かと比較したら、私の私情なんて羽よりも軽かった。




………………………………。


浴場発見。

服を脱いで適当に置く。

浴場に入る。

一般的な家庭の浴場より一回り広い。寝っ転がれる。浴槽も大きい。

扉を閉める。

シャンプー等確認。

座る。

アレを捻ってお湯を出す。

お湯が出る。

お湯が頭にかかる。

お湯が身体に流れる。

……………。

さて。

ここから私はこの状況に慣れなければならない。なんとか感情を抑えることによって侵入には成功した。

しばらくはこのままお湯に打たれてこの場に馴染むことにする。その場に一人でいればなんとなく自分の場所って気がしてくるので。

あったかいし。

お湯のかかる感覚とか、かかる音その他流れる音とかは嫌いじゃない。無音な訳ではないけど静かな空間。背景音、ってやつかな。

ちょっとだけ夢を見ている時の感覚に似ている。世界を認識するレベルが1段階くらい下がる。下がって下がって、その先に夢の世界が存在する。

夢の世界では何もかもが不明確だ。夢だから不明確なのか、不明確だから夢なのか、それすらも揺れて揺れて安定しない。

だからこそ何にでもなれるし、なんでもできる。不条理も何もない、全てがそのまま許されて成立する世界。

それを知ってから現実が狭苦しくて仕方ない。だけど、だからこそ現在の狭苦しさが嬉しい。

暗く狭い場所から明るく開放された場所に出た方が感動も大きいでしょう?

なんて考えていると眠りたくなってきた。眠ったところで愛しい場所にはいけないのだけど。

だから眠らない。風邪を引いたら夢見が悪くなる。

そうして、ふとずっと見えていた鏡に意識が向いた。

つまりは私の顔。鏡に映った自分自身の顔。

相変わらず無表情。出す必要もないからね。

自分で見てて思うけど何考えてるかわからないね。

あなたは誰?

暇つぶしに問いかけてみる。

あなたは何を考えているの?

勿論何にも答えない。

それでいい。ここで独りでに動き出したらほんとにやめてほしいってなる。

鏡に向かって「お前は誰だ」と問いかけ続けていると気が狂うって話を思い出す。多分自己がなくなるとかそんな話。自分を動かす上の「自分」を見失うとかだろう。

少しばかり興味を惹かれる。それはどんな感覚?

死にたくなるのかな。生きている意味を感じられなくなるのかな。

夢の中の私はこの私じゃない。この現実の私とは別人だ、別人にしている。明確に分けている。

現実の私を私と認識できなくなったって、私にはまだ夢の私がいる。……その場合、現実でも夢みたいな気分になる?空いた空席に夢の私が座るイメージ。

それは……嫌だな、かなり。

とここまで思考したけど実際にやる訳ではない。やるとしてもきっと夢の中で無意識に。現実は夢となる素を集める場所でしかないんだ、多分。

そしてそんな現実だけど、暖かさもあって大分馴染んできた錯覚に陥ってる。空間的状況が良い。閉鎖的で、暖かくて、私しかいなくて、騒がしい水の音の妙な静けさ。

そろそろ身体の洗浄に移れそうだ。

「おまたせー」



………。、……、。


————?


「髪洗った?洗ってない?長いから大変でしょー、洗ってあげようかー?」


。……

・・・・。



ー、ー、・・・・・・・・・・・・・おうん?



状況を、把握、?

完全に、思考がフリーズして。侵入を許し

ちが、なんでそもそも、ええ?

待って。待て。ステイステイ。理解を拒むのをやめなさい。認識して、拒否しないで。そうしなければ酷いことになる。

そう、対応しろ私の身体・思考・精神!

ピントを合わせろ、外を向け!無防備になることこそが最も危険なのだから!なのだから、だから……

だから、よーし、言語化するぞ。

認めてしまえ認めてしまえ認めてしまえ認めてしまえ。三つの次に。勢いで一息に、それ数え始めろ一つ二つ三つ。はい。

実束が入ってきた。


「………………」


復旧に成功。

鏡に実束が映っている。ほんとにきたのかマジですか。

それもしかもなんと当然という顔で。

思考。そんな可能性は……ある。確かにあり得た可能性ではある。何回かそういう展開は見たことはある。

つまり油断?油断していたの?……いや、油断だ。よもやそんなこと現実でするわけない、なんて今更過ぎるとしか言えない。

しかも先手を取られた。いち早く気がついて対応していれば侵入を防げたかもしれないが完全に不意を突かれて何もできなかった。

しかしだがまだだ、まだいける。挽回の余地は残っている。


「……………なにしにきたの」

「背中を流しに!」


当然のような顔をするんじゃない。


「……いまかみあらうとかなんとか」

「汐里を洗いに!」


当然のような顔をするんじゃない。

……ふう。

意思は確認した。ほんとにやる気のようだ。

そして体勢も整えた。対応可能な精神状態。受け入れ準備が整ったとも言える。

仕方ない。無理に突っぱねるより受け入れてやった方が実束にとっては良いだろう。

準備のできてないまま色々されるより天地の差があるほどマシだし。

では、心に鍵を軽くかけて。


「…………じゃあ、おねがいします」

「まっかさーれまーしたー!」

「かみだけね」

「背中は?」

「……じゃあせなかも」

「はいはーい」


…………しかし、改めて思う。なんだろうこの状況。

私は何故よそのうちの風呂場で、よそのうちの人に髪を洗われているんだろう。

なんでかな。

より一層無表情になった鏡の中の私は何も答えない。

あなたも困惑してるよね、そりゃそうだよね。

相変わらず何も答えないけど、なんとなく同意してくれた気がした。

失礼しまーす、と反響した音が耳に届く。頭の上に誰かの手が触れる感覚。鏡に映った私にも手が乗せられている。

……目を閉じる。泡が目に入るかもだし、ずっと鏡を見ているのもアレだし。


「…………で、ほんとになんできたの」

「ほんとに…って?」


しゃかしゃか。

自分じゃない何かが私の頭皮を軽く擦る感覚は、まぁ初めてだ。過去に経験はあったのかもしれないが、それとは話が違う。

で…不快ではない。


「いや、なにかもくてきがあるんでしょう?」

「……バレた?」


無かったら怖い。


「実はね……一度こうやって友達と洗いっこしてみたくてさ。憧れてたんだ」

「わたしはやらないよ」


即答した。


「お願いします」

「…………」


いや頼まれても。あとさりげなくそういう事言うのやめて反応に困る。

……ほんとに困る。どの単語に対しては考えないようにするけど。


「…………。で…たのしい?」

「うん。なんだか楽しい」

「そう…」

「汐里は?痛くない?」

「…………とくになにも」

「じゃあこのくらいで良いんだね。了解了解」


指の感覚が徐々に離れていく。

少しだけ文字通り後ろ髪を引かれる感覚。


「しかし…髪、長いね」

「ほっといてるから」

「洗うの大変じゃない?」

「…あんまりきにしたことない」

「そう?……それに、重くない?」

「うごくことないし。それになんかきるのやだし」

「なるほど、趣味か」

「しゅみ…………なのかな」


趣味……そう言われると、何か違うような気もするけど、確かに趣味と言うべきなんだろう。

感覚としては、着込みたくなるのと同じ。暑くさえなければ夏場でもブレザーは着ていたい。

それは、“私”を外に出そうと思えないから…だ。

顔も、肌も。積極的に出そうとは、目立とうとは思えない。

…………。着込んでたり伸ばしてた方が目立つ?そんなことを思わないわけでもないけど。

私の気分の問題なんだ。その方が安心する。

実際の効果はあまり意味をなさない。

そもそも誰も私に関わろうとしないんだから、別に私がどんな格好だって……


「……ねぇ、汐里」

「なに」

「学校でさ、いつも一人だよね」


とか思ってたら、ちょうど近い話題を出してきた。

心でも読んでるのか。


「……寂しくないかとか?」

「まぁ、うん……」

「見てて心配になる?」

「…そう」

「……ならその心配は無駄だからしなくていいよ」

「私がクラスメイトその他に求めてるのは、私に関わらないこと。私が求めてる結果があの状態だから。だから」

「……もしかして、私関わらない方がいいのかな」


……あ。そう、なるか。

そして思い出した。そういえば、そもそも私は今日、実束にそのことについて伝えるつもりだったんだ。

こんな状況になるとは全く想像していなかったけど、チャンスはチャンス。


「学校の中ではやめた方がいいよ」

「……ん?やめた方がいい?」

「やめた方がいい」

「なんで?」

「わかんない?」

「わかんない」

「そう」

「うん」

「……教えて?」


…………………………なんだろう、これ。

いや私が説明しないのが悪い……んだよね?

こういうのを説明するのってこう、私としては嫌悪感が中々あるんだけど…まぁ説明しないでわかってくれるのが最善ってだけだ。

現実はいつも最悪。基本それでいいんです。


「……私が学校でどう扱われてるか知ってるでしょ」

「あんまり目立ってない」

「腫れ物扱い」

「腫れ物扱いなの?」

「そう……いや若干違うか。無視されるから……ともかく、良い扱いはされてないの」

「ふむ」

「実束はクラスの人達と結構仲良いでしょう?そんな人が私と関わってたら私と同類に見られる」

「…そっかな?」

「そう。現に朝色々言われてたでしょう」

「んー……そんな気もしたような、してないような」

「…………。まぁ……実束がどう思ってるかはともかくとして……実束が私に関わるのをよしとしない人はいるから。実束にとって良くないことも起きるから」

「ふむ、だから学校の中では」

「そう、学校の中ではあまり関わらない方がいい」

「そっかー………ふむ………」


またしゃかしゃか。……?

実束、何故また頭皮を擦るの。


「……わかった……」


あ、わかってくれた。


「つまり人前で話さないようにすればいいんだね!」

「…………」


……わかってるけど微妙にわかってない。

でも妥協点だ。


「……頻繁に話すのもやめてね。人前で話さないってことは教室からはいなくなるんでしょ。休み時間の度にいなくなったら怪しまれる」

「そっか」

「そっかって……まぁ……いいや、もう…」


これ以上は無駄だろう。消費体力は最小限に。


「……汐里、いつもそういうこと考えてるの?」

「いつも……って訊かれると首を傾げる」

「でも、私の生活が脅かされそうなら、考えざるを得ないかな」

「ほうほうほう」


これ以上は無駄っていうかそろそろ荒れそうだから頭皮やめて下の方の髪に戻って。


「……汐里」

「なんです」

「私なりに解釈したものを伝えてよろしいですか」

「いいけど」

「汐里の生活に私が組み込まれてるってことでいいの?」

「待って」

「待つよ」


いや遅い。言語化して音声化した後だ。

そしてどうする私、どう反応するのが一番いいんだこれ。何故発言を許可した私。


「………………」

「………………」


お風呂場に泡の音が静かに響く。しゃかしゃ…………これ撫でてない?

私今どんな顔してるの。実束は今どんな顔をしているの。目を閉じているからわからない。

わからない、わからない、わからない……あぁ、それなら……


「……実束」

「はい」

「パスで」

「パス」

「そう、パス」

「そっか……」


……………。

沈黙。

……さすがに無理やりすぎた、か。


「でもパスなら仕方ないね」


あ、やった。



………………………………。



「じゃ流すねー」

「うん」

「かゆいところないですかー」

「訊くのが遅すぎる」

「え、あったの?かこっか?」

「早く流して」

「はぁい」


シャワーの音。難所を乗り切った私はようやっと流すところまできた。

受け入れ準備もなしに対応していたらどうなっていたことか……

お湯が頭にかかる。軽くゆすがれる。

顔に流れるお湯がなくなってきたところで、手でお湯を払いつつ少しぶりに私は目を開いた。

目に映ったのは鏡。

鏡の中の誰かは相変わらずの……

…………なんで若干微笑んでるのあなた。


「…………」


なんで表情が柔らかいのあなた。


「…………」


そして実束は機嫌が良さそう。

理由は……考えない。

考えない。考えない。

何をそんなにムキになってるんだとか自分でも思うけど、考えない。

この私の気持ちの源泉はなんだ。

知られたくない?見られたくない?なんで?

そんなの……

………………。


「……よし、おしまい。終わったよ汐里」


立ち上がる。

実束の後ろに回る。


「ん?」


押す。


「ほい?」


肩を押して座らせる。


「はい」


全てに実束は素直に従った。


「……目と口を閉じて。泡が入るから」

「…あ、もしかして洗ってくれるの!?」

「閉じなければ泡を入れる」

………………んんんーむん!!


適当にシャワーをぶっかけて、シャンプーを一度二度三度。

ミディアムショート?って言うんだっけ。実束はそのくらいの髪量なのですぐに終わるだろう。

私の感情の源泉についてはよくわからない。

わからないけど。

だけどとりあえず、なんかむかつくのはわかった。

だから……仕返し。

さっきすぐに終わると思ったばかりだけど、それはあくまでも終わらせようとした場合の話。

……徹底的に。

とことん。

やってやる。


「…………」


…………痛くない程度に。

しゃかしゃか開始。





しつこいくらいの洗浄に、流れで背中も流して、実束が無理やり背中洗ってきて、仕方なく従ってあげて、全身の泡を洗い落として。

長い長い気がした風呂もこれで終わり。

それを実感するとなんか一つため息をつきたくなった。

ついた。ふう。

気分的にどっと疲れた。いらついたりするのも久々だ。

これでこれから寝るのか……というか思いつつ、立ち上がる。


「汐里汐里」

「なぁに……」


今度はなんだ、と実束の方を向く。

浴槽で足を組んで両腕を浴槽の縁に乗せ片手でこちらを招いている。

偏見が入りまくった貴族ポーズ。


「いらっしゃい」

「……。」


座った。捻った。

シャワーを手に取ってお湯を出す。

手元に持ってきて温度を確認。

立ち上がった。


「…………」


シャワーを浴槽へ浴びせた。


「うぎゃあああああっ!!??」


実束がもがいている。わざわざ足を組んでいたので潜水に手間取っている。

放水はやめない。


「やめっしおぎゃぁぁぁぁああっ!はーっ」


潜った。

これで実束の身体はお湯に守られる。降りかかる冷水はもはや実束にとって問題ではなくなったのだ。

湯船の中にシャワー本体を投入した。


………………ごむうううう!?

「…………」


……………。


……あはは。

ほんとに、わかりやすい反応するなぁ、この人は。


シャワーを止めて、元の位置に戻してやる。

で。


「……ぶぉはっ!あーっ冷や冷やかった……」

「冷や冷やかったって何」

「そりゃもう、冷たかったという意味……あれ?」

「……なんですか」

「……汐里、入ってる」

「なんでわざわざ言語化するの」

「いやだってほんとに入ると思ってなくて……」

「……思っていないまま誘ったのか」

「あはは……ま、まぁ、ともかく!」


目の前で、実束が両手を広げた。


「ようこそ、我が湯船へ!!」


私は沈黙を貫いた。

というかどう返すのが正しいのだろう。私にはわからない。


「………………」

「………………」


……互いに硬直。

仕方ないので発言してあげた。


「……恥ずかしくないの?」

「……………」

「……………めっちゃはずかしい」

「……だろうね……」



いくら浴槽が平均より大きいと言っても、高校生二人が同時に入るには流石に狭い。

二人で入浴する場合横に並んで座るのが最適なんだろうけど、今の状況だと向かい合って座るのが精一杯だ。

私は体育座り。

実束は正座。


「……もうちょっと楽になろっか」

「そう」


実束は正座から長座の姿勢に。

私は体育座りから体育座りに。


「先に言っておくけど、誰かに肌を晒す趣味がないだけだから」

「まるで私にあるような言い方!」

「えっないの?」

「ないよ!」

「じゃあなんでそんな無遠慮に……胸とか……」


今まで認識する事を避けていた部位。

私のと比べると……その、膨らんでて、でも馬鹿でかいって訳でもない、割と現実的な大きさ。

何カップとか知らないしわかんないけど。そんなもの。……を、実束は私に対して今のところ全く隠す素振りがなかった。


「そりゃだって……汐里相手なら別にいいやって思って」

「なにそれ……」

「そう訊かれるとなんでだろね。普段おっぱいを晒して困ることかー…」

「そんなの考えなくていいから。露出狂になった自分なんて考えなくていいから」

「そう?そっか。そうなんだね」


……この人、こんな性格だったっけ……

妙な言動をするとは思ってたけど、人のこと言えないけど、ともかくここまでではなかった気がする……

…………まさか今までのはまだ素じゃなかったとか言わないよね?


「…………」

「汐里は見せてくれないの?」


波動拳。


「うわっぷ!?」

「連続で爆弾発言するのやめなさい」

「えー。いいじゃん女の子同士だしー」

「私は駄目です落ち着かないんです。大体見たって面白くないでしょうに」

「なんで?」


なぎ払い波動拳。


「見切った!」


燕返し波動拳。


「ごっぷぁ!?」

「それを訊きますかあなたは」

「だって思い浮かばないんだもん」

「じゃあわかんないままでいいです」

「えーと……私と比べてちっさいからとか?」


伸びている足を引いた。


………………ごぶっぼぼぼぼ

「この人は……この人は……」

「ぶっはぁ!!!私は全く気にしないよ!」

「私が気にしますサイズに関係なく!なんでそんなに見たがるの!」

「なんで?……んーと……」


考えるのそこ……


「……そうそう。なんかね……みんな曝け出してくれてるって感じがして嬉しいからだ、うん」

「……」


……そしてそういう理由ですか。そこで。

反応に困るから困る。


「…………そんな目で見られても見せないよ」

「そっかー…」

「……というか、見せることと曝け出すことは直結しないから」

「…あれ?それってつまり」

「ノーコメント」


これ以上この話題を続けるのは精神衛生上よろしくない。

つまり私が話題を変える必要がある。


「…実束は」

「実束は、卓球部だっけ」

「そだよ」

「理由は?」

「そーだねー……誘われたからかな」

「クラスメイトに」

「そう、クラスメイトに。そこまで興味なかったけどまぁいっかって」

「で……エースですか」

「なんかそんな風になっちゃったねぇ」


実束の話はたまに耳に入る。

詳しいことは何にも知らないけど、とりあえず卓球部で強いらしい。優勝がどうとかも聞こえてきた記憶がある。


「……それ、あんまり学校で言わないほうがいいよ。全霊を以ってしても追いつけない人とかいたら嫉妬される」

「そういうものなんだ」

「今の話を聞いた限り真面目にやってないって思われそうだから」

「詳しいね」

「たくさん例を見てきただけだよ」


それはあくまでも空想の世界で、だけど。

実束の周りで近い出来事が起きるなら、そっちの知識が多分役だってしまうだろう。

というか予想しやすい。


「へー……わかった。そういえば前から気になってたんだけどさ」

「なに」

「汐里って学校から歩きで帰るよね?」

「うん」

「家って

それはあくまでも空想の世界で、だけど。

実束の周りで近い出来事が起きるなら、そっちの知識が多分役だってしまうだろう。

というか予想しやすい。


「へー……わかった。そういえば前から気になってたんだけどさ」

「なに」

「汐里ってお昼食べないよね?」

「うん」

「……お腹空かない?」

「別に……動かないし」

「体調崩すよー?」

「だったらとっくのとに崩してます。割と私は丈夫だよ」

「すぐに走れなくなるのに」

「すぐに走れなくなるのにね。……あぁ、そうだ」


走れなくなる、で思い出した。あの世界での問題、その対策。また思い出した。

さっきも実束に訊こうと思っていたことだ。


「ねぇ実束」

「はい」

「今日、私を家に呼んだ理由。聞きたい」

「……あー………」


……?

実束の様子が変わった。


「えっとね……その…」


しかも急に大人しくなった。

目を逸らして……顔赤くして……え、なに。なんなの。


「……聞きたい?」

「……聞きたい、けど」

「そっか……うん………じゃあ……」


実束がこっちに寄ってきた。恥ずかしそうに。

なんで。


「そのね…正直、言うの先延ばしにしてて……」

「……」


目の前。


「でも……そうだよね。もうそろそろ言わなきゃ、だよね」

「……」

「……言う、言うよ?」

「は…い…?」

「……………っ」


息を吸って。

私の耳元でちっちゃく、細々と。


「わ、私と添い寝してくれないかな?」







現在位置。


「……」


枳家。


「……」


実束の部屋前。


「……えっ」

「ど、どうぞー」


実束が扉を開け……いや、え?

なにがあった?何をしたの?

ここに来るまでの経緯が思い出せない。私実束の発言から記憶が飛んでる気がする……いや待て、そんなことあるはずない。現実逃避的な事をしてるだけだ。思い出せる、思い出せるはず。

私は、そう、その、返事をした。実束の言葉に答えた。そう、確かそう、それで……いや待った、この感覚は何時間かぶりだ。

落ち着こう。状況を整理。

お風呂を上がって、着替えて、ここにやってきた。実束と一緒に。

つまりはそういうことだ。あまりに衝撃的な発言で記憶が飛びかかってたけど覚えてる。私はちゃんと覚えてる。


……いや、あの、添い、寝?


落ち着いたけど信じられない。色々問い詰めたい。

部屋の中に入って扉を閉めて。

実束が部屋に鍵をして。なんで。


「…………」

「…………」


沈黙、気まずい空気。

でも黙っているわけにはいかない。


「……どういうことなの?」

「えとね……汐里が日に日に疲れていってるのは見ててわかったから、どうにか目覚める場所だけでも近くできないかなって思って……」

「それがなんで添い寝……え、まさか」

「うん……一緒に寝たら一緒に目覚めるかなって……」


…………。

唖然。

短絡的過ぎる。

そんな、そんな単純な思考のために……今日を?


「…………」

「で、まぁ、実行に移そうとしたんだけど……色々壁があって」



実束が言うには。

一つ、姉の存在。


「お姉ちゃんのことだし、夜通し監視とかしそうだったから。警戒をとかなきゃならなかった」

「しばらく二人にさせたのは打ち解けさせるため、と」

「汐里ゲーム得意そうだったし、大丈夫かなって」


……そんなイメージあるんだ私。


「たまにゲームとかから言葉持ってきてるし」


…………。

思考を止める。これ以上三点リーダーを増やしたくない。



実束が言うには。

二つ目の壁、私。


「添い寝まで行くためにはやっぱり、汐里にこの家に慣れてもらわないといけないよね」

「……まぁ」


実際無理やり慣れさせられた。

家の中に連れ込まれて(比喩)ソファに押し倒されて(比喩)風呂に侵入されて(事実)部屋に連れ込まれた(事実)。

今私がすんなりこの部屋に入れているのもその訓練?の賜物である。


「たしかに…結構慣れたけど…」

「うん、慣れさせるためにちょっと無理した」

「……言動が妙に変だったのはそのためか」

「変だった?」

「変だった」

「どんな風に?」

「いつもより、こう……バカ」

「……いつもは?」

「黙っておく」

「むう……」


たまにバカになるね、とは思っておく。カートでジャンプしたりとか。


「でも汐里もいつもとは変わってたよ」

「…そう?」

「そう」

「どんな?」

「お好み焼きの時とか」

「……?」


お好み焼きの時?

なんかあったかな。幸せだったのは覚えてる。


「すごい幸せそうな顔だったよ」

「……え」

「満面の笑みってああいうのを言うんだねーってお姉ちゃんと思ってた」

「え」


……あの時の、あの二人の表情は、そういう。

か…んがえない、考えない考えない!おわり!


「他にもね、なんだかいつもよりお話ししてくれてる気がした」

「実束」

「はい」

「もういいです」

「そう?」

「そう」

「そっか」



実束が言うには。

三つ目の壁、実束。


「………………………」

「つまり」

「…………………考えついたはいいけど恥ずかしくて!!!」

「だろうね。」


思わず句点がつくほど思った。言った。


「というか混浴も混浴で恥ずかしいんじゃ」

「それは別に」

「えっそうなの」


よくわからないけど、実束はそうらしい。

思考放棄。


「で……その壁はもう越えたの?」

「越えた…はず。現にさっき言えたし!」

「わざわざ耳元で言う必要は」

「ちっちゃい声でしか言えそうになかったから……」

「……はぁ」


なんというか……説明されているうちに胸中にあった色んな抵抗が解けていく感覚がした。

今私が思っているのは……さっさと終わらせようって気持ち。

きっと世界に期待されているのはあれやこれや思いながら添い寝する光景なんだろうけど、生憎と私は捻くれておりますので。

そう思うとなんか普通にいける気がしてきた。

部屋の描写はいらない。

会話もいらない。

さっさと眠って結果を見る。

それでいいじゃない。


「……実束」

「は、はい」

「寝よう」

「は…はいっ!?」

「躊躇ってても仕方ないでしょ。それに、この為に今日色々頑張ってたんでしょ。おかげさまで私も入れそうだから。……ほら、ベッド入って」

「えと、えと……汐里が先にどうぞ」

「普通に持ち主が先に入るべきと思うけど」

「わ、私まだ心の準備ができきってないしできてるっぽい汐里がさ」

「……………仕方ない」


静かに拳を握り、まっすぐ実束へ向けた。


「……じ、実力行使…?」

「そういうこと。構えて」


実束も私と同じように拳を向け…何をするか察したらしく、表情が張り詰める。

さぁ……審判の時だ。


『…………さいしょはぐっ』




結果を言うと、私は勝利した。

なので、ベッドには実束が入っている。


「…まだ?」

「待って、待って」


布団の中から声。精神も含めて準備をしているようだ。

もぞもぞしている。


「……はい!できた!…………どう!…ぞ…」


できたらしいので私はベッドの横に立ち…

……どう入ろう。

適当でいいか。

布団をめくって、


「っ!」


身体を滑り込ませて、


「ぁ、ぅ」


布団を元に戻す。


「…………」

「…………」


そして横になった私の目の前に実束がいる。


「なぜ、こっちを、むいてしまったの」

「ど、どうなってるか気になったから……」

「そう……」


近い。みるみるうちに赤くなっていく実束の顔がよく見える。

私?そりゃもう、誰かの体温とか誰かの匂いとか感じて正直なところとても危険。若干心地いいとか感じ始めてる自分にどうたらこうたら。

まさかこんな事になるとは。朝も、実束に泊まらないかって言われた時も、本当に夢にも思っていなかった。


「……な、なんで、そんなまじまじ見つめるの…」

「いや、その、どうしていいかわからなくて」

「私も…わかんない…っていうか…」


互いに気がついた。喋ると息がかかりそうになる。

これはまずい。

平静を装ってさえいるものの、このまままともにこの状況を認識し続けていると精神の中まで荒れに荒れる。

つまり、私がすべき事は。


「…………実束」

「はい」

「おやすみなさい」

「えっ」


目を閉じた。

何か言ってるけどもう聞こえない。聞こえないふり。

身体の力を抜いて、認識の方向を内側に向けて、スイッチを下ろすように、切り替えるように、静かに電源を切った。

さようなら今日の日、また明日。




………………………………。


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