その3:青空(三)~奇跡の一本松にて
三、Here Today Act.3
陸前高田の街並みに微笑みかける青空の下を揃いのサイクル・スキンスーツに身を包んだ二人の
改めて詳らかとするまでもなく跨った自転車はロードレース仕様であり、前傾姿勢で力強くペダルを漕ぎ進める
ココナッツの実を二つに割ったような形状のヘルメットには所属チームの物であろうと
二つの回転音が高度に訓練された連弾の如く東北の風を爽やかに渡っていったが、彼らとは逆方向を進んでいる為、歩道にてこれを聞くキリサメには後ろ姿を見送ることが叶わなかった。
二〇一一年三月一一日一四時四六分――〝そのとき〟を迎えるまでありふれた風景として
今し方の二人は走り甲斐のある坂道を求めているらしい。つい先程も同じような出で立ちの
東日本大震災の一〇日後に八雲岳が都内の格闘技関係者を集めた会合について
(……僕だって力道山というプロレスラーに関して何か知っているわけでもないけど、それでも岳氏の挑戦が途方もない無理筋ということだけは
昭和が中期から後期へと差し掛かる頃と現代とでは価値観そのものが大きく変わっているだろうに戦後プロレスを手本とすることは果たして本当に有効なのか――三年前の養父を覗き込み、その主張に首を傾げたキリサメ・アマカザリに対して
己の双眸で見届けた日本MMA復活の場景をキリサメに語って聞かせた沙門は、彼と同じ疑問を呈した人間は少なくなかったと前置きしたが、それは鬼貫道明や徳丸富久千代といった反対意見を指していたのである。
(……本当に凄い人は自分の才能を計れないまま
自身が愛してやまない『
視野狭窄としか
理性という
「一緒に居たうちの親父は八雲さんの一言一言に『よくぞ言った』と号泣してたよ。岡田さんは顔面が崩壊するレベルで泣きじゃくっていたって今も話したけど、それに負けず劣らずって感じだったな。……アマカザリはどうだ? 鼻水でグッチャグチャになった親の顔が夢に出てきて
「質問の内容が余りにも特殊で答えようがありませんよ」
沙門の
教え子たちによる自警団について麦泉とギロチン・ウータンから視線を受けた際にも即時の返事が困難なくらいしゃくり上げていたという。
「ていうか、うちのお父さんに対する
思わず未稲が口を挟んでしまったのも無理からぬことであろう。東北の復興を支えるべく新たな闘いへ臨まんとする岳の思いに触れた沙門の
当時の様子を振り返り、「八雲さんへの愛が重過ぎて、あいすまない」と実父に成り代わって未稲に
「そもそも、沙門氏のお父上と岳氏の間にどんな繋がりがあるのですか? お互いに意識し合っているということだけは何となく分かりましたが、同じ格闘技でも分野の異なる二人がどうしたら交わるのか、僕にはどうも飲み込めなくて……」
アメリカのキックボクサーであるミッキー・グッドウィンと長い時間を掛けて育んだ絆に関しては、その経緯に至るまで岳本人から教わったものの、
対して沙門の実父は息子と同じ『
真隣にて「ストーカーの心理に整合性なんか求めても意味ないよ」などと呻いている未稲と心境は大して変わらないのである。
「でも、それを言い始めたらキリくんだって籍を置いた団体が違うのに空閑電知と仲良くしてるじゃん。概ね同じ感じだと思うよ」
キリサメに話しかけながら微妙に距離を取っているのは〝先程のこと〟が尾を引いている
「さすがはお嬢ちゃん、『八雲道場』のブログを管理してるだけあって頭の回転がすこぶる速いぜ。でも、ベストな例えはアマカザリと俺じゃないかな? 二世代に亘って意識し合う八雲家と
「そもそも教来石さんがキリくんと知り合った経緯すら私は聞いてませんけどね⁉ 気付いたときには『ずっと昔から二人は仲良し』みたいな空気だったじゃないですか! 何なんですか、一体? 前世からの因縁とかそういうヤツ⁉ だったら置いてきぼりにされるのも仕方ないと思うますけど、フィクション顔負けのドラマチックな関係とやらも、そこまでブッ飛んでませんよねぇ⁉」
「俺とアマカザリの馴れ初めかい? 話すと長くなるし、アクションシーンも入ってややこしくなるから、また今度、説明するよ」
「今度って何時ですか⁉ ていうか、アクションシーンって何事っ⁉ キリくん、私たちの知らないトコで
己の養父と沙門の実父――両者の関係性に首を傾げるキリサメと同じような状況が未稲の
「俺としちゃあ、アマカザリとお嬢ちゃんの馴れ初めのほうが気になるけどな。淡白そうに見えて大胆に肉食系じゃねぇの。さすがの俺もドキドキしちまったよ」
「馴れ初めも何も……さっきと同じように僕のほうからみーちゃんの口を――」
「――キリくんは余計なことを言わないのっ!」
ここぞとばかりに冷やかしてくる沙門に対し、初めて口付けを交わした夜のことを簡単に明かしてしまいそうなキリサメの背後まで回り込んだ未稲は両手でその口を塞いだ。
キリサメが首を頷かせて黙っていることを了承した直後、飛び
「確か『コンデ・コマ・パスコア』……だっけ? 『
「その話をキリくんにしてあげる時間があるなら、私の疑問に一〇秒くらい割いてくれても良いのになぁ~! なんだかなぁ~! 依怙贔屓が露骨なんだなぁ~っ!」
すっかり不貞腐れてしまい、「いっそ二人が仲人やってあげれば? 『
『
当時の日本格闘技界を代表する二団体が手を組んだ上に国内史上最大規模の大会ということもあり、屋外リングが特設された国立霞ヶ丘競技場には九〇〇〇〇人を超す観客が詰め寄せ、都会のビルから吹き降ろす風よりも熱い
この頃、沙門の実父は現役の競技選手であり、発足当初から携わる『
それは現役を退いて『
どこからどう聞いても思い込みの激しさが生み出した錯覚である。亡き母から教わった人間の心理に当て嵌めるとすれば、「恋に恋する乙女」のようなものとしかキリサメには考えられず、未稲や沙門が口元を引き攣らせた理由も本当の意味で理解に至った。
何とも例え難い靄が胸の奥に垂れ込めてしまうような錯覚であるが、沙門の実父が岳の言葉を受ける形で皆に示した復興支援の〝筋道〟が理に適っていることはキリサメも余計な感情を差し引いた上で素直に認め、深く感じ入っている。
「日本のMMAは今から一〇年くらい前までが黄金時代。鬼貫氏の異種格闘技戦から総合格闘技にシフトしていった黎明期は僕や沙門氏が生まれた一九九〇年代中盤まで遡れる。その頃から日本MMAを応援してくれた若者たちは大人になり、親にもなっている。最古参のファンを励ますことはその子どもを援けることにも通じる――でしたね?」
『
それもまた実の息子である沙門が八雲岳の養子に語ったことの一つであり、補足説明として自身が所属する『
脇で耳を傾けながら「同じ人がレールを敷いたと思えないくらい『
沙門当人のデビュー戦も骨髄バンクへの支援を目的とするチャリティー
未稲が述べた通り、〝或る時期〟を迎えるまではテレビという媒体で好まれる話題性ではなく弱肉強食の真剣勝負を前面に押し出していた『バイオスピリッツ』とは団体としての方向性からして異なっており、八雲・
福祉活動が事業の一部となっているような格闘技団体だからこそ東日本大震災の復興支援という岳の志にも強く呼応したのだろうとキリサメは解釈しているが、その認識が大きく外れていないことは沙門の
「日本MMAの黎明期に俺やアマカザリと同じ
沙門の言葉を補うかのようにして未稲からキリサメに耳打ちされたことであるが、東京ドームに於ける興行の一例として挙がったのは二〇〇三年一一月に開催された『バイオスピリッツ』の大一番であった。
『
それは紛れもなく
「
「でも、一つの事実として、うちのお父さんがリングに戻ってから日本のMMAは息を吹き返したところがあるわけで……どうしたって手前味噌というか、身贔屓みたいな言い方になっちゃうのがヤだなぁ~」
「そこはみーちゃんも素直に胸を張ってあげたら良いんじゃないかな。わざわざ岳氏の功績を打ち消す必要もないわけだし……」
沙門の父親から八雲岳に寄せられた熱烈な評価を承認でもするかのように首を
陸前高田市を貫く
MMA日本協会の副理事長ばかりか、鬼貫道明にさえ無謀と戒められた八雲岳の挑戦を実の娘という立場で支えたのだ。それだけに沙門の言葉へ〝事実〟という一言で応じた意味は極めて重かった。
その未稲がキリサメと共に振り返ったのは二〇一四年六月へと辿り着く日本MMAの歴史であり、沙門より語られた三年前の出来事は極めて重大な転換点として含まれている。
己が挑まんとしているMMAの世界について勉強の途中であるキリサメに対し、未稲と沙門は折に触れて様々な解説を添えていた。いずれも三年という僅かな時間に訪れた変化を
日本初の女性MMA選手――吉見定香が
沙門が気まずげに口を噤み、「本人の前で言っちゃダメだよ? キリくん、今さっきみたいに天然でやらかしそうで怖いんだよなぁ」と前置きした上で未稲が躊躇いがちに明かしたことだが、この三年の間に彼女の苗字は『
〝倉持有理紗〟とは反対の意味で肩書きと立場が変化した人間もMMA日本協会には少なくない。『ラッシュモア・ソフト』を一代で築き上げた徳丸富久千代は二〇一二年に社長の座を息子へ譲り、岡田健に至っては与党の文部科学大臣に就任していた。
吉見定香が京都・
「ライバル団体といえば沙門氏、
「国内で一番大きな団体が吹き飛ぶというコトはMMA選手――特に日本人選手が行き場を失って路頭に迷うのと同じだよ。『バイオスピリッツ』解散直後に発足したMMA日本協会が真っ先に要求されたのは失業者の救済ってワケ」
岳が統括本部長の立場で担うことになった『バイオスピリッツ』の幕引きについて、実の娘の前で明かしていくことを沙門は憚っているらしく、キリサメの質問に答えながらも彼女の顔色を窺い続けていた。
八雲岳の娘を刺激しないようMMA日本協会にまつわる
「私が言うとイヤミっぽくなっちゃうかもだけど、どれも長続きしなかったんだよ。テレビ局とも『バイオスピリッツ』ほど上手く提携できなかったし、最後まで残っていた団体だって『
「最初から『
「うーん、キリくんってばなかなか答えにくいことを突いてくるねぇ~。『まつしろピラミッドプロレス』以外には格闘技関係の仕事を全部断ってたお父さんは勿論だけど、樋口さんも、……文多さんだってMMA日本協会が関わった団体とは距離を置いてたんだよ。柴門さんなんてスゴいんだよ? 『サムライ・アスレチックス』に勤めなくても余裕で食べていけるような人なんだから。ていうか、
二〇一四年現在の『サムライ・アスレチックス』に
東日本大震災直後の三月一五日に発生した静岡県東部地震では幸いにも事務所の倒壊といった被害には見舞われなかったものの、兼ねてより東北にて発生している事実無根の風評被害に動転した海外顧客への対応に苦慮しており、
未稲によれば、
〝生活臭〟を他者には全く感じさせず、軽妙洒脱を絵に描いたような柴門には似つかわしくないとさえ思える素顔には、さしものキリサメも意外そうに目を見開いた。
「今さっきお嬢ちゃんが話した通り、団体丸ごとの牽引役が――その選手一人で客を呼べるようなスター選手を最後まで得られなかったのはやっぱり致命傷だわな」
自分と同様の謳い文句を付けられている為にキリサメも折に触れて想い出してしまうのだが、『バイオスピリッツ』に
〝最年少選手〟だけに
「……こんなことを言うと各方面から叱られちまうけど、日本MMAの黄金時代を作った人たちが外れた影響で盛り上がりに欠けたのは間違いない事実だな」
それでもMMA日本協会は総合格闘技そのものに誠心誠意を尽くしていた。その事実だけは樋口にも否定して欲しくない――と、沙門は何とも例え難い
『バイオスピリッツ』解散に前後する二〇〇〇年代末期であるが、スポーツ医学の中でも格闘家・武道家の肉体を専門的に取り扱う分野――〝格闘技医学〟が提唱され、多くの同志たちによる中立的な研究機関も設立されていた。
沙門はその第一人者と昵懇な間柄であり、効率的かつ安全なトレーニングメニューの策定に助言を仰ぐだけでなく、症例に応じた最善の治療とリハビリ、未然に故障を防ぐ工夫など医学的見地から空手を支える為の指導を『
〝格闘技医学会〟の一員であるスポーツドクターもMMA日本協会に理事として名を連ねている。管轄団体主催の
MMA日本協会に参加する
杖村という人物を良く知っているらしい沙門は「あの人が居合わせたらギロチンさんとは違う意見で八雲さんに立ち向かったハズだよ。短期間での準備ほど選手に負担を掛けるものはないってね」と自らの推察を述べたが、杖村理事の本業は整形外科医である。未曽有の天災に向き合おうというとき、その使命が〝格闘技専門のスポーツドクター〟という立場を上回るのは当然かも知れない。
格闘技医学会も杖村の決断を大いに称賛したことを未稲も言い添えた。
何しろ杖村は江戸時代から続く骨接ぎの名門――『
時代を下った現代に
過剰な反応になってしまうのも無理からぬことであろう。格闘技について学習の途中という
日本最後の
秋葉原の町を駆け巡りながら『タイガー・モリ式の剣道』と斬り結んだときのことであるが、当の瀬古谷寅之助が武術史に詳しい様子の野次馬を交えてそのように語っていたはずなのだ。
日本武術興亡の瀬戸際で存続に力を尽くした『名倉堂』の系譜が現代の格闘技医学にも繋がっているという事実は何事にも無感動なキリサメをも驚かせたわけである。
(……格闘技医学とやらを考えれば考えるほど引っ掛かるよな。選手の安全性に配慮したルールを打ち出す割には仕組みがチグハグだ)
その上でキリサメは首を傾げる仕草と目配せでもって一つの疑問を未稲に投げ掛けた。
格闘技医学という理念は言うに及ばず、医学分野の総称を冠した機関すら今日まで知らなかったのである。記憶の水底を浚ってはみたものの、少なくとも『
その返答がキリサメの疑念を更に深めた。MMA日本協会との関係が芳しくなかろうとも所属選手の安全性を謳うならば格闘技医学会とは提携してもおかしくないだろう。どうやら『
東北の青空に杖村の顔を映しているらしい沙門が同行者たちによる無言のやり取りに勘付いたなら、格闘技医学にも直結する実例を付け足したことであろう。
ほんの数日前のことであるが、北米を代表する伝説的な〝
一九七〇年の初来日からおよそ四〇年――若き日の鬼貫道明やプロレスラー時代のヴァルチャーマスクとも名勝負を繰り広げたアメリカマット界の重鎮が二〇一四年現在で三二歳という元プロレスラーから提訴されたのだ。
この二人は二〇〇七年に双方が真っ赤に染まるような大流血戦を繰り広げたのだが、その際に老将の血から若き精鋭にC型肝炎が感染したという疑惑が立ち上がったのである。
互いの肉体をぶつけ合い、弾け飛ぶ汗の一粒にまで闘いの物語を行き届かせるのがプロレスであるが、〝
二〇〇一年にデビューしたばかりの若き精鋭は二次感染の恐れから二度とその大舞台に立つことが許されなくなってしまったのである。所属団体との交渉も不調に終わり、僅か一〇年余りでプロレスラーとしての
〝生きた伝説〟を超えるべく闘魂を燃やしていた若者が理不尽極まりない形で未来を奪い取られてしまったのだ。
日本で最も有名な外国人レスラーの一人ということもあり、悪名高いスポーツ・ルポライターの
格闘技医学に
つまるところ、『
反則以外のあらゆる技術がルールとして許可される
「……リハビリ中の人を悪く言うみたいで気が引けますけど、
予防医学の全否定とも受け取られ兼ねない部分である為か、統括本部長の娘としては何とも触れ難いようで、仕切り直しの如く『
自身が契約したMMA団体に関わることではあるものの、体質に問題があろうとも出場を考え直すつもりがなく、未稲との誓いを果たす覚悟でいるキリサメは底意地の悪い追及もしなかった。
「その
未稲が名前を挙げた『
通称まで含めた
実力・実績とも十分であり、新体制の日本MMAを牽引し得る可能性を確実に秘めていた――そのはずであったのだが、とうとう
その事実が団体の経営に与える影響はキリサメにも想像できた。
内外から『客寄せパンダ』同然に扱われる〝変わり種〟を
「――でも、一つの事実として、うちのお父さんがリングに戻ってから日本のMMAは息を吹き返したところがあるわけで……」
直轄にも近い団体を幾つも短命に終わらせてしまったMMA日本協会と、同団体が敷いた
『鬼の遺伝子』として異種格闘技戦を経験した実績は日本MMAに
戦国武将の如く髪を結い上げ、
これに対して
(……MMA日本協会か。審判を送り込んでくるとか、それを突っ撥ねるとか、樋口氏が話していた
そもそもキリサメはMMA日本協会という組織について『
『
改めて記憶の水底を覗いてみても樋口たちが会話の中で触れた
日本MMAという一つの〝世界〟の中で果たしている役割どころか、『
唯一、キリサメが気になったのは樋口郁郎の変調である。
『バイオスピリッツ』代表という立場から日本MMAの黄金時代を築いたという自負がある為か、樋口は年齢の差や肩書きなどに遠慮はしない。誰もが辛辣と思う憎々しい態度は少しも変わっていない様子だが、沙門の話を通して三年という歳月を俯瞰するキリサメには頭の中身がそっくり入れ替わったようにも感じられた。
暴君さながらに振る舞う
三年前は被災地から東京に戻ってきた岳を誰よりも早く出迎え、抱擁を
誰の耳にも入らない場所で陰口を叩くだけならばまだしも黄金時代を共にした同志であろうベテラン選手をも薄笑いで面罵し、若手の積極登用によって彼らを実効的に放逐しようとしている。経営判断という一言で割り切るには余りにも仁義を欠いた画策であり、三年前の対極といっても過言ではないだろう。
八雲岳すら前時代の遺物の如くせせら笑う
これではギロチン・ウータンが以前に所属していた女子プロレス団体の
「――そういえば、岳氏は希更氏のご家族とも知り合いだったんだね。鬼貫氏の店でもやけに親しそうだったけど、元から繋がりがあったわけか」
「ジャーメインさんだね。お父さんの連絡を貰ってすぐに
「どちらかというとバロッサ家の一族は『
「……友人――いえ、知人から何となく聞かされた
黙りこくったまま思いを巡らせ続けるわけにもいかず、三年前の会合に出席したという希更・バロッサの母親について二人と語らうキリサメであったが、心の中では樋口の全身を巡る血が毒にでも変わってしまったのではないかと首を傾げた。
「一応、キリくんに説明しておくとね、バロッサ家全体をシキる総帥は別の人なんだよ。ジャーメインさんはその人の代理。むしろ、『バロッサ・フリーダム』を代表して上京したって言い方のほうが合ってるのかな。総帥のほうは
未稲が「孔のおじいちゃま」と呼んだ人物――
仙人の如く浮世離れした風貌の持ち主に電知は「
「三年前かぁ。惜しいチャンスだったなぁ。あの頃の俺に今くらい度胸があればジャーメイン師範をディナーにお誘いできたのになぁ。大きな子どもがいると思えないくらい可憐でスタイル抜群で……勇気を振り絞ってでもメルアド交換をお願いすべきだったなぁ」
余りにも軽薄な沙門の物言いに呆れ果て、「ついさっき杖村さんにラブコールしたのはどこのどいつですか⁉」と吐き捨てた未稲の声もキリサメの意識を素通りしていった。
「アルフレッドさんって言ったかな――向こうの旦那さん、熊本でも有名なやり手の弁護士みたいですから、あんまり不埒なコトばっか抜かしてると裁判所から『
「冗談、軽い冗談だって。俺だってバロッサ家を敵に回すワケにはいかないもん。本当ならジャーメイン師範の娘さんにも同じ立ち技系の『
「全ッ然冗談に聞こえないんですよねぇ、沙門さんの場合。そうやって舌の根の乾かない内にアブないコトを口走るし! ……ホント、ど~ゆ~成り行きでうちの朴念仁もといキリくんと仲良くなったんだか……」
思いも寄らない〝流れ弾〟を直撃されたキリサメは未稲の視線から逃れるように足元へと――舗装されていない砂利道へと視線を落としつつ、沙門がおどけた調子で呟いた「敵に回す」という一言を誰の耳にも聞き取れないほど小さな声で復唱した。
二〇〇〇年の旗揚げから一〇年以上も『メアズ・レイグ』を運営し、『ジョシカク』を主導し続けた倉持有理紗は『バイオスピリッツ』もろとも日本からMMAという〝文化〟を衰退させた樋口郁郎よりも遥かに優秀であろうと謳われている。ファンの間に流れる風聞だけでなく、後者の古巣であるはずの
こうした評価に見合うだけの知識と経験を兼ね備えた倉持有理紗が『サムライ・アスレチックス』では飼い殺しにも近い状況に立たされていた。『
それは『メアズ・レイグ』に関わった全ての人々を敵に回すことにも等しい。同団体を平らげ、『
二人とも具体的な名前は挙げていなかったが、懸念を示したのは麦泉や柴門と考えて間違いないだろう。
(沙門氏やみーちゃんの話を聞く限り、……いや、そうでなくとも敢えて敵を作っているとしか思えないな。ゴーザフォス・シーグルズルソンのことまで時代遅れの邪魔者のように扱き下ろしていたくらいだし……)
沙門や未稲の言葉しか手掛かりを持たないキリサメには裏面まで読み取ることは叶わなかったものの、それを差し引いても三年前の時点ではMMA日本協会との関係が大きく拗れているようには思えなかった。事実、八雲岳と吉見定香あるいは鬼貫道明と岡田健などはそれぞれ親愛の情を
三年という月日の中で両者の間に対立が生じたとするならば、独立独歩の団体運営を画策する樋口がMMA日本協会を蔑ろにし、彼にとって最も都合の良い断絶という構図を作り上げたとしかキリサメには考えられなかった。
むしろ、樋口の身辺には穏やかならざる事例が溢れ返っているというべきであろう。キリサメが知る限りでは友好的に接している相手など秘書の
自分以外を全力で応援こそすれども負の想念を叩き付けることのない岳でさえ、苦楽を共にしてきたはずの樋口に鬱憤を覗かせる瞬間があるのだ。
付き合いの長さとは絆の深さを直ちに意味するのではなく、憎しみを積み重ねるということでもある。不当な扱いを受け続ける倉持有理紗は言うに及ばず、今となっては麦泉や柴門でさえ〝樋口社長〟に心からの信頼を寄せることは難しいだろう。
古巣の
同誌から『サムライ・アスレチックス』へ出向している
日本MMAを黄金時代へ導いた男は、それ故に格闘技界への影響力が歪な形で膨張してしまった。瀬古谷寅之助の挑発に乗って〝プロ〟の競技選手にあるまじき不祥事を起こした挙げ句、こうした強権によって窮地を救われたキリサメは今福ナオリの一番弟子を称する未稲から
「――同じ打撃系だし、バロッサ家のコトもムエ・カッチューアのコトも、多少は探りを入れてたけど、それでもジャーメイン師範の旦那さんは大して情報が掴めなかったな。弁護士先生ってコトは得意顔のお嬢ちゃんから説明されなくても知ってたけどね」
「う~わ、
「愛を
「見た目しか良いトコないし、この人ッ! ……私がバロッサさん――娘さんから聞いた話だと熊本で法律事務所をやりながら道場の相談役も務めてるそうですけどっ⁉」
「あ~、顧問弁護士ね。何しろムエ・カッチューアは古代ビルマの危険な格闘術だし、弁護士のバックアップは必須だわな。『試合や猛特訓の結果、死んだって構わねェ』みたいな法律違反を禁じる為にもコンプライアンスは欠かせない。『
「……格闘技や武道で軽視されがちな部分ですもんね。強くなれるなら、勝てるなら後遺症も気にしないなんて漫画みたいな話、法的には絶対に認められませんから」
「結局、バロッサ家にベストな婿ってコトか。ジャーメイン師範と旦那さん、上手く歯車が噛み合って、がっちり支え合っているんだろうな。羨ましいったらありゃしね~」
「話しながらムカついてくるくらい頭の回転早いな、なんちゃって
「お嬢ちゃんが得意顔作る前に『知ってる』って言ってあげれば良かったな」
「ムっ――カつく……ッ!」
得体の知れない日系ペルー人を『
二人は希更・バロッサの父親――アルフレッドについて語らっているのだが、どうやら法律の専門家という立場から
総帥の代理として三年前の会合に駆け付け、
格闘技やスポーツへ関連する記事に限られるだろうが、インターネットの世界にて垂れ流されるニュースをも
「アルフレッドさんだっけ? 旦那さん、入り婿なんだよな。……あれ? ビクトーさんも確か入り婿だったような? ジャーメインさんは三姉妹の末っ子らしいけど、全員婿取りだったりして?」
「その娘さんの話ならアニメ雑誌で読んだコトがありますよ。お察しの通り、一番上のお姉さんからジャーメインさんまで全員がお婿さんを貰ったんですって。格闘技と無関係なのは確かアルフレッドさんだけですよ」
「お付き合いの接点すら見えないんだよなぁ。バロッサ家の法律相談を聞いてる内に親しくなったのかねぇ」
「私だって娘さんが答えたインタビューでしか知りませんけど、アルフレッドさんが弁護士になったのは日本に帰化した後のことらしいですから、そういう馴れ初めは有り得ないでしょう。普通に中学校の同級生だったとか。ワークブックって言うんですか? 学校の課題を一緒にやってる間にそ~ゆ~雰囲気になったみたいです」
「青春かよ⁉ いやストレートに青春だな! 爽やか過ぎるったらありゃしないぜ! 馴れ初めの時点で旦那のアルフレッドさんに勝てる気がしねぇ~!」
「今でいう〝おめでた婚〟で、それがきっかけで日本へ引っ越した上に国籍まで移したともインタビューで話してましたね。バロッサ家のほうも早くからアルフレッドさんに目を付けてたのかな? 総帥直々にジャーメインさんをけしかけたとか――って、ご両親のコトとはいえ赤裸々にぶっちゃけ過ぎだなぁ~」
「分かっちゃいたけど、色々な意味で強過ぎるな、バロッサ家ッ!」
希更の両親の馴れ初めへと耳を傾ける内にキリサメも想い出したのだが、樋口の左手の薬指に結婚指輪など嵌められていなかった。そもそも彼のことを心から信じ抜き、愛する〝身内〟など一人として残っていないように思えるのだ。
それはキリサメ一人の邪推ではなく、誰もが暴君の孤独を疑わないだろう。
(……
かつて
キリサメからすれば〝生きていてはいけない存在〟であったが、それでも数え切れない亡骸を踏み締める罪深さへ向き合うだけの覚悟と潔さは持っていた。だからこそ彼の志へ呼応する信奉者も多く、『組織』の
残酷な見立てとなってしまうが、MMAという平和の祭典を日本に根付かせた偉大な先駆者の一人は、ペルーの社会を内戦寸前まで混乱させたテロリストよりも〝身内〟と呼べる存在に恵まれなかったということである。
同志として認め合ってきた人々の誇りを良心の呵責すら感じていない素振りで蹂躙してきたのだから当然の報いと言えなくもない。それはもはや、人徳という一言では片付けられない断絶なのだ。
それでもキリサメは樋口郁郎を憎み、距離を置きたいとは思えなかった。
余りに接近してしまうと
だが、それらを飲み下してしまうほど〝樋口社長〟に恩義を感じているのだ。縁を結んで間もないキリサメには長い年月を掛けて暴君としての所業を目の当たりにしてきた未稲や沙門のような悪感情も鬱積していない。
三年前の吉見定香から面罵された通り、一度は『バイオスピリッツ』もろとも日本MMAを破綻に追い込んだ男である。永久追放を受けても不思議ではない致命的な失脚であろうが、それにも関わらず二〇一四年の現在まで絶対的な権力を維持し続けているのだ。三年という僅かな時間の中で急激に変調を
「――先ほどの話でも少し触れていましたが、『
頭の中で捏ね繰り回してきた疑問の一つをキリサメが口に出した途端、沙門は目を丸くし、顔面に「意外」の二字を貼り付けた。前後の脈絡を無視するように唐突な問いかけであった上、『
傍目には珍妙としか表しようがなく、希更・バロッサの母親への未練を洩らし続ける沙門を絶対零度としか
「おっ? おおっ? いきなりどうした、アマカザリ? ひょっとして『
「ちょっと、こらぁ! 露骨なヘッドハンティングはやめてくださいよ! キリくんは私たちと一緒に『
「僕もみーちゃんがいない
ようやく顔の火照りが引き始めたところでキリサメから破壊力の高い不意打ちを受けてしまった未稲は、踏み潰された蛙のような悲鳴を上げて全身を硬直させた。
「アマカザリはアレだな、雰囲気とは裏腹にガツガツ行くタイプなんだな。傍から見ていてどんどん面白くなってくわ」
「たまたま僕のほうからする機会が多かっただけです。今までに一度も拒まれたことはありませんし、この間はみーちゃんから初めて――」
「――キリくん、アウトッ! それはイケナイやつッ! だめだめだめだめェーッ!」
「ストレートなお
「ヘッドハンティング以上に困ります、そーゆーの! ホント、相手取りますよッ⁉」
冷やかすような調子で笑いながらも沙門は質問に対して「あの人の場合、MMAよりも立ち技系――『
「樋口さんがまだ
「いえ、復習させて貰えると助かります。樋口氏が徳丸という方を納得させたくだりではアドバイザーのような役割と説明を足して頂いた
「代表として団体の全部を取り仕切る『
「お嬢ちゃんもサポート、サンキューな! 『八雲道場』のブログと同じように説明が適切で俺のほうも大助かりだよ」
打撃系立ち技格闘技団体『
その声が分かり易いほど震えているのは余人に聞かせるべきでないことをあっさりと暴露されそうになった動揺が収まっていない証拠である。
「
格闘技経験を持たずして格闘技の
スポーツには少年の頃から親しんできたものの、経歴の中に武道や格闘技は一切含まれていない。自らの体験は皆無にも関わらず、『パンチアウト・マガジン』の編集長を務めたことから格闘家や関連団体の知識は生き字引といっても過言ではないほど豊富であり、国外にも及ぶ広い人脈がなければ『
若かりし頃は格闘技雑誌の
埋め難い矛盾を孕んだ異称は歪としか
(頼るだけ頼っておいて本当の仲間とは認めなかったということか? ……仮にそうだとしたら悪質なんてものじゃないな。沙門氏の家族や岳氏たちが同類じゃないってことだけが唯一の救いかよ……)
我知らず眉根を寄せてしまう内容が含まれてはいたものの、樋口郁郎を暴君たらしめた道筋とその基盤に対する理解は沙門の
沙門と張り合うかのように未稲が言い添えた解説であるが、樋口は『
「あ~、〝ご意見番〟なんて枠には収まらないかな。『パンプアップ・ビジョン』っていう衛星放送の格闘技専門チャンネル、アマカザリも観たコトあるんじゃないかな?」
「偶然ですけど、丁度、『
「このォ、愛い奴め~。可愛い返事をブチかましやがって~! 樋口さんはその『パンプアップ・ビジョン』の開局にもコアメンバーとして携わったんだ。役職は編成部長だったかな……。編集長に就任してからも
「実際、一九九〇年代以降に日本の格闘技界やその周辺で起こったことにはことごとく一枚噛んでますからね、樋口社長。MMA日本協会が立ち上げた団体や
「おいおい、お嬢ちゃんも『
「私だって別に
未稲が名前を挙げ、「またピーキーな例を持ってきたもんだ」と沙門が肩を竦めたのは平安時代末期の法皇であった――と、キリサメは亡き母から教わった〝外国の歴史〟の一端を頭の中で振り返った。
出家した
『
誰も逆らえないほど絶対的な権力が〝格闘技経験を持たずして格闘技の
関東を中心に大勢力を誇る
黄金時代という功績など免罪符にはならず、
それから二〇一一年三月に至るまでの数年――格闘技評論家なる肩書きを名乗り、テレビのスポーツ番組などに出演することはあったものの、未稲が言及したようにMMA日本協会が主導する
日本格闘技界の趨勢を手のひらの上で弄ぶほどの
二〇一四年の
「樋口さんが怪物クラスってコトは変わりないか。
「……樋口社長、色々なインタビューでも〝
八雲岳がプロレスラーを志したきっかけの人物であり、『新鬼道プロレス』の異種格闘技と『バイオスピリッツ』の総合格闘技の双方に挑戦した伝説的なマスクマン――ヴァルチャーマスクについて言及した際、沙門は昭和のサブカルチャーを牽引した漫画原作者の名前も挙げていた。
それが
そもそもヴァルチャーマスクは
漫画の登場人物を実在のレスラーに仕立てることで
そして、その精神は『
因果関係を辿る手掛かりがなければ単なる偶然として気にも留めなかったであろう。しかし、三年前の議論に
沙門や未稲が言い添えた補足説明によれば、
漫画原作に格闘技雑誌という取り合わせの師弟である。
「――お前なら小細工に頼らなくても良いハズだ。それなのにどうして『客寄せパンダ』を使うッ⁉ そんなに儲けが大事か? ……同じ失敗を繰り返したいのか、ヤクモッ⁉」
不意にキリサメの意識へと割り込んだのは『
空閑電知たち『
「同じ失敗」という一言をリングサイドで聞いた
それはつまり、日本MMAの黄金時代にも『客寄せパンダ』が利用されたことを意味しているわけだ。岳は統括本部長の責任としてバトーギーンの怒号を受け止めていたが、真剣勝負の重みを拳に握り締める養父や鬼貫道明が興行収益を目当てに小細工を提案するとはどうしても思えない。
「ヴァルチャーマスクに則ってチャリティー路線を打ち出したかと思えば、MMAのほうでは『アルジャーノン路線』みたいな真似をやらかすんだから、樋口さんの発想もいまいち理解に苦しむんだよなァ。未だに読めない。アレこそ〝
奇しくも沙門の呟きがキリサメの推察に答えをもたらした。真隣を歩いている未稲も返事に困って目を泳がせたが、『アルジャーノン路線』という耳慣れない言葉が
「……『アルジャーノン』というと、ダニエル・キイスの……?」
改めて
「忘れもしない二〇〇三年のコトだよ。樋口さんの気まぐれでチーズカーンっていうアメリカの巨漢ボクサーを『バイオスピリッツ』の
「余興って言い切るのはチーズカーンさんに失礼ですけどね。……動く
「いざ、ゴングが鳴ってみたらスピードもテクニックもパーフェクトな選手をパワーゴリ押しで捻じ伏せると来たもんだ。人好きのする風貌だったし、本人もユーモラス。こんなにオイシい〝キャラ〟を放っておく手はないとばかりにテレビやマスコミもこぞって持て囃し始めてなァ」
「漫画とかでありがちでしょ? どう考えても体格の釣り合わないキャラ同士が真っ向から闘うヤツ。何から何までデタラメなんだけど、盛り上げられたら成功判定っていうノリと勢いのトンデモバトルは〝
「明らかにヒーロー側じゃないヘンテコな脇役が人気になっちまって、編集部に頼み込まれて無理に出番が増やされるパターンにも当て嵌まるわなァ」
「……二人の言いたいことは分かったよ。……チョルモン氏の怒鳴り声にどういう意味があったのかも」
日本MMAに関わった人間にとっては一種の教訓として語り継ぐべき出来事を振り返りながら未稲は自身の
実際の姿を確認すれば理解も捗るというものであり、液晶画面から沙門に目を転じたキリサメは改めて首を頷かせた。未稲が説明したように
誰かに確認するまでもなく『チーズカーン』とは
チリコンカーンと良く似た語感だが、『カーン』はスペイン語でいう『カルネ』――つまり、食肉を意味する単語を宛てたに違いないとキリサメは
液晶画面に映し出された画像の内、一枚は満面の笑みであり、上から押し潰された大福餅とも
詳しい戦歴を把握していないキリサメにはMMA選手としての実力を比較することなど叶わないのだが、テレビ向きのキャラということで『
巨大なアフロが特徴的なブラジル人選手と同じようにチーズカーンも日本でタレント活動を行っていたのかも知れない。
「樋口さんもそれで味をシメちまったのか、マッチメイクも話題性を優先させるようになっちまったんだよ。格闘家としての実績より〝テレビでウケるキャラ〟っていうべきか。素人同然の芸能人を一端の選手に見えるように仕立てていったのもその延長さ。……それからもチーズカーンは何度か『バイオスピリッツ』に出場したんだが、いつぞやのインタビューで『自分はこの団体にとってアルジャーノンだ。物語の行く末を占うハツカネズミと何も変わらない』って辛そうな
「……お母さんから聞いた話だけど、その直後にお父さんもチーズカーンさんのトコに飛んでいったみたいです」
「だろうなぁ……仲間の口から一番、聞きたくない言葉だもんなァ……あの『バイオスピリッツ』はどこに行っちまったんだ――って、うちの親父も
「ぶっちゃけ、あの頃の迷走っぷりを知ってる人たちには今でも警戒されていますね。完全無差別級の試合形式だって『アルジャーノン路線』を引き摺るつもりかって叩かれまくりましたもん。『
キリサメが想像した通り、名誉を感じ難い総称はダニエル・キイスの代表作にして不朽の古典SF『アルジャーノンに花束を』に由来していた。未稲が付け加えた説明によれば発端となった
(……例の不祥事が原因で信用を失くしたように聞いていたけど、それより前から客の心は離れていたのは間違いない。遅かれ早かれってオチか……)
『
MMAと打撃系立ち技格闘技――
(……
諫めの言葉で押し止めてくれる師匠を失い、傍らで笑ってくれる〝身内〟もいない孤高の暴君と化した原因を三年前の顛末から掬い取ることなど不可能であった。キリサメ・アマカザリにとっては自分のことを『
「――こーゆーワケのわからない人たちに絡まれるような世界だけど、本当にやっていけそうかい? 精神的にもタフでなきゃキツいよ」
MMAへの挑戦を願い出た日に〝樋口社長〟から銭坪満吉や彼が出演するテレビ番組を例に引きつつ告げられた
大量の土砂を積載したダンプカーが何処かへと発進していく音を背中で受け止めつつ、小さな橋を渡ったときのことである。
「漫画の再現っていえば『
およそ三ヶ月前の
鼓膜へ優しく染み込んでいく波音に導かれるよう顔を上げるキリサメであったが、橋の上から双眸に捉えたのは遥か彼方まで広がりゆく水平線ではない。これを遮って隠してしまうほど大きな水門と、〝何か〟のきっかけで耐える間もなく崩れ落ちるだろうと想像できる傷だらけの建物であった。
埋立地と
今はまだ盛土もなく、未完成ということは一目瞭然であるが、いずれは万里の長城とも
陸前高田を吹き抜ける潮風はこれを見る者たちへ〝何か〟を訴えている。キリサメはその〝何か〟を
(岳氏に誘って貰えなかったら、こうして足を運ぶ機会も得られなかったな。……今日までの何もかもが一種の巡り合わせみたいに思えてくるよ……)
この地にあるモノを一つも漏らさず心に刻み込もうと、辺りを見渡しながら左右の拳を腰に宛がっている――奇しくも力道山の定番と同じ
『青空道場』を見学した後は海まで足を運ぼうと岳から提案されたとき、キリサメは僅かな逡巡も挟むことなく頷き返していた。
海沿いは東日本大震災による被害が特に深刻であり、物見遊山の気分で軽々しく足を踏み入れるのは陸前高田という土地に対しても大変に失礼だと未稲から説かれようとも首を横に振り、「だからこそ、この二つの目で見つめなければならないんだ」と言葉静かに、けれども強く言い切るキリサメはますます珍しい。
極めて真摯な態度を示されては未稲も次なる
両親が生まれ育ち、己の身に流れる〝血〟の
キリサメのことを傍らで支える未稲としても行き過ぎた誠実さが彼自身を傷付ける事態だけはどうあっても避けなければならなかった。
今、目の前に現れた光景は東北に向かう新幹線の車中でもキリサメの瞳に映っている。さりとて窓の外に眺めたわけではなく、インターネットの検索で発見したと
キリサメたちが立っていた小さな橋の下を流れる川原川と、遥かな昔より陸前高田の街並みを見守ってきた
やがてそれは錆びた水門を通って東北の海に注ぐわけだ。
未稲が探し当てた写真にも映り込んでいる水門こそが同じ場所で撮影されたことを示す一番の目印だが、その内側――沿岸部の浸水範囲は二〇一四年現在よりも遥かに広い。
黄色いヘルメットとツナギの両方を泥で汚した人々が黙々と作業に勤しむ場所も三年前までは陸地であった。陸前高田市を襲った震度六弱もの地震――東北地方太平洋沖地震の本震である――によって地盤沈下が発生し、続く大津波を経て水門を
未稲から見せられた写真には人智を超えた力によって薙ぎ倒されたとしか思えない松の木がコンクリートの瓦礫と入り混じって無数に散乱しており、キリサメたちが立っている辺りも完全に塞いでしまっていた。
道路の整備だけでなく、陸前高田の命を守り抜く為の工事が進みつつある
全ては大災害の痕跡に触れた衝撃を和らげようという未稲の配慮であったが、キリサメはそのことに心から感謝していた。何ら気構えを持たずに海辺まで近付いていたなら水門を遠くに望む橋の上から進むことも引くこともできなくなったことであろう。
日本と同じく地震被害の多いペルーで生まれたキリサメだけに瓦礫の山などは良くも悪くも見慣れている。亡き母との想い出が詰まった生家さえも自然災害によって倒壊してしまったのだ。
しかし、東北の青空の下に見据えた光景は、
(……〝あのとき〟――有薗氏が故郷のどこかで呑み込まれたのと同じ東北の海が、すぐそこにあるんですね……)
錆びた水門によって隔てられ、双眸では確かめることの叶わない水平線が運んでくる波音に耳を澄ませながら、キリサメは誰にも聞かれることがないよう心の中で知人の名前を呟いていた。
仮に「有薗氏」という名前を口に出したとしても、未稲や沙門の耳に入るより早く目と鼻の先で潮風に吹きさらされている建物へと吸い込まれたはずである。変色が進んでいるように見えるアイボリーの壁に等間隔で設けられた窓は収まるべきガラスが全て突き破られたままなのだ。
橋の上から遠く臨んだときにキリサメも同様の印象を抱いたのだが、これらは建物に穿たれた無数の穴にも等しく、この地に足を運んだ人々による鎮魂の祈りも、遥かな昔から変わることのなく寄り添い続ける波音も、あるいは〝声なき声〟さえも、何一つとして遮るモノがないその場所へ流れ着くように思えてならなかった。
陸地と水門との間に立ち尽くす形となった建物は当然ながら
橋の上から遠く望んだとき、キリサメは二段構造の建築物と錯覚しそうになった。正面玄関と推定される場所を中心として建物のおよそ半分が一階分ほど低くなっているのだ。中間地点など外観からは傾斜のある渡り廊下としか思えない。
事前に説明を受けていたキリサメは高さの異なる二棟が〝本館と分館〟あるいは〝新館と休館〟のような関係にないことを把握している。渡り廊下によって連絡する設計でないことは大きく傾いた場所に走る無数の亀裂を見れば明らかであろう。
この
倒壊する危険性も高いので一般の立ち入りは厳重に禁じられているが、この
彼女は何とも例え難い溜め息でもって誤魔化したが、感情もなく震えた声をキリサメは忘れていなかった。あるいは当時のテレビ画面に生中継の形で大写しとなっていたであろう三年前の陸前高田市が脳裏を
「――キリくん? どうしたの、黙りこくっちゃって……ていうか、さっきからずっと静かだったけど……」
鼓膜に呼び戻していた数時間前の声に真隣から
今度も声色は明朗さを欠いていたが、そこに感じるのは自分だけに向けられる気遣いであり、心苦しい一方で沸き起こる喜びが〝人間らしさ〟を再確認させてくれる。しかし、新幹線の車内で絞り出された声は、無事に助かって欲しいという訴えが決して届かないテレビの向こうに「天災」の一言では表し難い有り様を目の当たりにした瞬間と全く同じであろう。そのことが生々しいほどに察せられる声であったのだ。
「……知り合いの顔を想い出していたんだ」
「知り合いっていうと、
「日本人だよ。勿論、日系人じゃなくてね。……ペルーの
「お、おん――」
期せずして含みのある言い方となった為、未稲はこれまでとは異なる意図でキリサメの心を覗かんとする目付きに変わった。キリサメの側も気を持たせるように目を逸らしたのだから当然であろうが、想い出している相手についてしつこく訊ねてしまうほど彼女は慌てふためている。
対するキリサメは敢えて彼女の質問に答えず、口を真一文字に引き締めたまま青空を仰いでいた。〝知り合い〟の身の上を――生まれ育った土地のことを明かせば、未稲の意識は三年前まで引き戻され、脳裏を食い破るであろう大災害の映像に呑み込まれてしまうに違いないと案じた次第である。
つまるところ、キリサメは未稲の乙女心を振り回しておきながら過敏にして複雑極まりない機微に全く無理解というわけだ。彼女から当てこすりのように「朴念仁」と言われてしまうのは無理もあるまい。
今や未稲は「何気に隠し事多くない⁉ 秘密があるなら最後まで隠し通して! 気になり過ぎるしっ!」と繰り返しながら丸メガネのレンズを曇らせている。東北の冷たい風を浴び続けてきた両頬が紅潮するほど気持ちが昂っているわけだが、過剰に前のめりという有り様はキリサメの視界にすら入っていないのだ。
彼はただただ顔を真上に向けている。昼過ぎということもあって陽の光が一等眩しく、普段よりも
水門と
「――高いよな、一本松。三〇メートル近くあるらしいが、写真で見るよりずっと高い」
「ええ、……この高さは――この高さこそが復興への意志の
「お嬢ちゃんから朴念仁呼ばわりされてるし、実際、色んなコトに淡白だけど、ちゃんと情緒が分かるじゃないか、アマカザリ。新幹線のアイスにまでノーリアクションだったからどうやってコミュニケーション取ったら良いのか、ちょっとだけ心配していたよ」
「……車内販売のアレは硬過ぎて大弱りだっただけです……」
未稲から
未稲が
今でこそ市街地が在ったはずの辺りまで荒地が広がっているものの、三年前の〝あのとき〟まで七万本を超す松の木が立ち並んでいたのである。
三世紀以上も前から陸前高田の人々が守り続け、日本百景にも選ばれた景勝地は今や見る影もなく、二〇一四年六月現在は『高田松原』という名称に〝跡地〟と付けなくてはならならない。
陸前高田の海――広田湾に面した浜辺は白砂青松と名高かった。
岳と麦泉は工事用の柵によって立ち入りが禁じられた辺りまで足を運び、在りし日の名残を探し求めているようだが、本当ならば松原の向こうに隠されているはずの水門が遮る物なくキリサメたちの前に現れたという事実こそが同地を襲った災害の深刻さを示しているのだ。
命を守る〝壁〟を築かんとする人々の声や重機の音に感じる三年前の面影は、残骸の山へと向けられたレンズでさえ切り取れないほど無情であった。
海開きの季節ともなれば大勢の海水浴客で賑わった浜辺には今や相応の資格を持った者を除いて誰も立ち入ることができない。三年前の〝あのとき〟までは資材や土砂を積載した工事車輛が楽園とも
それ故に心の中で「有薗氏」と――同じ風の中で出会った日本人の名前を再び呟いた。
七万本もの松原は防潮林として陸前高田という土地を守り続けてきたが、有史以来、誰にも想定し得なかった事態にはその役目を果たすことが叶わず、文字通りに根こそぎ
海と共に生きてきた町の象徴が
それ故に皆が――この町で生きてきた人も、この町を
「海岸まで足を延ばすのなら、是非ともあのクロマツを見てやって欲しい。わざわざ奇跡と付けて仰々しく呼ぶことに蟠りのある人の気持ちも
「……おれからも頼むぜ、キリサメ。陸前高田と弘前じゃ随分と離れてるが、前田光世大先生を育んだ東北はおれにとっても格別な土地なんだよ。ホントなら
別れ際に『青空道場』の花咲館長から告げられた一言と、これを受ける形で
本人に確かめたわけではないが、おそらく電知の脳裏には以前に交際していたというストリートミュージシャンの少女――
秋葉原の路上で歌声を披露している最中に瀬古谷寅之助が仕掛けた〝撃剣興行〟に巻き込まれ、決着まで立ち合う羽目になった栃内と逃亡先の藪整形外科医院にて挨拶を交わした未稲も当然ながら二人の間柄は把握している。
その未稲から「格別ぅ? 勿体ぶらずに元カノのコトを考えてるって言ったら? 栃内さんのご実家、岩手県にも三味線教室開いてるの?」と
親友へ語って聞かせる為にも東北に刻まれた『三・一一』の記憶から目を逸らすわけにはいかないのだった。
(……胸に刻んで二度とは忘れない――その気持ちはみんな同じなんだよな……)
キリサメたちよりも先に訪れていた一組の男女は既に一本松を仰いだ後なのだろう。橋の上で見つけたときには身じろぎもせずに
女性のほうは〝何か〟へ気付く
後ろ姿と背丈くらいしか判断材料を持ち得ないものの、男性のほうは欧米を
その隣に立つ女性は黒いスカートと話し声によって辛うじて性別が判るものの、波打つほどツバが大振りで、その後ろ半分がケープ状に広がった黒い帽子を深く被っている為に表情は全く読み取れなかった。
アメリカかイギリスか――頭に浮かんだ候補の内、どちらの
「私は〝あのとき〟を本社のオフィスで迎えたのだけど、確か『VV』はコナまで出掛けていたのよね。家族みんなが無事で、改めて胸を撫で下ろしてしまうけれど……」
「……〝長老〟からの頼まれごとがあってな。偶然というのは重なるものだ。深夜の到達に備えて高台のショッピングセンターに避難していたのだが、一晩中、警報が鳴り響く中で見も知らない人たちと身を寄せ合うのは余りにも現実離れし過ぎていて三年経った今でも何かに
「
「何しろ生き字引のような御方だ。いにしえの智慧が求められるときには〝表〟も〝裏〟もないだろう。……コナの復旧は〝我ら〟の最優先。駆り出されたということなら、つい最近まで『アナアナ』の皆が
耳を傾けようとも会話の内容など殆ど理解できず、男性に「VV」という風変わりな呼び名が付けられていることしか認識できなかった。本名を確かめるまでもなく、ファーストネームとミドルネームそれぞれの頭文字を組み合わせた
カメハメハ――ハワイを統一した〝大王〟の名前や、『アナアナ』という耳慣れない言葉が
「……みーちゃんから聞いた
陸前高田の水門を飛び越えた更に向こう――遥か彼方の太平洋に浮かぶ楽園の島国へと思いを巡らせているのかも知れないが、キリサメもそこまでは関心を寄せていなかった。
そもそも盗み聞きの趣味など持ち合わせてはいない。聞くともなしに二人のやり取りが耳に入ってしまった為に反応したものの、今は『奇跡の一本松』だけに意識を集中させていたいのである。英語によって紡がれていく会話など今では邪魔としか感じなかった。
「何時間も海水に漬かったままだったワケだし、ね……。震災前の姿を留めてくれた一つだけのクロマツなんだから、自然に生き終えるまで保存し続けようって声と、根本から折れたら最悪だって声が何度も何度もぶつかっちゃったんだって。最終的には永久保存に向けて必要な処置を施すコトで決まったんだよ」
「……それでも残し続ける意味を僕らはこうして見上げているんだね。この町の大切な想い出を――これまでもこれからも歴史を積み重ねていく意味を……」
「アマカザリの言う通りだよ。……想い出に縋り付いて有難がっちゃいけねぇけど、同時にソレは今日を超えていく希望の原動力でもあるだろ? 町全体にそのことを当て嵌めるなら、花咲館長が仰ったように次の世代へ渡していくバトンと同じさ」
根腐れの影響が枝葉にまで及んでしまい、自然の状態を維持し続けることが極めて困難となったクロマツは内部を刳り抜かれた上に防腐処理が施され、倒壊する危険性を除くべく鉄製の芯棒まで通された。
枯死が進んだ枝葉も樹脂などを用いて完成された人工物に差し替えられている。真下から少しばかり仰いだ程度では見分けられないのだが、逆光を避けつつ目を凝らしてみれば自然物との違いに気付くことであろう。
三年前と変わらない姿で青空を衝く一本松はそこに高田松原が確かに存在したという証であり、半世紀後も一世紀後も――遥かな先まで東北の潮風と共にこの町へ根差していく人々にとって何時までも変わることなく寄り添い続けてくれる
花咲館長はそのことを指して「陸前高田の海を故郷の誇りとして子どもたちに繋いでいく約束」と語ったに違いない――と、キリサメは信じて疑わなかった。己の二つの目で確かめ、間近に感じられる希望ほど心強いものはあるまい。
「後の世代に何を残せるか、子どもたちが迷わず歩いていける道標をどんな風に作ったら良いのか――この一本松が伝えてくれる〝希望〟は大人たちへの課題でもあるんだな」
ごく少量と
言葉はそこで区切られたものの、沙門が述べたかったことはキリサメも察している。声に出して確認するまでもなく、それは一緒に聞いていた未稲にも伝わったようだ。沙門を
『青空道場』の花咲の口より語られた〝約束〟は、三年前の
わざわざ茨城県の
「ストーカー紛いの親父みたいにボロ泣きにはならなかったけど、それでも俺だって八雲さんの言葉には胸が熱くなりっぱなしだったんだ。情熱一つを握り締めて、ここまでやれるのか、どこまでも突っ走れるんだなってさ」
噛み締めるように語った
その一瞬のことであったが、スカートの裾が汚れてしまうのも構わずに屈み込み、水門へと注ぐ川を眺めていた黒い出で立ちの女性が全身を上下に揺らしたように見えた。後ろ姿を視界の端に捉えた程度である為、キリサメにも確証は持てなかったものの、自分たちの会話に反応したとしか思えないタイミングであった。
『VV』と呼んでいる男性から盗み聞きを窘められたのか、三人のほうへ振り返ることはなかった。キリサメには
過剰なくらい大きな帽子で頭部全体を覆い隠している為、女性の顔立ちから自分たちと同じ
「……『子どもたちの為に』という点は沙門氏も同じですよね。岳氏や先程の花咲氏と。全国の空手道場で今も続いている
あるいはストーカーという不吉な言葉が気に障ったのか――女性の反応をそのように結論付けたキリサメは、次なる世代を担う子どもたちの為に全身全霊を傾ける者たちへと意識を戻していった。
無論、そこには沙門も含まれている。私刑を弄する為の結党とも
だからこそ、相手の側も沙門の説得を
「……ん? うん……、そうかもな。いや……、そうなんだよ。自分以外の誰かの為、それも子どもたちの未来の為に捨て身で頑張る八雲さんを見てさ、俺が見習うべきなのはこういう人なんだって。何かにトライしようというときは踏み迷う時間すら惜しい。死に物狂いで突っ走る勇気だけ握り締めりゃ良いって教わったんだ」
「結局、沙門氏も僕と同じように岳氏の勢いに飲まれた一人なんですよね」
「三年前のあの日に泥だらけの八雲さんを見ていなかったら、長い物に巻かれてたかも知れない――って、これじゃ俺まで親父みたくストーカー呼ばわりされちまうな」
「いやいやいや! 待って待って待って! キリくんが全部承知してるの前提で気ままに喋ってるけど、またしても私、置いてきぼりだからね⁉ この人が『
「確かに沙門氏と吉祥寺の公園で初めて会ったときにみーちゃんはいなかったけど、そこで何が起きたのか、話していなかったかな? 僕も沙門氏に話してもらったというより気付いたら巻き込まれていたんだけど……」
「少なくとも新幹線の
「希更氏に義理もあるからね。ヘッドフォンの形で白米にまぶされた地鶏のそぼろというのも美味しかったし、……リマの
「はい、また初耳新情報が出たよ! そんな雑にペルーの想い出話を突っ込まれたらメガネだってズリ落ちちゃうよっ!」
キリサメ・アマカザリと
小刻みに続く乾いた音を沙門の耳が拾っているのかは定かではない。自身が属する空手道場『
付き合いの短い人間にさえ似つかわしくないと分かるほど口数が減ってしまった沙門を気遣い、本分である『
「……日本中が弱っているところに付け込んで新しい団体の旗揚げを企んでるみたいなイメージが作られちゃったら、
先程までの饒舌が幻であったかの如く口を真一文字に引き締めてしまった沙門に成り代わり、三年前の会合について再び紐解いたのは未稲であった。
沙門より明かされた話を振り返る限り、未稲の足が不死鳥の絨毯を踏み締めたことはないはずだが、当日は麦泉を始めとして彼女と関わりの深い者が何人も出席していたのだ。
そこから
沙門に掛けるべき言葉を見失い、ただ立ち尽くすばかりとなった自分を見兼ねたのだろうと察したキリサメは、決して小さいとは言い難い窪みが生じてしまった足元の砂利を靴の裏で元通りに
「ものすごく真っ当な意見なんだけどね、鬼貫さんや徳丸先生でもない他の出席者からお父さん、『この震災を
「ミソギ――母さんから教わった気がするな……確か、そう……『贖罪』のような意味合いの日本語だったよね?」
「大まかには罪滅ぼしみたいな感じだね。……実際はそういう使い方が俗っぽくて、穢れを祓うとか身を清める儀式のコトを指すんだけど」
「キリスト教の『贖罪』が本来の意味を離れて、『罪を
日系ペルー人であるキリサメも言葉自体は聞き
答え合わせの直後、未稲は五指を開いて手のひらへと視線を落とし、暫しの沈黙を挟んで再び握り拳を作った。おそらくはそこに本人しか
「……現代風にいえば、『罪滅ぼしは済みました』ってアピールかな。日本だけかも知れないから恥さらしになりそうだけど、例えば不祥事を起こした
日本という国の世俗に
尤も、それは一瞬のことであり、〝三年前〟という本筋へ立ち返った途端に彼女もまた神妙な面持ちとなった。
「文多さんから教わった話だとね、お父さんを問い詰めたっていう人にも悪意は一ミリもなかったんだって。復興支援の気持ちはちゃんと認めてくれていて、その上で『何も知らない部外者にはどうしたって禊としか見えない。パフォーマンスに過ぎないと批判されるのがオチだろう』ってさ」
「……やっぱり真っ当で、何より健全な話し合いだったんだね――」
今し方の未稲が手のひらに映した〝何か〟をキリサメは確信にも近い形で察している。だからこそ口を衝いて出てしまわない内に浮かんだ言葉を喉の奥へ押し込んだのである。
『
あくまでも被災地の子どもたちに未来を約束する為と岳が声を嗄らして釈明しても、誰一人として聞き届けることはあるまい。
自粛せざる者が〝不謹慎狩り〟という名の一方的な正義のもとに〝社会悪〟として糾弾されてしまう空気が三年前の日本に垂れ込めていたのである。それは同調圧力に基づいた〝私刑〟の容認に他ならず、インターネットの世界で晒し者にされるような状況を見越して懸念の声が上がることはキリサメにも十分に納得できた。
反対した者が岳個人に悪意や敵愾心を向けているか否かを疑うのではなく、寧ろ日本格闘技そのものに対する責任を果たしたとして誠意に満ちた態度を讃えるべきであろう。
「――助けが必要な人たちに手を差し伸べもせず、風説の流布に踊らされる連中なんかは逆に願い下げ。悪口だろうが何だろうが言わせておけば良い。子どもたちの未来を守る為という宣言に耳を傾けてくれる人たちこそが本当の味方だし、呼びかけに応じて挙げられる手も絶対に少なくない。日本はまだまだ捨てたもんじゃない」
キリサメが諳んじたのは三年前の会合に
それもまた沙門の口から語られたものであったが、会合から帰宅した実父に涙が出そうになるくらい頼もしい味方の話を聞かされていた未稲は
「やるならとことん。とことんやる――顔も知らないどこかの誰かの目を気にしていたら間に合うハズだったコトさえ手遅れになる。八雲岳という男はそのことを被災地から教えてもらったのではないか――」
「ジャーメイン師範の啖呵、殆ど丸暗記じゃないか。その後に『遠回りしてまで大洗町に立ち寄ったのもその為のハズ』と続くのも
「知り合いの――いえ、友人の家族が自分の
顔を覗いて確かめるまでもなく目を丸くしているのだろうと察せられる未稲の視線を頬で受け止めつつ、キリサメは不死鳥の絨毯に立つ
かつて岳を励ました〝同志〟の言葉が今度は沙門に活力を与えてくれた次第である。
又聞きの言葉を借りているような状態である為、キリサメは自分が喋っている内容に誤りはないのかと暗唱の最中に目配せでもって未稲に答え合わせを求めようとしたのだが、顔を振り向かせた拍子に沙門の目元へと視線が吸い込まれてしまった。
一本松の枝葉を仰ぎ続ける双眸に大粒の涙を溜めていたのである。その
岳の思いを退けようと迫る正論を真っ向から迎え撃ったのは希更の実母――ジャーメイン・バロッサであった。
故あって熊本県八代市に所在する
「――『やらない善よりやる偽善』って世間でも良く言うわよね? 例え売名目的でも、それで誰かを助けられるのなら大きな意義があるわ。でも、やり方を間違えてしまうと必ず誰かが『やる偽善よりやらない善』って訳知り顔で
ジャーメイン・バロッサは弁護士である夫の受け売りなどと前置きし、「これが正しいと胸を張れる選択は自らに是非を問え。その判断を見ず知らずの他人などに委ねるな」という
今度は借り物の言葉を口に出すことはなかったが、沙門を通して触れた一言一言が希更の
「大洗……か。一体、どういう町なのか、僕には
「そこで我慢できないのがお父さんの悪いトコなんだけどね、正直……。無駄な遠回りをしてるから役場でマスコミに囲まれちゃうんだよ。『被災地で物見遊山』ってネットでもかなり叩かれてさぁ、……想い出しただけで胃が痛くなってきたっ」
「おいおい、お嬢ちゃんが『無駄』とは言ってやるなよ。あの町のお陰で八雲さん、フルスロットルで思い切れたようなモンじゃないか。
茨城県中部の小さな港町について語らいつつ、三人の目は青空を衝く一本松からショベルカーの唸り声が絶えない方角に向けられていく。海に面した前方の工事現場ではなく、つい先ほど渡ったばかりの小さな橋の付近へと顔を振り向かせた恰好だ。
太陽とも
それにも関わらず、岳と麦泉は黄色いヘルメットを被った上で工事用ガードレールの向こうへと入り込み、かつて砂浜であった方角を右の人差し指でもって示す作業員の説明に幾度も頷き返していた。
その姿こそ工事関係者から特別な許可を得られた証左といえるだろう。高田松原跡地の東端を目指して歩き始めた様子だが、あるいはツナギ姿の人々も岳が被災地を
「遊歩道があった辺りまで行くつもりなのかねぇ? 相方の麦泉さんならまだしも八雲さんが
「……教来石さんこそ石川啄木に共感しているんじゃないですか?」
「遠回しなろくでなし呼ばわりかい! 俺はね、お嬢ちゃん、女に訴えられることはあるかも知れないけど、
「クソみたいな下半身の事情を使った自己弁護はセクハラと紙一重じゃないですかねぇ」
キリサメたちは『
石川啄木は岩手県の
七万本という松の木と共に石川啄木の歌碑も人智を超えた力に呑み込まれて流出してしまい、およそ半年前に復元されたばかりであったのだ。それ故に完成して間もないことが一目で分かるほど真新しかったのである。
江戸時代後期の大飢饉に際し、数え切れないほどの命を救い続けた新沼三太夫の功績を
「ただなぁ~、お父さんもお金に関してはそんなに褒められたもんじゃないし、ひょっとしたら啄木のダメっぷりに自分を重ねてる可能性は捨てきれないかなぁ。試合が近いのに居ても立っても居られず『
「それは穿ち過ぎだよ、みーちゃん。石川啄木の善からぬ話は僕も死んだ母にも教わったけど、岳氏の場合はMMAに貢献する為であって遊ぶ金欲しさではないだろう? あの人の性格上、〝使い込み〟なんて器用な真似もできないよ。ましてや三年前の旗揚げは復興支援に欠かせなかったのだから――」
「――ブラボー。……ブラーヴォ」
僅かばかりの躊躇を飲み下した
今し方の言葉に波の音すら圧し潰すほど大きな拍手と称賛の声が返されたのである。キリサメ自身には大した
当然の反応としてキリサメは首を忙しなく動かしながら周囲を窺ったものの、自分と同じように面食らっている未稲と沙門は言うに及ばず、左右の手を打ち鳴らす人間などは何処にも見当たらない。黄色いヘルメットを被って工事に勤しむ人々の耳には発言そのものが届いていないだろう。
拍手に重ねられているのは女性の声だ。この場に
キリサメが推し量った相手もまた三人に向き直ろうとしていた。左右の手を打ち鳴らし続けているが、弾いた空気が甲高く青空を
自分たちよりも先に高田松原の跡地を訪れ、錆びた水門の向こうを飽きることなく眺めていた女性である。差し向かいとなって初めて確かめたその出で立ちは、キリサメに〝貴婦人〟という大仰極まりない三字を思い浮かばせる物であった。
傍らに控えていた同行者の男性――『VV』は振り返るのと同時に貴婦人の背後へと身を移したが、おそらくはそこが職務上の定位置なのだろう。目元や口元に刻まれた皺の数は決して多くはないものの、その佇まいは熟練の執事としか表しようがない。
後ろ姿や横顔を窺っていたときには気付かなかったが、鼻の下には
白雪を彷彿とさせる肌の色や淡い
(……いや、まさか――)
その直後に
普段よりも更に双眸を細め、長い前髪で覆われた額には瑞々しい皮膚に似つかわしくない皺が何本も刻まれているのだが、それはまさしく穏やかならざる感情の
「……余りにも大きな悲劇に直面して取るべき選択を見失っていた日本の格闘技界が一つの大きな目標を見定めたのは八雲岳という巨星がその道筋を示したからに他ならないわ。我々が金網の
貴婦人は無遠慮とも思えるような足取りでもって三人の正面へと歩を進めていく。太腿の輪郭が肉感を伴って浮かび上がるほど身体に張り付くロングスカートの裾を軽やかに捌いており、足の内側に巻き込んで砂利道に横転するような気配もない。このような立ち居振る舞いを見る限り、静かに張り詰めたキリサメの様子に気付いていないのではなく、些末なことは気にも留めないほど鷹揚なのだろう。
波打つほどツバが大振りで、その後ろ半分がケープ状に広がった黒い帽子を深く被っている為、差し向かいに近い距離まで近付いても目元や鼻筋を確かめることは難しく、未稲と沙門は口の動きを僅かに覗くばかりばかりである。
「同時多発テロ直後のアメリカが直面した混乱にも当て嵌まるわ。未来に期する資格すら奪われた犠牲者を思い、〝その日〟の向こうを目指すことへ罪悪感を抱いたあの状況で未来への意志を束ね得るのは八雲岳ただ一人。そして、その意志は心の揺らぎというような曖昧なものではない。彼は自分の目や耳で確かめた〝現実〟だけを真摯に語ったわ。克服しないことには何一つとして立ち行かない〝現実〟の重みを八雲岳に託されたからこそ多くの人たちが彼の賭けに乗るだけの勇気を出せた――格闘に人生を捧げた男の献身を思えば奇跡ではなく必然にして当然よ。その人の為なら
黒革で仕立てたパンプスの高い踵が砂利に幾つもの穴を穿つ音は、ミュージカルを盛り上げる演出といったところであろうか――独壇場と表すしかない趣で淀みなく語り続ける姿はブロードウェイ
高田松原の跡地から花咲の道場まで響き渡らんほど声も凛と張っている。おそらくは大勢に向かって語り掛けることにも慣れているのだろう。
未稲と沙門を何よりも驚かせたのは、薄い紅すら
間違いなく流暢ではある。それでいて発声の一部が独特であり、生まれたときから日本語が身近にあった者たちが聞くと妙に鼓膜がくすぐられてしまうのだ。それ故に未稲は真隣のキリサメとは異なる様子で眉間に皺を寄せていた。
貴婦人が喋り続ける内容は実父――八雲岳に対する称賛が大部分を占めている。どこまで聞き取られていたのかは定かではないものの、自分たちの会話に対する反応であることからも彼女がわざわざ耳を澄ませていたことは間違いないはずだ。
「自分以外の誰かに想いを馳せ、傷付いた大地に寄り添おうとする気高い意志を
息継ぎすら失念する勢いで八雲岳への
先ほど八雲岳のことを力道山にも並ぶ存在とも讃えていたが、それは
「どれもこれも八雲岳にしか為し得なかったこと。日本格闘技界そのものを育てた鬼貫道明にも、世界中を旅してMMA普及に力を尽くしてきた吉見定香にも、不可能だったと思えるわ。……星に手を伸ばす話は好みではないのだけれど、持って生まれた魂が太陽のように人を惹き付け、本人も実践という最善の形で輝いているわ。八雲岳――歴史に名を刻むに値する男よ」
家族の名誉に胸を張るような性格ではない為、未稲からすれば居た堪れない気持ちのほうが大きく膨らんでしまうのだが、それで顔を顰めたわけでもない。盗み聞きもこのときには気にならなかった。
間違いなくどこかで聞いた
「何がなんでも八雲岳の挑戦はやるべきであった。それだけの値打ちがあったのはあなたたちこそ誰よりも強く感じているでしょう? 誰が何と言おうとも、あの決断は絶対に間違っていない。その共感は海をも超えて我々に届き、一部の選手は自発的に動き始めてくれた。私はそのことを一生の誇りと思うし、日本のMMA選手にも同じ気持ちを八雲岳に捧げてあげて欲しいわね。MMA日本協会会長――いいえ、『昭和』の日本を代表するプロレスラーも〝あのとき〟こそ挑戦すべきだと確信してバトンを預けたハズだから」
間もなく未稲の真正面に立った貴婦人は両手でもって帽子を外し、内側に纏めていた長い髪が零れ出した。陽の光を吸い込んだそれは艶めいた墨色のようにも見える。
余程の目的でもなければ面倒の一言で手入れを怠ってしまう未稲は極上の絹とも
しかし、それも一瞬のことであった。自嘲混じりの溜め息を噛み殺した未稲が真正面の顔を改めて見据えた直後、丸メガネが鼻から滑り落ちたのである。
目の前の貴婦人も執事の如き『VV』と同じ欧米系の人間であろうと未稲は思い込んでいた。彼女の
何がなんでも八雲岳の挑戦はやるべきであった――三年前に不死鳥の絨毯の上で岡田健が『大王道プロレス』の名誉会長という立場から発した言葉を受け止めたのは、
「
プルメリアという小振りな花の刺繍を全体に散りばめた黒い長袖のワンピースは見る者に喪服のような印象を与えている。陽の光を浴びて鋭い光沢を発するシルバーグレーの背広とは奇しくも正反対であり、これを羽織る沙門は「何だか運命的な巡り合わせを感じますね。俺たち、もしかすると不思議の糸で結ばれているのではありませんか」などと不調法な口笛を吹いていた。
手袋や帽子と同じようにワンピースもまた絹の染め糸を織り上げた物であろう。似合うか否かで判断すべきことではないのだが、凛然たる佇まいの貴婦人には喪服の如き出で立ちが滑稽なほど馴染んでおらず、どうしてもミュージカルの衣装としか見えなかった。
「――ちょ、ちょちょちょ! ちょっと待って⁉ なんっ……なんであなたが日本にいるんですか⁉ 今週末、『NSB』の興行ってありましたっけ⁉ ないなら単にビックリ、あるならもっとビックリっていうか、大問題! 『NSB』の会場を盛大にお間違いではないでしょうかっ⁉」
長袖でもないと肌を切られてしまいそうになる
今日まで挨拶も交わす機会に恵まれなかったものの、未稲の側からはその顔を非常に良く知っている。『
名前や肩書きと共に正体を想い出してしまったからこそ未稲の混乱は頂点に達し、ついには丸メガネが砂利の上に投げ出されたのである。先ほど微かに聞こえた
顔立ちには東洋の遺伝子が強く
「お、お父さーん! 文多さーん! た、大変! 大変だよっ! サプライズゲストなんてレベルじゃないVIPが来ちゃってる! ……あれ⁉ さっき
慌てふためいた調子で丸メガネを拾った未稲は上体を持ち上げることまで失念し、歩行には不向きな姿勢のまま実父の背中を追い掛けていった。
「未稲嬢が言うようにこれは確かに大変だ。まさか、こんなに近くで言葉を交わす機会に恵まれるなんて夢にも思いませんでしたからね。日本で手に入る物だけなのが心苦しい限りですが、陶芸のほうも興味深く拝見させて頂いておりました。いずれ工房にもご挨拶に伺おうと思っていたのですよ? 勿論、しがらみも何も関係なくプライベートでね」
「あなたは確か
「これこそ
「アメリカでも大いに盛んな『
「そこまで言って貰えたら光栄の極みですよ。今度は私のほうからあなたの話を聞かせて頂きたいものです。もっとお互いのことに詳しくなりたいじゃありませんか」
「インターネットで名前を検索するだけで、その望みは達成されるわ。お互いに一秒でも時間が惜しいでしょう? より手軽なほうを奨励させていただくわ」
その一方、未稲を相手にしていたときとは真逆としか表しようのない紳士的な物腰で貴婦人に一礼した沙門は次から次へと情熱的な言葉を並べていく。左右の頬ばかりか、厚めの唇まで血色が良くなっているようであった。
貴婦人の視線は未稲の背中を追い掛けており、自分の言葉など心の響いていないことも沙門には
双眸に熱い雫を溜めたまま口数まで減らしていた人間とは思えないほど気持ちの切り替えが早く、露骨なまでの扱いの違いに憤激した未稲は「
沙門には矢とも槍とも
ありったけの怒りを込めた抗議と殺意にも近い気配――似て非なる
だからこそキリサメは貴婦人の顔を確かめてもおらず、見
このようにして拳銃を隠し持つ無法者をキリサメは
銃社会であれば珍しくもない状況だが、日本では売買と携行の両方が法律によって禁じられている。銃器ではないものの、キリサメ自身も
翻せば、この貴婦人が銃によって
「お父さんでも文多さんでも、どっちでも良いから気付いてって! 気付けやぁ! モニワさんっ! 『NSB』のっ! どういうワケだかさっぱりだけど、モニワ代表がこっちに居らしてらっしゃるっ!」
「はぁ~? よく聞こえねぇぞ、未稲~! ずんだ餅が何だって~⁉」
「どーゆー耳してんの⁉ 良いから文多さんと一緒に戻ってきて! いや、先に進んでとは言ってないでしょ! 笑ってないで少しはこっちの話を聞けぇーっ!」
何者にも媚びることなく、彫像のように凛と立つ様子をマーガレット・サッチャーになぞらえ、『鉄の女』などと揶揄したスポーツ・ジャーナリストは重機の駆動音すら押し退けてしまうような八雲
彼女の身辺に至るまで丁寧に取材し、極めて異例ながら二〇一三年にジャーナリズム公益部門のピューリッツァー賞を獲得したアメリカの
(続く)
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