第8話

 祖父母の住む海の町に来て、もう五日が経った。私は相変わらずぽんこつのがらくたみたいに過ごしている。

 普段住んでいる街はそこそこの都市で、車の往来もひっきりなし、何処にいっても人はあくせくとしていて、背の高い建物もそれなりにあって、中途半端な都会であり中途半端な田舎。そんな場所と比べると、この海の近くの町というのは、本当に田舎だ。人は急ぐことを知らないようにゆったりとしている。車は走っていても、それこそのんびりと景色を楽しむような速度。建物といえば民家。時々商店。町一番に栄えているところも、井戸端会議の名所みたいな有様だ。でも、私はこんな空気感が好きだ。誰かが誰かを想っている。人が動くのは人の為に。そんな優しい町が今の私にはとてつとなく心地よかった。何もかも忘れられる気がして。

 両親を含め、親族達は私に何の手伝いもさせてくれない。一番の年下の子供だから、私はいつまで経ってもちっちゃな女の子でしかないのだ。皆の中では。なら、そこに思いっきり甘んじてしまおう! と、私は一日中ぽんこつのがらくたに終始していられるという訳で。時々思い出したように痛む胸と渇く喉奥、滲む視界をなかったことにしてしまえば、それなりに快適に過ごしている。庇護するというのは人を駄目にするのだということを、そろそろあの分からずやで優しい大人達に教える必要があるかもしれない。


 久しぶりに外出をしようと思い立ち、私はお気に入りの詩集を手に持つ。と、何かがはらりと落ちた。拾い上げるとそれは、冬政くんの描いた「嘘の花」のスケッチを私も自分なりに写したものだった。膨らみかけていた気持ちがぺしゃんこになる。ああ、まただ。また、痛い。そのまま床の上で力が抜けたようにへたり込む。

 これ、嘘だから。じわりじわりと侵食していくあの時の言葉。俺の作った架空の花。何の為にそんなことしたんだろう。あんたが馬鹿正直に騙されて探してるの見て、暇潰ししてただけ。本当に? ただの暇潰しでこんなに綺麗な花を考えたの? 見つめても紙の上の嘘の花が答えを教えてくれる訳もない。が、違和感に気付く。何だろう。何かが可笑しいんだ、この花。そう、パッチワークのような。まるでいろんな花の要素が詰まっているような……。


「……あ!」


 私は慌てて立ち上がる。荷物の中を探すが見つからない。持ってくるのを忘れてしまったのだろうか。


「ママ、ママ! 私の花の図鑑知らない!?」


 バタバタと階段を駆け下りてキッチンに飛び込む。叔母達と談笑する母は、目を丸くした後、緩やかに微笑んだ。


「まぁ花波ちゃんったら。小さい子供みたいに駆け込んで来るなんて。お行儀悪いわよ」

「お説教は後でお願い! 花の図鑑! 図鑑、知らない!?」


 知らないわねぇ、という母のゆるっとした言葉を全て聞き取る前に玄関に詰んだままのトランクを引っ張り出す。こちらになら、きっと。


「……ない……!」


 今更ぽんこつのがらくたに甘んじていた自分を恨むことになるなんて。玄関先でトランクの中身を出しままま呆けている私を心配したのか、母がやってくる。


「どうしたの、花波ちゃん」

「ママ……私、大切なメッセージを見落としてたのかもしれないの。優しい人の、必死の想いを、無視していたかもしれないの。初めて私のこと怒ってくれた、大切な友達……ううん。私、その人のことが好きなの。とってもとっても、大好きなの。だからそのメッセージに気付いて、謝らないといけない。伝えなきゃいけない。ママ、どうしよう、どうしよう……!」

「花波ちゃん……」


 母はそっと私の肩に触れて、髪の毛を撫でて、そして、柔らかい声色で告げた。


「行ってらっしゃい、その人の元へ。パパとママのことなら心配要らないわ。花波ちゃんだって、もうこんなに大きくなったんですもの。行って、伝えていらっしゃい。その素敵な気持ちを」

「ママ……!」


 母の優しさが胸を打つ。視界が歪み、最近の涙脆さを悔やむばかりだ。


「もう、花波ちゃんったら水臭いんだから。それから、花波ちゃんの図鑑には負けちゃうけど、ママのを貸してあげるわ。お役に立てるかしら?」

「うん、有難うママ、有難う……!」


 そうと決まればもう止まっていられない。私は慌ただしく帰り支度をし、そしてこの温くて幸せな甘酒のような空間から一人、抜け出した。お気に入りの白地にカラフルで大小様々な花の刺繍が施されたワンピースが戦闘服になったような心地で。

 駅は海の側だ。潮の香りが私の背中を押していると感じた。深呼吸する度に、体の奥まで海に染まっていくような気がする。身も心も潮風に包まれていく。田舎なので、電車が来るのは一時間に二本。それまで母から借りたポケットサイズの花の図表と冬政くんの花を見比べてみることにする。一つ確認する度に、心の中に忘れていた泡の欠片が蘇っていく。


「……やっぱりそうだったんだ」


 ぷちぷちり。しゅわしゅわり。ああ。この答えを早く伝えてしまいたい。


「花波……!」

「佐伯さん……!!」


 駅の待合室に駆け込んで来たのは。


「……ふ、冬政くん……!? 高遠くん!? どうして……ここに!?」


 泡が、はじけた。

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