第5話

「……なぁ」

「……何だよ」

「お前、あの人のこと好きだろ」

「……なんで」

「何となく」

「…………」

「…………」

「お前は。お前はどうなんだよ」

「……別に」

「本当だな、それ」

「…………」

「……俺は、お前のやってること、許さねぇから」

「何……言って」

「あいつを傷付けるなら尚更許さねぇ」

「……ちょっと待てって」

「……お前には、負けねぇ。絶対だ」

「……勝手にしろよ」

「…………ふん」


***


 あれから、冬政くんに言われてから、考えていた。何もなくていい、好きなままでいられたらそれでいい、なんて、嘘。これは明白。じゃあ、どうする?


 もうすぐ夏休みがやって来る。周りの子達は海水浴やらキャンプやら、これから訪れる解放の日々に妄想を膨らませては今はまだ残る日常に愚痴を垂れ流し合っている。夏休み。本来なら私は例年と同じように両親と共に祖父母の住む海辺の町へ帰省する。……のだけれど、まだ冬政くんに花を見つけてあげていない。つまりは高遠くんの期待に応えていないということだ。期待されているかはこの際置いておいて。それに花好きとしてはやっぱり知らない花を見つけられないことは何だか悔しい。結局私はどうしようもなくエゴイストなのだわ、と苦笑する。

 放課後。いつものように図書館で冬政くんを待とうと思って、昇降口で上履きとローファーを履き替える。と、耳に駆け足が飛び込んでくる。同時に口の中には炭酸の爽やかさが広がる。これは、きっと。


「佐伯さん……!」


 やっぱり高遠くんだ……!


「ど、どうしたの」


 高鳴る胸を必死で抑え込んで何食わぬ顔をする。冬政くんの言葉がリフレインしている。本当の好きなのか。このままでいいのか。本当に好きなら何が何でも手に入れようとするだろ。ああもう、ちょっと黙っていて。今はこの笑顔に溶かされていたいの。


「あ、あれ、どうしたんだろ僕。あ、あはは」

「……? どうかした? 何だか元気ないね」

「そんなこと……! ……あるのかも」

「何かあった……?」

「うん、ちょっとだけ。でも佐伯さんと話したら大丈夫な気がしてきた」


 いつもはサイダーとかメロンソーダみたいな高遠くんが、今日は何だかジンジャーエールみたい。刺激的で、普通の炭酸より遥かに体が熱くなる。顔が赤くなっていくのを感じて、私は慌てた。


「よ、良かった、それじゃあ私行かなきゃ、冬政くんを待たせちゃう。じゃあね! また明日!!」

「うん、また明日」


 手を振ってくれる高遠くんに私も手を振り返す。少し前の私に自慢してあげたいくらい誇らしい。どう? 高遠くんとまた明日って手を振り合えるのよ、羨ましいでしょ?

 浮かれる気持ちでスキップでもしそうな勢いの私は、立ち去った後の高遠くんが暗い目をしていたことなど、知らない。


「……あいつのことは、名前で呼ぶんだ」


***


 図書館には既に冬政くんが来ていた。私達の指定席、二階の端っこ、本棚の影。花を調べるようになったのが習慣化してきたことや冬政くんが本当はいい子なのも分かってから、私のお気に入りの場所を教えてあげると彼も気に入ったようで、それからはずっとここに現地集合するようになっている。慣れてきた頃、二人の秘密基地みたいだね、なんて言ったら彼は真っ赤になって目を吊り上げ、私に馬鹿を連呼していた。彼はトマトや苺みたいで可愛い。ぶっきらぼうなのは照れ隠しだと分かってくると、本当にただの生意気な子供じゃないのが分かって、余計に愛おしい。多分今では自分の弟のように思っている程に。早かったんだね、と小声で声を掛けながら隣に座ると彼は、別に、と宿題をやっていたのであろうノートを閉じる。そんな姿に思わず笑みが零れる。


「あの、」

「なぁ、」

「あ、ごめんね、なあに?」

「た、大したことじゃねぇから、先に言えよ」

「あ、うん。えっと、……有難う。私、あなたと出会えて良かったよ、お花探しも楽しいし」

「……っ! 俺、も!」

「私、一人っ子だから、弟が出来たみたいで嬉しいんだ」

「……弟かよ」

「ん? どうかした?」

「別に」

「あと、怒ってくれたのも、嬉しかった。私のこと思って言ってくれたんだよね」

「……べ、別に、俺はムカついたから言っただけだし」

「ふふ。うん、有難う。だからね、……勇気を出そうと思う」


 冬政くんにちゃんと聞いておいて欲しいと思った。私の決意を。情けない私が握り締めた勇気の切れ端を持っていて欲しかった。


「私、告白する。駄目なのは分かってるけど、ちゃんとケジメ付ける。そんな決意が出来たのも、冬政くんが怒ってくれたからだから、伝えておきたくて」


 頑張れなんて期待はしてなかった。それでも見届けて欲しかった。身勝手かもしれないけど、私の味方でいてくれるのだと思っていた。


「止めとけ」


 何を言われたのか分からなかった。


「な、にを言っ、て……?」

「止めとけって言った。わざわざ傷付きにいかなくてもいいだろ」

「だって、本当に好きなのかって、いろいろ怒ってくれたよ、ね……?」

「あれは……! なんか、その、ムカついただけで」

「そのお陰で私、」

「止めろよ、そういうの」


 ガタッ、と立ち上がる冬政くん。なに? なんで怒っているの? 分からなくて混乱したまま、言葉が出てこない。


「……俺は、あんたの背中押すつもりもなかった。ただムカついたからそう言っただけだ。あと兄貴に告白なんて止めとけ。後悔しかしない。あんたが思ってるような綺麗な奴じゃないんだよ、兄貴も、……俺も」


 乱暴にノートや筆箱をリュックに詰め込む彼を呆然と見つめている自分はどれほどの間抜けに見えているだろう、とぼんやり考えた。


「あと、これ、嘘だから」


 彼の手に握られた一枚の紙。あの、探してくれと頼まれた、手描きの花の絵が描かれた紙。


「これ、嘘。俺の作った架空の花。あんたが馬鹿正直に騙されて探してるの見て、暇潰ししてただけ。花とか、くだらない。分かった? 俺もこんななんだから、兄貴だってロクなもんじゃ」


 それは一瞬だった。私の右手が、風を切って、彼の、冬政くんの、左頬を、ぶっていた。静寂が二人を包み、気まずさが二人の間に流れ、そして、二人の声には涙が滲んでいた。


「……やめて。あなたと高遠くんは、違う。違うの」

「……違わねぇ。兄弟なんだから」

「…………あと、花のこと、怒らないけど、くだらないとか言うのはやめて」

「……」


 私もそのまま荷物を纏め、席を離れる。


「……さよなら。もう、会わないと思う、けど。元気でね。……告白はするから」

「……知らねぇよ」


 まただ。どうしてだろう。口の中から胃の辺りまでが苦くて苦くて、とても苦しい。振り返らずにそのまま歩き、館内から外に出た。いつの間にか雨が降っていたが、傘は持っていない。でもそれで良かった。今は、これで。今の私にはずぶ濡れになるのがお似合いだ。自分の情けなさだとか、冬政くんの言葉の不快さだとか、高遠くんへの申し訳なさより、私はどうにも胸が痛んで痛んで、仕方がなかった。

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