第2話
高遠くんの弟、冬政くん――高遠くんは春臣という名前で、兄弟で春と冬だなんて何だかお洒落で羨ましい――は、外見だけなら本当に高遠くんと良く似ていた。きっと小さい時の彼はこういう感じだったのだろうな、と妄想してしまったりして。けれど決定的に違うことがあった。冬政くんは、とても冷たい。私へも、そして、高遠くんにも。
『やぁ』
私と冬政くんのいる図書館へ、いつも通り爽やかな笑顔で高遠くんが現れた。私達を見つけ和やかに近付いてきた彼に、私の内側に炭酸が立ち上り、弾けた。しゅわしゅわと、ぷちぷちと。
『た、高遠くん……!』
想い人の思いがけない登場に声が裏返り、咄嗟に口を覆うけれど、飛び出したものが消える訳もなく、私は頬と耳がどんどん赤らむのを感じた。
『冬政、佐伯さんを困らせてないか?』
『別に。この人が困るなら僕が止められる訳ないでしょ』
『お前はまた……そんな言い方してると、友達いなくなるぞ』
『そんなもの要らないし』
高遠くんが困惑しているのが分かって、私は慌てて言葉を探す。
『あの、私、困らされてなんかないから……!』
『佐伯さん……』
『冬政くん、凄くいい子だから大丈夫、私が少し鈍臭いとこあって、苛立たせちゃうから逆に申し訳ないくらい……』
『佐伯さん、……そんなことないよ、有難う。僕ら兄弟を助けてくれて。優しいよね』
『わ、私は、そんな……!』
お世辞だとしても、好きな人に褒められて舞い上がらない人なんていないだろう。少し落ち着いてきていた熱が再び顔を駆け回る。ああ、こんなんじゃ、いつバレても可笑しくない。
『……兄さん、調べ物の邪魔。帰って』
『……分かったよ。佐伯さん、宜しくね』
高遠くんの背中はとても寂しそうで、私の胸は痛んだ。
『ねぇ冬政くん。なんで高と……お兄さんに冷たいの?』
胸が痛んでいたせいで少し声が尖ってしまったのかもしれない。今は少し反省している。年下の男の子に威嚇するなんて、みっともないとも思う。けれど、その時は全然何も思わなかった。大好きな高遠くんの痛みを分かったような気持ちになって、なんで弟のあなたが分からないの? 分かってあげないの? って少し意地悪な気持ちもあったから。
『……そんなの』
だから気付かなかった。その小さな拳が震えていたこと、年相応の頬が膨らみながらも赤く染まっていたことに。怒りだったのか、恥だったのかは分からないけれど、冬政くんは、あの時、震えていたのだ。
『そんなの俺の勝手だろ! 馬鹿女!』
『なっ……!』
でも私だって立派な大人なんかじゃない。そりゃ昔は高校生なんて遥かに大人だと思っていたけれど、いざなってみると全然そんなことはないって分かる。私はちっとも大人じゃない。でも子供でもないビミョーなお年頃で、しかも男の子みたいに直球なんて投げられない、元気いっぱいの同級生達の仲間にも入れないような、惨めで冴えない女子高生なのだ。そんな私が、年下とは言え男の子に馬鹿呼ばわりされて反論出来るはずもなく、かと言って怒ることも出来ず、空気を抜かれた風船のように萎んでしまったのだ。そして私のそんな様子を見て、冬政くんは更に体を強ばらせた。すぐにそっぽを向いて、トイレ、とぽつりと言い捨てて足早に離れていってしまった。私は後悔しつつも追いかけるだけの気力も勇気もなく、ただ呆然とその背中を見送り、引き続き例の花を調べることにしたのだった。
***
それから一時間。冬政くんは戻ってこない。まさか迷子なんてこともある訳ないだろうし、よっぽど戻ってき辛いのではないだろうかと心配する。……探しにいこう。そう決意し握っていたシャーペンを片付け始めた途端、頬に冷たい何かが触れ私は短い悲鳴を上げた。
「ひゃあっ!」
「ご、ごめんっ……!」
犯人は冬政くんの持っていた缶ジュース。それが頬に当てられたのだった。辺りを見回し、幸いなことに近くにはほとんど人もいなかったようで、誰もこちらを見ていなかった。
「びっくりしたぁ……何してるの、冬政くん、心臓に悪いよ」
「あ、あんたの声の方がよっぽど心臓に悪い」
「ご、ごめん……」
「……あ、違、……くそっ」
冬政くんは頭を掻き毟った後、ぶっきらぼうに缶ジュースを差し出してきた。
「……これ、やる」
「えっ……?」
「悪かったな、それと、……ありがと」
「ごめん、声が小さくて聞こえなくて……今なんて言ったの?」
その時の彼の顔ったら面白いほどに真っ赤になってしまって。まるで火が灯ったみたいで。私はきっと忘れないと思う。本人に言ったら怒られそうだけど、とっても可愛かったのだ。年相応のところもあるんじゃん、なんて思うくらい。
「ば、ばーか! もう言わねぇよ!! ばーかばーか!」
「そ、そんなに馬鹿馬鹿言わないでよ!」
本当は聞こえていたけど、少しだけ意地悪をした。もしかしたらもう一回言ってくれるのではないか、なんて淡い期待は軽く裏切られたけど、でも彼の思いがけない一言はしっかりと私の胸の中に刻み込まれたのだった。
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