第12話 番外編:サンタ、神様にプレゼントする

 長い間、北国にはないと言われていた梅雨だが、近年は春から夏へと移り変わる時期にはジメジメした日々がすっかり当たり前のようになっている。


 しとしとと降る雨の中、菊理は強請るクラウスに根負けし、実家へクラウスを連れて帰っていた。


「改めまして、クラウス・聖・シュタウフェンベルクと申します」


 手土産のデパートで買った高級和菓子を風呂敷包みから取り出してテーブルにそっと置き、かっちりとしたスーツを着て、きっちりと正座し、深々と頭を下げたクラウスを前に、菊理の父と母はぽかんと口を開けて間抜けな顔をしている。


 クラウスは、そんな二人の様子にもお構いなしで、本日の訪問の目的である「要求」を告げた。


「お訪ねして早々、大変不躾ではありますが……菊理さんを、私のお嫁さんにくださいっ!」


「ヨメ……」


 凹凸の少ない、一重瞼の純和風の造作をした父が、ぼそっと呟いた。


「菊理さんに、昨年のクリスマスイブ前日に窮状を救っていただいたのをきっかけに、親しくお付き合いさせていただいております。現在、営業部の一員としても、我が社を支えてもらっています」


「我が社?」


 キラン、と母の目が光る。


「はい。私、玩具やゲームなどを製作、販売している会社に勤めておりまして……」


 クラウスが差し出した名刺を見て、母は目をランランと光らせた。


「支社長」


「はい。母が日本人で、日本語や日本の文化に詳しいということもあり、支社を任されております」


 にこにこ愛想良く答えるクラウスに、母はニタリと笑った。


「お母さまが日本人でいらっしゃるのね? 道理で日本語がお上手なこと……それに……うちの菊理が問題なくお付き合いしているということは……」


「色んな点で、菊理さんとは共通点があります」


 ニタリ、とクラウスもまた、微笑み返す。


 限りなく黒い笑みだ。


 菊理は、なんとなくこの場から逃げた方がいいような気がしてきた。

 同じ気配を感じたのか、すでに父は中腰である。


「本日ご挨拶に伺うにあたり、私のことを知っていただきたい、かつ、国際結婚のメリットというものをご理解いただきたく、色々と準備して参りました。今後の家族計画を含めた、木花家とシュタウフェンベルク家との関係、さらには神の化身である菊理さんと……少々、ファンタジーな仕事もさせていただいている私とのコラボレーションによる新たな事業展開の提案などをプレゼンテーションさせていただければと。少々、お時間頂戴してもよろしいでしょうか?」


 ずい、と身を乗り出すクラウスに、母は立ち上がりかけていた父を掴むと、引き倒すようにして座らせた。


「もちろんよ!」


「ありがとうございますっ! では、早速」


 クラウスは、革の鞄(サンタ袋)からおもむろに折り畳み式のスクリーンを取り出し、素早くセットする。

 パソコンを立ち上げ、プロジェクターを接続し、レーザーポインターを手に立つ姿は、結婚の申し込みに来たのではなく、企画を売り込みに来たようにしか見えない。

 抜かりなく、プリントアウトした資料も用意している。

 適度に散らかった居心地の良い居間が、瞬く間にミーティングルームに様変わりした。


「では……まず、私と菊理さんが結婚した場合の経済的効果からご説明させていただきます」


 てっきり、お付き合いに至る馴れ初めなど、結婚式の余興的なものが流れるのだろうと予想していた菊理は、思わず「おまえもかっ!」と心の中で突っ込んだ。


 金儲け第一主義の母は、プレゼンが始まる前から拍手喝采だ。


「菊理さん。ロマンチックなプレゼンは、後で菊理さんにだけしますので、お待ちくださいね? 何と言っても、プレゼンの極意とは、相手の求めるものをいかに魅力的に提示するか、ということにかかっていますからね」


 にっこり微笑んだクラウスの青い目は、笑っていなかった。

 

 ピコ、という電子音に続いて、スクリーンには鮮やかなグラフがアニメーションで表示され、しかもハリウッド映画を思わせるような効果音までが付いている。


 クラウスは、グローバル化している現代社会において、日本の神様が取り残されてしまわないようにするだけではなく、積極的に海外へ向けてアピールし、神社の魅力を発信してもよいのではないかと提案。

 日本語だけではない各国各種言語のWebページの作成を足掛かりに、お守りの通信販売も視野に入れた企画や外国人観光客向けのガイドブックへの掲載、SNSを活用したマーケティングなど、明らかに菊理の母をターゲットにした企画や提案を次々と並べた。

 そうやって将来的な展望を壮大なスケール(アナログな菊理と父には、ペリー来航並みの衝撃)で語った後、クラウスはまず手始めに今年の冬へ向けて、手っ取り早く実現可能な案を提示した。


「可能性は尽きませんが、まずはその取っ掛かりとして……今年のクリスマスシーズンを狙った新たな『恋愛成就』のお守りの企画を作ってみました」 


 母は、これまでの神社の売り上げデータを基にし、クリスマスシーズンをターゲットにした「恋愛成就」のコラボレーションお守り企画に食いついて、クラウスを質問攻めにした。


 目を離せない、映画のようなパワーポイントとクラウスの美声で、三十分に渡るプレゼンが終わるころには、菊理とクラウスの結婚によって被る不利益などひとつもないのではないかと思われた。


 むしろ、ジャンジャン儲けられそうな気配である。


「素晴らしい……素晴らしすぎるわっ! 菊理抜きでも、ぜひうちと契約を」


 すっかり乗り気で小躍りする母に、菊理は目を見開いた。


 ちょっと待て!

 抜きってなんだ、抜きって!


 そもそも、菊理を抜いたら、クラウスとの縁などない。


「申し訳ありません。菊理さん抜きは、ちょっと……」


 クラウスがやんわりと断れば、母は「チッ」と舌打ちした。


 娘の結婚より、金儲けの方が大事なのかと目を見開けば、「ほほほ」と笑って誤魔化す。


「冗談よ! いつでも、考えを変えたらご連絡くださいね!」


「考えが変わることはあり得ませんが……今後とも、末永くお付き合いさせてください」


 深々とお辞儀したクラウスに、父が重々しく頷き、菊理に目配せする。

 お許しが出た、とほっとしたのもつかの間、手早くスクリーンやらパソコンやらをしまったクラウスが、ペランと一枚の紙を取り出した。


「ついては、こちらが契約書になります。菊理さんも」


 ずいと差し出されたものを首を傾げつつ受け取った菊理は、びっしりと印刷された小さな文字にめまいを感じた。


「ええと……」


「サンタクロースの配偶者の心得というものです。まぁ、取り立てて特別なことは何もありません。浮気しないこととか、労わり合うこととか、出張の多い仕事であることは理解することとか。それから、菊理さんには心配無用なのですが、サンタクロースの職業についての守秘義務とサンタクロースの血を引く子供が生まれた場合の取り扱いについても書かれています。簡単にまとめますと……サンタクロースの正体を関係者以外にバラした場合、北極か南極のクレバスに突き落とされて、始末されるということです」


 始末?

 サンタクロース業界は、日本でいうヤの付く関係、あちらでいうギの付く、もしくはマの付く関係の方が取り仕切っているのか?


 やっぱりブラックなんじゃ……。


 青ざめる菊理と父を他所に、母はさっさとサインしろと菊理を睨む。


「夫婦円満、家内安全であれば、何の問題もありませんから、大丈夫ですよ。菊理さん」


 すかさず、超高級そうな万年筆――人生で一度も使ったことのないもの――を握らされた。


「菊理さん、遠慮せずにどうぞご署名を。達筆じゃなくても、読めれば十分ですから」


 プルプルと震える菊理の手を、無理矢理用紙の一番下へと移動させたクラウスは、満面の笑みで見つめる。


「こちらの契約書は、国籍に関係なく、サンタクロース界で有効です」


 つまり、逃げても無駄ということか。

 きっと、契約違反をしたら、トナカイで追跡されるに違いない。


 菊理は、だらだらと流れる冷や汗を感じつつ、契約書は隅々まで読んでからじゃないと署名しないと言おうとした。

 言おうとした口が、塞がれた。


「んふっ」


 ヒヤリとしたクラウスの唇が触れ、スルリと忍び込んだ舌で口蓋を舐められると、力が抜けた。

 舌を絡めたディープキスを親の前で披露するという、とんでもない真似をしたクラウスは、かろうじて涎が流れ落ちる寸前、ようやく離れた。


「く、クラウスっ!」


 まともに父と母の顔を見られず、その襟元を締め上げれば、クラウスはなぜか恍惚とした表情になる。


「ああ、ついに……ついに、菊理さんがサンタクロースの一員に」


「は?」


 クラウスのうっとりした視線の先を追い、掲げられた紙を見上げた菊理は、つい先ほどまで格闘していた契約書にガタガタした筆跡で、自分の名が記されているのを見た。


 いつの間に!? そして、サンタの一員って何だ?

 サンタクロースの妻じゃなく?


「病めるときも、健やかなるときも、そして手が足りないときも、常に傍らにあり、互いの力となる……菊理さん。今年のクリスマスは、菊理さんも立派なサンタの一員として、よい子へプレゼントを配れますよ! そして、菊理さんにも、名前入りのサンタ袋をプレゼントします!」


 いや、それはプレゼントではないだろう。

 便利グッズではあるし、欲しいか欲しくないかと聞かれれば、欲しいけれど、サンタクロースにサンタ袋は必須だ。業務上必要な道具だ。

 断じて、プレゼントなんかではない。

 

「補助的にお手伝いいただくだけでも十分嬉しいのですが、トナカイも操縦できる方が、後々便利です。ぜひトナカイ検定も受けましょう! 大丈夫です! 過去問もばっちりありますので楽勝ですよ」


 いやいや。操縦しない。

 トナカイは、いらない。


「ああ、でも……もしかしたら、それは来年までお預けかもしれませんね……」


 にんまり笑うクラウスに、父の顔が引きつるのを視界の端に捉えた菊理は、思い切りその太ももをつねり上げた。


「……っ!」


 悶絶するクラウスを前に、母が地の底から湧き起こるような笑い声を漏らす。


「ふ、ふふふ、ふはははっ! 菊理! でかした! 恋愛成就コラボレーション企画&New子宝安産セット祈願! ダブルでウハウハだわっ!」


 菊理は、まだ妊娠してもいないのに、すでに生まれることを想定している母に、ドン引きした。

 

「菊理さん。お義母さんの言う通り、おめでたいことはいくつ重なってもいいものですね?」


 おめでたいのか? 甚だ疑問だ。


「ということで……次の出雲大社でのプレゼンより先に、結婚式の準備をしてしまいましょうか」


 そう言ったクラウスが革の鞄から取り出したのは、山のようなカタログ。

 しかも、すべてエロいサンタ服だ。


「こ、これ……本当に、これを着て……?」


 慄く菊理に、クラウスは当たり前だと頷く。


「サンタクロースの結婚式ですからね」


 それはそうだ。

 それはそうだけれども……。


 なんで、スカートで、なんで超ミニで、なんでビスチェ!


「すでにいくつか菊理さんに似合いそうなのを選んであるんです」

 

 嬉々としてクラウスは付箋を付けたページを次々と開き、過激極まりないサンタ服を見るなり、菊理は次々とページを閉じる。


「菊理さん……実は、結婚したくないんでしょうか……」


 項垂れるクラウスを前に、菊理は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き切り、微笑んだ。


「クラウス。私たち、夫婦になる前に、色々と話し合った方がいいと思う。その……色んな好みについて」


「もちろんです! 早速、おうちに帰りましょう」


「は?」


「では、お義父さん、お義母さん、具体的な式の日取りなど決まりましたら、改めてご相談させていただきます!」


 素早くカタログを鞄にしまい込んだクラウスは、菊理を抱えるようにして実家を飛び出した。


 その後、菊理の部屋へ帰り着くなり、クラウスは三日三晩、未来の花嫁の「好み」を極めるべく勤しんだ。

 


◇◆

 

 

 その年の秋、出雲大社でプレゼンをするまでもなく、菊理とクラウスは人間界の法律に従って結婚した。


 結婚式で菊理が着たのは、エロいサンタ服ではなく……エロい妊婦用ドレスだった。

 

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捨てる神あれば、拾うサンタあり 唯純 楽 @fubuki1975

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