第5話 神様、サンタになる 1

「こんばんはー! いい子にしてたかなぁ?」

 

「わぁっ! サンタさんだっ!」


 夕食時の家族団欒の時間帯。

 インターフォンを押して現れる、礼儀正しく常識的なサンタに、現代の子供は冷めた対応をするのかと思っていた菊理は、意外なほど喜ぶ子供たちを目にし、なんだか己の汚れ具合を反省した。


 ツーシーターの助手席に埋もれるようにして、タブレットで残り数件となった次の営業案件への道筋を確認する。


 予め、最短で回れるようにルートが登録され、サンタが装着する腕時計でタイムリミットを知らせる仕組みだ。

 しかも、その腕時計は会話も可能な代物で、当然GPS機能も付いている。

 実に、ハイテク。


 宅配任務を終え、車に乗り込むところを見られないよう遠回りして戻って来たサンタは、見た目はパンパン、しかし中身は入っていないサンタ袋をむぎゅっと後部座席に詰め込んだ。

 届ける相手に必要なものが、必要な時に出て来る仕組みだという。

 じゃなければ、とても重くて持って歩けないだろうと言われ、なるほど、と思った。

 どういう仕組みか念のため尋ねると「企業秘密です」と返された。


「さて、あといくつでしょうか」


「みっつ」


「この調子だと、予定よりかなり早く終えられそうですね。菊理さんのお陰です」


 にっこり笑うサンタは、髭を付けただけなのに、いかにもサンタだ。

 低いエンジン音と共に、滑らかに走りだす近未来風の車の内装とまったく合わない。


 某外国産高級車のエンブレムに良く似た、トナカイのエンブレムを配した銀色のスポーツカーは、サンタによれば「軽量性と強度を両立させたサンタ専用の特別ソリ」とのことだった。


 エロいサンタ服のまま引きずられるようにして乗せられた菊理は、真冬の北国でスポーツカーとは、死にたいのかと思ったが、ソリならば納得だ。

 ちなみに、生足は無理だと言い張って、毛糸のパンツの下にはちゃんとスパッツを履いた。


 スポーツカーがソリならば、トナカイはどうしたのだと言えば、「トナカイは、レンタル料金高いのでいよいよ空を飛ぶときまでは借りません」とのこと。

 サンタ業界でも、手間ヒマかかることは業務委託で外注する流れの様子。


「営業案件が終わっても、まだ五十件くらいあるけど、大丈夫なの?」


 地図を見れば、結構遠方のものもある。

 トナカイの速度にもよるが、今から夜明けまでだと、一件十分程度でクリアしなくてはならないことになる。しかも、子供が寝てしまってからでなくては、家宅侵入できない。

 近年、子供たちの就寝時間は昔と違ってかなり遅い。

 始動時間は後ろ倒しになるだろうから、かなりタイトなスケジュールだ。


「コスト削減、人員削減のしわ寄せで……でも、最低ノルマをこなさないと、インセンティブがもらえないんですよ……」


 昔は、アルバイトもガンガン雇い、人海戦術でこなしていたサンタ業だが、寒い真冬の空を飛ぶという苦行のわりには時給が安いため、なかなか人が集まらないとか。

 リタイアした老サンタをかり出したりもしているが、追いつかないらしい。


「日本は、まだいい方ですよ。アメリカとかだと範囲も広く件数も多く、毎年最低でも一、二名は、行方をくらますサンタが出ます」 


 世知辛い世の中だ。


 サンタは、サクッと残りの営業案件を片付けると、街の郊外へと車を走らせた。


 途中、ドライブスルーで購入したファストフードが遅めの夕食とは、なんともロマンチックなクリスマスイブである。


「この埋め合わせは、必ずしますので! あ、ポテトも付けていいですよ? ビスケットはいかがですか?」


 もちろん、いいだけサイドメニューを付けた。

 ドライブスルーしておきながら、店の駐車場で食べると言う何とも不思議な展開ではあるが、美容と健康に反するものの、美味しいジャンクフードを満喫した。


 夕食後、再び車を走らせたサンタが向かったのは、秘密基地ならぬ廃業したレジャー施設の跡地だった。


 寂れた風景の中、デンとしたふてぶてしい立派な角を生やしたトナカイが八頭ほど、群れていた。

 遠目には、鹿のように見える。


 サンタが呼ぶと、ヤル気なさそうな雰囲気でのろのろと寄って来た。


「なかなか精巧にできているでしょう? 雰囲気も獣らしさもばっちりです。でも、人工知能に時々バグが発生するようで……」


 間近で見るとかなりの威圧感に及び腰になった菊理だが、サンタの言葉に仰天した。


「は? え? 生き物ではないわけ?」


「ええ。サイボーグです。実は、とある国で、トナカイに重いソリを長距離、長時間引かせているのは虐待にあたると訴えられた経緯がありまして。ベンチャー企業と共同で開発に取り組みました。これは、バージョンエイトで、今冬発売されたばかりの最新型なのですが、わが社のシステムとの互換性に少々問題があり、まだまだしっくり来ていません。機械の方が生き物を飼うよりはメンテナンスも楽と言えば楽なのですが、小まめにバージョンアップが必要ですし、バージョンアップの度にバグが発生しますし、細々した調整が必要なので、やっぱり動物の方がいいという意見もありますね」


「……」


 サンタクロースは、ファンタジーの世界の住人ではなく、SFの世界の住人だったのか。

 菊理は、レトロでアナログな日本の神界とはかけ離れた世界に、眩暈を覚えた。

 

「では、行きますか」


 サンタが、車のキーを押すと、ピコッと電子音が鳴って、ふわりと銀色のフォルムが解けた。


 美しい木製のソリに、サンタ袋が乗っかっている。

 ヤル気なさげなトナカイにソリを装着すれば、準備は完了。

 サンタの差し出す手に、夢見心地で菊理は自分の手を重ねた。


 大きな身体にすっぽり包まれるようにして、サンタの前に立ったところで不穏な言葉を耳にする。


「菊理さん。まずは命綱をしましょう」


 シートベルトではなく、命綱。


 それは、落下の危険性があるときにするものでは?

 いそいそと、登山の時に使うような金属製の頑丈なフックが付いたベルトを装着され、ソリと連結された。


「本物のサンタ帽を被ってさえいれば、落下の衝撃は和らぎます。万が一の時には、死守してください」


 そう言いながら、サンタは営業案件用だというペラペラの偽物サンタ帽を脱ぎ、懐から取り出した本物のサンタ帽をしっかりと被った。


「お、おおお、降りる……」


「空を飛ぶのは、楽しいですよ?」


 ガタガタと震える菊理から目を逸らしたサンタが、ぴしり、と手綱で合図を送れば、いきなりトナカイが走り出す。

 物凄い速度で雪煙を上げて駆け出したトナカイが、不意に地面を蹴って飛び上がった。


 重力から逃れる浮遊感。

 びゅうっと耳を過ぎる寒風に、スカートが捲れ上がり、サンタ帽が飛ばされそうになる。

 菊理は必死で頭とスカートを押さえた。

 そのため、両手が手すりから離れ、ぐらりと傾いだソリから放り出されそうになる。 


 落ちる! 死ぬ!


 青ざめ切った菊理を背後から抱えたサンタが、事もなげに呑気な声で言う。


「菊理さん、大丈夫ですよ。トナカイは、速度と角度を計算しながら、ギリギリ私たちを振り落とさないように走りますから」


「さ、さっき、バグがあるって言ったじゃないのっ!」


「手動でも走らせることが可能ですから、ご安心を」


 菊理は無理矢理首を捻ってその顔を見上げた。


「あ、安心って、昨夜、あんた落ちたんじゃないのよぅっ!」


「……」


 サンタは、菊理の訴えをスルーした。  


「ほら、菊理さん。素敵な夜景ですよ?」


 今でさえ気が遠くなりかけているのに、遥か足元の夜景など見たら、間違いなく気を失う。

 気を失ったら、途中で放り投げられても気付かない。


「下りる、降りる、おり……おりるーっ! おろせーっ!」


 菊理の絶叫は、虚しく夜空に響き渡った。 



◇◆ 



 人間、どんな環境にもそのうち慣れるものだ。


 恐怖も、一度乗り越えてしまえば、恐怖ではなくなる。

 いや、麻痺する、と言った方が近いかもしれない。


 そして、常識とは、かくも容易く塗り替えられるものだ。

 煙突から家宅侵入なんて、物語の中だけだと思っていた。 

 

 菊理は、極寒の冬空を駆け抜けた後、ただ今絶賛、家宅侵入中であった。


 サンタクロース業界の暗黙の了解として、暖炉の煙突がある家の場合、侵入経路は煙突と決められている。もちろん、火が落ちている場合に限る、と真顔で言われたとき、菊理は「ふうん」と聞き流していた。

 自分が、煙突から侵入なんてすることないし、と思っていた。


 しかし。

 

「菊理さん。本当に、菊理さんがいてくれてよかった。大分回復したとはいえ、万全の体調ではないため、煙突のような狭い場所を行き来するのが不安だったので。それでは、よろしくお願いしますね」


 何故か、サンタ袋を担がされ、何故か、ソリから煙突へ下ろされた。

 

「サンタスーツを着ている時は、様々なチート能力が備わります。まず、サンタ帽の力により、心が清らかな人間以外には姿が見えなくなる。それから、壁をよじ登ったり、煙突を這いあがったりする脚力と腕力が備わります。また、必要に応じて、頑丈なドアを破るための怪力や、凶暴な飼い犬を黙らせる眼力なども備わります。要するに、滅多なことでは危機的状況には落ち入りません。が、万が一緊急事態に陥った場合は、こちら。通信用にお持ちください」


 田舎では、通信環境が不安定とのことで、腕時計ではなく、スマホを持たされた。

 つい最近発売になったばかりの最新型だった。

 少なくとも、見捨てられることはないようだと安心しかけた菊理だったが、にっこり笑ったサンタは冷酷にも釘を刺した。


「無闇な連絡は、極力控えてくださいね? スマホで話すサンタなんて、子供の夢ぶち壊しですので。私は近所の別のお宅へ行って来ます。任務終了したら、屋根の上で待っててください」


 サンタは、菊理の背負った袋から、ひょいとひとつ綺麗な包みを取り出すと、トナカイたちと走り去った。

 菊理が、引き止める間もなく。


 屋根の上に取り残された菊理の選択肢は二つ。

 何もせずにサンタがピックアップしに戻って来るのを待つか、煙突から突入するか、だ。


 タイトなスケジュールでは、菊理が突入しなかった場合、次の予定に遅れが響く。

 夜が明けてしまったら、サンタはもう子供たちの部屋には侵入出来ない。

 そうなると、楽しみに待っている子供の誰かが、プレゼントを貰えないかもしれない。


 異国のサンタの片棒を担ぐ義理はない。


 しかし、子供をがっかりさせるのは、人としてどうかとも思う。

 いや、正確に言えば、神様としてどうかと思う。

 神様だって、願いごとを叶えるのは、大事な仕事のひとつだ。 

 煙突にビビって、願いごとを叶えられなかった、なんてことになろうものなら、神の名が廃る。


 それに、ここで恩を売っておけば、欲しいものが貰えるかもしれない。

 もはや、これから別の物件を当たるなんて時間的余裕はないし、好みの相手が見つかるとも限らない。

 

 邪念まみれで、菊理はぐっと唇を引き結ぶと、サンタ袋を煙突に投げ入れて、自分も足を突っ込んだ。

 サンタが言うには、必要な脚力や腕力が備わっているはずだから、落ちないはずだと思っていた。

 しかし、予想に反して菊理の身体は狭い煙突をテーマパークなどによくある垂直落下のアトラクションのごとく落下した。


 悲鳴を上げなかったのは、奇跡に近い。

 ばふっ、ドスっ! という音と共に、灰まみれになって毛糸のパンツ丸見えでサンタ袋の上に落下した。

 

「……」


 こっちまで腰を痛めたら、どうしてくれる!    

     

 殺意が芽生えた菊理だったが、寝静まった他所のお宅に長居は無用。

 素早く立ち上がると汚れが付き難いというサンタースーツから灰を落とし、足音を殺す必要のない仕様のブーツではあるが、抜き足差し足で、子供部屋のありそうな二階へ向かった。

 

 暖炉があるこだわりのお家だけに、子供部屋のドアには可愛らしいクリスマスリースが飾られている。

 そぉっとドアを開ければ、窓辺に寄せられたベッドの上に、こんもりとした山が見えた。

 そのヘッドボードの角には、きちんと大きな靴下がぶら下がっている。

 

 よし。


 わかりやすい展開に、初ミッションは無事に終えられそうだと、素早くサンタ袋から取り出した包みを靴下に詰め込もうとしたその時、子供らしいちょっと高い声がした。


「へぇ……女のサンタもいるんだ。去年は、太っちょのおじいさんだったけど」 


 ギクリ、として見下ろせば、こんもりした山の端っこから、小さな男の子が顔をのぞかせていた。


 オーマイゴッド。

  

 菊理は、外国人っぽく心の中で呟いた。


「こ、今年は、サンタおじいちゃんがぎっくり腰で、孫の私が代わりにサンタをしているのよ」


 苦しい。

 苦しすぎる。

 サンタは独身という設定ではないことを祈る。


「お姉さんのその格好、可愛いね」


 たらり、と流れ落ちる冷や汗を感じながら、強張った笑みを浮かべていた菊理は、少年の褒め言葉に感激した。


 オバサンと言わないのは、素晴らしい。

 きっと、お母さんの教育が行き届いているのだろう。

 もう一個くらい、プレゼントをあげてもいいのではないかと思う。


「ありがとう。これ、いい子にしていたから、プレゼント置いて行くね? 出来れば、明日の朝開けてくれるかな?」


「うん。ちゃんと明日の朝、大喜びで開けるよ。お姉さんも、お仕事がんばってね」


 気遣いの行き届いた少年に、じーんと胸が熱くなる。

 ああ、この少年があと十歳、歳を取っていたならば、今直ぐサンタ袋に詰め込んで拉致るのに。 

 

「おやすみなさい」


 つい、その頭を撫でてやると、少年は愛らしい瞳で菊理を見上げた。


「ねぇ、おやすみのチューして?」



◇◆



「どうでしたか? 菊理さん。大丈夫でしたか?」


 屋根の上でサンタ袋の上に座り、ぼおっと夜空を眺めていた菊理に、シャンシャンと鈴を鳴らしてやって来たソリの上にいるサンタは首を傾げた。


「何か、大変な事態でも?」


 心配そうに眉根を寄せる。

 

「ううん。大変なことは、何も」


「そうですか?」


 とてもじゃないが、ロリコンに片足突っ込みかけた、とは言えない。

 熱烈に柔らかいほっぺにチューしてしまった。

 筋肉ムキムキ逞しい系でなくともイケる自分に、戦いた。

 守備範囲が広いのはいいことだが、見境がないのはいけない。


「さぁ、次へ行きましょう」


 差し出された手を取って、ソリに乗り込んだ菊理は、そこから先、無心でサンタの仕事をこなした。

 時々、寝ずに待っていた子供と遭遇することはあったが、ほぼ全員が「秘密」を共有するのを喜んでくれたので、通報されるといった事態には陥らずに済んだ。


 一度だけ、子供と一緒にサンタを待ち構えていたらしい父親に遭遇したが、エロいサンタ姿の菊理を見た瞬間、邪念が発動したらしく、目の錯覚として処理された。


 日本と言うお国柄、暖炉を持つ家はさしたる数もない。

 ただ黙ってソリで待つのもヒマなので、侵入経路が簡単そうなところは手伝ったりもした。

 

 実に順調に次々と仕事は片付いていた。

 ソリも安全かつ快適に走行していた。

 サンタ曰く昨日のクレームで、トナカイの整備がきちんと行われたことにより、滑らかで素早い走りが実現されたらしい。


「何より、お天気が良いのが一番ですね。昨年は猛吹雪で、いくらGPS機能付きとはいえ、何度か進路を誤ってしまったり、お宅が見つけられなかったりと、大変でした。これも、菊理さんのお陰ですね」


 豪雪や猛吹雪の中をソリで疾走するなんて、凍死まっしぐらだ。

 にこにこ笑うサンタは、菊理の効能も知っていたに違いない。

 

 菊理が持つ神様の化身としての能力のひとつに、「晴れ」を齎す力がある。


 他の化身が物凄い力で反対のことを願わない限り、百パーセントではないものの、気分が良かったり、何か楽しいことがあったりすると、ほぼ晴れる。

 昨夜の楽しさと、今夜への期待が、晴れを齎したのは間違いない。


「……なんだか、いいように利用されている気がする」


「そんなこと言わないで。これが終わったら、菊理さんにもちゃんとプレゼント用意しますから」


 疾走するソリの上、疑いの眼差しで振り返れば、柔らかな感触が唇を覆った。

 髭がくすぐったい。 


「あとちょっとですから、お待ちください」


 サンタは、サンタを信じている人のところにしか現れない。


 菊理は、取り敢えず、クリスマスが終わるまではサンタを信じることにした。

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