第4話 神様を捨てる 2
手触りのいいフェイクファーの白いニットとスエード素材のミディアム丈のワイン色のスカート。
ニットはオフショルダー気味で、スカートは細身の巻きスカートタイプでしなやかに揺れる度に腰のラインが強調される。
唇は、ちょっと厚めで赤みを強くし、頬はさりげないピンク色。
ぽっちゃりと言っていいかどうか、微妙な体型のため、ちょっと野太い感じになってしまうのは、この際目を瞑る。
昨夜の状態と比べれば、詐欺と言われるレベルだ。
しかしながら、出来栄えに不満はないが、企みを疑われはしないだろうかと、少々心配だった。
取り敢えず、最後の仕上げに甘めの香水をつけたところで、インターフォンが鳴った。
「はい」
モニターに映し出されたのは、紛れもないサンタ。
不審者と思われるのを避けるためか、サンタ帽子と髭は装着していない。
もしかしたら、スーツかもと思った自分がどうかしていた。
菊理は、都合のよいドラマのような展開を夢見た自分に呆れ、苦笑した。
サンタなのだから、サンタの格好に決まっている。
『こんばんは。お迎えに来ました』
「今、降りるわ」
クリスマスイブだし、サンタの格好をした人物と歩いていても、コスプレかと物珍しそうにされるだけだろう。
この際、名を捨てて実を取る。
周囲にどう思われようと、最終目的に辿り着くのが一番大事である。
コートを手に、部屋を出ようとした菊理は、しかし、インターフォンから聞こえて来たサンタの慌てた声に振り返った。
『あ、あのっ! お渡ししたいものがあるので、そちらに伺ってもいいでしょうか』
まさかのプレゼントか。
わざわざ部屋まで持って来るというからには、小物ではないのだろうか。
モニターにそのような物体は見受けられず、菊理は首を傾げたものの、急いでいるわけでもないし、と頷いた。
「いいわよ。どうぞ」
ロックを解除すれば、サンタはガサガサと音のするものを持って扉をくぐった。
玄関で待ち構えていると、程なくして再度インターフォンが鳴る。
「どうぞー」
ドアを開けて出迎えれば、はにかんだ笑みを浮かべたひょろりとしたサンタがいた。
腰の状態は良くなったらしく、頭二つ分見上げる高さに顔がある。
「こんばんは、菊理さん」
おや。
菊理は、名乗った記憶はない、と驚いたが、失われた記憶の酔っ払い中に口にしたかもしれないと思い直した。
「あの、今日、ご一緒していただくにあたり、こちらをお召しになっていただきたいのですが」
ずいっと差し出されたのは、パリコレとかで名前を聞く、超高級海外ブランドの紙袋だ。
まさかのドレス? と、ドキドキしながら紙袋の中の物体を取り出した菊理は、目を瞬いた。
真っ赤なスーツは、それはもう極上の手触りだ。
ふわふわの白い縁取りの毛皮も、フェイクとは思えないほど。
太目のベルトは本革で、揃いのロングブーツも手袋も、本革だ。
そして、機能性バツグンと思われる肌着と毛糸のパンツ。
このひと揃えで、軽く十万以上はするだろうと思われる。
しかし。
しかし、である。
「これ……サンタ服?」
「はい。レディース用です。サイズはちょうどいいはずです」
にこにこと満面の笑みで言うサンタに、菊理は問い返す。
「これを、着ろと?」
「ぜひ。きっと、お似合いだと思います」
色んな疑問が頭を過ぎった。
何故? とか、いつサイズを知った? とか。
これで、出掛けるとは言わない。
言わないが、しかし、部屋の中で着てみるだけならいいだろう、と譲歩することにした。
世の中では、サンタ服の女子を見たいと言う男子の要望が結構あるとも聞くし、ちょっと興味もある。
絶対、自分では買わない種類の服である。
菊理は、諸々の疑問を一旦脇に置いて、取り敢えず着てみることにした。
リビングでサンタを待たせること数分。
着替えを終えた菊理は、新品だからとブーツも履いた完全装備で鏡に映る自分を見て、わなわなと震えた。
あり得ない。
非現実感が、半端ない。
エロカワイイを目指した先ほどの自前の格好より、数百倍もエロかった。
肩口と襟下の一部がぱっくりと開いた上着は、胸を強調するためか身頃が細い。
しかも、太いベルトのせいで、ウエストが一層細く見え、腰のくびれがかなり強調される。
そして、太股半ばまでしかない丈のスカートは、裾に施された雪玉を思わせるファーのお陰で終始ふわふわと落ち着きがなく、ちょっとした動きで白い毛糸のパンツが見えそうだ。
しかも、「ストッキングは、正装では禁止されていますので」というサンタの謎の発言により、生足だ。
体型が体型なだけに、ムチムチ感が半端なくエロイ。
これで、街を歩けと言われたら、恥ずかしくて死ねる。
しかも、サンタペアルックなんて、無理。
「菊理さーん、いかがですかぁ?」
サンタの呑気なデレっとした声を聞き付け、菊理は寝室のドアを蹴り開け、リビングに駆け込んだ。
「ちょっとぉっ!」
「わぁおっ! 素晴らしいっ!」
駆け込んで来た菊理を見るなり、ウロウロと歩き回っていたらしいサンタは、目を輝かせた。
「可愛いですっ! 実によくお似合いですっ! ああ、完璧ですっ! 実に、ラブリーです。こんなサンタがいたらと夢に描いていた、そのままです!」
興奮した様子で菊理の手を取り、ぶんぶんと振り回すサンタに、まずは衣装についての疑問点をぶつけた。
「……何が、完璧なのよ? 何で生足なのよ? 何で、無駄に穴開いてんのよっ!」
「その方が、セクシーだからです」
「はぁっ!?」
「折角一緒にお仕事するのですから、ヤル気になれる方がよいでしょう?」
仕事中に公私混同はしない、と叫びかけた菊理は、うっかり聞き逃しそうになった単語に気付いた。
「……仕事?」
「はい。昨夜は、助けて頂いた上に、今日のお手伝いもご快諾いただき、ありがとうございます。昨夜は、本番前の最後の下調べに歩いていたのですが、レンタルトナカイの質が悪くてソリが上手く操縦できずにあのような失態を……。菊理さんと出会っていなかったら、今頃植込みの陰ではかなくなっていたかもしれません。こちらの土地勘に不安があったので、地元に詳しい菊理さんがお手伝いを申し出て下さって、本当に助かりました」
お手伝い? 快諾?
菊理は、記憶のない間に、自分は一体何をしたのだろうと戦いた。
サンタは、デレッとした顔をきりりと引き締め、やおらその懐からタブレットを取り出すと、菊理に差し出した。
画面には日本地図が映っていて、そこに星のようにいくつもの赤い点が瞬いている。
「今夜の私のノルマは、約百件です。タイムリミットは日が昇るまで。日の出の時間が早いところから優先的に回りますが、まずは営業案件から先に片付けることになります。それ以外の本業の方は、トナカイとソリで回ることになりますし、出来る限り子供たちが寝静まってからでないといけないので」
「営業案件?」
「はい。デパートやおもちゃ屋で承った配達ですよ。そちらは、すべて都市エリア内ですし、玄関から訪問出来ますからね。性格の悪いトナカイを使うこともなく済みますので、サクッと片付けてしまえます。本業の方はトナカイとソリで回るので小回りが効かず、空を走りますし、マンションならば空から入れる場合も多いのですが、戸建だと家宅侵入するのに時間と神経を使いますし、ちょっと手間取ることになるでしょう」
「か、家宅侵入って……いや、見つかったらどうす……」
「大丈夫です。そのためのサンタスーツですよ? サンタクロースの格好をした者は、清らかな心の人間にしか、見えないんです。そういう人は、サンタクロースの存在を信じている、または受け入れてくれますから、通報したりしません」
要するに。
「つまり……つまり……本物のサンタクロースってこと?」
菊理は、驚きつつも、半ば納得したが、にっこり笑ったサンタは、更に驚きの答えを返して来た。
「ええ。神様の化身であるあなたなら、とっくにお気付きかと思っていましたが? 木花菊理さん」
想定していなかった事態に、菊理はへらっと笑って誤魔化そうと決めた。
「え……っと……はは、何のことかなぁ?」
菊理としては、サンタがサンタであろうがなかろうが、サクッとペロッと美味しいところを頂いて、それっきりにするつもりだった。
当然、利用するつもりだということは知られたくないので、自分の正体を告げる気もなかったのだが、もしや酔った勢いで、うっかり喋ったのか。
菊理は、乾いた笑いを引きつった顔に貼り付けた。
正体はバラしたかもしれないが、目的はバラしていないかもしれないと、己を励ましたところへ、止めの一撃が来た。
「日本の神様は大変なんですね? 縁結びの御利益を授けるために、拾った相手でも何でもいいから、処女を捨てるために、セックスしなきゃならないなんて」
グサーッと胸に刺さった特大の槍と、嘲る様なサンタの眼差しに、胸がぎゅうっと痛くなった。
「自国で駄目なら、異国でもいい、良さそうな相手を誘惑したいとお望みだったので、そのサンタ服を用意したんです。最適だと思いませんか?」
何か言い返してやりたいのに、熱い塊が喉を塞ぎ、声が出ない。
誰でもいいなら、とっくにヤッているし、誘惑しようと思っていたのは、お・ま・え・だっ!
思わせぶりに誘われて、浮かれて舞い上がって、綺麗に着飾った自分が馬鹿みたいじゃないか。
そもそも、漏らしそうな危機を救ってやったのに、恩を忘れたのか。
自分だって、ヤりたいって言ったじゃないか。
心の中で叫んだものの、どれも声にならない。
悔しさと、それを上回る胸の痛みが、とうとう目の縁で暴発した。
「……う、ぐっ」
だらだらと流れ落ちる涙が、折角の化粧を台無しにする。
小一時間が、無駄になる。
せめてもの救いは、マスカラとアイラインがウォータープルーフだから黒い涙にはならないことくらいだ。
サンタのくせに。
サンタクロースのくせに、欲しいものをくれないなんて、詐欺だっ!
菊理は、腹立ちまぎれにサンタ帽を床に叩きつけ、げしげしとブーツの踵で踏みつけた。
こんなヒールの高いブーツで煙突が登れるかってんだっ!
バカヤロウ!
「うわあぁ、菊理さん! サンタ帽はヤバイですっ! それが魔法の源で、わが社のシンボルで……っ」
これでもかとサンタ帽を踏みつけていると、慌てたサンタが這いつくばるようにしてサンタ帽を拾いあげようとした。
その手の甲を思い切り踏んでやろうかと思ったが、踏み止まった。
傷害沙汰にでもなったら、神界の国際問題に発展するかもしれない。
移動手段と通信手段の発達により、人々の行き来が活発になった昨今、神様たちはあらゆる土地で入り乱れて生活しているため、暗黙の不可侵条約のようなものがある。
そうかなーと思う相手に出会っても、素知らぬフリをする。
積極的に交わったりはしない。
ソリの合わない相手がいても、人間たちのように争い合うことはしない。
神様同士の戦いなんて起きようものなら、この世界はあっという間に滅ぶ。
シャレにならない。
サンタは、菊理が振りあげた足を下ろすと、ここぞとばかりにがしっとその両足を抱きかかえた。
「ご、ごめんなさいっ! 菊理さん、ごめんなさいっ! すみません、調子に乗りましたっ! 今日、社内で、ブラックサンタ企画の話題が出た影響で、ちょっとSモードに入ってしまいましたっ! すみませんっ! すみませんっ! すみませんっ! 普段は、Mですのでっ!」
どさくさにまぎれて太股に頬ずりするサンタに、怒りが倍増したが、身動き出来ない。
「ごめんなさい……」
忌々しいサンタは、菊理が暴れるのを止めたと見ると素早く立ち上がり、ぎゅっと抱き締める。
「泣かないで、菊理さん」
おでこに、頬に、チュッとキスされて、続けて瞼にキスされる。
思わず目を瞑ると、ふわりと唇が重なった。
慎ましいキスが与えたサンタの唇の感触は、思った通りに柔らかく、とても気持ち良かった。
嫌じゃないのが腹立たしいと、菊理は唸った。
「そのサンタ服、菊理さんが私を誘惑してくれたらいいな、と思って選んでしまいました」
キスが上手い上に、口も上手い。
「菊理さん。菊理さんが欲しいもの、ちゃんとご用意しますから、お手伝いして頂けますか?」
青い目は、キラキラと自信と希望に輝いている。
断られるとは思ってもいないのだろう。
憎たらしいくらいに前向きだ。
「……本当にわかっているんでしょうね? 私の欲しいもの」
異文化の壁は大きいのだ、と菊理が睨みつければ、サンタは何故かとても嬉しそうに笑った。
「はい。サンタクロースは、ちゃんとよい子の欲しいものを知っています」
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