第3話 神様を捨てる 1

 翌日目覚めた菊理は、当初の目標通り自堕落な第一日目だな、と思った。


 枕元の時計を見上げれば、既に昼を過ぎていた。


 服を着た状態でベッドに寝っ転がっており、下着も身に着けたままだ。

 サンタのことが薄っすらと思い出され、念のために確かめたゴミ箱に証拠の品はなく、化粧を落としていなかった肌は、艶々どころかガサガサだ。


 もちろんヤってないし、途中まですらも行っていないと思われた。

 もちろん、サンタの姿はどこにもなかった。


 山のようなビールの空き缶が洗われた状態でキッチンに列をなし、食い散らかしたコンビニ弁当の容器たちも、綺麗に洗われ、乾いていた。


 酔った自分がやったのだろうか?

 だとすれば、酔っていないときよりも余程女子力がありそうだ。

 これからは、常に酔っ払っていようか。

 

 潤っていない我が身に、棚からボタ餅なんてあり得ないのだと、やはり昨夜のことは夢だったのかもしれないと思いながらシャワーを浴びた菊理は、ふとリビングのテーブルの上に置かれたものに気がついた。


 包装は解かれていたものの、きちんと箱に収められたDVDの上に、一枚の名刺大の紙がある。


『昨夜は大変お世話になりました。本日夕方、改めてお伺いしますのでよろしくお願いいたします』


 夢じゃなかった!

 あの美しい筋肉は、夢じゃなかった!


 朝からテンションが一気に上がった菊理は、美しい筆跡に、ますます「サンタのくせに、やるな」と思いつつ、名刺と思われるものの表面を確かめた。


『クラウス・聖・シュタウフェンベルク


 サンタエンタープライズ株式会社 日本支社 

 国際事業部 チーフサンタクロース』

 

 そこに書かれていた冗談のような名前と社名に、菊理は思わずツッコンだ。


「そのまんまかっ!」


◇◆


 現代は、インターネットがあれば、大抵のことは調べられる世の中だ。


 二日酔いとは無縁の体質である菊理は、白米とみそ汁漬物という由緒正しき日本の質素な朝食を食べながら、名刺に書いてあったURLより、サンタエンタープライズ株式会社のホームページへ飛んだ。


 やけにカラフルで動画満載のホームページによると、サンタエンタープライズはそのふざけた社名に反し、実に巨大な多国籍企業であった。


 ありとあらゆる国に支社を持つ国際的な企業は、主に子供向けの玩具を取り扱っていたが、数年前に本社を北欧のサンタの住まう国から北米カリフォルニアの某有名な夢の国の近くに移転して、ゲームや映画などのデジタルコンテンツの開発作製、および販売にも力を入れているらしい。

 日本では東京に支社があるが、昨今のヒートアイランド現象などを考慮し、来春に北国へ本社を移転予定。ちなみに、会社のロゴはサンタ帽である。


 そんな大企業の国際事業部ともなれば、エリート街道まっしぐらと思われる。

 たとえ、サンタの格好をして植込みと壁の間に挟まっていたとしても……しがない派遣の身とは大違いである。

 

「ま、だからこそいいかもね……」


 菊理は、どうせ違うなら、何もかも違いすぎる方がいいと思った。


 現実的ではない相手なら、その場だけの勢い、雰囲気に流されたという言い訳ができる。

 単純に、魅力的で、性欲を感じる相手で、きっかけがあったというだけの方が、後先を考えずに済む。

 お互いを知って、順序を踏んで付き合って、という正統派の流れに乗っかる時間的余裕がない以上、サクッとヤれて、後腐れのない相手がよいと思われた。


 絶賛おひとりさまである菊理だが、中学、高校、大学と、幾人かの男性と付き合ったことはある。

 ただ、誰とも長続きしなかった。

 その結果、二十五才の今日に至るまで、菊理は処女だった。


 普通に、人間として生きて行くのなら、処女でも差支えはない。

 素晴らしい恋人に巡り合えず、生涯のパートナーも見つからず、ひとりで生きて行くことになったとしても、そのせいで死んだりはしない。


 しかし、どうしても、今直ぐ、一時でもいいから「リア充」とかいう状態になって、処女ではなくなって、仮初でもいいから「恋」というものを体感しなくてはならなかった。


 抜き差しならぬその理由は、部屋の片隅の段ボールにぎっしりと詰まっている。 


 菊理は、これまで避け続けていた現実に、溜息を吐いて向き合うことにした。


 初冬に実家から送りつけられたきり、確かめてもいなかった箱をそろそろと開ける。

 そこには、淡い水色や桃色、赤に緑にと美しい布に金糸の刺繍が施されたカラフルで、大小様々な大きさの御守り袋と「内府」と呼ばれる小さな板が詰まっている。


 そして、それらの合い間には、和紙に書かれた達筆の脅迫状が挟まっていた。


『年末までには御利益バッチリにして、送り返してね! 年始に間に合わなかったら、殺すわよ。ウフフ。 母より』


 段ボール一杯の御守りを完成させ、実家に送り返すには、いい加減タイムリミットが迫っていた。

 年末までにやり終えるには、あと数日で片付けなくてはならない。


 しかも、昨年と同じように、普通にやっては必要な御利益が授けられない。


 菊理は、五十年ぶりに気まぐれを起こした神様の化身だった。


 菊理の家は、とある神社の社家の末裔で、ご先祖様に神様との間に生まれた者がいたお陰で、時々、気まぐれな神様がその子孫に宿ることがあった。

 化身とは言っても、霊験あらたかな神通力があるわけではなく、ちょっとした御利益を授けることが出来る、といった程度の力を持つ者が、時々生まれるのだ。

 例えば、健康や病気の回復を願う人に、よい兆しが生まれるように力を貸したり、ちょっとだけその痛みを取り除いてあげたり、願いごとが叶うように、よい運や巡り会いが訪れるように力を貸したりする。そんなささやかで、しかし意外と効果のある御利益を効率よく授けるため、「御守り」に込めて人々に手渡している。


 普段も、もちろん神主などがちゃんと御祈祷をして御守りは作られているし、御利益がないわけではないが、化身が作った「御守り」の御利益は段違いだ。


 それゆえ、代々そういった化身と呼ばれる者は、コキ使われる運命にあった。

 化身として崇められるのではない。メチャメチャ働かされる。

 ブラック企業どころの話ではない。


 子供のころから、御守り作りに追われていたクリスマス時期は、菊理にとっては悪夢のような季節だった。

 世間のスピリチュアルブームとやらに乗っかるため、商魂たくましい母は様々な御守りを編み出し、菊理は学生の頃は毎年冬休み返上で働かされ、社会人になって実家を離れてからも、送りつけられて来る御守りたちの納期に追われていた。

 

 時々、どこか違う国へ行きたい、と唐突に旅立ちたくなることはあるが、自分が授けた御守りで人々が幸せになったり、何らかの役に立っているのなら、それでいいかと思っていた。 


 しかし。


 今年の夏、神社の参拝客が減っている、と母が言い出した。

 母の市場分析によれば、今や日本の経済を回していると言っても過言ではない、独身ワーキングウーマンのハートを鷲掴みにする、「縁結び」の御守りに御利益がないせいだと思われる、と……。


 菊理は、ギクリとした。


 家族の誰にもカミングアウトしたことはないが、菊理の作る縁結びの御守りは、無病息災、交通安全などその他の御利益はあるのに何故か肝心の「縁結び」の御利益はさっぱりなのだ。


 縁結びの神様であるにも関わらず、だ。


 時代の変化と共に人々の需要は変わる。

 その需要に付いていけなくなったとき、その存在が忘れ去られ、消えてしまうのは、何も神様に限ったことではない。


 菊理にとっては死活問題だった。

 人々が、菊理の中にいる「神様」を忘れ去ったとき、自分がどうなるのか、菊理には想像が付かなかった。

 どこからどこまでが菊理と言う人間で、どこからどこまでが神様なのか、はっきりとは区別出来ないのだ。

 もしかしたら、のほほんとタダの人間として生きられるかもしれないが、もしかしたら神様と心中することになるかもしれない。

 

 いよいよ、本腰を入れて対処しなくてはならないと、安産の御利益をバリバリ授けている神友(カミトモ)に相談したところ、「恋でもして、サクッとヤって、脱処女すれば?」と言われた。

 「恋」をして「気持ちいいこと」をすると、いろんな力が増強されると言う。


 以来、合コンにお見合いに紹介にと、菊理はありとあらゆる手段を実行した。


 しかし、今日に至るまで、どれも実を結ばなかった。

 いい雰囲気になっても、最終的な目標まで至らない。

 よっぽど、御利益のある他の縁結びの神様に縋ろうかと思ったほどだ。


 根本的な問題がどこにあるかは、菊理自身にもよくわかっていた。

 そもそも、「恋」のある段階に差し掛かったとき、菊理には避けて通れない問題がある。


 菊理は、穢れた相手に触れられると、気持ち悪くなる体質だった。


 「穢れ」のない人間などいないから、そうでない相手を見つけることなど不可能だ。

 穢れていたとしても、清めてもらえば大丈夫なのだが、キスする前に「ごめん、ちょっと穢れてるっぽいから、口を漱いでくれない?」と言って、ヤる気が削がれない人がいるだろうか? 


 いざヤる気になって盛り上がっているところで、「ごめん、ちょっと穢れっぷりひどいから、入浴じゃなくて滝行して来てくれる?」なんて言えるだろうか。


 言えない。


 そういった手間のかからない、自分と同じような自動的に穢れが浄化される「化身」の男性版もいるにはいるが、競争率がメチャクチャ高く、女子力の高い他の化身たちと張り合うなんてとても無理。

 

 だから、サンタ相手に気持ち悪くならなかったのは、奇跡のようだった。


 見た目は異国人だが、日本人の血も入っているというし、まるで本物のようなサンタっぷりを見るに、聖なる存在であるべく、清らかな生活をしているのかもしれない。

 欲しいものを何でもくれると言ったし、自分は命の恩人だし、多少の無理は効くはずだ。


 いや、効かせてみせる。


 ふつふつと闘志を燃やし、菊理は戦闘態勢を整えるべく鏡の前に陣取った。

 好感度の高い、ばっちり化粧しているけれどそうは見えないナチュラルメイクには、小一時間かかる。

 その後、髪を整え、ネイルを整え、エロカワイイ服を選んで装うには、ギリギリの時間だ。

 

 絶対に、逃さない。

 逃してなるものか。


 くくく、と漏れ聞こえた声にはっとした菊理は、鏡の中に映る自分の黒い笑みに気付き、慌てて顔を作り直した。

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