第2話 大賢者と旧友
魔戦士フロウ。
かつては大賢者クラストと共に魔王軍と戦った、比肩するものの無い勇敢なる戦士である。
人一人分のサイズの大剣を縦横無尽に振るい、立ちはだかる難敵をいくつも葬り去った。
また彼は補助魔法を巧みに使い、人並外れた怪力をさらに別次元のものへと昇華させる事ができた。
フロウという人物を語るには、戦時の話だけでは不十分である。
彼は武骨な戦闘スタイルとは正反対の、細作りの美男子であった。
風に靡く艶のある髪に、豊かなまつげ、切れ長の目に良く通った鼻筋。
そんな整った顔がスラリと長い四肢を持った体に備わっているので、若い女たちは熱狂した。
彼もそういった声援に対して丁寧に反応し、それがまた恋心を盛り上げたものだった。
あれから50年以上の月日が流れた。
彼は今どうなったであろうか。
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森の湖畔にただずむ一軒の家。
ワシは古い馴染みに会うためにやってきた。
こうして顔を見に来たのは何年ぶりだろうか。
かつての記憶に想いを馳せつつ、ドアをノックした。
「はい、どなた?」
「クラストじゃ。フロウはご在宅かな?」
「あら、クラストさん! どうぞ中へ!」
そう言って顔を見せたのは40歳前後の、恰幅の良い女性だった。
フロウは細身の女が好みだったハズだが、彼女はどうしたことだろう。
ーーいかん、邪推であるな。
沸き起こる思考を静かに押さえ込んだ。
久々に会うというのに、腹に含むものがあっては失礼である。
この女性に対して詮索する事は止めにしよう。
「おじいちゃーん。クラストさんが見えたわよ」
「おぉ……?」
案内された部屋はどう見ても寝室であった。
大きなベッドと、いくつかの腰掛けがあるのみだ。
元来ひどく見栄っ張りで、ワシにすら隙を見せようとしなかった男の応接間としては、考えられない事であった。
「久しいなフロウ。変わり無いか?」
ワシはありきたりな挨拶を交わした。
いや、正確には交わそうとしたのだが。
「ええ、ご丁寧にどうも。親切な方ですなぁ」
耳を疑わざるを得なかった。
かつては苦楽を共にし、死線を潜り抜け、平和になってからも度々交流のあったこの男が。
背中を預けあった仲のワシを『親切な誰かさん』扱いであった。
そして、彼の異変はそれだけに留まらない。
「ヨシエさん。腹が空いたんじゃが、飯にせんかね?」
「ミツコですよ。ご飯ならさっき食べました!」
「そうだったかのう? そんなハズはないんじゃがのう……」
「バターパン3個にポトフを平らげてましたよ。それよりもほら、お客さん!」
「おぉ? これはこれは、どうも。……どちら様だったかのう?」
想定以上にダメだ!
研究に行き詰まったから、こやつの補助魔法について聞かせてもらおうと思ったが、それ以前の問題である。
それからというもの、ワシは4度の自己紹介をし、空腹だという嘆きを5度聞いて、家政婦さんのため息を7度聞いてから家を後にした。
かつては大陸中の婦女子を魅了した男も、こうなっては形無しである。
「老いは、全てを覆い尽くすのか」
帰り道にそんな呟きが溢れた。
まだ明るい時間であったが、不思議と周りの景色が暗い。
その日差しでさえ間もなく落ち、やがて夜になるだろう。
ーー夜が来る。
そんなものは何千回と体験した日常であるが、今ばかりはそれが恐ろしかった。
暗闇が死を暗示するからであろうか。
では日暮れとは、我々老人を象徴するものであるというのか。
「老いとは何か。まるで魂が少しずつ腐食していくようだ」
答えの無い問答が続けられた。
それはいつの間にか、過去を振り返る心の旅となり、思考は深いところへ落ちていった。
『クラスタさん、ここは私に任せてください。門扉など強引に破壊してしまいましょう!』
『待つのだ、フロウ! あの砦は既に迎撃体勢に入っている! ここは長期戦を視野に入れてだな……』
『ダメです。我らの目的は砦でも小城でもありません! 魔王を討ち取ること! こんな所で時間をかけていては先が思いやられます!』
『待て! 戻るのだフロウ!』
制止を聞かずに自軍から飛び出したフロウ。
空を覆い尽くさんばかりの矢嵐に、殺意を持った攻撃魔法が降り注いだ。
その中をフロウは疎らなエリアを進み、大剣を振ることで暴風を巻き起こし、遂には傷ひとつ負わずに門を破壊したのである。
両開きの門の隙間より剣を振り下ろし、閂(かんぬき)を叩き折ってしまったのだ。
力任せのように見えて、極めて緻密な剣。
あの達人技を再び見ることは叶わないのだろうか。
「フロウよ。我々に老いているゆとりは無いのだぞ」
街道を行く男。
畑を耕す夫婦。
簡易式の店にて商いに精を出す家族。
誰も彼もが平和を享受している。
明日も変わらぬ日が来ることを疑いすらせずに。
この安寧を守るためにも己の研究を完成させねばならない。
果たして、その時間は残されているのか。
私は後どれ程生きられるのか。
やはり、答えはどこにも無かった。
「……でさぁ、教えてやった訳よ」
「マジで、あの親父さんが?」
王都門兵の雑談だ。
まだ勤務中であるというのに酷く緩みきっている。
どうせ得るものの無い、愚にもつかない会話なのだ。
無駄口など叩かず真面目に勤務すれば良いものを。
「日記つけろって言ったんだよ。ボケ防止に良いからって」
「そうなのか? 効果あんの?」
「いや、オレは知らねぇけどさ。大臣のお袋さんも試してるらしくって」
「へぇー。まぁ簡単にできるもんな。試して効果ありゃあめっけもんだ」
……暮れまでまだいくらか時間がある。
雑貨屋に寄っていく事としよう。
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