英雄の老後 ~ワシはまだボケとらん!~
おもちさん
第1話 大賢者と娯楽品
かつて、大陸は無明の闇に落ちていた。
魔王とその手下によって、あらゆるものが破壊し尽くされたが故にである。
平穏、尊厳、文明、歴史。
それら全てが人類の手から奪い去られた。
抗う力を持たない小国は全て陥落し、残された大国は王都の守りを臆病なまでに堅牢にすることで、人類の命脈を保つという有り様。
援護の一切無い、籠城戦を強いられる日々だけが過ぎていく。
人々は渇望した。
ーー誰でもいい、助けてくれ!
人々は待ち望んだ。
ーー神よ、我らを救いたまえ!
希望の見いだせない日々に絶望の色は徐々に濃くなる。
だが、光明はあった。
魔王の出現が突然なら、英雄の輩出も突然だった。
どこからか現れた3人若者が、瞬く間に魔族を打ち破り、さらには魔王を封じ込める事に成功する。
人々はみな狂喜した。
王はあらんばかりの称賛と、財貨と、爵位をもってしてその功績に報いた。
それからはと言うと、陥落を免れた国は統合され、新王朝が生まれた。
それが今から50年以上前の出来事。
王国歴57年。
物語はここから始まる。
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大賢者クラスト。
それがワシに贈られた『名』であった。
なんとも鬱陶しく重たい響きであるが、そう呼ばれるのである。
当初は毛嫌いしたものだが、今となっては慣れたものである。
そもそもワシに近しい人間は『クラストさん』と呼ぶので問題ない。
この名も今のような場面で使われるくらいであった。
「大賢者クラスト卿、ご登城!」
衛兵の掛け声の後、謁見の間に通された。
目的は王に会って話をするだけであるが、煩雑な手続きや通例が面倒である。
まぁ、それが慣例なのであるから、従う他無い。
「これはこれは大賢者殿。本日はいかなるご用件か?」
三十路にも満たない若い王が出迎えた。
事実彼は三代目であり、かつての魔王軍を知らない初めての権力者だった。
そのせいか、初代はおろか二代目よりも、向けられる態度がおざなりである。
「新しい医薬品の研究をしようと思う。その為の資金を提供していただきたい」
「おや。つい先日大金をお渡ししたハズだが……まさかもう底をついたのか?」
「あっ……」
完全に失念していた。
部屋の隅っこに見慣れない革袋が置いてあると思っていたが、あれが受け取った金であったのだ。
ーーまずい、何とかして誤魔化さなくては。
大賢者が物忘れなど洒落にもならん。
「資金はある。だが、大いなる研究を前にしては無いも同じである」
「なるほど。それは哲学か、あるいは論理学かな? 卿ほどに学問を知らぬ、すまぬ」
「こちらこそ突然の無心、相すまぬ。では代わりに、助手となりうる人物を寄越していただきたい」
「派遣したいのは山々だが、そなたの片腕を全う出来る人物などおらん」
一考の余地もなく断られてしまった。
これは初代の頃から変わらぬやり取りである。
金は与えるが人は寄越さない。
爵位は授けるが領地は伴わない。
それが歴代の為政者たちの一貫した態度であった。
もちろんワシとて受け身を貫いている訳ではない。
幾度となく自費で人を雇おうともしたが、それとなく邪魔が入り上手くいかない。
まるでこちらが集団となる事を警戒しているようである。
「卿もそろそろ引退してはいかがか? 美食に囲まれ、美酒に酔いしれ、美女に溺れる暮らしでも味わってみるが良い」
「そのようなもの、ワシには不要である。それどころか開発を急がねば……」
「陛下、そろそろお時間でございます」
ワシの言葉を遮るようにして廷臣が言葉を発した。
王はその不躾な態度を咎める事はなく、喜色満面で応えた。
「そうであったそうであった。卿よ、すまんが本日はこれまでとする」
「王よ、話はまだ……!」
「クラスト様。お引き取り願います」
男とも女ともわからぬ近侍のものが言った。
その目には多少の侮蔑が込められている。
まるで、聞き分けのない子供を見るような色合いをしていた。
「全く、わかっておらん! この平和がいつまでも続くと過信しすぎじゃ!」
王宮を追い出されたワシだが、怒りが収まらない。
あの遠回しな侮辱は、押し隠されてる分嫌らしさがにじみ出ていた。
地面を親の敵(かたき)のように、靴を叩きつけながら家路に着く。
「おっといかん、通りすぎてしまった」
冷静さを欠いたせいか、自分の家を通りすぎても尚歩き続けていた。
まさか自分の家を忘れてしまうとは……我が事ながら信じられない。
だが、今のは仕方ないとも思う。
考え事をしていたのだから、このような失敗は若者でも経験があるはず。
「すなわち、今のは問題ない! ワシはまだボケとらん!」
「おじいちゃーん!」
「オフゥッ!」
自分の失態を取り繕っている真っ最中に、足元から親しげな声がかけられた。
近所に住む顔馴染みの少女ユーリであった。
ちなみに子供はおろか妻帯もしていないワシには、孫など生まれようもない。
つまりは、この子とは血の繋がりなどない。
「こわい顔してどうしたの? おなかいたいの?」
「いや、ちょっと色々とあった。なにか用かな?」
「これねー、パズルなんだけどね、全然とけないの。おじいちゃん、といて?」
目の前に金属製の輪が差し出された。
形状として、細長い輪のなかにトゲ状の金属片が埋まっており、工夫をしないと金属片が取れない仕組みである。
これはだいぶ前に流行った『推理の輪』という娯楽品である。
それも低俗なものだ。
仮にも大賢者と称されるワシにかかれば、推理の必要すらあるまい。
「ふむ。貸してみなさい。解いてみせよう」
「うん、やってやってー!」
「まずはトゲの方を回し、窪みの部分に大きな輪を重ねる」
「うんうん!」
「大きな方の角度を変えると、トゲがひとつ抜ける。そして輪の歪みを利用して……」
「うんうん!」
「……おや?」
際どいところで残りのトゲが抜けない。
それが抜けさえすれば輪が外れる仕組み、としか思えないのだが。
もしや不良品か、そうでなければ制作者が……。
「これを作った人物が余程の捻くれ者か」
「それつくったの、おじいちゃんでしょ?」
「……ワシ?」
「うん。ママが言ってたよー」
言われてみれば、そうだった気もする。
確か10年くらい前の研究が行き詰まってた頃だ。
手慰みのために似たような形状の物を作った覚えがある。
何故かそれが外部に漏れ、あちこちで流行るようになってしまった。
そんな経緯であった……気がする。
「ねぇ、おじいちゃんなら知ってるでしょ? それのときかた!」
「う、うむ。もちろんだとも。何せワシが作ったのだから!」
「はやく! はやく!」
「うむ。待っておれ。アッサリと解いてやろう」
解法?
そんなもの覚えている訳がない。
何せ記憶の彼方の話なのだから。
「はーやーく! おじーちゃん!」
「ウムム、ウムムム!」
このままではマズい。
目の前の少女に失望されてしまうかもしれない。
この歳で幼子の侮蔑は大層辛い。
大賢者の意地にかけて、解いてみせねばなるまい。
それから長らく格闘し、ようやく解くことができた。
後半は力んでしまったために、輪の形状が少し変わってしまった。
もしかすると正しい解き方では無かったのかもしれない。
自分が作った謎であるのに、力業で対処するという体たらく。
だが、こんな失態を晒しつつも、声を大にして重ねて言わせていただく。
ーーワシはまだボケとらん!
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