第37話 万歳突撃万々歳

月明かりに助けられて、ほどなくリナの家の前に俺はついた。木戸から柔らかい明かりが漏れている。森の家からリナの家までの道中は、風に煽られた木の葉擦れの音が心地よく鼻歌交じりで歩いてきた。しかし玄関に向かった途端、鼓動が激しくなり耳鳴りがした。スポンジの上を歩いているように下半身がふらついてしまう。口の中が緊張で乾き、ねばつく。ドアまでの三歩がなかなか縮まらない。ハチミツの中を歩いているようだった。ドアを前にしてノックをする為の右手が動かない。三日間無い頭を絞り尽くして出した結論を担いで俺はここに立ってるのに、この期に及んでビビっている。俺だせぇ。それでも俺は間違いなく結論を持って立っている。リナに向かって出した結論を伝えないのは、俺の気持ちを否定する行動だ。リナに対しての失礼に当たる行為だ。俺は必ず、必ず今日、今、ここで、リナに会って思いの丈を伝えるのだ。震える手で俺はドアを叩いた。


「はい?あ。ケント。どうしたのだ?」


この時間の来客が俺だったことに驚きつつも、リナは俺を招き入れてくれた。勧められるままテーブルにつき、お茶を入れるためカチャカチャと立ち仕事をするリナの後ろ姿に向かって俺は切り出した。


「こ、こんな遅くにごめん!どうしても伝えたい大事な話があって来たんだ」

「そう。これどうぞ。ケント薄荷のお茶好きだよな」

「あ、ありがとう。ミントティーはなんか心がほぐれるよね」


喉が渇いていた俺は、あち!あち!と言いながらがぶ飲みした。爽やかな香りが鼻腔を抜けて、気持ちも落ち着いてきた。


「リナには、話したと思うけどもう一度詳しく話すね。俺は別の世界から飛ばされてきたんだよ。飛ばされるきっかけになったのがさ、若くして人生を終える俺はボーナスポイントが割り振られて人気者の人生を送るはずだった。しかし司るものの設定ミスで人気者とは真逆の人生だったんだ。冗談を言ったら相手は必ず凍り付く。にこやかに接しようとしても、相手は心を開いてくれない。色んな努力を重ねてみたけど、全く効果がなかった。そういう強制力が働いちゃうみたいなんだよ。普通の人がやっても、なにやってんの?で済んじゃうようなギャグを俺がやるとね・・・・・・・・ハラホロヒレハレェ~!」


両手をヒラヒラと頭上で振りながら、俺は奇声を発した。リナはいきなり無表情になりしばらく反応が停止した。


「ね。いまリナはなんだか無感情になって無反応状態になったでしょ?これが、俺の人生につきまとい続けている強制力らしいんだ。司るもの側はそのミスを重く受け止め、本来は死ぬはずだった俺をこの世界に転移させて第二の人生を送らせようと取り計らってくれたんだ。強制力はそのままなんだけどね。それで転移の時に、前居た世界にあったインターネットという情報網と俺の脳内が繋がる環境を作ってくれたのね。俺はこの世界で生活を始めて一年間ずっと気がついてなかったんだけど、文章でのやり取りが元の世界で生活している両親と出来ることを、つい先日知ったんだよ。それで、俺は幼い頃から同年代の友達を作ろうともせず、両親とも殆ど関わらず生きていたんだ。親はさ、生まれた我が子がクシャミしただけで可愛くて笑うじゃん?ところが俺の両親は強制力が働いたので、笑えなかったんだ。そのせいで、父親も母親も、自分は我が子を愛せない歪な心の持ち主だって自分を責めたんだと思う。俺が歩み寄らなかったせいもあるけど、俺の両親もなんだか極力感情を押し殺して生きているって感じがしたよ。両親も俺も、お互いがお互いを極力見ないで生きてきたって感じかな。ところがある日いきなり俺が姿を消したでしょ。父親は俺がもう死んだんじゃないかって覚悟していたって、母親は言ってた。ところが俺から一年も経ってからひょっこり文章が届いたもんだから、両親はさ泣いて喜んでくれてね。二次的な関わりになる、文章のやり取りだと強制力は働かないみたいで、俺と両親は先日始めて親子らしい会話ができたんだ。俺はそれがとても嬉しくてね。そして、今の俺の状態がとても幸せだったことに改めて気づいたんだよ。元の世界じゃ、誰とも関わらずひっそりと生きていただけの人生だったけど、この世界では色んな人と関わって生きて来れた。こっちに来てすぐにリミュとキトを育てることになって、そのためには何でもやってみようって思ったから、色んな人に話しかけて、頼み込んで、色んな関わりを作ってあっという間に一年経ってたって感じなんだけど、大事な人との関わりこそが生きて行く上での幸せなんだなぁってしみじみ思ったんだよ」

「ケントの言うことはとてもよく判るよ。ケントが家族会議に私を誘ってくれた時、森で話をしただろ?あれ以来、暇があれば自分の今までの人生とか、父親のこととか頭の中でずっとグルグルグルグル考えていたんだ」

「俺もそうなんだ。そして、俺は今そこそこ幸せなんだ。だから今のままでいいと思った。現状維持で満足しようとしてた。でも、両親と文章のやり取りをして気持ちが変わったんだよ。俺と両親はもう二度と会うことはかなわないけど、俺の幸せな状況は知らせられるんだ。で、親は子供が幸せに過ごしてると幸せを感じるんだよ。だから、俺は俺と俺の大事な人々の為に、幸せを追求し続けていきて行こうと思ったんだ。今日、ここに来る決心をするまでに、頭から湯気がでるほど考えて考えて三日考え続けてやっと決心が出来てここに来たんだ。言ったように俺には強制力が多分一生つきまとうと思う。これはとても大きなハンデだと思うし、俺の中で大きなコンプレックスになってる。それでも俺は自分の気持ちにフタをするのはもう止めたんだ。リナ。俺はリナのことが好きです。女性として好きです。尊敬してます。許されるなら愛したいです。もし、リナがよかったら、俺と結婚して本当の家族になって欲しいと思っています。自分の気持ちを人に伝えて、その人を求めるって事をしたのは俺初めてです」


気がついたら俺は、涙を流していた。この年齢になるまで人に自分を晒す経験が無かった悔しさや悲しさ。それでも、そんなことあり得ないと思っていた自分の人生で、たった今そう言う経験が出来た嬉しさや興奮。色んな感情がまぜこぜになって俺は泣いてしまったのだ。内圧がどんどん高まり叫ぶ衝動を抑えるのに苦労した。荒々しく呼吸し、涙を流しながら俺は真っ直ぐリナの瞳を見つめ続けた。リナも俺の目をじっと見つめ返してきた。そして俺の視線から目を外すと、俯きながら小さな声で言った。俺はなんだって?と聞き返した。リナは顔を上げると、もう一度俺の目を見つめながら話し始めた。


「わたしだって、あの日から何かあるとずっとケントのことばかり考えてたのよ。私も話しただろ?ケントほど深刻では無いけど、私も人付き合いが上手く出来なくて、それがずっとコンプレックスだったんだ。父親とだって殆ど会話した記憶が無いんだ。うちの場合、親父様が無骨すぎたというのが理由だけどな。だから、ケントに美しいって言われた瞬間、腰が抜けそうになった。本当に尻餅つきそうなほど、下半身がフラフラして力が入らなくなったんだ。多分、あれからずっと私はお前のことが好きになったんだと思う」

「へ?」

「へ?って」

「え?なんだって?」

「だからぁー」

「え?」

「だからぁ!私はお前のことが好きだつってんだよっ!何度も言わせんな!恥ずかしい」


紅潮した顔を両手で覆うリナ。隠しきれていない耳まで赤い。ま、まじか。う。う。うぉぉぉぉ!うぉーーーーーーー!俺は気がつくとリアルに叫んでいた。


「そ、それはさ、結婚もオーケーってこと?」

「そ、それは!私は天涯孤独の身だから殆ど問題はないんだ、ただ、リミュとキトがどう思うか。それが気になる。だ、大体さ!私はケントより全然強いぞ?多分ケントが十人一度に掛かってきても、私は素手で勝てると思う。私はガサツだから、女性らしい気の利いたことも言えないし出来ない。料理もレパートリーは全然ないし、そういう事が全部塊のように大きなコンプレックスになっていて、それを抱えているめんど臭い女だ。わ、私は。私はそういうめんど臭い女だ。私で良いのか?」


俺は勢いよく立ち上がると、リナの手首を強く掴んだ。


「な、なに?」


リナが怯えて聞いてきた。


「お、俺は。俺は、リナが好きだ。俺はさ、友情とか愛情とかを人に抱いたこともない人生だったから。俺のこの気持ちが本当なのかどうかも、正直自信が無い。だから、結論を出すまで三日も考えた。少なくとも、少なくとも俺が好きな女は、俺が美しいと感じ、俺が尊敬出来る人だった。それがとても幸運なのだと思っているよ。さぁ、行こう」

「え?行こうってどこへ?」

「リミュとキトの所だ。二人に話をして、ふたりの気持ちを聞いてみよう。今のリナの話を聞く限り、障害は子供達の気持ちだけだ」


リナは突然立ち上がって、俺の目をじっと見つめ返してきた。そしてこう聞いてきた。


「ほんとにわたしでいいのか?」

「リナじゃなきゃやだ」


リナは脚に力が入らないらしく、俺の両肩を掴んだ手に体重を掛けてきた。俺もフワフワと頼りなく宙に浮いた感じがして、踏ん張りが利かない。俺は言うことの聞かない身体で必死でリナを支えた。

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