第31話 その展開は処理出来ない。童貞力舐めんな。
その日午前中にゴード商会で打ち合わせがあり、森の家に子供達を残して一人町へ出た。用を済ませた俺は帰り道でリナとばったり会った。リナも非番だったが、事務手続きで職場に顔を出した帰りだという。丁度よかったので、共に歩きながら俺は話を始めた。
「昨日の晩にね、急にキトがムア先生の授業が一段落したらショウジキヤで働かせてくれって言いだしたんだよ」
「まぁこの国は十一、二才から働く子供も珍しくないからなぁ」
この国は学校制度がない。魔法力のある子供は手っ取り早い労働能力になるので、殆どの親が魔法塾には通わせる。読み書きは小さいうちに親が教え込む。それ以上の学習については、余裕のある貴族や商人をやっている親が進ませたい進路に合った家庭教師を雇って子供につける。普通の家庭は、読み書きと加減の計算ぐらいは教えた後、親の仕事を手伝わせることで家業に合った知識を身につけていくようだ。リナは少し考えた後続けた。
「キトは養う責任のないケントに面倒を見て貰っていることに引け目を感じてるんだろう?頭の良い子供は幼くても繊細なところもあると思う。特にケントに思惑がないんだったら、キトの望む通りにしてやっても良いんじゃないのか?」
「うん。この国の考え方が間違えてるとは思わないし、それが一番自然な気がするんだけどな。リナは俺の事情を全部知ってるから聞いて欲しいんだが、俺は本当に強いコンプレックスがあって、生活の中で誰かに喜ばれたり、役に立ったりって経験が全く無いぐらいだったから今の状態が信じられないほど楽しい毎日だし幸せなんだよ。旨い酒と旨い料理が口に出来て、二人のためにそこそこ長生き出来るように考えて生活できたら、もうそれ以上の金は望んでないんだ。だから俺はキトとリミュのために稼いだ金を使うことに全く躊躇がないんだよ。キトがさ、ショウジキヤの仕事を見て楽しそうだからやりたいっていうなら、反対はしないんだけどさ。あいつまだ十才なんだぜ?何がしたいか考えつく年齢じゃないだろ?俺の国ではさ、十八才から二十五才ぐらいまでは、殆どの人間が勉強をして過ごすんだよ。で、下手するとその年齢になってもやりたいことが見つからないなんていうノンビリしたヤツも山ほど居るわけ。その間に出会った友人と遊んだり、色んな経験をしていくことも大事だと思う。今さ、シオコショーの収入だけでも月に六千ギルがあるんだよ。俺たち三人が生活するには充分な額だろ?その余った分でキトとリミュにもっと色んな経験をさせてやりたいって思うんだよ。そういう生活の中でキトがこれやりたいとか言い出して欲しいと思ってるんだ」
この国での六千ギルは現代日本だと五十から六十万円ぐらいの価値になると思う。ノーズの所では、シオコショーの他に一味唐辛子も製造販売して貰っている。この国の人々は唐辛子の辛さになれてないので、チューハイ登場後、伸び悩んでいたが少しずつファンが増えているそうだ。唐辛子は現在マージンを取っていない。マージン分はノーズの家の子供達に使って欲しいと頼んである。他に取ろうと思えばショウジキヤの売り上げの一部がある。これは今後ショウジキヤで新たな取り組みが起こったときの為に、全額別計上でプールしている。また、ゴード商会が今後展開していく醤油や味噌、酒類の製造販売から発生するマージンは、膨大な額になるだろう。ノーズの奨めで、ショウジキヤ開店に合わせて、俺も商業ギルドに登録をすませた。現在は五百ギルを会費として毎月納めている。俺の収入が増えれば、会費も税金の様に上がっていく仕組みだ。
「ケントの国は、自分の人生に夢を抱けるほど豊かな国だったんだな。想像の範囲を超えすぎていて、羨ましいと感じないな。あはは。そこまで差があるのに、この国に来て幸せを感じる事が出来た。なんて、前の世界ではどれだけ辛い人生だったんだ?実は、貴方の大きくて重いコンプレックスは私には想像もつかないが、私も似たような思いをずっと抱えて生きてきた」
いつの間にかシャツの肘の辺りを、ギュッと握られていた俺はリナに引っ張られる形になり立ち止まった。リナは俺の右肘を掴んだまま、お互いが向き合う形になった。少し思い詰めた目をしている。俺は歩くことを諦めて、リナの言葉を待った。
「私の母親は私が物心つく前に病で死んでしまった。それ以来、剣を振るしか能の無い無骨で真面目な父親に育てられたんだ。普通なら、父親を支えるために家事をおぼえるのが私の立場だったんだと成長してから思った。そうだ、ちょうど今のキトぐらいの頃だったと思う。父親は血の繋がった実父だから、今のキトほど思い悩んだりしてはいなかったけど、やはりこの父親の為に私は何をすべきか。って言うことを初めて考えたのがその頃だ。元々頑固で無器用な性格の父親は、滅多なことでは笑わなかった。あの日、衛兵の仕事を終えて家に戻った父親は、毎日欠かさずやっていた剣の鍛錬を始めたんだ。そこで、私も一人前の大人になろうとしてる。という覚悟の様な気持ちを行動で示そうとしたんだと思う。私は木剣を持って父親の横で素振りを始めた。素振り用の木剣は十才の私には重くて、一振りするたびによろめいてしまった。その時、私を支えてくれた父が私に笑いかけたんだ。父親の笑顔を見るのは何年振りだったろう。とても驚いた。父は後ろから手を伸ばし、私の両手首を取って剣の振り方や構え方を教えてくれた。父に触れられたのも、数年ぶりだったんだよ。そのことが私の人生を決定づけてしまった。私は今でもそう思っている。笑った父、私の手を取って剣を教えてくれた父。初めて父親を家族なんだと感じたんだ。その日以来父が仕事の間、私は一人で剣を振り続けた。手にまめが出来て、それが剥けてしまい血が出ても、お構いなしで振り続けた。雪の日だろうと、雷が落ちようと、練習を休んだことは一日もなかった。私にとって剣は唯一、父親と私を繋ぐものになったんだ。縋るように剣の鍛錬に打ち込み続けた。父親にお前はもう一人前だと言われたのが十六才の時だから、六年間、そう言う生活を続けたことになる。それ以来、私も衛兵として城に勤め今にいたる訳だ。だから私は針仕事も料理もロクにできない。掃除も洗濯も苦手な、出来損ないの女だ。年頃だった頃は剣一筋だったから、悩みを語り合う女友達も居ない。未だに、城の衛兵仲間とでさえ、どう接していいのかも判らないんだ。私ももう二十四才。本来なら結婚して子供をもっていてもおかしくない年齢なのに、男に惚れたことすらないんだ」
コンプレックスをぶちまけて、いたたまれなくなったのかリナは目をそらして俯いた。俺はいつも毅然としていて、凜としているリナに尊敬心さえ抱いていた。そのリナが弱々しい姿を見せている状況に俺は狼狽え動揺した。俺は衝動的にリナの両腕を掴むと、思い浮かぶままに必死で話し始めた。
「リナ!君は決して君が言うような出来損ないの女性なんかじゃない。君と初めて遭った時、どう考えても俺は警戒されても文句の言えない状況だった。しかし、リナは冷静に俺の言葉に耳を傾け、きちんと判断した上で俺の話を信じてくれた。それは君に余裕があったからだ。君がとても強い女性だからこそ、余裕が持てたわけだろ?だから俺の話も冷静に聞くことが出来た。普通の女性では無理な話だった。俺は君に救われたんだよ。確かに君は少しぶっきらぼうなところがあるよ。だけど、キトもリミュも君を信頼して慕ってるじゃないか。それは君が嘘をつかない裏表のない人間だからだ。子供はそう言うところに敏感だからね。そうだ!さっきの話に戻っちゃうけど、俺はキトの話について、今日家族会議を開いて結論をだすと昨日の夜宣言したんだよ。そしたらリミュがなんて言ったと思う?じゃぁ、リナも呼ぶのなー!って言ったんだ。俺は試しになんでリナも呼ぶんだ?って聞いてみた。そしたらリミュは、秘密特訓を一緒にしたんだから、もう家族なのなー!と怒って俺に抗議したんだよ。キトもそうだそうだ!って一緒に言ってた。リミュやキトの中では、君は 既に家族なんだよ!」
「ほ、本当か?私を家族と思ってくれていると?」
嬉しそうに涙を溜めた美しい瞳に吸い込まれたような気分になり、俺は続けてしまった。
「そうだよ!俺だって君のような美しい女性が家族だったら、どんなに良いかって思ってしまうよ!」
「な・ん・だ・と?幾ら私を慰めるためであっても、そのような卑劣な嘘を許すわけにはいかない」
一転して悔し涙を浮かべ俺を睨み付けるリナ。ブルブルと震えながら右手は剣の柄に掛かっている。この年齢になるまで、人に本音を晒す。人の本音を聞く。なんて経験を一度もせずに、死んだように生きてきた俺だ。俺の心のダムはとっくに崩壊していた。俺も激情に駆られて叫んだ。
「あぁ。そうかよ。斬りたければ斬れよ。俺が今までリナに一度でも嘘をついたことがあるかよ?さっきリナは俺のコンプレックスの重さは想像もつかないって言ったよな?俺はこの年齢になるまで殆ど誰とも関わらず生きてきたんだ!人の話をこんなに聞いたのも初めてだし、人を美しいなんて言ったことも初めてだ。それどころか、突っ込んだ会話をすること自体が初めてだ。リナは俺に言ったことがある。[貴方はとても良い人間だ。欲が少ないんだ。そこがとても尊敬出来る。]って。人から尊敬出来る。って言われたのも初めてだ。俺は子供を育てないとならないし、リナは大事な人だったから、何かの間違いだと考えないようにしてきたけど!俺はリナに尊敬出来るって言われたあの時からずっとリナのことが気になってしょうがないんだ!この気持ちが計算だ?俺には判らないよ!自分でもどうして良いかさっぱりだ!」
言ってしまった。もう引き返せない。この世界での数少ない味方を俺は失ってしまった。
「そ、そういうことなら、信じてやらんでもないぞ」
リナは顔面全体から耳の先まで万遍なくピンク色に染め俯きながらそう答えた。
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