第20話 自分の気持ちを改めて知る

工房で頭領に教えを請うた後、家に戻った俺はヨーグルトを作った。ヨーグルトは十時間も掛からず完成するので、時間を早めるイメージが掴めたら結果が早く顕著に出る。と思ったからだ。四時間ほどで完成する様になるまで三日かかった。ヨーグルトを入れた瓶に両手をかざして脂汗を滲ませる俺は、端から見たら水晶に手をかざした修行中の新米占い師のようだったろう。キトもリミュもそんな俺を薄気味悪いと判断したらしく、三日間は遠巻きに眺めるだけで寄っても来なかった。二日間なんの進展もみられなかったが、こんなのかな?というイメージがまとまってきて、八時間掛かるはずが、六時間でヨーグルトが出来たのは三日目の朝だった。そこからは早かった。イメージさえ掴めばこっちの物。とそのイメージを強く固着する事に専念してみたら、六時間、五時間、四時間と、三連続で短縮が進んだ。その後は四時間を早める事は出来なかったが、倍の速さで時間を進ませる事が出来る様になった様だ。いよいよ準備が整った。俺はゴードの事務所へ向かった。


「今飲んで貰っているのが、甘酒という飲み物です。米は元々でんぷんという成分で出来ています。澱粉自体は甘くありませんが、澱粉が分解されると糖に変わります。お米を長く噛んでいると、口の中で甘くなります。これは唾液に含まれる酵素が澱粉を分解して糖に変えたからです。甘酒は米に含まれた澱粉を麹菌を使い分解して糖に変えた飲み物です。分解の過程で、様々な有用な物質が生まれています。ヨーグルトよりも身体に良くて、美容にもいい優れた飲み物です。ヨーグルトを作る乳酸菌とは別の有用な菌なのです。私の国ではその麹菌と豆を使って作る味噌というペースト状の調味料と、豆と麦を使って作る醤油という液状の調味料があります。どちらも私の国の食文化に深く浸透し無くてはならないものになっています。私はこの、味噌と醤油をこの国で作って、この国で広めたい。この味噌と醤油の製造と販売をショウジキヤの根幹事業にしたいと思っています。これが俺の考えていた金儲けの本番です。ゴードにも協力して貰いたい。製造は頭領にお願いしたいと思っています。当分の間は俺の家で試作をしていきますが、並行して頭領にも試作をお願いしたい。個人規模の試作と工房規模の試作でどれくらいの差が生まれるのかも、調べていきたいと考えています。それらのノウハウを持って、安定した工房生産に移りたい。それで、醤油味噌の製造には麹菌を使いますが、ワインの製造は酵母菌という別の菌が働いているんです。おそらくですが、ワイン工房には酵母菌が沢山集まっているはずです。そこで麹菌の製品を製造しちゃうと、ワインに影響が出ないとも限りません。これは先の見えない先行投資ということになりますが、独立した工房を建てて欲しいんです。現在、自宅で味噌の試作をしています。あと、四ヶ月ぐらいで食べられる状態になるはずです。それまで考えておいて下さい。最終的な判断は、味噌が出来てそれを食べてみて貰った後ということでお願いします」


と、俺は言った。ゴードは顔をツルリと撫でた後、息を吐きながら椅子に深く座り直した。この男がこんな長く考える事に時間を取る事は初めてだ。俺はゴードの答えを待つ間、余計な事を考え始めた。思い返してみたら、最近の俺はゴードに対しても頭領に対しても敬語を使っている。俺が飛ばされてきたばかりの頃は、ナマイキな口のきき方をしていたはずだ。コンプレックスのせいで身に纏っていた俺のポーズが短期間のうちに剥がされて、大事な関係を壊したくないという気持ちの方が勝ったということなんだろうなぁ。と俺は結論を出した。


「判った。味噌という物を食べてから判断しよう。しかし俺はかなり前向きに考えているよ。そこで提案なんだが。ケントお前店を始めないか?飲食店的な。結局のところ、お前さんの繰り出す商品は全てこの国にとって未知の物過ぎるんだよ。シオコショーとヨーグルトは上手いこと定着したけどな。味噌と醤油だけじゃないだろ?お前さんの広めたい物は。国一つの文化と知識を広めたいんだったら、それを体験出来る店を作る方が早道だと俺は思うんだよ。ショウジキヤというブランドも店があった方が早くに広まるしな。ケントもお客さんの反応を直に知れるから、商品作りにフィードバック出来るだろ?どうだ?もしお前さんがその気なら、二階に子供達と暮らす部屋もある様な店舗を探してみようじゃないか。最初のうちは、シオコショーを使った料理と、ヨーグルトが主力商品になるんだろうけどな。どうだ?話がはっきりする間は賃貸の仮店舗ということで、費用はうちの商会で全て出すぞ」


この男は商売の天才かよ?現時点でショウジキヤが上手くいくかどうかは判らないが、そうするための五手先ぐらいを読んで最短の方法をスルッと考える。ゴードが味方でつくづくよかったな。と俺は思った。


「おそらく、ショウジキヤというブランドを広めるなら最良の方法だろうとは思う。だけど、俺は接客が苦手なんだ」

「わは!わは!がははっはははは」


いきなりゴードは大声で笑い出した。


「いや、初めてあった頃のお前さんなら、その言葉もしっくりくるよ。だが、今のお前さんは、ここでの生活が。これからの展開が。楽しみで仕方ない。という顔をしとるよ。接客が苦手とか言ってる場合じゃなかろうに。」


そう言われて、確かにその通りだと思った。前の世界に居た頃の俺は、寿命までどうやって時間を潰そうか。それだけがテーマで生きていた様に思う。でも今は全く違う。リミュとキトの生活を守るというやりがいもあるし、味噌と醤油への渇望を満たせる見通しがすぐそこまで見えてきている。そういう理屈も抜きで本音を言えば、今は本当に楽しい。怖いぐらいだ。まだ当分、いや、もしかしたら一生の間、コミュ障完全体の強制力に対する恐怖心は拭えないのかも知れないが、そのことに対する恐怖心は以前の俺にとっては地球と同規模の大きなものだったのが、今は一抱えぐらいの物になってきている。無視は出来ないが、またぐ事は可能だ。それくらいのサイズ。


「ゴードの言う通りだ。やるよ店。つか、やりたい、是非。お願いします」


俺は頭を下げた。

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