第19話 弟子入りは土下座から

「とぉーりょーっ!いえっ!ししょぉぉぉぉぅっ!ど、どうかぁっ!どうか!おながいします!俺に、俺に、おれにぃ~!師匠のワザを伝授してくださぁーいっ!」


げざぁっ!俺は工房に入るなり、そう叫びながら空を舞い、床にひれ伏して懇願を始めた。俺の味噌醤油、和食的禁断症状は既に臨界点に達しているのだ。地面に額をこすりつけてどうかどうかと繰り返す俺に、頭領は


「一体どうしたんですか?貴方は何をしているんです?」

「これは俺の国で、謝罪や懇願するときの最大級の姿勢です。土下座と言います。どうか頭領!酒造りに使う力の使い方を教えて下さい!」

「そんな事しなくても教えますよ。当たり前でしょ。貴方には、すでにヨーグルトの作り方を教えて貰っています。私だって教え返さないと、どうも居心地が悪いんです。それに貴方は、勘に頼らずデータを大事にする傾向があります。他の職人とは違うスタンスです。私もそうなので、貴方とはウマが合いそうです。私は貴方の事を職人仲間だと思っていますよ」

「へ?」


呆けた顔で聞き返す俺。頭領は第一印象通り、職人というより 学者肌のようだ。それに自分の仕事の結果に大きなプライドをもっている。俺はそんなところを尊敬していたのだ。


「ま、マジですか?俺なんかを仲間とか。本気で言ってるんですか?」

「本気ですよ。ヨーグルトのお陰で利益が上がったことで、ボスに前々から願い出ていたワンランク上のワインを試作してみて良いと言われました。この国では同じものは何でも値段が一緒。という風潮があるせいで品質の競争がなかなか起きませんでした。職人もその上に胡座をかいて自分の技量を磨くヤツはいなかった。お陰で自分の仕事が一層楽しくなりました。私は貴方に感謝してるんですよ」


頭領はそういった。この国で何年も同じ事を繰り返しながら、ささやかな変化を見逃さず自分の酒造りの技量を磨いてきた俺が密かに尊敬していた、この頑固な頭領が俺に感謝だと?仲間だと?人に仲間と言われたのも初めてだし、感謝を伝えられたのも初めてだ。あ、だめだ。クる。俺は涙由来の洟を啜りつかえながら、頭領に改めて願いを申し込んだ。


「頭領。ありがとうございます。俺は嬉しいです。改めてよろしくお願いします。ちょっと長い話になりますがいいですか?」

「もちろんです。ボスからも貴方との付き合いは最大限集中して行う様に。と指示を受けています。それで何ですか?」


作業場のテーブルを進められて腰掛けた俺は頭領に話を始めた。


「まず、この前話した発酵についてです。もうちょっと突っ込んだ説明をします。私の国では発酵を利用した製品作りが盛んに行われています。酒、お酢、調味料、お茶、おかし、食品だけでなく、薬品などに至るまで多岐にわたって作られています。前に害のない菌を使って変質加工することを発酵だと言いました。主に、乳酸菌、酵母菌、麹菌、酢酸菌、納豆菌などが使われています。それで現在、豆を麹菌で発酵分解させて、タンパク質や澱粉を分解します。それらはざっくり言うと、アミノ酸と呼ばれる旨みと、糖と言われる甘みの成分に変わります。この糖とアミノ酸にまた、酵母菌や乳酸菌という菌が作用して、アルコールや酸味などを作っていきます。そうやって旨みや香りが複雑に絡み合ったペースト状の調味料を味噌と私の国では呼んで親しんでいます。現在、その味噌の試作を始めたんです。ところがこの味噌は熟成に一年近くを要します。そこで、頭領。前にこの蔵で初めて貴方の説明を聞いたときに、葡萄汁の元気をつまむ。酒の精霊に低い温度でも頑張って貰う。時の精霊をおだてて時間の進みを早める。と言っていましたよね?俺は魔法塾に通い、練習を積む事で物の温度を上げたり下げたりはできる様になりました。しかし、酒の精霊に関わったり、時の精霊に関わったりというのが、方法が全く判りません。もしできたら、頭領のそれらのワザを俺に教えて欲しいんです。なるべく早く試作を続けて良い物を作りたいんです」

「この国では、物には全て精霊が宿っていると考えています。貴方の言う、物に含まれる成分や、それを変質させる菌という存在、そして変質して変わった成分。そんな様に理屈で物を考えることはしてきていませんでした。しかし、葡萄が甘い年は酒が強くなる傾向があるとか、湿気の低い年、気温の高い年それぞれで味に変化があった。他の職人はそれらを精霊が元気なかっただけとかで済ましてたけど、私は何か理由があるとずっと思ってきていました。だから酒造りの環境を少しずつ変えてみて、それの結果を見て最良の環境を探ってきたんです。だから私は貴方の言う話は信じます。辻褄が合っている様に思います。しかし、この国は魔法の国です。貴方もムア先生に言われたはずです。まずこの世と自分の関わり合いは全て決まっていた事だと。だから人は自分が関わった事で物事が変わったとは余り考えません。全て決まっていた事だと考えます。それこそが魔法的アプローチなのだと思います。逆に貴方の言われる理屈は、全て物事には本質があり、何か作用した事で本質が変化することがある。という考え方です。おそらく、その考え方こそが理屈的アプローチなんでしょう。貴方の国のやり方です。それで、あまり本質を理解しすぎてそれを大事にすると、魔法力が減ります。魔法から遠ざかる事になります。私も貴方の言う事を信じているので、昨日と今日では魔法力が少し減っているはずです。もしかしたら、貴方の言う理屈的解釈で魔法の仕組みも説明出来るのかも知れません。しかし現時点では、魔法を使うと言う事は結果のみを信じる事。です。それを踏まえて、貴方の言う理屈と魔法の使い方をさじ加減で探っていくしかないでしょう。貴方には、今までの生き方のせいで魔法を器用に扱う事が出来ないかも知れません。それでも私の知る範囲で説明していきましょう。貴方にとって第一の目標である時間の進め方についてまずは説明しましょう。我々の世界で時の精霊というものは、その物の周りを回っている物だと考えられています。イメージの中で、その精霊達を両手で優しく包みクルッと回してやります。すると、物の周りを巡る精霊達のスピードが少しずつ早くなってきます。一定の速さを過ぎると時の進みはゆっくりになっていきます。それで食品の腐りを止める事も可能です。熱を奪う方が楽なので普通はその方法は取りません。逆にイメージした精霊達の、足下を狙って手を動かすと精霊達は転んで動けなくなります。それを繰り返す事で時の進みは早くなります。私は精霊の姿が見えたりはしないので、精霊の姿も知りません。あくまでイメージしてそれを信じる事。これが大事です。酒の精霊は優しく揉み込んでやるとリラックスして動きが遅くなります。マッサージしてやる感じです。くすぐってやると興奮して動きが活発になります。これも全てイメージ上で行います。手の動きとイメージが合致したときに、結果が得られるはずです。貴方は既に熱を与えたり奪ったりできています。貴方は魔法的アプローチで、物や物の精霊に触れる事が可能だと言う事です。他の動作もイメージの強さや形次第で可能だと思います。」


俺は返事をする事ももどかしく感じ、コクコクとおざなりにうなずきながら、今の頭領の長い話をかみ砕いて理解する事に努めた。イメージを強めながら練習していくしかないと感じた俺は、頭領に礼を言うと工房を後にした。俺はこの世界に転移するまで、分厚い劣等感を身に纏った、箸にも棒にもかからない厄介者でしかなかった。しかし今はどうだ。商売に厳しい目を持つゴードは無一文だった俺に信用を寄せてくれている。尊敬を感じていた頭領は俺を同じ仲間だと言ってくれている。この国に飛ばされてきてよかった。ここで知り合った人々の信用を失わないためにも、もっと役立ちたい頑張りたいと俺は思う。早く帰ってイメージの練習をしよう。俺は力強く我が家に向かって足を踏み出した。

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