第13話 腐ってるんじゃないんだってば。

「これを食べてみてくれ」


ノーズの家に納品する資材を受け取るためゴードの事務所に立ち寄った俺は、ゴードにヨーグルト試して貰おうと持参していたのだ。この世界でのビジネスを今までは行き当たりばったりで話を進めてしまっていて、独断専行の場面も多くあった。それを反省した俺は、ここらでゴードにも利益を得て貰って、俺という人間のメリットを再確認して貰った方が良いと思ったのだ。ゴードはおっかなびっくりスプーンでヨーグルトを掬うと、スンスンと匂いを嗅ぎ


「なんだこれは?」


と眉をひそめて聞いてきた。リナが見せた反応と全く同じだと笑いをこぼしながら、


「まぁなにしろ食べてみてくれ。身体に害があるものでは無いから」


と言う俺の言葉に


「異文化をネタに商売しようと思ってたら、これ位のことでビビってらんねぇわな」


と、啖呵を切って、思い切りよくスプーンを含んだゴードだった。


「うーむ。これは。これは腐った牛乳じゃないのか?」


というゴードに、リナの言葉を重ねてまた笑ってしまう俺。


「うん、まぁ腐っているんだけどな。この空間には目に見えないほどの小さな沢山の種類の細菌というものが漂っているんだ。その中には人間に害を及ぼす細菌もいれば、有益な細菌もいるんだよ。様々な細菌が牛乳の中に入り増えてしまった状態を腐る。というんだ。害がある恐れがあるからね。これはヨーグルトというんだけど、乳酸菌という人間に有益な菌のみを選りすぐって牛乳の中で増やしたものだ。とても身体に良い。なにより美味しいだろ?この世界のワインあるだろ?あれも葡萄ジュースを細菌が変質させてワインに変えたものなんだ」

「なんと。ワインは葡萄酒の精霊が酒に変えてるんだとばかり思っていたぞ。じゃぁ、ケントはサイキンというものが食物を美味しく変える仕組みを知ってるのか?他にもそういう食物はあるのか?うはぁ!こいつぁ金の匂いがプンプンしてきたぜ!お前と知り合えて良かったよ。がははははは」

「そうだ、他にも沢山発酵食品はあるよ。この世界にもあるパンもそうだ。あれも細菌の力で膨らませているんだ。ただ、俺は細菌の専門家では無い。それと、発酵食品は作るのにとても時間が掛かるんだよ。また技術も必要だ。色々調べてみたけど一番大事なのは温度管理だ。それがちゃんと出来ないと品質が安定しないんだ」

「なんだそんなことか。ケントと最初に会ったときに、ワイン倉を紹介してくれと言っていたろう?ゴード商会でワインを作らせてる工房があるんで、そこの頭領とは話をしてあるんだよ。今度連れて行くと話しておいてある。その頭領も葡萄汁の温度管理が精霊の力を活かす重要なポイントになると話していたな。ほら、温度の上下はさ。簡単な魔力があれば誰でも出来るんだよ。簡単に。ただ、それをピンポイントの温度に保って管理するのが頭領の腕の見せ所だって自慢してたなぁ。もし今から時間があるなら、頭領に会って話を聞いてみるかい?」


渡りに船のゴードの申し出に俺は勿論うなずいた。ノーズへの納品など済ませてから、ゴードと一緒にワイン工房に向かう。俺は頭領のことを想像ではガタイの良い職人肌なおっさんを想像していたが、予想を180度裏切られた。頭でっかちなのに、異常に背が低く、度のきつそうなメガネを掛けていてメガネ越しの瞳は三周りほど大きく見えるどちらかというと学者っぽい男だった。ふんぞり返って胸を突き出し眉根を寄せて、俺に尋ねてきた態度は様になっていた。


「お前が異国から来た男か?」

「そうだ。俺の国には葡萄酒だけではなく、様々な酒や発酵食文化がある。もしこの地でそれらの生産が上手くいったら、とてつもなく食生活が豊かになるはずだ。頭領お願いします。協力してくれ」

「発酵とはなんのことだ?」


と聞いてきた頭領に判りやすく発酵の仕組みを説明した。


「それで頭領。発酵にはシビアな温度管理が必要なんだ。頭領は葡萄酒製造時の温度管理をかなりシビアにやれると聞いた。本当にそんなことは可能なのか?」

「温度管理も出来ずに、酒造職人が名乗れますか。私を馬鹿にしないでいただきたい!」


ヤバイ、頭領ちょっと怒り掛けてる。


「いや済まない、俺の国では昔は季節任せ。今では機械任せでやることなんだ。人の技術でシビアな温度管理なんて想像もつかなくて。別に頭領の腕を疑ってるわけではないんだ」


俺は慌てて頭を下げた。どこの土地でも腕の良い職人は頑固なものなんだな。


「機械任せだと?なんでそんな回りくどいことをするんだ。長年の経験のある職人だったら腕一本で温度を決めるのが当たり前だろ?」


という頭領。


「さっきゴードにもそう聞いたんだが、どうやるのか見せてくれないか?」


頼みこんだ俺に、やれやれ仕方ないなとぼやきながら、頭領に地下蔵へ促された。


「うちのボスは早く作れだとか、コストを掛けるなだとか野暮なことは言わない方だ。私たち職人の良いと思う方法で酒を造らせてくれる。その分俺たちは他の蔵より良い酒を造る。ボスは良い酒だと言うことをきちんと宣伝して少しばかり高く売ってくれる。だから長年の経験の積み重ねを真剣に酒造りに注ごうという気持ちが保てる。そこいらへんの一山幾らの蔵だと早く作るために温度は高めに保つ。しかしうちの蔵は違う。少しばかり低温でじっくり待つんだ。そうすると、すっきりと澄んでいて香りの複雑な酒になる。この樽栓に手を当ててな、葡萄汁の元気を少しばかりつまんでやる。それで葡萄汁の温度は下がる、酒の精霊には低い温度でも堪え忍んでじっくりと仕事をして貰う、時の精霊を少しばかりおだてて時間の進みを早くして貰うんだ。それで普通の蔵より三割遅れぐらいでうちの酒はできあがる。この三つの組み合わせのさじ加減が酒造りのキモだ。」


なんだと?今の頭領の言葉は、樽栓に手を当てて念じるだけで温度が一定に保てて、細菌の活性も自在に調整出来て、時間の進み方も少し早められるということだよな。それを雑菌の入らない密閉した環境で可能だと。よく判らないが、これは凄いことかも知れない。


「凄い!これは凄い!頭領!羨ましい。そんな能力があって。是非俺の食品作りに手を貸して貰えないか?」

「なんでこんな事が凄いんだ。そりゃ、俺たち職人は温度計に頼らずとも、温度の管理、精霊の元気具合、時の進み具合、これらをキチンと管理して結果を出す事が腕の見せ所だ。しかし、作業自体はそこらの子供の持ってる簡単な魔力でも出来ることだ。あんたは魔力を持ってないのか?」

「持ってないと思う。俺の国では魔力を使う人間はいなかったんだ」

「じゃぁ一度魔法塾へ行ってみたら良い。この国の子供は10歳になる前ぐらいにみな通い出すぞ。三割位の人間は魔力を全く使えないがな。ひょっとするとあんたも魔力を使えるかも知れない。使えれば、試作や研究に役立つだろ?」


ふぉぉぉぉ。漲ってきた。もしかしたら俺も魔法が使えるかも知れないのか。俺は魔法塾に行く事を即決心した。

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