第2話 転移の夜

ある晩、いつものように自室のパソコンで巨大掲示板を読み漁っていたら、


「あのぉ~」


と声がした。俺は椅子の上でビクンと身体を震わせた。驚いたからだ。昼間たまに掃除に入る母親以外、この部屋に人が入ることはない。ましてや深夜だ。とうとう俺も心が壊れて幻聴を聞くようになったかと思いながら後ろを振り返ると、長い髪の少女が困ったような表情を浮かべ立っていた。


「あんたはだれだ?なぜここにいる?」


普段誰ともしゃべらず、久しく出してなかった俺の声は情けないほど掠れていた。


「あ、あのぉ~ちょっと話しづらいことがあって。ここまで来たものの、やっぱり話しづらいなぁって」


クリクリッとした丸い瞳をふせ目がちにして困った表情を浮かべる、長く真っ直ぐで美しい黒髪と、陶器のような白い肌に、真っ白いワンピース。清楚。という言葉が似合うこの少女は全く俺の部屋に似つかわしくなかった。


「あんたはだれだ?」


俺はもう一度尋ねてみた。


「私は、つかさどるものです。」


少女はそう答えた。


「つかさどる?なに?何を言ってる?」


さっぱり判らない俺はもう一度しつこく聞いた。


「いえ、あの。えーと。私、あなたに謝らなくては行けないことがありまして」

「謝る?何を?あんたは誰?」


さっぱり判らない。


「えーと、わかりませんよね。あの、私、あなたの概念で言うと、天国の様な場所で働いているものです。勤め先は市役所のような、出生と死を管理する場所なんです。」

「あーーーーー?」


言葉にならない声を上げる俺。


「信じられないもの無理はありませんよね。でも、この話をしたら、あなたは理解されると思います。私は、寿命の短い方に対してのパラメータ設定をする部署で働いています。簡単に言うと、事故や急病で早くお亡くなりになる方がいて、私たちはそれを出生時に把握しているんです。それで、短い人生でも、少しでも楽しく過ごして欲しいということで、ボーナスポイントというものが割り当てられる決まりになっています。早死になさる方それぞれに合ったボーナスポイントを割り振ることで、ある程度その方の人生をよりよいモノにしようという仕組みです。夭折される天才が多いのは、天才が短命なのではなく、短命だったので、突出した才能をパラメータ操作で与えられて出生した。と言うことなんです。あなたは比較的コミュニケーション能力がお高くありましたので、平凡ですが人気者として皆さんに惜しまれながらお亡くなりになる。という感じが良いかなと思って私はそう言う操作を致しました。ところが私、コミュニケーション能力百という風に入力したときに、誤操作でプラスをマイナスに変更してしまったらしいんです。あの、ほっんとうに済みませんでした!」

「お、俺が不自然なほどの盛り下がりキャラで過ごしてきたのは、それが原因か?」


俺の過ごした灰色の学生時代。思い出すだけで後頭部がチリチリと灼ける。無意識に握りしめた両拳は爪が手のひらに食い込み血が出そうなほどだ。耳鳴りがやまず、急激に頭に血が上ったせいか、目眩までする。小刻みに震える全身。俺は目線をあげて彼女を見た。


「ひぃ!す、すみません、すみません、本当その通りなんです。そ、それでですね。先ほど申しました通り、あなたはとても短い寿命なんです。い、言いづらいんですが、もうすぐあなたはお亡くなりになります。この世界を作った神は出生をしてしまった人間をどうこうすることを敢えて出来なくしました。第三者が介入して人間の運命を変えてしまったら、人間の自律を奪います。そのため、私の犯したミスも取り返しがつきませんでした。また、あなたが今日死ぬという運命も変えられないものなのです。私は天界からあなたを覗くたびに、胸が締め付けられる思いでした。本来はプラス補正で短くも楽しい人生を歩めたはずのあなたが、いつも教室の隅で机に突っ伏して時間と闘っている姿を見るたびに私は犯した罪の大きさにおののきました。大きな気後れと、あなたの運命を前もって知っても、あなたにはどうすることも出来ない。という理不尽の追い打ちをあなたに与えるべきか迷い、結局土壇場になるまで私はここに来ることが出来ませんでした。あなたが今日ここで死ぬと言うことも、あなたのマイナス百%のコミュニケーション能力も、変えることはできません。あなたにはこれから小隕石が飛んできてぶつかるんです。小石粒程度の隕石ですが、あなたの身体が消し飛ぶには充分なほどのエネルギーを持っています。私は神に申請を出して、その隕石のエネルギーを変換してあなたの存在を転生させる許可を得ました。あなたには転生先で努力を必要としますが、原因を知って対処を身につけながら生きることで、もう少しましな時間を過ごすことが出来るはずです。また、神が何か一つ能力を与えることをお許し下さいました。もう時間がありません。後数十秒です!なにか希望される能力はありますか?」


少女は一息にしゃべり終えた。そうか。ミスとは言え、俺の盛り下がり体質は俺のせいでは無いんだ。狂喜乱舞するほどではないが、その事実はとても嬉しいものだった。ずっと抱えてきたコンプレックス。ずっと感じてきた理不尽さ。困った表情を浮かべるクラスメイトの顔を思い浮かべるだけで感じる罪悪感。俺の全身を蝕むコンプレックスは俺のせいでは無かった。その事実だけで、俺の心はすこし軽くなった。


「そうか。よかった。決して良くはないけど、よかった。」


いつの間にか俺はぽろぽろと涙をこぼしていた。コミュニケーション能力マイナス百って、俺がどう足掻いても状況を変えられなかったわけだ。笑い話だ。俺はどうやらこれから死ぬらしいが、死ぬ直前にうれし泣きだ。自分のアイデンティティにさえなっていた、コンプレックス。これが死ぬ前に解消されただけでも、幸せだ。生まれてからさっきまでは全部マイナス。この少女が事情を伝えてくれて差し引きゼロ。俺の人生はすこぶるシンプルだ。そう考えてフフフと笑いをこぼす俺。


「もう、時間がありません!なにか希望はありますか?もう後数秒です!早く希望を言って下さーい!」

必死な表情で叫ぶ少女。楽しいことも生きがいもなかった俺の人生で、希望なんてビジョンが浮かぶわけが無い。正直どうでも良いわ。

「早く!早く!なにかないんですか?」


必死な少女に少し申し訳なく思いながら何かって言われても困るな。どこかに転送されたとして、コミュ障完全体の人と関わりを持てない俺がネットがなかったら、どうやって過ごせば良いんだ。あり得ない。あり得ない。あり得ない。ネットのない世界なんてあり得ない。


「おぉ、お、俺からネットを取り上げるなぁっぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーー」


俺の身体を眩しい光が包んだ。

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