第18話 漆黒のキトラ宮殿



 陽がもう少しで沈む夕方。反対側にはうっすらと白い月が空に浮かぶ。

 およそ五分の短いようで長すぎる船旅が終わり、朱雀隊一行は漆黒に包まれた宮殿の前で船を降り始めた。


「よし。誰も振り落とされてないな。いざ我がキトラ宮殿に入るぞ。レンフレッドは誰か私の部屋まで運んで寝かせておけ」

 エレンは全員の安否を確かめたのち、船から降りた。


「いや待て待て! よし、じゃねーよ!」

「なんですかあのアトラクションは……、うっぷ」

 すかさず疲れ果てたハルとロゼが突っ込む。ロゼに至っては船酔いで今にも吐きそうな表情をして両手で口を抑えている。


「どうした、情けないぞ貴様ら。宮殿内ではしゃんと立っておけよ」

 しかし全く気にも留めないエレンはそのまままっすぐ進んでいった。


「ドSかよ……」

「鬼……、うっぷ」

 二人の声はエレンには届いていなかった。




 エレンが歩いて向かう先には、イースの街の最北部、運河に面して建つ富と権力の象徴ともいえる真っ黒な宮殿だった。色合いこそ味気ないが、豪華爛漫の一言に尽きるその外壁の装飾と半球体型の天井は、見る者を圧倒させる貫禄があった。


 ハルとロゼはよろよろしながらエレンと朱雀隊の後を追った。

 宮殿内に入ると、真紅の絨毯が引かれており、様々な美術品が数知れず並ぶ廊下が続いていた。初めて踏み入ったハルとロゼはついつい宮殿内のいたるところに目が行ってしまう。


「高そうなものばっかだな……」

「私はこんながらくた集めても意味がないと言っているんだがな」

「誰が集めてるんだ?」

「もちろんここのあるじに決まっているだろう」

「あ、ランスローズって人か?」

「ああ。そこの扉の奥にいるはずだ」


 そういうとエレンは廊下の突き当りの高さ2メートルはある大きな扉を思いっきり押し開けた。

「朱雀隊、帰還した!」



 その扉の先は白と金を基調とした荘厳な雰囲気の大広間だった。天井はかなり高く、壁際には二体ずつ動物をかたどった石像が凛々しくたたずんでいる。正面向かって右側には虎と竜の石像。左側には鳥と亀の石像が立ち並んでいた。

 

 そしてちょうど亀の石像の前あたりに、若いスキンヘッドの男が後ろで腕を組んで立っていた。朱雀隊と同じ黒いローブをまとっているその釣り目の男は、青い瞳をエレンに向けて尋ねた。



「遅かったなトマト」

 しかしエレンはその男のことなど見向きもしない。


「あーあー、帰ってきてただいまも言わねぇ女は愛想着かされるぞ、トマト」

 その言葉にエレンの目の下がぴくりとひきつる。

 ハルとロゼには、そのエレンの後ろ姿だけでも怒りが最高潮に達していることが分かった。


「あ、あの、あなたは?」

 ハルがエレンの気を紛らすために男に尋ねた。が、しかしその男の返答が、引き金になってしまった。


「あ?だれだてめぇ?あ、トマトの彼氏?」

 にやつきながらその男はハルたちをまじまじと見つめる。目の前のエレンから漏れる殺気を感じ、ハルとロゼは一歩後ずさりした。



「……おいハゲ」

 冷え着いた声が広間に響く。ハルもロゼも、右手を男に向けて完全にお怒りのエレンを横目にゴクリと唾を飲む。しかし肝心のハゲと呼ばれた男はいまだにニヤついていた。


「先輩に向かってハゲはよくねぇなぁトマト。あと、すぐキレる女も恋愛ではうまくいかねぇぞ。 《痛哭の羅刹王ヘル・キング・ハウト》」


「トマトトマトやかましいぞ貴様! 《憤怒の黒炎ラ・デュ・ヘイン》!!」


 ハゲ頭の男の上半身が黒い猛火に包まれた。ごうごうと燃え盛る黒炎は遠目に見るハルにもその痛々しそうな熱さを伝える。さすがにあのハゲも反省したか……、とハルが思ったその時、


「なっはっはっは!熱すぎ!熱すぎんだろ!完熟トマトのリコピン染み渡るぜぇ!!」

 ハゲ頭の男は声高らかに両手を掲げて笑いながらこちらを見ている。


「え、効いてないの……?」

「はっ……キチガイ?」

 ロゼもハルもその男の姿に驚きを隠せない。


「まだ私がトマトに見えるか!ならばそこで永遠に焼かれていろハゲ!」

「なっはっは!完熟トマト大激怒の巻~、なんつって」

「この……!完熟ではない!トマトでもない!」


 赤い髪をいじられて呼ばれて激怒する女と、その女の怒りの炎に焼かれてもまだへらへらしているハゲ男。この二人の喧嘩はハルたちその他の大勢にはもう手が付けられなかった。




「…………これサンソン。ほどほどにしておきなさい」


 その声はハルのすぐ後ろから聞こえた。低くかすれた声は優しさを含んだものだった。喧嘩の真っ最中だった二人も急に黙り込んだ。

 ハルが声のほうに振り向くとそこにはオールバックの茶色い髪を肩まで伸ばし、口の周りと顎に立派な髭を蓄えた老人が立っていた。

 その只者ならぬ威圧感からハルは本能で感じ取った。この男が、あのランスローズだと。


「広間が騒がしいと思ったら、帰ってきていたのかエレン」

「ああ、久しぶりだな。ちょうどさっき着いたところだ」

「そうか」


 そう言って老人はハルたちの横を通り、ゆっくりと広間の正面の台座のほうへ歩いて行った。


 その姿を見てエレンはハゲ頭の男の黒炎を消してから朱雀隊の面々を引き連れて竜の石像の前まで移動した。

「貴様ら二人もついてこい」

 その声にハルとロゼも静かについていく。


 老人は台座を上ると振り返り、大広間にいるすべての人に向かって告げた。

「レンフレッドの傷はすでに癒しておいた。これより五神キトラ会議を始める。ラーマはエピフ山にいるため席を外しているが、アイリスはもうじきここへ着く。それまでに朱雀隊の今回の遠征の報告を聞いておこう」


 老人はそう告げると台座の中央の黒い荘厳な椅子にゆっくりと腰をかけた。

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