第五話 マリアのちから<後編>

「いい加減にしろ!!」


源内は大声を張り上げ、ちからいっぱいマリアの左手を振り払った。


「・・・あ・・・」




マリアが小さな声を発して宙を見上げた。


「左手ー!!!」


追って走リ出す。



「馬鹿!マリアっ!!!!!」


橋の欄干らんかんによじ登り、手を伸ばしてつかもうとするが『手がない』!


しかも花魁姿おいらんすがたであるため『頭が重い』。



空振からぶりとなってバランスをくずし、


「うわわわわわーーーー!」




マリアのからだは欄干らんかんを乗り越え、頭から真っ逆さまに落下。



「マリア!!!」



駆けてきた源内は長羽織ながばおりを脱ぎ捨て飛び込んだ。



*   *   *



大川おおかわは海近くの河口部だから水量もたっぷり。

しかも両国橋は94けん(約200m)もあったから、川端かわばたを差っ引いたとしても相当な幅で、人間などの葉のごとくあっという間に水に飲まれ流されてしまう大きな川である。


葛飾北斎 「冨嶽三十六景色 御厩川岸 両國橋夕陽見」をググってみると・・・そんなかんじで超広い。



しかもマリアは花魁姿おいらんすがた。泳ぎが達者たっしゃなものであったとしてもうまく泳げるわけがない。



と、いうか。


マリアって泳げたんだっけ?



と、みょう呑気のんきなことが頭に浮かんでしまった源内は、水中でかぶりを振って必死に水泡の中を探した。


あの高さから落ちたのだ。

気を失っていることも考えられる。


沈んでしまったらおしまいだ・・・


源内は瀬戸せとの海で育ったため、こう見えて水練すいれん(=水泳)は得意


高松藩に伝わる水任流すいにんりゅう肱抜手游ひじぬきておよぎ(=現代のクロールのような泳法)と潜水を駆使して探し回る。


が、夕暮れが迫った川の中は暗く、何しろ広い。


マリアが見つからない。



息継いきづぎのために水面に顔を出す

と、頭上から一馬たちの声がした。



「先生っ!身投げなんて!!!???」


「そうだ源内さん!

 死ぬなんぞお前さんらしくもない!!

 見世物小屋を失ったって、まだ世の中捨てたものではないぞ!これまでだっていくらでもやり直してきたではないか!!」


源内は橋を見上げて怒鳴どなった。


「馬鹿!!!!!マリアが落ちたのだ!!!

 御託ごたくならべてるヒマがあったら上から探せ!!」



「ええええええ?!」



すると源内より下流の少し先に

マリアが『浮き』のようにヒョコンと顔を出した。


「ぷっはーーー。゜(゜ ゜∀゜)゜。」


頭の上には左手が髪飾りをつかむような形で引っかかっていた。


「マリア!!大丈夫か?」



「ヘーきヘーき・・・なんだけどー、手がないのと頭が重いし着物が水を吸ってブクブク・・・」



「い、今行く!!!!!」



*   *   *



源内は煽足あおりあしの泳ぎで沈みかかったマリアのわきかかえた。


「センセー!ありがと」


マリアはギュッと源内に抱きついた(手はないけれど)。



源内は巻き足(平泳ぎの足の動き)で方向転換。


流れに乗りながら辿たどり着けそうな川岸を探していると・・・



目の前にちょうどあしの茂った大きな中洲なかすが近づいてきた。


そこは、橋の上からマリアが土左衛門を見つけた場所だった。




源内は心のなかで舌打ちした。



*   *   *



なんとか中洲なかす辿たどり着き、マリアを座らせた源内は、続けて茂みにひっかかっていた土左衛門を引き上げた。


中洲にごろりと寝かせると、土左衛門の背中は大きくり裂かれ、絶命させるために念を入れたあとが見えた。


「マリア、こいつは殺しだ」


「コロシ?」


「この斬撃ざんげきあと手慣てなれの太刀筋たちすじだ。

 しかも仕留しとめるために必殺の突きまでブレなく打ち込まれているとなりゃあ…単なる辻斬つじぎりじゃあねえ。


 この女、殺し屋にられたな。


 皮膚ひふのこのふやけようだと、川に投げられて一昼夜いっちゅうやっているか・・・」




土左衛門の女を検分けんぶんする源内の目がみるみる鋭くなっていった。



「そうなんだ・・・」


マリアは源内のわきに来て土左衛門の顔をのぞき込んだ。



「センセ、アタシの左手、くっつけて」


「おいおい、こいつはもう・・・」


「ハヤクシテ!!」


源内はマリアの頭に引っかかっている左手をはずし、手首に差し込んでやった。




すると、差し込まれた手首のぎ目がすっと消え、五本の指がすぐにくいくいと動き始めた。




マリアは土左衛門の脇に座った。

乱れた襦袢じゅばんの前を開くと、女のしんぞうねらったとしか考えられない場所に水ぶくれとなった突き傷が出てきた。


マリアは左手をそっとその傷跡に当て目を閉じた。


源内は腰のかますから水に濡れた煙管キセルを出してくわえ、その様子をじっと見つめた。



*   *   *



川舟に乗って一馬達がようやく駆けつけてきた。


「先生!大丈夫ですか!?」

「しっ!」



「あ・・・」

「しばしだまっとけ」


「は、はい」


一馬が舟を中洲へつけると、うしろから玄白が身を乗り出してきた。


『これがおまりちゃんの手かざしか…』


玄白のつぶやきに源内は無言でうなずいた。


玄白は、かねてより源内から聞き及んでいたマリアの不思議なちからを、いつかこの目でみてみたいと思っていたのだ。




一同、しんと静まり返りマリアの様子をうかがう。



マリアの手が優しい動きで土左衛門の胸のあたりをでている。


何度かマリアの手が往復していくうちに、刀に突かれた傷がみるみる消滅していった。


「おお・・・!」


玄白は驚嘆きょうたん小刻こきざみに震えている。


「信じられん・・・」



真っ青だった土左衛門の肌にほんのり血の気が戻ってきた。


マリアはほっとひと息つくと、急に気が抜けたように脱力、土左衛門の女の上にぐにゃりとしてしまった。


「マリア!大丈夫か?」


あわてて源内が抱き起こすと、マリアは疲れたのか眠ってしまったかのよう。


すると、左手を宙に差し出してわけのわからないことを話し始めた。



「・・・この砂丘の先がオアシスだよ、あともう少し・・・でも砂嵐は・・・」






「はあ?何言ってんだマリア??しっかりしろ」



源内の声に、マリアの大きな瞳がパチリと開いた。

しかし、瞳孔どうこうが開いた状態で様子がおかしい。





「・・・シモン・・・」






「シ???なんだって??

 おいマリア!!マリアっ!!」




源内が肩を揺すっているとやっと正気を取り戻したようで、


「あれ?センセ?? ココドコ?」


と言って今度は完全に眠り込んでしまった。






源内は覚悟を決めた顔つきに変わり、マリアを抱きかかえ立ち上がった。


「長屋へ帰るぞ。一馬、この女は連れて行く!」


「・・・!!はい!先生!!」


「源内さん、いいのかい?」


藩医はんいである玄白さんのところへ行くわけにはいかねえや。

 …この女、かなりのワケアリだ」


「なんと!?」


「引き上げた時にざっとあらためた。

 わかりやすいぜこりゃ、本職ほんしょくの殺し稼業かぎょうの仕事だ。

 ただの身投げじゃねえ」


「ふうむ・・・」


玄白は、さっきまでとあきらかに違う顔つきの源内をまじまじと見つめながら、満足そうに深くうなずいた。


<つづく>

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