第三話 火除地で火事

 江戸の町で火は大事おおごと

 これまで大火事によって町が何度も焼き払われてしまっていた。


 江戸時代267年間のあいだに大火事だけでも49回もあり、一番規模の大きい時は、亡くなった人が10万人を超えた記録が残っている。


 江戸に大火事が多かった理由としては、徳川幕府ができてから急激な人口増加がおこったための家屋密集かおくみっしゅう、そして当時の建物は今よりもはるかに燃えやすいことがげられる。


 また、この時代の消火活動を行う人達は<火消し>と呼ばれていたが、『火を消す』とは名ばかり。


 多少の水掛みずかけは行われていたが、現代のような強烈な放水ができるわけもなく。

 どうしていたかというと、ただひたすら建物を<ぶっこわす>。


 つまり、火事が延焼えんしょうしないように(燃え移る前に)、火が小さいときにはその燃えている家を、大きくなってきたときには延焼えんしょうを防ぐために火事周辺の家々をとにかく壊しまくるのである。


*    *    *


 「けほけほ」

 マリアがせきき込んだ。


 見世物小屋の中はみるみる煙に包まれ、気絶していた客達が次々と目を覚まし、パニック。


 「皆さん!こちらから外へ!!」

 

 手拭てぬぐいで鼻と口をおおいながら、一馬と福助が客を外へ誘導。

 源内は立ち上がることができず、茫然自失ぼうぜんじしつでぺたりと座り込んだまま。


 「源内さん!何してる!早く外へ出ないと!!」


 客席の一番奥で見ていた男が駆け寄り、源内の右の腕をつかんだ。

 同時に、左腕を持つ別の男。


 「(ふたりで)あれ?」


源内を助けに来た男同士、目が合いびっくり。


 「良沢りょうたくさん!」

 「玄白げんぱく・・・どの!!」


*    *    *


 「来てたの?」

 「あなたこそ!?」


 この二人、六年前に解体新書かいたいしんしょを協力して刊行したのだがいろいろあってちょっと微妙な間柄の杉田玄白すぎたげんぱく前野良沢まえのりょうたく。双方、源内の友人である。


 「いや、おまりちゃんの見世物が終わっちゃうってんで、いちど観とこうと思ってさ」


 「これは奇遇きぐうです。私も後学のためにおまりちゃんのゑれき娘は観ておかねばと・・・」


 玄白は47、良沢は56なのでふたりともいいオジさんである。


*    *    *


 「おっと、そんな話をしている場合じゃない!良沢さん、源内さんかつぎ出さなきゃ」


 「お、おう!!」


 「一馬くん、おまりちゃんを頼む!!福助は取れた右腕を!」


 客を外へ出し終えようとしていた一馬が振り返って驚いた。


 「杉田先生!前野先生も!??」


 福助は客を外へ出し終えると急いで戻ってきてマリアの右腕を拾い上げ、大事そうにふところへ入れた。


 一馬は舞台に駆け上り、


 「おまりちゃん、失礼!」

 一馬は痩身そうしんに見えるが軽々とマリアをお姫様抱っこ。

 「わーい!」


  福助は出入り口で手招き。

 「一馬さん、おまりちゃんの腕は持ちましたです!!げほげほ」


 放心状態の源内は、玄白と良沢に抱えられ、ずるずると引きずられていった。


*    *    *


 火事を知らせる半鐘はんしょうの大きな音でやっと源内はわれに返った。


 源内たちの目の前で、次から次へ駆けつけてくる火消したち。

 「あ、おまりちゃんだ!またかよ!」

 「みんな、頑張ってーーー!」

 「がってん承知しょうちすけってんだ!!任せとけー!」

 「俺が先だ!」

 「バカ、俺だ!!」

 

 血の気の多い火消し達は、良いところを見せようと我先われさきにと見世物小屋へ突っ込んでいき、手に持った刺又さすまた鳶口とびくちでドッカンドッカン、見世物小屋をすさまじい勢いで破壊しはじめた。


 「玄白さん、良沢さん 見に来てくれてたのか 助けられたよ」

 「源内さん、とにかく全員無事でなにより」

 「我らがおってよかった」


 「お二人が一緒とはめずらしいじゃないか」

 「(二人で)い、一緒に来たわけではござらん!」

 「ほら、もうそろそろ終わっちゃうからぜひ見に来てくれと言ってたじゃないか」

 「そうそう。私も、たしかそのように言われてたのをふと思い出して」


 うんうんと同じようにうなずく玄白と良沢。


 「ごほん!」

 源内が顔をあげると、目の前にいつもの同心どうしんが鬼の形相ぎょうそうで立っていた。


*    *    *


 役人たちにこっぴどく怒られた源内だったが、火は幸いにしてボヤ程度、周囲に延焼えんしょうもせず、怪我人けがにんもほぼなしで大事に至らなかったため仕置沙汰しおきざたまぬがれ、イヤミをさんざん言われただけでひとまず放免ほうめん


 「源内さん、おまりちゃんの見世物、続きを楽しみにしてるよ 私は用事があるのでごれにて御免ごめん


 良沢は玄白には声をかけず、軽く会釈えしゃくしただけで去っていった。


*    *    *


 「センセ、帰りましょ」


 マリアが源内の横にちょこんと座った。


 「この見世物はこれにてしまいだ」

 「そーなの?ざんねーん」

 「もうしばらくやってるからな、そろそろ潮時しおどきと考えていたのさ」


一馬、福助が肩を落として身の回りの荷物を片付け始めた。


 「右腕、つけなおさねばな」

 「うんっ!今度はもぎ取られても、なわでびょいーんと伸びるようにしてよ」

 「・・・・」



 「さて、長屋へ戻ったほうがいいね 源内さん」


玄白がうながすと、力なく源内はうなずいた。


*    *    *

 

 源内と交流を重ねたがいに二人といない知己ちき(自分にとってまたといない人)として長いつきあいをしてきた玄白は、ここ数年の源内の変わり様を気にかけていた。


 玄白は、若い頃から小浜藩おばまはん(福井県小浜地方)の藩医はんいとしての地位を、前野良沢らとともに解体新書かいたいしんしょを刊行したことによって名声は響き渡り、医学塾<天真楼てんしんろう>を開業、多くの弟子を育て上げるなど大成功を収めていた。


かたや源内も、


若い時には高松藩たかまつはん(いまの香川県)の下級武士の身分でありながらも


藩主に薬草学の知識を認められ、留学に出た長崎で広く世界の見識を得たのち


自分の実力をさらに試すべく藩に脱藩だっぱんを願い出てて、移り住んだ江戸で科学に文芸にと大活躍をした。


しかし、現代と違って

発明品や書物に著作権ビジネスがなくロイヤリティー収入(印税や特許料、アニメ化する時の原作使用料など)が発生しないこの時代、


源内の発想したものは現実の商売あきないとなかなか結びつかなかった。


しかも、頼りにしていた鉱山開発の事業も大失敗に終わるなどの不運も続き、次第に生活に困窮こんきゅうするようになっていった。


日銭ひぜにかせぐことに迫られている今の源内には、以前のように自分の興味のおもむくままに新しい技術や知識を探求たんきゅうする余裕はなくなっていた。


*    *    *


 見世物の興行こうぎょうも、そんな源内が始めた仕事の一つであった。


 昨年の回向院えこういん善光寺阿弥陀如来ぜんこうじあみだにょらい御開帳ごかいちょうの時には、


戯作仲間ぎさくなかまの<落語中興らくごちゅうこうの>として有名な初代・烏亭焉馬うていえんばから依頼を受け


牛の背に<南無阿弥陀仏なむあみだぶつ>と書き入れて、ただ見せるだけという『名号牛みょうごううし』という出し物を考え、その怪しさ(?)、ありがたさ(?)で大ヒット。


 今年のマリア見世物興行は、源内がこの大当たりに気をよくして、二匹目のドジョウを狙ったものだった。


 しかし、この企画に興味を持つスポンサーはゼロ。

 結果、なけなしの自腹じばらで行うしかなかった。


 一部のマニア以外、客の入りはさっぱりで、売上うりあげは去年とはくらべるべくもないひどいありさまだった。


*    *    *


 夕焼けであかね色に染まった空に、浅草寺せんそうじから暮れ六つを知らせる鐘の音が響いてきた。


 薄暗くなりつつある両国の見世物小屋あたりは日中あれほど客で混み合ったのがうそのように、人影ひとかげがまばらとなっていた。

 この時刻になると大川から吹いて来る川風が心地よい。


 そんな大川からそよそよと吹いてくる風を受けながら、源内とマリア、一馬、福助の四人と玄白は両国橋の上にいた。


「あーーあ さんざんな一日になっちまった」


 両国橋の欄干らんかんにもたれ、鐘の音の聞こえて来る浅草寺せんそうじをぼんやりと見つめていた源内は、先ほど出来た頭のコブをさすった。


「せっかくあれこれ用意したいろんな仕掛けや見世物でしたのに、もったいのねえことになってしまいましたなあ」


 そう言って、福助はしゃがみ込んだ。


 「仕方しかたあるまい」


 近ごろはやることなすことがすべてうまく行かず、

<仕方あるまい>が源内の口癖くちぐせになっていた。


 「乾坤けんこんの手をちぢめたる氷かな」


 「なんですその川柳せんりゅうは? いまは夏ですよ 先生」

 「バカヤロウ!これは俳句だっ!」

 「失礼しました…」


「あーあ 

少し前まではゑれきと言いやあ、


大名だいみょうから大店おおだな(=大商店)の旦那衆だんなしゅうまで、きそって見物けんぶつに来たもんだ。


まあ江戸っ子は、

新しいものに飛びつくのも早いが、きるのも早い。

そろそろ潮時しおどきを見て小屋をたたもうと考えていたところだったがな」



「センセ、わたしのせいであんなことになっちゃって、ごめんなさい…」



「お主のせいではない。

この俺が、そのカラクリの正体をいまだつかめていないからだ」


「源内さんでもおまりちゃんのカラクリはまだわからんのか」


 玄白は医者として、なぜ人形がまるで人間のように存在できるのか、マリアのカラクリを知りたい。


 「お毬を出島でじまで手に入れたのが九年前、目覚めさせられたのは五年前。ゑれきてるは復元できたが、いまだにお毬のカラクリのしくみは見当が全くつかない」


 マリアは源内と同じように欄干らんかんにもたれて、シュンとした。


*    *    *


「ねー、センセ あれ」


 マリアが身を乗り出し、大川の下流のあしが茂っ中洲なかすを指さした。


「中洲がどうかしたか?」


 源内がマリアの指さす方向をいくら目をらして見ても、葦の茂みくらいしか見えない。


「ヒトが浮いてる」


一馬たちは目をしかめて見ようとするが、普通の人間の目では見える距離ではない。


「おまりちゃん、土左衛門どざえもんなんざ珍しくもないよ。大川おおかわ身投みなげが多いんだ。たまに見たことなかったかな?」


 この時代、川や海に死体が浮いていたとしても<ながし>という決まりがあって、勝手に死体を触ったり引き上げたりしてはならなかった。


 それは、死体を引き上げることによって疫病えきびょうなどが広まってしまうのをふせぐため、江戸時代が終わったあともしばらく続いていたくらい世間的にはあたりまえの決まりごとだった。

 

土左衛門どざえもんじゃないよ 女の人よ 生きてるよ」


「いやお毬ちゃん、女でも土左衛門って言うんだよ・・・え?なんだって?」

一馬が驚いてマリアにただした。


「生きてるよ」

「ええ!?」



「おまりちゃん、わかるの?」

「うん 口が動いてるのわかる 助けてって」


「えええ!」


<つづく>

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