第二話 ゑれき娘

 「ねーーセンセ、まだあ?」


 源内はひと息つくと、絵筆を右耳に刺してマリアの前にしゃがみ、襦袢じゅばんすそおもむろまくり上げた。


 「おぬしが動くから何度もき直しをしてるんだ、あともう少しじっとててくれ」


 源内の前に、傷ひとつない美しい肌の、可愛かわいらしい足が二つすらりと並んだ。


 「はあーあ、もうきちゃった」


 マリアは、あいかわらずずかしがらないで、源内の顔を退屈そうにのぞき込んだ。


 「う・ご・く・な!」

 「ぶぅーーー」


 マリアはあきらめて、つまらなそうに天井をあおいだ。


 源内の筆がさらさらと動くと、足の指にすじが描かれ、次はすね、そして太ももへと源内の筆が登っていった。


 「え…えへへ…うひゃうひゃ、イヒヒ」


 それに反応して足の指がピクピクと動いてしまうが、マリアもさすがに見世物の刻限こくげんをとうにえてしまっているのをわかってるので、天井をあおいだまま。足の指にちからを入れ、くすぐったいのをガマン。


 突然、マリアの目がぱちりと見開いた。

「カズマ」


 部屋の外から、大きな足音が近づいてきてゴザを勢い良く跳ね上げ若い男が部屋へ入ってきた。


 「先生!準備はいかがですか!?福助ふくすけさんが…」


 と、支度部屋したくべやに駆け込んできたところで、マリアの生足なまあし鉢合はちあわせ。


 「あ、あわわ!!マリアちゃん、ゴメン!ゴメンよ…いや!!!見てない、見てないよ!」


 当時の女性は現代のような下着をつけることはなく、着物をまくり上げている姿は《特に若い男にとっては》かなり刺激的しげきてきな状況であったため、その青年は思わず背を向けた。


*   *   *


 マリアにカズマと呼ばれた若い男は、ほほを真っ赤に染め、頭から湯気が立ちのぼっていた。


 背丈せたけは源内と同じくらいの五尺七寸ごしゃくななすん《一尺は約30cm、一寸は約3cmなのでだいたい171cmくらい》ほどで、当時の日本人の中では背が高いほう。まだ顔に少年のあどけなさが残っていてまゆは太く一直線、目の大きい美青年だった。


 その名は館脇一馬たてわきかずま

 武士を捨て、医者になるために源内の長屋に居候いそうろうしている自称・源内の一番弟子である。


 「見たって、何をー?」


 マリアは、なぜその男が背を向けたのかわからない様子できょとんとしていた。


 一馬は赤くなったことがずかしく、マリアのといにはこたえないで、源内に客席の状況を報告した。


 「先生、客がぜにを返せと福助ふくすけさんにめ寄ってきて大変なんです!」

 「そうか、あとは衣装いしょうを着せるだんなのだが…おぬし、ちょっとつなぎしといてくれねえか」


 「え…」


 「ほれ、このあいだのようにそこの肌襦袢はだじゅばんに着替えて」


 源内はそう言って壁際かべぎわにかけてある色っぽい女物の下着をあごで指した。


 「いえ・・・あの、その・・・」

 「ほら、早く着替えろ」

 「いやですよ先生!あの時は縮緬ちりめん問屋どんやのじいさんに言い寄られて大変だったんですから!!」


 「客が帰っちまう。お主の小山姿おやますがた(=男が女役の格好をすること)評判ひょうばん良かったぞ、おひねりけっこうかせいだじゃ…」


 「絶・対にイヤですっ!」


 「そんなに?」


 「一回きりって先生が言うから仕方しかたなくやったんです!九州男児きゅうしゅうだんじたるもの、あのような姿はもう二度と人前では…」


 「減るもんじゃねえのに」


 「先・生!!」


 「ふーーー・・・しょうがねえな、俺の前説まえせつで引っ張るしかないか。 客にはもう始まると言え。福助を連れてきてくれ」


 「(ほっ)わかりました!」


 一馬は勢いよく支度部屋したくべやから飛び出していった。


*   *   *


 源内が、皿の上のいぶりがっこ(秋田名物、スモークしたタクアン)を口の中へ放り投げ、茶碗ちゃわん白湯さゆをすすっていると、一馬が福助を連れて戻ってきた。


 一馬がゴザを上げると、今度はぱだかのマリアが立っていた。

 マリアはくるりと一馬を振り向いた。


 「ううわあぁぁぁ!」

 

 一馬は思わず両手で顔をおおい、飛び退いた。


 「まままままま…マリアちゃん!見てない、見てないよ!」

 「ヘンなの。カズマ、そればっかね」


 福助はそんな一馬を尻目しりめに支度部屋へ入っていった。

 福助は、源内が秋田藩にわれて銅山開発に力を貸し、江戸へ戻るときに佐竹の殿様からさずけられた下男げなんだった。《下男とは主人の世話をす


使用人のこと》


 「おう、福助。このいぶりがっこ、うまいな」

 福助は手拭てぬぐいで汗をきながら、秋田訛なまりが強く残っているイントネーションで応えた。

 「先生しぇんしぇ!もう、だいぶぎりぎりな感じだなっす」


 源内はいぶりがっこをボリボリといい音を立てて食べきり、白湯さゆとともに飲み込んだ。

 「うんわかった。化粧けしょうは済ましてある。あとは着替えだけだ。仕上げは頼んだぜ」


 源内は肌襦袢はだじゅばんを手に取り、素っ裸のマリアにけ、福助に後をたくした。


 「へい、承知しましたす」

 「おい一馬、太鼓を頼む」


 源内は颯爽さっそう長羽織ながばおり羽織はおって、スタスタと支度部屋から歩いていった。


 「センセ、頑張がんばってー」


 裸のマリアが廊下まで出てきて手を振って見送った。


 一馬は、マリアをけるように身をわし、ささっと部屋へ。

 入るなり壁伝かべづたいにカニ歩き。


 裸のマリアの方を見ないようにして、部屋のすみに置いてあったつづみを手に取り、先に行ってしまった源内の後を急ぎ足で追った。


*   *   *


 幕の内側、舞台のはじで一馬がつづみたたきはじめ、そのお囃子はやしに合わせてまくの外側(客席側)に出てきた源内に、一斉いっせい罵声ばせいがとんだ。


 「おせえぞ!」

 「いったいいつまで待たせる気だ!」

 「金返せー!!」


 舞台の中央に立った源内が、そんな声は聞こえないといったてい口上こうじょうを始めた。


 「とざいとーざい!えー、いよいよゑ《え》れき娘の登場でござる!

 

 さて、さて、お集まりの皆の衆、これから現れるからくり人形、名をおま…じゃなかった、マリアと申す。


 この平賀源内が紅毛人こうもうじんから手に入れ、なんと、摩訶不思議まかふしぎな<ゑれき>の力で動かすように工夫を重ね・・・」

(紅毛人とはオランダ人、南蛮人なんばんじんはポルトガル人のこと)


 「そんなこたあもう知ってんだよ!!」

 「能書のうがききはもういいから、早く引っ込め!」

 「俺たちゃ、あんたの七面倒臭しちめんどうくせ口上こうじょうを聞きにきたわけじゃねえぞ!」

 「さっさとマリアちゃんを出せ!」

 「そうだそうだ!」


 待たされらされた客席から、野次やじとともに茶碗ちゃわん座布団ざぶとんが源内に向かって雨あられとなって飛んできた。


 「うわ!あぶねえ!!」


 あわてて尻餅しりもちをつき、幕の内へ引っ込んでくる源内。

 ひたいに茶碗がかすったようで少し血がにじんでいた。


 「いっててて・・・まったく乱暴な奴らだ」


 「センセ、大丈夫?」


 なまめかしくも可憐かれんな姿になったマリアが近づいてきて、源内のひたいにできたかすり傷に手を当てた。


 ほんの一瞬。


 マリアが手をはなすと、額の傷は何事もなかったのように消えていた。


「…」


 源内は自分の額をさすった。


 マリアは舞台の真ん中にちょこんと座り、ゆびをついて幕開けの姿勢をとった。


 「よし、始めるぞ」


*    *    *


 お囃子はやしの音に合わせて幕が引き上がると、そこには、禿かむろ(=花魁おいらん見習いの童女どうじょ)のような可愛らしい姿の女の子・・・いや、からくり人形が、三つ指をついて座っていた。


 髪を奴島田やっこしまだというこのところ大流行している髪型 にい、花櫛はなかんざしで飾りつけ、着物は派手はでな赤い縮緬ちりめんそで

縮緬ちりめんとは布の表面がチリチリとよれたように細かく凸凹でこぼこしている絹織物きぬおりものでいわゆる高級品)


 それはまるで、年端としはのいかない可愛らしい『人間の』少女が、花魁おいらん装束しょうぞく着飾きかざっているかのようだった。


 しかし、その髪はキラキラと輝く『金髪』で、ゆっくりと上げた色白の顔の両眼はあおきとおっていた。


 客席から、ほおーっという溜息ためいきのような声が上がると、一拍おいて常連客は一気にヒートアップ。


 「マリアちゃーーーーん!!!」


 客たちは歓声かんせいとともにに団扇うちわをバタバタと振る。


 からくり人形は立ち上がり、お囃子はやしに合わせて踊りはじめた。


 舞台を照らすろうそくが一気に消されると、からくり人形はまるで蛍光塗料けいこうとりょうにブラック・ライトを照らしたような幻想的な光をび、着物が透け、先ほど源内がマリアの全身に描きこんだ線が発光し、少女人形のボディラインがうっすらと浮かび上がった。


 「おおおおおおおーーーーっ!!!!!」


 客席のボルテージがさらに上昇。

 その様子を舞台上から見おろしながら、からくり人形がひらりひらりと舞う。


 客席はその動きに合わせてため息ともどよめきともつかぬ声が上がった。


 客が持つ団扇うちわも、からくり人形の身体と同じようにうっすらと光を帯び、客たちは人形の舞に合わせて団扇うちわを必死に振る。


 左官職人は周囲の客の顔をのぞいたり、人形の踊りを見たりしてどうやってノリについていこうかタイミングをはかっている様子。


 エレキテルを回す源内は、客席の反応を見てほっと胸をなでおろしていた。


*    *    *


 お囃子はやしの終了とともに幕が閉じると、福助がろうそくに火をともして回り、小屋の中が少し明るくなった。


 これで終幕しゅうまくではない、ということが客たちには分かっているようで、次に行われることの準備へ取りかった。


 あんなにエキサイトしていた客たちが、お互いの動きをチェックしながら、よどみのない動きで舞台袖ぶたいそでにいる源内がいる方へ移動し整列。


 左官職人は「よくわからないがの空気に乗っておこう」というかんじで、列の最後尾さいこうびに並んでいた。


 エレキテルを福助にたくし、源内が紙袋のたばかかえて客席へ降りていく。


 すぐさま客たちが源内に注目。一馬も源内の後をついて客席に降りた。


 「さあさあ、これなるは新作のマリア錦絵にしきえだ! 一枚四文80円だが、三枚組で特別に十文200円!!こっちのほうがお買い得だ!!さあ買った買った!」


 三枚ひと組で売られたその錦絵にしきえは、表に見えている一枚は確かに新作だったが、重なっていた残りの二枚は絵柄が一枚目とまったく同じで、色が違うだけのものだった。


 錦絵にしきえとは、それまで単色摺たんしょくずりかせいぜい二色摺にしょくずりが普通だった浮世絵(=版画はんが)が、多色摺たしょくずりで刷られたもので、源内はその開発に手を貸していた。


 もともとは、旗本はたもとで浮世絵師の大久保巨川おおくぼきょせんという殿様とのさま私費しひを投じ、


弟子でし鈴木春信すずきはるのぶ《=こののち錦絵で有名になった浮世絵師》にカラーの浮世絵の開発を命じたものの何色ものカラーをズレなく重ね合わせる技術は難しく、


春信は自宅の裏に住んでいた友人の源内を頼り、力を貸してもらってこの技法を完成させたのだった。

(旗本とは徳川将軍家直属えどしょうぐんけちょくぞく家臣団かしんだんのひとつでけっこうえらい役職。旗本以上の身分になると世間的に<殿様とのさま>といわれていた。)


 錦絵の登場で、モノクロだった絵がカラーになり、浮世絵の表現力が格段にアップした。


 客たちはこぞって『セット販売の』マリアの錦絵を買い求め、お互いが持っているマリア錦絵コレクションの見せっこが始まっていた。


 売り切れた錦絵に満足の笑いをうかべながらぜに勘定かんじょうしていた源内の横で、一馬は客たちの様子にあきれ顔でつぶやいた。


 「これって詐欺さぎ・・・」


 「馬鹿野郎!人聞きの悪い事を言うな!色違いも奴らにとっては価値あるものなのだ!見ろ、あの満足そうな顔を」


 源内は一馬に振り向いて笑った。


 買ったばかりのマリア錦絵を近づけたり遠ざけたりしながらる様に吟味ぎんみしている常連客たちに、源内が客達に大声をかけた。


 「そろそろ、みなお待ちかね最後の出し物だ! 錦絵を買った順に、さあ、並んだ、並んだ!」


 客たちはその声に即座に反応し、錦絵を丁寧ていねいに紙袋にしまって大切そうに自分の座布団の下にしまい置く(これなら万が一踏まれてもしわにならない)と、互いにひかえめだが緻密ちみつなアイコンタクトをとりながらきちんと錦絵の購入順に舞台正面の源内の前に整列せいれつした。


 常連たちは次に何が起こるのか熟知の様子で、その動きには水が流れるようによどみがなかった。


 改めて幕が上がると、暗い舞台奥の真ん中にマリアが立っていた。


 日光を天井から取り入れる細工の『あかりり取り窓』が開くと、マリアの頭上からの光がスポットライトとなって降り注ぎ、整列した客達はその姿に歓喜の声。


 「マリアちゃーーーん!」


 マリアは茶運び人形のように(わざと)ぎこちない動き方で舞台のふちまで歩いてきて、しゃがみ込み、右手を差し出した。


 一馬は、客がマリアに変なことをしないように、見張り役として列の直ぐ側でにらみをかせている。


 「さあ、一番のお方からどうぞ。数三かずみっつ数える分だけですぞ。ゑれき娘、手つなぎのでござる!」


  次々と握手をしていく常連の客たち。


 「マリアちゃ~ん!」

 「しびれるぜ!いやーなんかほんとにピリピリする気がする!なんてな!」

 「かわいいなあ 人形とは思えない」

 「こんな柔らかい手をしたからくり人形、見たことねえ…」

 「いやあ、生身なまみの女より、もう・・・」


 などと口々に好き勝手なことを言いながらマリアの手をにぎる客たち。

 もちろんマリアは、からくり人形を<演じて>いるので無表情。口も開かない。


 決まりよりも長く手をつないでいる客は、用心棒役ようじんぼうやくの一馬によって無慈悲むじひにも引きがされる。すると客は決まって同じように愛想笑あいそわらいを浮かべ、バツが悪そうに頭をいて自分の席へ戻っていった。


 マリアは淡々たんたんと同じ動作を続けていた。

 客たちと手を繋いては下ろし、お辞儀じぎ。手を繋いでは下ろしお辞儀。


 そしていよいよ、最後の客がマリアの前に手を出した。


 その男は左官職人だった。

 マリアの手が差し出されるともじもじとしていたが、この男もすっかり<ゑれき娘>のとりこになっていたようで、真っ赤な顔で手をつないだ。


 「か、かわいい・・・・ね。マリア、ちゃん?」


 左官職人は、源内が三つ数えてもまだ手を離さず、右手どころか左手も添えてしっかとマリアの手を握りしめ、さすり、離そうとしない。


 一馬がマリアの間に割って入り、引き離そうとするが、左官職人は鼻息をはないきあらげ、馬鹿力ばかぢからを出し、一馬の力だけではびくともしない。


 源内と福助があわてて加勢かせいし、一馬が左官職人を羽交はがめ、源内と福助が男のりょううでつかみ、三人が息を合わせて一気に引っ張った。


 さすがの左官職人も、ドシン!という音とともに倒れ、源内、一馬、福助は男の下敷きになってしまった。


 「いてえ!」

 「く、苦しい!早くどけー!」

 「あいたたた…」


 なかなかどこうとしない左官職人に源内が怒鳴どなった。

 「おい!いい加減に…」


 と言いかけた源内が、周辺の客が愕然がくぜんとしているのに気づいて、その視線の先を見て青ざめた。



 



 左官職人の手には

 <マリアの右腕>がにぎられていた。


 場内沈黙じょうないちんもく


 引きつった笑いでこの場を誤魔化ごまかすしかない左官職人の顔は、べったりと脂汗。


 マリアはひじから先がすっぽりない。


 「マリアちゃんの右腕が!!!」

 「この野郎!」

 「俺達のマリアちゃんに何すんだ手前てめえ!」


 常連の客たちが怒り始め、左官職人につかみかかった。


 左官職人がボコボコにされているきを見て、マリアに駆け寄った源内の顔が青ざめた。


 「こいつはまずい・・・」


 源内の目に、

 マリアの腕の中で静電気の小さな火花。


 マリアは、脳天気な顔を源内に向けた。


 「ウデ、取れちゃったね(*゜∀゜)」


 一馬と福助が駆け寄って来ようとしたのを見て源内がさけんだ。


 「こっちへ来るな!」


 その瞬間、マリアの腕からバチっという大きな音とともに静電気の火花が雷となって飛び出し、小屋の中を走り抜け、左官職人の持っている右腕へ。


ズドドドン!


 左官職人、そして取り囲んでいた常連客一同、 

 ザ・感電 → 煙立ちのぼり失神。


 <ゑれきてる>にも雷が飛び、煙が吹き出し炎が上がった。


 源内は、尻餅しりもちをついたまま、その様子を呆然ぼうぜんと見ているしかなかった。


 <つづく>

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