第19話 カッちゃんとトシ
しかし、慶応三年6月に京都守護職の
「承知いたしました。そのようにいたします」
と近藤が返答した。
しかし、土方は内心、不服だった。矢文に記されていた「不穏な動きを見せる一団」に対する警戒をこの男はまだ解いていない。
この急な指令には、おそらく土佐藩が関わっている、と考えた。11月15日に坂本龍馬が襲撃されたという話は土方の耳にも入っている。
***
永井玄蕃頭は、新選組と土佐藩を親しくさせようと、近藤と後藤象二郎を引き合わせたことがある。近藤は後藤に対し、あなたのように自由に働ける立場がうらやましいです、という意味のことを言ったが、2人の関係はそれきりになった。
近藤は、薩長が戦を仕掛けてくるなら「迎え撃てばよい」という武人らしい考えを持っているが、自分はあくまでも徳川家の家来であり、その命令に従うのみ。もしものことがあれば、腹を切って死ぬだけだ、という割り切りもできている。
しかし、土方は別だ。
この男にとって大事なのは、徳川家ではなく、幼なじみの「カッちゃん」こと近藤勇であり、新選組だ。その立場を危うくする者は
もし、これで「不穏な動きを見せる一団」がテロを起こしたりすれば、新選組の面目は丸つぶれだ。
土佐藩、特に坂本龍馬という男が、それを画策しているのだとしたら……。
かといって、永井玄蕃頭からの指示を断ることもできない。
そこで土方は一計を案じた。
人質は返す。ただし、条件をつける。一団の代表者が一人で迎えに来るように、と。新選組の屯所に呼び出すのでは、恐れをなして来ないだろうから、場所は近藤勇の
もちろん、実際には一対一では会わせない。腕の立つ隊士数名を近藤の妾宅に潜伏させ、状況を逐一報告させる。
もしも、怪しい動きを見せようものなら、そのときは正当防衛だ。殺す。
***
土方がその計画を伝えると、近藤は笑いながら言った。
「トシは相変わらず心配性だな」
近藤は幼なじみの土方のことを人前では「土方君」と呼ぶが、2人きりになると「トシ」と呼ぶ。土方は近藤のことを人前では「局長、近藤さん」と呼ぶが、2人きりになると、カッちゃんと呼ぶ。近藤の幼名である
武州で過ごした少年時代、土方は「イバラのように人を傷つける、手のつけられない悪ガキ」という意味で「バラガキ」と呼ばれていた。
そのバラガキを受け容れ、弟のように可愛がったのが一つ年上の近藤勇だ。
やがて、近藤が試衛館道場の四代目当主となり、土方を正式な門弟とすると、土方は通常7年かかると言われる天然理心流の
以来、土方は「カッちゃんのためなら命もいらねぇ」と思いつづけている。
***
「トシ、その男と戦うことになったとして、俺が負けると思うか?」
と近藤が聞いた。
「そうは思わねぇ。だが、相手は相当な使い手らしい」
「どんなやつだ?」
「天童豪太という男だ。
「示現流? 薩摩の人間か」
「いや、人質の女の話では武州の人間だ」
「武州? 俺たちの故郷じゃないか。それほどの
「それが俺にも分からねぇ。ただ、カッちゃん、くれぐれも油断はするな」
「分かっている」
***
土方歳三の出した条件は、永井玄蕃頭の使いを通して、土佐藩邸にいる涼介たちに伝えられた。それを受けて、豪太が一人で藩邸を出たのは翌日の午後だ。
涼介は一人で行かせていいのか迷った。
これは罠かも知れない。
しかし、もし新選組に斬りかかられたとして、自分に何ができるかを考えた。
おそらく何もできない。
豪太はこの時代の剣豪とでも渡り合えるであろう怪物であり、咲は天才的な才能を持った剣士だ。この2人だけなら脱出できたものを、自分がいることで足手まといになる可能性を考えた。かといって、土佐藩に護衛までは頼めない。
涼介は言った。
「天童さん、もし新選組に襲われるようなことがあれば、咲を連れて逃げてくれ」
それに対して、豪太が笑いながら言った。
「涼介は相変わらず心配性だな」
涼介は子どもの頃、3月生まれであるために体が小さく、「チビ介」「ヘタレ涼介」と呼ばれ、いじめられていた。その涼介を救い出し、剣道をやらせ、「気の大きさで負けるんじゃねぇぞ」という心構えを教え込んだのが天童豪太だ。
以来、涼介にとって豪太は「男」としての目標でありつづけている。
「その近藤ってやつと戦うことになったとして、俺が負けると思うか?」
と豪太が聞いた。
「そうは思わねぇ。だが、相手が一人で待ってるとは限らねーんだ」
「涼介、お前はまだ分かってねぇようだな。相手がどれだけ強かろうと、何人いようと、喧嘩を売られたときは受けて立つ。それだけのことよ。逃げようなんて考えてるやつは、気の大きさで最初から負けてんだ」
でも……と食い下がろうとする涼介を手で制して、豪太は言った。
「大丈夫だ。咲は必ず助け出してやる。お前は美羽と秀一を守れ」
「分かった。これ以上は言わねぇ。ただ、天童さん、くれぐれも油断はするな」
「油断の仕方も知らねーよ」
豪太は木刀をかついで土佐藩邸を後にした。
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