第17話 歴ヲタ・秀一の意地

 翌朝、遅い時間に咲が目を覚ますと、状況が劇的に変わっていた。


 斎藤一はいつの間にかいなくなっている。

 代わりに、咲の起床を待っていたかのように、土方歳三がやってきて言った。


「お前を仲間のところへ帰すことになった。明日、お前らの大将が迎えに来るそうだ。それまでの間、身柄を移す。うちの局長、近藤さんのめかけの家だが、まあ、むさ苦しい男ばかりのここよりはマシだろう」


 それから土方は、乱暴な扱いをして済まなかった、と詫びを入れた。


 なぜ急にそんなことになったのか、咲には分からない。

 斎藤が何かしてくれたのだろうか?


 そうではなかった。


 この状況の変化をもたらしたのは涼介たちだ。


 ***


 豪太の決意に心を動かされた後、4人は咲救出のための作戦会議を開いた。


 口火を切ったのは涼介だ。


「いいか、お前ら。力尽くで咲を奪い返そうなんて考えるんじゃねーぞ。もし援軍を得られるとしても、こっちは人質を取られてるんだ。咲の身に何かあったら、元も子もねぇ。平和的に解決する方法を考えよう。そこで、田中に聞きたい」


「こんなときでも僕は田中なんですね」


「新選組と直接交渉ができる人物と俺たちがつながることはできねぇか?」


「それはつまり、龍馬さんか岩崎弥太郎さん、もしくは中岡慎太郎さんを通して依頼できる人物で、かつ新選組と話ができる人、ということですよね?」


「そうだ」


 秀一は、龍馬たちと親交があり、新選組にとっても敵ではない幕末の人物を次々に思い浮かべた。事態は一刻を争うから、今、京にいる人物である必要もある。


 格好の人物がいることに気が付いた。


 ながげんばのかみという男だ。


 玄蕃頭は外国使節の応対などを司る官位で、名をなおゆきという。京都町奉行、おおつけなどを歴任し、慶応三年11月の時点では、幕府のわかどしより格になっている。


 秀一は説明した。


「永井玄蕃頭は、長崎のかいぐんでんしゅうじょの所長を務めていたことがあって、そのときに勝海舟も教えています。つまり、龍馬さんの師匠の師匠に当たる人なんです。その縁で、龍馬さんとも直接交流があります」


 龍馬はじつは、近江屋事件の前日にも永井玄蕃頭を訪ねている。


「新選組とはどういう関係にあるんだ?」

 と涼介が聞く。


「若年寄というのは、老中に次ぐ幕府の重職ですから、慶応三年6月にようやく幕臣に取り立てられたばかりの新選組にとっては頭が上がらない存在です。でも、それ以上に両者には深い絆があって……。永井さんは、京都町奉行として、松平容保とともに京都の治安維持に当たっていた頃から、新選組を高く評価していました。その永井さんを新選組の隊士たちも慕っていて、永井さんが危険な土地に赴くときには、局長の近藤勇が直々に護衛を務めたりしたりしています」


「その永井さんからの指示であれば、新選組は無視できねぇ、てことだな?」


「はい。そう思います」


「だが、龍馬さんが俺たちの頼みを聞き入れてくれるとして、だ。龍馬さんはそんな偉い人を動かすことができるのか?」


 涼介の疑問は的を射ている。


 龍馬は土佐藩のごうであり、武士としての身分が低い。しかも、一度は脱藩浪人となっていたのを勝海舟の取りなしで藩士に戻してもらった立場でもある。


 その龍馬が幕府の若年寄と時局を論ずるだけならともかく、治安維持部隊・新選組に指示を出すように頼むというのは、どう考えても、分際を超えている。


 秀一は言った。


「平時なら無理だと思います。でも、今の時局でなら、可能かも知れません」


 ***


 慶応三年の時局は「たいせいほうかん」を軸に回転している。


 朝廷を抱き込んで倒幕戦争を仕掛けようとしている薩摩・長州に対して、徳川慶喜は、慶応三年10月14日、政権を朝廷に返上するという先手を打った。


 そうすることで、戦争を回避し、徳川家を中心として有力な諸侯が話し合いを行い、政治を決めていく「こうせいたい」制に移行することを慶喜は模索している。


 大政奉還を慶喜にけんぱくしたのは土佐藩の国父・やまのうちようどうだ。


 その具体案を考えたのが坂本龍馬だと言われている。


 しかし、龍馬は、将軍はもちろん、山内容堂にもそれを建白できる立場にない。そこで、家老のとうしょうろうを説き伏せ、実際には後藤が多くの仕事を行った。


 幕府側で大政奉還の実務的な推進者となっていたのが永井玄蕃頭だ。龍馬と頻繁に会っていたのも、おそらく大政奉還後の細々としたことを相談するためだろう。


 そのときの龍馬の印象について永井はこう語っている。


「後藤よりいっそうこうだいにして、く所も面白し」


 しかし、幕府やばくの諸侯の中には大政奉還を歓迎しない者も多かった。


 その彼らからすると、坂本龍馬は諸悪の根源であり、しかも、そもそも薩摩と長州が手を結んだことにも、この男が関与しているという……。


 龍馬はいつ殺されてもおかしくない状況にあった。その龍馬について、


「あの男を殺すな」


 と新選組や京都見廻組に言っていたのがまた永井玄蕃頭だ。


 永井にとって、土佐藩は薩長にくみしてはいるが、徳川家を守ろうとしている面において味方に近い存在であり、そのキーマンが龍馬であることを知っている。


 豪太はその龍馬の命を救った。


 新選組がその豪太や仲間に手を掛けるのは、永井にとって望ましくないことであるはずだし、それを助ければ、龍馬に恩を売ることにもなる……。


 秀一が「今なら可能かも知れない」と考えたのは、こうした状況があるためだ。


 ***


「そもそも、僕たちが新選組に目を付けられたのは、天童先輩が龍馬さんを助けたことと関係していると考えられますが、それは政治的な意図があってのことではありません。たまたまそこに居合わせたからで、つまりは、ただの誤解なんです。そのことを龍馬さんから永井さんに説明してもらえれば……」


 秀一がそこまで説明したとき、涼介があることに気がついた。


「その永井さんとやらに頼んで、見廻組にも天童さんを狙うのをやめるように指示してもらうことはできねぇか?」


「それは難しいんじゃないでしょうか」


「どうしてだ?」


「前にも言いましたけど、龍馬暗殺は秘密裏に行われていました。実行犯が京都見廻組だと分かってきたのも、明治に入ってからのことで、近江屋事件から間もない時期は、新選組の犯行という説の方が信じられていたくらいです。それなのに、僕たちが『あれは見廻組です』と言ってしまったら、『お前たちはなぜそれを知っている?』ということになってしまいます」


「なるほど。まあ、見廻組に関しては、天童さんが個人的に恨みを買ったってこともあるだろうしな。……よし、見廻組の件は後回しだ。今は新選組を動かして、咲を取り戻すことに全力を尽くそう。今、龍馬さんはどこにいると思う?」


「土佐藩邸じゃないでしょうか。龍馬さんは藩邸を嫌った人ですが、あんな事件があった直後ですから、今夜くらいは安全なところに身を寄せている気がします」


「よし。じゃあ、土佐藩邸に行くぞ。まずは何としても龍馬さんに動いてもらう。その交渉こそ、俺たちが咲のためにしてやれる戦いだと思え」


 豪太は、涼介と秀一が何を話しているのかさっぱり分からなかった。

 ただ、ようやく泣き止んだ美羽のそばであぐらをかいて座っていた。

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