第16話 新選組最強の男、デレる

 目が覚めたとき、咲は六畳ほどの畳敷きの部屋で、壁に背をもたせかけるようにして寝かされていた。体には布団が掛けられている。


 ここは座敷牢のような部屋だろう。

 廊下に灯されているあんどんが、こうのようなものを照らしている。


 いつの間にか、また後ろ手に縛られていた。きつくではないが、動かそうとすると、捻挫している右手首が痛む。いや、そこだけでなく、体のあちこちが痛い。


 その痛みが、生きている、ということを咲に実感させた。


 高い位置にある窓から月が見える。それをぼんやり眺めていると、


 ニャア、ニャア……


 という猫の鳴き声が聞こえた。

 ひとりぼっちで仲間を探しているかのように、切ない声で鳴きつづけている。

 

 咲は美羽のことを思い出した。


 美羽は無事だったのかな?

 涼介は?

 秀一は?

 豪太は……まあ、あいつは無事だろう。


「みんなに会いたい」


 と思った。

 知らず知らずのうちに目から涙がこぼれ、頬を伝う。


 ……とそのとき。


「目が覚めたか?」


 という声がした。

 いつの間にか、格子の外側に背をもたせかけるようにして、男が座っている。


 後ろ姿だが、声で分かった。

 斎藤一だ。


「俺に背を預けて座れ。大きな声は出すな」


 咲は言われた通りにした。


 ***


「体は痛むか?」

「少し。でも、大丈夫だ」


「腹は減っているか?」


 そういえば、もう丸二日以上まともな食事をしていない。


「減っている」

 と咲は答えた。


「握り飯を持ってきたから食え」


 そう言って、斎藤は格子の隙間から竹皮の上に置かれた握り飯を差し入れた。


「食えと言われても、両手を縛られている」

「じゃあ、俺が食わせてやる」


 咲は少し困惑した。


「なんだ、この男は。さっきはボクを殺そうとしていたのに、今度は優しくなったぞ。……はっ、これがツンデレというものか。飴とむちを使い分け、心理的に揺さぶりをかけようとする作戦。騙されるものか」


「女、何をブツブツ言っている? お前、心の中でしゃべっているつもりかも知れないが、全部声に出してるぞ」


「し、しまった。今日はあまりにもしゃべれないことが多かったから、つい声に出してしまった」


「いや、それもすべて聞こえているんだが……。まあいい。飴と鞭とか言っていたな。そんなつもりはないから安心しろ。人質のお前に死なれては困るだけだ。毒も入っていない。……ほら、顔をこっちに向けろ」


 言われた通りにすると、斎藤が口元まで握り飯を運んでくれた。

 咲がそれにはむっとかじりつく。


 塩味だけの握り飯だ。でも、美味しい。


 目からまた涙がこぼれた。

 さっき月を眺めながらこぼした涙とは違う、温かい涙だった。


 ***


 咲が食事を終えると、斎藤が言った。


「女。お前、名を何と言う?」


「咲……浅村咲だ」


「咲か。良い名だ。……お前によく似た女を知っている」

「ボクによく似た女?」


なかざわことという女だ」


 ***


 中澤琴は幕末に実在した女剣士だ。


 こうづけのくにあなはら村で、剣術道場を営むなかざわまご右衛もんの娘として生まれた。さだまさという剣客の兄がいる。文久三年2月、きよかわはちろうが江戸で「浪士組」を結成したとき、兄とともに参加。その後、近藤勇らとともに京にのぼった。


 清河八郎の狙いが将軍警護ではなく、尊皇攘夷のための武力となることであると判明したとき、それに反対した近藤勇、せりざわかもらが、新選組の前身となる壬生浪士組を結成。その際に、中澤琴も兄とともに応募したと言われている。


 実際には、採用されなかったか、何からの事情があったかで、江戸に戻り、浪士組の残党によって結成された「しんちょうぐみ」に参加。新徴組は、清河八郎の暗殺後、再び幕府によって統括されることとなり、江戸市中警護の任に就いた。


 戊辰戦争ではしょうない藩とともに新政府軍と戦っている。


 そんなわけで、琴に新選組隊士としての履歴はない。

 しかし、斎藤はこの女を見知っていた。


 ***


「美しい女だった」

 と斎藤は言った。


 琴はいわゆる男装のれいじんであり、男装している間は女性の求婚者が絶えず、女の姿に戻れば、男性の求婚者が絶えないほどの美形だった。


 斎藤はその名前を出すことで、咲に対して遠回しに、

「お前は美しい」

 ということを伝えている。


 しかし、恋愛に関しては小学生並の経験値しかない咲は、そのことに気づかず、

「その女は今どこで何をしているんだ?」

 と素朴な疑問を返した。


「知らん」


 と斎藤は答え、しばらくの沈黙の後、こう付け加えた。


「遅かれ早かれ、俺たちはみんな死ぬ」


 その中澤琴という女も死んだだろう、生きているとしても、いずれ死ぬ、という意味だろう。

 悲しむでもなく、憤るでもなく、それが当たり前だ、という言い方だった。


 新選組も新徴組も、幕末の京と江戸に咲いたはかない夢だ。


 ***


 しかし、史実の通りであれば、斎藤一は幕末の動乱の中では死なない。


 鳥羽・伏見の戦い、こうしゅうかつぬまの戦いを前線で戦いながらも生き残り、近藤勇と袂を分かってからは、宇都宮、会津へと転戦。会津藩が降伏してもまだ戦い続けようとし、松平容保から直々に説得され、ようやく戦うのをやめた。


 明治10年に西郷隆盛を将とする士族の反乱、西南戦争が勃発すると、別働第三旅団・警察徴募隊の第二小隊半隊長として、これに参戦。だんの中、抜刀隊を率いて斬り込みをかけ、西郷軍から大砲2門を奪うという働きをする。


 これほどの死線をくぐりながら、いくさでは死なず、大正4年に畳の上で死ぬ。


 ***


 咲も、この男が幕末の動乱の中で死なない、ということを知っている。


 しかし、もちろん、それを教えるわけにはいかない。

 それに、豪太が坂本龍馬を助けたことで、すでに歴史は変わりはじめている。


 斎藤は、無駄口が過ぎた、と思ったのか、話を締めるように咲に聞いた。


「眠れそうか?」


「一つ、頼みがある」

「言ってみろ」

「縄をほどいてくれないか。ボクは逃げたりしない」


 よし、と斎藤は言って、咲を後ろ手に縛っている縄を小太刀で斬った。

 お互いの手が少し触れ合う。


「ありがとう」


「俺が一晩中ここにいてやる。だから、安心して眠れ」


 斎藤はそう言うと、格子に背中をもたれかけさせたまま、目を閉じた。

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