第9話 西郷吉之助との面会(後)
西郷は、豪太の正面、有村俊斎と中村半次郎を左右に従えるような位置に正座すると、よく響く太い声で、豪太に向けて言った。
「オイが西郷吉之助でごあす。まずはビンタを上げてたもはんか」
頭を上げてくださいませんか、という意味だ。
それから、場を
「オイは殿様でも何でんなか。そげんかしこまっておらるっと、話ができもはん」
さらに微笑を浮かべて言う。
「後ろのお二人も、ビンタを上げてたもんせ」
そう言われても、頭を上げるわけにはいかない。相手はいつでも自分たちを殺すことができる。当然のことながら、豪太も木刀をこの場には持ってきていない。
涼介と秀一は、
「ハアッ!」
と返事をして平伏を続けている。
ところが、豪太は……
「なーんだ、頭を上げていいんじゃねーか」
と言うと、おもむろに頭を上げた。
だけでなく、足を崩してあぐらをかいた。
(何やってんだ、あのバカ!)
(西郷さんまだ正座してるのに!)
豪太の様子をチラ見した涼介と秀一が心の中でツッコミを入れる。
俊斎が叫んだ。
「貴様ッ。無礼ではなかか!」
しかし、西郷は微笑を崩さない。
「ヨカ、俊斎」
いきり立つ同士をたしなめると、
「そいなら、オイもあぐらをかかせてもらおうかい」
と言って、自らも足を崩した。
そうすることで、豪太の無礼を帳消しにしてやったのだ。
「オイは体が
ここまで言われては、頭を上げないことはかえって無礼になる。涼介と秀一は恐る恐る頭を上げた。しかし、足を崩すことまではしなかった。
西郷は「ヨカ、ヨカ」と言うかのようにウン、ウンと頷いている。
さすがに器が大きい……と秀一は思った。
西郷は、後に自らが命を落とすことになる
「一日先生と接すれば一日の
一方で涼介は、今、この演出を成り立たせているのが、左右に控える2人の威圧であることを見抜いている。
苛立たしげに刀の鍔に指をかけている有村俊斎。
「
この2人の存在が西郷を一層大きく見せている。
***
「おまんサァが、天童豪太ちゆう人ナ?」
と西郷が尋ねた。
「いかにもそうだ」
と豪太が答える。
「おお。話は聞いちょいもす。土佐の坂本サァを救いやったそうじゃなぁ」
「救ったなんて、そんな大したことしてねーよ。楽しく飲んでるときに邪魔が入ったもんだから、追っ払ってやっただけのことよ」
と豪太は頭をかきながら答えた。
(おい、なんであいつは対等な感じでしゃべってんだ!)
(むしろ上から行ってますよ、あの西郷さんに!)
涼介と秀一は冷や汗が止まらない。
俊斎は怒りに震えている。
額に浮き上がった血管が今にもブチ切れそうだ。
しかし、西郷は
「あん御人は、これからの日本国のためになくてはならん
と言って、畳に両手をつき、大きな体を丸めた。
それに対して豪太は、
「いいって、西郷さん。ビンタを上げてたもんせって自分で言ってたじゃねぇか」
とのたまった。
西郷はこれほど無礼な人間を見たことがないだろう。たとえば、相手が薩摩の
涼介と秀一は頭がクラクラしてきた。
しかし、西郷は怒らない。
「これは一本取られもした」
と言って、アッハッハッハと笑う。
しかし、すぐに表情を引き締め直して、豪太に尋ねた。
「おはんナ、坂本サァを襲った刺客に対して『薩摩の示現流』を名乗いやったそうじゃな。それは、ないごてな?」
西郷が聞いているのは、つまり、こういうことだ。
「あなたは薩摩の人間でもないのに、坂本さんを襲った刺客に対して、薩摩の関係者であると印象づけるようなことを言った。それはなぜだ?」
豪太はからりと答えた。
「俺の剣が示現流だからよ」
西郷は、ほう……と感心した声を出して、しばらく考えてから、
「半次郎」
と右斜め後ろに座っている男に呼びかけた。
「立ち合ってみんか」
(……!)
涼介と秀一は
豪太の一撃は、竹刀でも防具をつけた相手を失神させるし、木刀なら相手を殺傷できる。中村半次郎にもしものことがあれば、3人は生きては帰れない。
半次郎も困惑した。
「西郷サァ、そげな……」
半次郎も豪太を見て「この男は強いだろう」と感じていた。しかし、自分が負けるとは思っていないし、万が一負けるとしても、それを恐れる男ではない。
ただ、半次郎は自分のことを単なる人斬りではなく、国事に命を捧げる「国士」だと思っている。その自分がなぜ、こんなどこの馬の骨とも分からない男と立ち合わなければならないのか、と西郷に言いたいのだ。
豪太一人が闘志をむき出しにして、半次郎を見据えている。
「俺はいつでも相手になるぜ」
これには半次郎も頭に来たらしく、初めて感情を
不穏な空気を西郷の一笑がやわらげた。
「アッハッハッハ。天童サァ、今のはオイの
「なんだよ、西郷さんも人がわりーなぁ」
と豪太も笑い、涼介と秀一はホッと胸をなで下ろした。
***
笑いが収まると、西郷が改まって言った。
「坂本サァから、おまんサァ方を藩邸で
大事な方とは、久光の実子であり、
じつは西郷は、その茂久の護衛という名目で、藩兵3千人を引き連れて薩摩から進軍。昨日、京に入ったばかりなのだ。史実の通りに歴史が進むならば、この兵力が鳥羽・伏見の戦いで奮戦することになる。
「そん代わり……」
と言って西郷は、豪太、涼介、秀一の3人に等しくまなざしを配り、言った。
「何か困ったことがあれば、いつでんオイを頼ってたもんせ。力になりもんで」
それに対して、豪太がまた偉そうに言った。
「そいつはありがてぇ。西郷さんも俺の力が必要なときはいつでも言ってくれ」
(ねーよ、そんなときは永久に!)
(あんたが西郷さんのどんな役に立てると思ってるんですか!)
2人は心の中でツッコミを入れたが、ともかく自分たちが薩摩藩から狙われないことは分かった。それだけでも大きな収穫だ。
「おまんサァ方、
結局、豪太たちは食事までご馳走になって、涼介が改めて丁重なお礼を言い、午後も遅い時間になって、藩邸から引き上げた。
***
「吉之助サァ!」
3人が去った後、有村俊斎が西郷に詰め寄った。
「ないごて、あげん無礼な連中を許しやったとな。斬れ、と一声かけてくれりゃ、オイがあん男の首をはねてやったとに!」
それに対し、西郷は少し厳しい声でたしなめた。
「俊斎。おはんナ、もうただの
「それに……」
と言って、西郷はしばらく何かを思案するように腕を組んだ。
さっき半次郎に「立ち合ってみんか」と言ったときの豪太の悠然とした態度が目に焼き付いている。あれは戯言ではなく、じつは豪太の度量を試したのだ。
「天童豪太ちゆう男、使えるかも知れん」
西郷は独り言のように呟いた。
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