第8話 西郷吉之助との面会(前)

 豪太が近江屋事件に居合わせたことにより、龍馬が生き残ったことは、思いがけないところから、歴史に作用を及ぼしはじめていた。


 近江屋事件の翌日である慶応三年11月16日。この日、本来の歴史では、別の人物が薩摩藩邸を訪れて、を求めるはずだった。


 じゅうろうという男だ。


 元は新選組の砲術師範だが、とうろうが近藤勇とたもとを分かってりょうを結成したとき、これに参加。以降は御陵衛士として活動している。


 龍馬と親交があった伊東は「君は新選組と見廻組に狙われている。気をつけてほしい」と忠告していた。そして、近江屋事件で龍馬が殺されると、次は自分だと思い、阿部を遣わし、薩摩藩に御陵衛士の庇護を求めたのである。


 ところが、龍馬が生き延びた。

 しかも、示現流の使い手が護衛として付いていたと聞く。


 自分の知らないところで何が起こっているのか……。

 伊東は阿部を遣わすことをひとまず思い留まることにした。


 その代わりであるかのように、涼介たちが薩摩藩邸を訪ねたのである。


 ***


「天童さん、一応聞いておくが、西郷さんがどんな人かは知ってるよな?」


 龍馬たちの案内で伏見に向かう途中、涼介が豪太に聞いた。今、薩摩藩邸を訪れようとしているのは豪太、涼介、秀一の3人。咲と美羽には留守番を頼んである。


「西郷さんくらい知ってるよ。あれだろ? 金玉袋のデカイおっさんだろ?」


「よりにもよって、どんな覚え方してるんですか!」

 と秀一がツッコミを入れる。


「確かに西郷さんは、おきの島に島流しにされていた頃、風土病に感染して、いんのうが肥大化していたと言われています。……ですが、そんなことは、西郷隆盛という偉大な人物を表現するまつな一行に過ぎません。幕末のこの時点でも、日本最強の薩摩兵団を率いる司令官、これから始まるしん戦争では、官軍の事実上の総参謀となる人です。何か粗相があったら、本当に殺されちゃいますからね」


 その秀一の説明に対して、涼介が言った。


「田中、この人にそんな難しいこと言っても、頭に入らねーよ。犬に教えるつもりで教えてやらなきゃダメだ」


「いいか、天童さん。相手はものすごく偉い人だ。正座して、畳に両手と額をつける姿勢を取って、絶対に頭を上げるな。これだけは守ってくれ」


「おう、涼介。任せとけ」


 ***


 そんなわけで、豪太、涼介、秀一の3人は今、薩摩藩邸の大広間で、畳に額をつけてへいふくする姿勢のまま、西郷吉之助の到着を待っている。


 上座の正面に豪太、その後ろ、敷居をまたいだところに涼介と秀一。

 3人は龍馬の手引きで、すでにこの時代の着物を身につけている。


「おい、あの2人は何だ?」

 平伏する姿勢のまま、涼介が秀一に小声で聞いた。


 西郷はまだ来ていないが、上座の左右にがんこうの鋭い男が一人ずつ座っている。


 向かって右側の男は「何か粗相があれば、いつでん斬る」とでも言いたげに、左手の親指を刀のつばにかけ、カチカチ音を鳴らしている。


「あれはおそらく……」

 と秀一が平伏する姿勢のまま小声で答えた。


ありむらしゅんさいという人です。なまむぎ事件のときにイギリス人を刺殺したり、明治になっておおむらますろうが暗殺されたとき、その黒幕として疑われたり、生涯にわたって血の気の多いエピソードばかりが目立つ人ですよ」


 豪太も今、平伏している。


 その姿勢のまま、右側の男について、

「こいつは大した男じゃねぇ」

 ということを野獣の勘で掴んでいた。


 ただならぬ殺気を感じるのは、むしろ、向かって左側に座っている男だ。


 両手を膝の上に置き、背筋をピンと伸ばして、真っ直ぐ前を見つめている。俊斎とは違い、静かに座っているだけだが、

「こいつは強ぇ」

 と豪太は直感していた。


 その男についても、秀一が涼介に説明する。


「あちらはおそらく、なかむらはんろう。明治になって、きりとしあきと名前を変え、陸軍少将になる人です。幕末は主に西郷さんの護衛をしていたんですが、示現流の使い手で『人斬り半次郎』と呼ばれ、恐れられていました。土佐のおかぞうらと並んで幕末四大人斬りの一人とされている人物ですよ」


 涼介と秀一がそんな話をしているとき、体の大きな男がのっそりと入ってきた。


 身長が180センチはある。しかも、がっしりとした体格で、目が大きい。威厳とあいきょうとを兼ね備えた不思議な顔だ。頭はそうはつで、まげを結っている。


 この男が西郷だ、と3人はすぐに分かった。

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