第7話 50両、高いか安いか

「そろそろ、天童先輩を起こしますか?」

 と秀一が涼介に聞いた。


 隣の部屋で豪太が大いびきをかいているせいで、少し声を張ってしゃべらなければ、龍馬たちには聞こえない。2人はその状況を利用して小声で会話している。


「いいよ。間違いなく面倒なことが起こる」


「でも、さすがにまずくないですか? 龍馬さん、天童先輩を訪ねて来てるのに」

「まあ、仕方がねぇ。とりあえず、様子だけ見てきてくれ」

「分かりました。すぐに起きそうだったら、起こしますね」


「坂本さん、岩崎さん、ちょっと失礼します」


 と言って、秀一が席をはずし、豪太が寝ている部屋の襖を少しだけ開けて、中に入った。……と思ったら、すぐに戻ってきた。


「どうだった?」


「龍馬さんたちに絶対お見せできないものが袴からはみ出してたんで、体を裏返して、うつ伏せにしておきました……」

「よし。それでいい。このまま寝かせておこう」


「それにしても、弥太郎さん。どんどん不機嫌になってません?」

「まあ、気持ちは分かる。俺がいつもやられてることだからな」


 咲は龍馬の隣でカチコチになっているだけだが、美羽は弥太郎の腕に自分の乳を押しつけ、太ももに手を置いている。


「あれは男女が逆なら完全にセクハラだ。顔を真っ赤にして座ってるだけの新人の方がまだマシだと思ってるんだろう」


 そんな理由ではない、ということを2人は間もなく知ることになる。


 ***


「まずは昨日の礼をさせてもらいたい」

 と龍馬が言った。


「弥太郎」


 と龍馬から促された弥太郎が、傍らに置いていた木箱を開け、白い紙で包まれたえんちゅう状のかたまりを2つ、龍馬に渡した。龍馬がそれを涼介と秀一の前に置く。


「合わせて50両ある。これで当分、京での暮らしに困らんじゃろ」


「きゃー、さすが社長さん、素敵ー。お金持ちー♡」

 と美羽が目を輝かせた。


 しかし、よく考えてみると、50両の価値が今ひとつ分からない。

 同じくピンと来ていない涼介が秀一に小声で聞いた。


「50両ってのは、現代のお金に直すといくらだ?」


 秀一が耳打ちを返す。

「江戸後期までなら、1両は少なくとも10万円以上の価値がありました」


「てことは、50両は……500万円以上か!?」


「ただ、幕末は急激なインフレが進んでいて、お金の価値がどんどん下がっているんです。……それでも、たとえば、池田屋事件で新選組の近藤勇に与えられたほうしょうきんが30両。それが100万円以下ということはないでしょうから、50両は少なくとも200万円以上の価値がある、と考えていいんじゃないでしょうか」


(なるほど)

 とそれを聞いて涼介は思った。


(弥太郎さんが不機嫌になっていた理由はこれか……)


 いくら命を助けられたとは言え、池田屋事件での近藤勇の報奨金をはるかに超える金額の謝礼というのは、気前が良すぎじゃないのか、と涼介も思う。


 しかし、龍馬は金にとんちゃくしない性格なのか、あっけらかんと言った。


「これで美人の2人にも綺麗な着物を買うてやれるじゃろ。おなごが京におって、着るもんがけいしかないゆうがは、さすがに可哀相ぜよ」


「龍馬さん、女心を分かってるー♡ ね、咲。何買う? 何買う?」

「ボ、ボクに話を振るな!」


 2人のやりとりを愉快そうに見守ってから、龍馬はさらに言った。


「これでも足りんようになったら、あしに言うとーせ。いくらでもゆうづうするき」


(おかしい。なんで俺たちにそこまで……?)


 と涼介は不審に思ったが、金の心配がなくなったことはありがたい。


「お心遣い、かたじけなく思います」

 と頭を下げた。


 ***


「時に伊吹さん」


 龍馬が改まった感じで言った。

「おまさん方、この先どうするつもりぜよ?」


「どう、とは?」


「昨日あしを襲った連中は一介の浪人じゃない。おそらく、幕府の息のかかった連中じゃ。そいつらは間違いなく、天童さんも狙ってくる」


 頼る先はあるのか、ということを龍馬は聞いている。


「それが……」


 と言ったきり、涼介は言葉に詰まった。

 どうすればいいのかは、こっちが聞きたいくらいだ。


 そのちゅうを察したように龍馬が言った。


「勝先生に話をつけてもらうんが良策じゃが、あいにく、先生は今、京におらん。土佐を頼れと言いたいところじゃが、我が藩ながら、土佐は頼りにならん。あしを幕府から守るかわりに、天童さんを売る心配がなくもない。そこで提案じゃ」


「はい」


「おまさん方、薩摩を頼られよ」


「えっ」

「さ、薩摩ですか!?」


 涼介と秀一は驚きの声を上げてしまった。


 龍馬たちが訪ねてくる前、自分たちは薩摩藩から目を付けられた可能性がある、と話し合ったばかりなのだ。もちろん、その薩摩黒幕説を龍馬には話せない。


「今、丸に十字のもんほど心強いもんはない。幕府も薩摩には手が出せん」


 幕末のこの時期、幕府は薩摩と長州が手を結んで倒幕戦争を仕掛けようとしていることを知っていた。その狙いに肩すかしを食らわせるために、先手を打って、朝廷に政権を返上した経緯がある。今、薩摩を無用に刺激することは避けたい。


「ですが……」


 と秀一が不安を口にしかけたのを手で遮って、龍馬は話を続けた。


「薩摩の腹ん中が単純でないことは、あしもよう知っちゅう。けんど、幕府の敵となった天童さんを守れるがは薩摩しかない。……幸い、今、伏見の薩摩藩邸に西さいごうきちすけという男がおる。そん懐に飛び込まれよ。あしが仲介するき」


 西郷吉之助というのは、言うまでもなく、西郷隆盛のことだ。隆盛は明治に入ってからの名前で、この頃は吉之助を名乗っている。


 涼介はまだ不安だったが、龍馬の言うことに理があるように思える。


「分かりました。お願いします」

 と頭を下げた。


「それを聞いて安心した。もう話はつけてある」


「は?」


「これから、あしが薩摩藩邸に案内するき」

「こ、これからですか?」

「善は急げじゃ」


(あんた、生き急ぐにもほどがあるだろ!)

(なんか急展開すぎて頭がついていかないんですけど!)


 というわけで、涼介たちは急きょ、薩摩藩邸を訪ねることになった。


 ***


「坂本」


 涼介たちを薩摩藩邸まで案内した後、弥太郎が龍馬に聞いた。

「あの連中、生きて帰れると思うか?」


 それに対して、龍馬はあっさりと言った。


「殺されるかも知れん」


「ほんなら……」

「あしの命を守った天童さんをどう扱うかで、薩摩の腹ん中が少しは読みやすうなる」

「おんし、まさか……」

「勘違いしーな。あしがあの者らを助けるために仲介したがは事実じゃき。少なくとも、西郷さんと面識を持っておいて損はない。……それより弥太郎」


 と言って、龍馬は懐から黄色い小箱を取り出した。


「あの部屋に落ちちょったがをもろうてきた。メリケンの言葉が日本の仮名で書いてある」

「カロリー……メイト……?」


「こがなもん、日本に存在すると思うか?」

「ないな。長崎でも見たことがない」


「天童さんと話しちょるときから感じちょったが、あの連中はおそらく、何かを隠しちゅう。薩摩と引き合わせることで、それが何かも分かるかも知れん」


「坂本。おんし、何を考えゆう?」


 龍馬はその質問には答えず、笑みを浮かべて聞き返した。

「弥太郎、さっきの50両、高いと思うか、安いと思うか」


「安いな」


 と弥太郎は答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る