第6話 坂本龍馬と岩崎弥太郎

 ここで、5人が潜んでいる空き家の間取りを説明しておきたい。


 今、龍馬が開けた引き戸のすぐ前は土間なっていて、ここが家の玄関に当たる。そこから一段上がったところに座敷があり、豪太以外の4人はそこにいる。


 引き戸から見て、その座敷の右隣にもう一つ座敷がある。豪太が寝ているのはその部屋だ。引き戸から見て正面、4人がいる座敷の奥はなん、つまり、物置のような空間になっている。その右隣に台所があり、ここに勝手口がある。


 ***


「あしゃ、土佐の坂本龍馬という者です。昨日、あしが命を狙われちょったところを天童さんに助けられたき、礼をさせてもらおうと思って来たがです」


 確かに歴史の教科書などで見覚えがある顔だ。


 ただ、その印象よりも背が高い。身長178センチの涼介と並んでも、大きくは違わない。この時代の人間としては、飛び抜けて大きな男だったはずだ。


「天童さんなら、確かにここにいますが……」


 涼介は隠さずに言った。

 隠そうにも、豪太はすぐ隣の部屋で大いびきをかいている。


「どうして、ここにいると分かったんですか?」


 相手が少年少女だったことで安心したのか、龍馬は砕けた口調になって言った。


「大体の場所は天童さんから聞いちょった」


(あのバカ、さらに余計なことしやがって……!)

 と4人は思った。


「命を狙われるような人が、こんな堂々と一人で出歩いていていいんですか?」

 咲の後ろに隠れたままの秀一が聞く。


「昨日の連中が誰ながかは、察しがついちゅう。あしはこう見えて、幕府のぐんかんぎょうかつかいしゅう先生の一番弟子じゃ。そいつらも白昼堂々と殺せはせん。それに……」


 と言って龍馬は引き戸を少し開け、手招きをした。


「一人では来ちょらん。……おう、ろう


 龍馬がそう声をかけると、別の男が引き戸をガラッと開けて入ってきた。この男も龍馬に劣らず、体が大きい。鼻の下にうっすらと髭を蓄えている。


「あしはかいえんたいという、船で海の商いをする会社をしゆう。そこで銭の勘定を任せゆうが、こん男じゃ。名前は岩崎弥太郎」


 龍馬がそう紹介すると、弥太郎は4人に向かってスッと頭を垂れた。


「秀ちゃん、この人は誰?」

 美羽が耳打ちするように小声で聞いた。


「後に三菱財閥の基礎をつくる人ですよ」

「え、じゃあ、お金持ち?」

「それは明治になってからの話で、今は土佐藩の一役人ですけどね」


 ***


 岩崎弥太郎は海援隊の隊士ではない。土佐藩が長崎で異国商人たちと貿易を行うために設立した藩営会社の主任で、その業務の一環として海援隊の経理を担当している。この時期、佐幕から倒幕に傾いた土佐藩が、龍馬が持つ薩摩藩・長州藩との人脈を必要としたために、龍馬を支援することが藩命のようになっていた。


 しかし、今、涼介たちを訪ねてきているのは、龍馬の私用であり、弥太郎が付き合わされる義理はない。そのせいか、少しムスッとした顔をしている。


 その顔を見ながら、秀一は思っていた。


(龍馬さんが生き残ることで、いちばん運命が変わるのは、たぶんこの人だ)


 本来の歴史であれば……


 近江屋事件で龍馬が暗殺された後、海援隊は求心力を失って分裂、慶応四年4月に藩から解散を命じられる。その残務処理を一手に担ったのが岩崎弥太郎だった。その後、明治時代に入り、弥太郎は海援隊から学んだノウハウを使って、海運業などを行う「九十九つくも商会」を立ち上げ、それが後の三菱財閥につながっていく。


 龍馬が生きていれば、その事業は龍馬が行っていた可能性が高く、弥太郎の出る幕はなかったかも知れない。


 ……そんなことを考えていた秀一がハッと気づいて涼介に言った。


「とりあえず、上がってもらいませんか? 立ち話もなんですから」


「おお。そうだな」

 涼介もすでに龍馬たちへの警戒心を解いている。


「坂本さん、岩崎さん、どうぞ上がってください。何ももてなしはできませんが」


「かまわん。おまんらが剣術修行の旅の最中、追いはぎにあって、文無しになった話は、天童さんから聞いちゅう。長居するつもりはないちや」


 涼介は昨日、豪太を空き家の探索に行かせる前、「この時代の人間と会話することがあっても、未来から来たことはしゃべるな」と言い含め、聞かれた場合のコメントを打ち合わせてあった。

 それだけは守っていたことが分かり、涼介は少しホッとした。


 ***


「さぁさ、社長さん。どうぞこちらへ♡」


 と美羽が場の緊張に似つかわしくない猫なで声で言った。

 弥太郎にすり寄り、腰に手を添えている。


「可愛い子いますんで。ね♡」

 と咲に目配せをする。


「えっ。ボ、ボ、ボクは何をすればいいんだ?」

 急に話を振られた咲は困惑した。


「龍馬さんのお隣に座っているだけでいいわよ」

「わ、分かった……」


 咲は極端な照れ屋である上、父である剣豪・浅村良一に男のように育てられたため、女である自分を意識させられる場面になると、顔が真っ赤になる。


(何の店だ、ここは!)

(確かに2人とも、ある意味、社長さんではありますけど!)


 と涼介と秀一は心の中でツッコミを入れた。

 しかし、美羽の機転によって、場の緊張がほぐれたのも事実だった。


「あっはっは。まっこと、こがな美人にもてなしてもらえるとは、来た甲斐があったねや。弥太郎、上がらせてもらおうかい」


 龍馬は快活に笑いながら言った。

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